沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

さよなら2016年

2016年12月31日 | 年末年始

 2016年も終わろうとしています。みなさんにとってどういう年だったのでしょうか。

 国内はリオデジャネイロ・オリンピックで盛り上がりました。海外、アメリカではトランプショックが起きました。国民の本音を取材することなく、きれいごとばかり書いてきたメディアの敗北でもあるでしょう。県内ではオスプレイが集落に近い海浜に墜落するという大事故も発生しました。いずれ住宅地にも墜ちるでしょう。「だから市街地から海側へ移そう」という、一部(意外に大半かも)にある理論を完全排除している沖縄のメディアも、アメリカのようになるのではないかという気もしています。事実を伝えるという使命より、主義主張を全面に押し売りしてくる状態はもはや「報道」ではないっす。何が正しいのか、判断するのがとても難しい上に、両極に偏った自己主張だけが強まるいやな世の中になっていきますね。

 生粋のウチナーンチュ8郎的には基地問題なんかより、生まれ島沖縄が数字だけ経済発展し、ウチナーンチュと、移住してきた本土資本家との経済格差が拡大する悲しい現実を、仕事を通じて痛感させられた1年でもありました。その地で生まれ育った者が経済的に不利になるという仕組みはどう考えてもおかしいです。沖縄とウチナーンチュはいまでも一部のずるがしこいナイチャーにとって搾取の対象なのでしょうね。それこそ「負きてぃーならんどー」ではないでしょうか。


 下写真は12月31日の夕暮れです。この澄み切った空なら、きっと素晴らしい初日の出が拝めるに違いありません。

 8郎家的には、終の棲家となるはずの中古マンションを買ったエポックな1年でした。引っ越して9カ月がたちますが、居住環境もよく、満足しています。もう少し広ければと思うときもありますが、いつか10郎が巣立った時を考えると、妻と二人「これで十分だ」と意見が一致しています。それまでの間は家族でぎゅうぎゅうと過ごしたいと思います。

 

 当ブログは開設10年の節目でした。とはいえ、全く新しい展開もなく、地味につれづれなるままだっただけに反省もしているのですが・・・。来年のブログはいっそう寂しくなりそうです。というのも、愛息10郎が小学生になるのを機に、本人の写真にもモザイクをかけようか迷っているのです。子供の写真をアップして何が悪いというのが率直な気持ちですが、第一、10郎本人に同意を得ていない(笑)だけでなく、なにがあるかわからないこの世の中への不安というのもあります。「載せなければよかった」と思ってももう遅い、という事態だけは避けたいのです。4月の入学式を前に判断したいと思います。ブログチェッカーのみなさんにとってはどうでもいいことかもしれませんが(笑)、8郎としては日記的側面もあるため、10郎の成長を感じられないブログでは意味がないからです。しばらく考えさせてください。

 また、後記の理由により、仕事やアフターファイブに労力を注入するつもりであることから、更新頻度も減っていくことになるだろうと思っています。


   ◆    ◆    ◆    ◆    ◆

 

 8郎は来年44歳になります。人生下り坂のスピードが加速していきます(笑)。人生計画的には、40代前半最後の一年でもあります。

 家族のために闘える、そして動ける50代になるために、40代後半が最後の時間だと思っています。そういう意味で、2017年はその最後の5年間を前にした、最後の1年となるのです。もう44歳だと焦ることも必要ですが、45歳になる前に神様がくれた1年だと思うようにします。

 何に挑むか、具体的にはこれというものを決めておりませんが、これくらいやらなければ、というイメージはあります。それを決める1年にもなります。

 3度目の受験となる10月の宅建は、これはもう落ちることは許されません。でも、宅建は取得できたら、それなりの意義がある資格だと思うので、前向きに勉強を続けます。そのためには部署異動が必要条件ですが、こればかりは自分の力ではかないません。まぁ、説明責任から逃げ続ける汚っねー人事権者がどういうオチをつけるかは、大体わかっていますが。悲しい会社です。

 どちらにしろ、サラリーマン8郎、将来を見据えて自分の尻に鞭を打ちます!


 愛息10郎も小学生になります。父親とのふれあいも生涯記憶に残るようになっていく年頃です。いつか10郎が父を思い出すとき、常に努力する姿を思い出してもらいたいのです。それこそが、息子に残せる最大の財産だと勝手に思っています。遺産なんてそもそもありませんし。

 おい10郎、金もあって、コンプレックスもなく、誰からも好かれる。そんな人生、男として何ひとつ面白くないぞ。迷惑さえかけなければ、必要以上に人に好かれる必要はないんだ。自分にうそをついてまで周りに好かれようとする人生だけは歩んでほしくないと父は思っています。

 

 趣味のダイビングは最低でも2回は行きたいです。ギンガメアジのトルネードが最大目標です。キャンプも10郎が「2回は行きたい」(笑)と希望していますので、春と秋に実行したいですね。

 草野球チーム「ダン〇ンズ」の新年会は、名護にいくために欠席となります。帰省するカツGと飲めないのは寂しいですが、仕方ありません。でも1日くらいは調整できるような気もしています。

 

 ということで、だらだら書いてきましたが、あまり来年のことをいうと鬼に笑われるということなので、これにて2016年のブログを締めさせていただきます。年の瀬はこれから、妻が借りてきたDVD「64」(前後編)を見ます。10郎は紅白のピコ太郎と、パーフェクトヒューマンを楽しみにしております。どちらもリズミカルに踊れます!


 では、改めまして、

 みなさん、よいお年を!

 

園児最後のクリスマス

2016年12月31日 | 10郎

 2016年も残り1日となりました。大晦日です。

 1週間近くも前の話ですが、8郎家のイブの様子をご報告いたします。来年は小学生になり、「園児」から「児童」に出世する愛息10郎です。

  「サンタさんは最後の最後まで子供たちがどれだけいいことをしているかを空から見ているんだよ」という父母のことばを真に受け、そそさくさと家族3人の寝具をセットしはじめる10郎です。おい、まだ午後6時だぜ。いつも10時前になっても目がらんらんとしているくせにさ~(笑)。 明日の朝が待ちきれなくてしょうがないのですね。おもちゃもそそくさと片付けました。

 ディナーは妻がつくった即席ビーフシチュー。久々に圧力なべをつかったものの、ふたが飛びそうになるなどあわや大惨事の展開だった様子。味より家が大事っす~。

  ケーキは妻が希望した有名ケーキ店「オハコルテ」のもの。妻に値段を聞いても教えてはくれませんでした(怖)。クリームも味が濃く、確かにおいしゅうございました。でも値段が気になる~。

 ディナーとケーキを食べ終えると、10郎は布団に潜り込みます。まだ8時前やで~。話しかけてくる父がうざい様子です。いつもこう早く寝てくれ!

  妻が「サンタさんにお供え物をしよう」と提案。みかんと水いっぱいを卓上に備えました。みかんはいかいにもサンタが食べたかのようにその日のうちに妻が細工。

  10郎、この夜だけは「とーとーの物語」を催促することもなく眠りにつきました。どんだけ、楽しみにしてるばー!

 

 翌朝、10郎の枕元には二つの箱が。希望していたドラゴンボールのキャラクター2体のプラモデルです(本当は人形がほしかったのすが売っていなかったのです)。喜色満面の6歳児です。

  起床してみると通常の朝ならライトが消えているはずのクリスマスツリーがピカピカ光っており、さらに、わざとらしいメッセージカードが挟まれているではありませんか! もちろん父作成。

 カードを妻から渡されても、疑心暗鬼の愛息。そこには「強い男になれ」とのサンタらしからぬメッセージが汚い字(しかも日本語)で書かれていました。

  さて、プラモデルですが、開けてみるとかなり本格的でした! 確かに箱には「対象年齢13歳以上」と記載されていました。

  たまには、ものづくりもいいものだと父子二人で、あくせくと組み立てます。

  4時間かけて、ついに完成でーす。

  以上、愛息10郎、園児として最後のクリスマスでした。

 

 御用を収めた8郎。久しぶりに10郎を公園に連れて行きました。木登りがうまくなっていてびっくりです。

 そして自転車の練習です。小学校に入るまでに二輪車を乗れるようになるのが目標です。2年前にじいじばあばが買ってくれた四輪車の補助輪を外しています。もうさびてきているので、これが乗れるようになったら買い替えだね。まだバランスがとれずにふらふらしていますが、もう少しで乗れそうです。頑張れよ!

 帰宅後は風呂に。いつかのテレビでみたバブルリングに挑戦するのが最近の習慣です。とーとーもダイビングでやりたいと思っているのですが、なかなか難しいのです。本人は「もうできた」と思っているようですが。こんなに浅い風呂ではまず無理じゃ。

 いろんなことに挑戦しつづける息子を、来年44歳になる父も応援し続けたいと思います。

 

 さて、今日は大晦日ですが、本日中にもう一回年末恒例のまとめ記事をアップしたいと思います。あまり中身もなく短いでしょうし、また、酔っぱらってできない可能性もあるので、一応・・・

 みなさん、よいお年を!


肉降る聖夜にアンデッド

2016年12月24日 | 食事処&飲み屋

 愛息10郎が未就学児として最後のクリスマスとなるのを前に、妻方のじいじばあばがランドセルを買ってくれました。ありがたいことです。ちょうどこの時期は、じいじばあの結婚記念日が近いこともあり、お礼もかねて二人を那覇市の老舗ステーキレストラン「ピッツバーグ」にご招待しました。

 趣のある看板の前で、最近得意の物まね、アンデッド(ゾンビ)を披露する愛息です(なぜ?)。白目をマスターし、さらにワンランク上げてきました(笑)。これが結構うまいんです。

 本土復帰前の1962年創業のピッツバーグはAサイン時代の趣を残す、とてもいい雰囲気です。昼夜車が絶えない国道58号沿いにあるのが不思議な感じですね。家族連れやカップルがいました。 

 ジュークボックスなど、古き良きアメリカの世界です。そんなことはお構いなしに、またちびゾンビ登場。

 8郎はフィレステーキをレアにしましたが、もうちょっと焼いたほうがいいかと後悔。もっといえば、脂も楽しめるニューヨークステーキにすればよかった。とはいえ、じいじばあばも喜んでくれました。

 ふつうはパンかライスを選ぶはずですが、この店は、ライスかチャーハン(!)と聞かれます。8郎はせっかくだからとチャーハンにしたのですが、ちょっとしっとり感が強すぎましたね。昔の家庭の和風焼き飯という感じです。ウェイトレスさんは、創業関係者でしょうか、高齢な方とその娘世代のお二人がいらっしゃいました。どちらもとてもていねいでファミリーな方々でした。

 ただ、一点、残念なのが、地下のライブハウスがドンドン重低音を鳴らすことです。こればっかりは雰囲気を壊しますね~。 

 とてもいい店だったので、店舗前で、初孫をこよなく愛するじいじばあばと記念撮影です。こら~、またアンデッドかいっ。 

  でも全然怖くないアンデッドですなぁ。ほっぺたが、つやっつやです。

 家に戻ると早速ランドセルを試着。10郎は同年代に比べ体が大きい上に、父に似て仮分数なので、そんじょそこらの小学1年生よりも貫禄がありますなぁ(笑)。すっかりお兄ちゃんです。「幼児」も卒業し、来年はもう「児童」かぁ。親心としては、うれしいと同時に成長の速さに一抹の寂しさも感じました。

 

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 さて、イブイブの夜は、姪っ子甥っ子のひまりんたいちんのために使いました。しばらく会っていなかったので顔を見たかったからです。二人とも元気でした。この日、2学期を終え、通信簿もともに良好だったようです。二人とも口には出しにくい、精神的につらい日々を重ねていると思いますが、地道に頑張っていることにとてもうれしく思いました。

 クリスマスプレゼントを買ってあげるため、イオンモール沖縄ライカムまで行きました。二人とももう身長は160㌢前後。たいちんは来年中学生です。こちらもどんどん大人への階段を駆け足で登っています。

 久しぶりに会う姪っ子甥っ子のために、ディナーを大奮発! 最初は寿司でもと思ったのですが、クリスマスということで、結局ステーキに落ち着きました(笑)。ライカムで2度目の利用となる「カウボーイファミリー」です。柔らかくておいしゅうございました。この店は顧客満足度で間違いはないですね。

 スリーショットのときに、10郎はまたしてもアンデッドをしましたが(懲りないやつじゃ)、笑顔もしっかりと押さえました。久しぶりのいとこたちとの交流がうれしかったようだね。

 ひまりん、たいちん、将来に夢をもって、一生懸命頑張るんだぞ。おじさんも応援します。

 さて、今宵は、クリスマスイブ🎅。サンタの存在をまだ純粋に信じてる10郎の行動がとても面白いので、明日の結果をふまえて、後日ご報告いたします!


駆け抜けた松本清張記念館

2016年12月18日 | 県外 8 Scene

 年の瀬の慌ただしい中、駆け足で北九州市へ出張へ行ってまいりました。写真は霧雨けぶる小倉駅南口です。気温は7度ほど。白い息が出ました。

 業務内容は1時間ばかりなのですが、先方が時間を指定してきたこともあり、タイトな日程となりました。しかも、右肩下がりであるわが社の事情からか、上司から、費用を抑える目的での「日帰り」命令が下りました。個人的には、実質1時間なので「そりゃそうだろう」と納得しました(そもそも出張しなくても可能な業務なのですが建前主義の世界だとこうなります)。しかし、先週福岡出張した先輩には宿泊決済が下りていたようです。8郎周辺の先輩同僚は「(上は)費用対効果すら考えない明らかな差別」と嘲笑しておりました・・・。

 とはいえ、せっかくの出張。しかも未経験の北九州市の小倉(こくら)という町。なにかしら得るものはないか事前にネットで調べてみました。北九州市に関しては中学校時代に習った「工業の街」というイメージしか浮かばなかったものの、「小倉」という響きにぴんときました。ある国民的作家が思い浮かんだのです。

 それは、没後四半世紀がたとうとする松本清張です。8郎はマニアというほどではありませんが、多くの国民同様、「なんてすごい作家なんだ」と作品を読むたびに思っていた一人です。人間の汚くも悲しい部分を描きつつ、底辺には人間が好きでたまらないという情熱が漂う作風です。現代の国民的作家、横山秀夫氏を読むと、そのルーツに清張を感じます(横山氏も清張をリスペクトしています)。どちらも好きな8郎ですが、清張には横山氏のさらに上を行く人間へのあくなき探求心をいうものを感じるのです。分かりやすくいうと、横山氏はエンターテイメントに徹し、清張はあくまで人間探求に徹するということでしょうか。二人とも希代のストーリーテラーなので「どんでん返し」が得意なのですが、横山氏は「ちくしょう、そういう落ちがあったか。これは思いつかなかったわい」という衝撃ですが、清張の場合、「人間ってこわ!」と背筋が寒くなるような、これまでの人生経験では分からなかった人間の裏の顔を見せられる衝撃、ということになります。

 清張は1953年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞しデビューしました。8郎も20年ほど前に読みましたが、そのとき、清張自身も小倉出身だというのを解説か何かで知っていたのです。「出身地ということは記念碑的なものがあるに違いない」とネットで調べてみると、その名もずばり「松本清張記念館」なるものがあるではないですか!(笑)。しかも出張目的地である大企業本社から歩いて10数分ほどの場所にあります。「これは寄るしかない」と決断しました。

 福岡行の便でも、家の本棚から持ち出した「松本清張短編集」(下写真)を読みました。その中に「或る『小倉日記』伝」があったからです。1時間半ほどのフライトで読破しました。20年ぶりですが、あらためてじんとくるものがありました。 障害をもつ青年が、文豪・森鴎外の小倉在住時代の「日記」を証言などを取材して記録化することに情熱をかけるというストーリーです。青年への偏見による差別と、青年を献身的に支える母の行動が胸に迫ります。結局、青年は目的を遂げられないまま亡くなってしまうのですが、清張はそのあとにさらなる現実の冷たさを用意しているのです。そして、これをわずか最後の三行でまとめる清張の筆力。文章がそっけないだけ、その分、いろいろなことが頭の中をよぎるのです。恐れ入ります。ストーリーが骨太なら、饒舌な文章なんかいらないということを教えてくれます。

 さらに、この作品の一番素晴らしいところは、青年が「自分がやっていることに意味はあるのだろうか」と絶望に襲われ、のたうちまわる姿を描いたことです。人間ってそんなものでしょう。サラリーマン8郎にはわかりませんが、特に研究者や文学者たちというものは凡人にはわかりえないストレスと戦っているのだと思います。青年の努力は結局報われませんでした。しかし、悲しい人生だったのでしょうか。何かを追う、ということに情熱を傾け続けた青年の生きざまはとても神々しいものだったのではないでしょうか。そして、わが子に障がいというハンディを与えてしまったという思いから、青年の行動を支え続けた母にとっても、青年の努力する姿に生きる希望を見い出したのではないでしょうか。清張は一句たりともそんなきれいごとは書いていませんが、そう思わせる余韻のすごさ、まさに文学界の巨人です。

 その青年の葛藤に焦点をあて、日の当たらない作業に努力する虚しさと美しさを同時に表現した、芥川賞受賞作「或る『小倉』日記伝」。当初は直木賞候補だったのが、文学としての完成度の高さに直前に芥川賞に変わったという伝説をも持つ傑作です。みなさんも一度読んでみてください。

 下写真の表題にある「西郷札(さいごうさつ)」も面白いです。投資に狂った人間の凋落ぶりを描き切っています。半世紀後のバブル崩壊を予言したような内容です。8郎的には映画化もされた、ハンセン病患者の苦悩を描いた「砂の器」がマイナンバーワンですね。読んだ作品どれもが期待を裏切りませんでした。

 さて旅行記・・・いや、業務出張報告書に戻します。

 福岡空港から駅に移り、博多駅まで徒歩。そこから新幹線のぞみに乗ります。もちろん自由席です。 

 新幹線って早いっす~。

 最初の写真のとおり、着いた小倉駅は「小倉日記伝」をほうふつとさせる、どんよりとした寂し気な空模様でした。対照的に駅構内はクリスマスモードでした。

  新幹線で早めに到着したために、業務までの時間が多少空いていました(遅刻だけは絶対NGだったので、田舎者8郎のために、庶務の女性Mさんが3パターンくらい経路を考えてくれたのです。感謝)。昼飯はネットで探したうなぎの「田舎庵」。駅から歩いて数分です。2700円(高!)という高級ひつまぶしを注文しました。うなぎのカリカリ具合はかつてない食感でおいしゅうございました。 

  そして、満を持して「松本清張記念館」へと。雨だったのでタクシーを使用。思っていたよりも豪勢な施設でした。おんぼろちっくなものを想定していただけに、さすが、国民的作家、と感服。ちなみに後ろにそびえたつ高層ビルは、なんと北九州市警察署。さすが暴力団の街、ということになるのでしょうか? 政令指定都市に設置されるとのことですが、普通は政令指定都市に県都があるのに、福岡県ではそうでないために(福岡県警も福岡にある)、異例の警察本部となっているようです。沖縄県警の2倍の高さはありました!

  清張記念館は、とても静かで、客も8郎一人の様子(驚)。まぁ、平日の雨空ですから、仕方ないでしょう。でもおかげさまで、じっくりとみることができました。3万冊の書庫がある自宅を再現した空間など圧倒的です。この記念館は過去に施設としては珍しく「菊池寛賞」も受賞しているようですね。これからもずっと、日本文学というより、日本人の生きざまの証として、いつまでも維持してほしい記念館です。

 最後に、清張の残した名ぜりふをご紹介します(記念館にも掲げられています)。インタビューで「好奇心の根源は?」と問われた答えがこれです。


 「疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる 」


 自分が見て調べたものしか信じない。しかも庶民目線で。という意味ですよね。かっちょいいっす~。

 清張の執念からパワーをもらったような気がしつつ、記念館に別れを告げました。ちなみに入館料は500円です。安いとしか思えません。


 次は、近くにある小倉城を撮影。時間がないので中には入らず。なんでも、あたまでっかちの城として有名なようです。昭和43年に再築されたもののようですね。詳細を知りたい方のために、以下、公式HPからの抜粋をご参照ください。 

 小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはしあきたね)や毛利勝信(もうりかつのぶ)が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(ほそかわただおき)によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。この天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。また、城の石垣は切り石を使わない野面積み(のづらづみ)で、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。

 だそうです!

 城もきれいでしたが、まわりの紅葉もきれいだったので何枚かアップします。 沖縄では見られない景色です。

 

  業務を無事に終えたので、新幹線に乗り(時間ぎりぎりでした)、福岡空港へと戻りました。前半でタイトに動いたため、空港では余裕ある時間を過ごせましたね。夕飯は、出張でよく食べるロイヤルコーヒーレストランのロイヤルカツカレー。おいしゅうございました。

  ビールを飲み、駐機場を眺めながら、まどろみました。そして思いました。こんな業務で一泊なんかせんでええ!

 悪天候のため、出発が30分以上おくれ、ほぼ最終便と同じ時間帯で那覇空港に着きました。あ~、つかれた。業務より移動でね。


 妻子のお土産に、福岡空港内の「ヌフヌフ」というスイーツ店でフロマージュ・フレというケーキを買って帰りました。妻子も喜んでくれました。おいしゅうございました。

 自分へのお土産として、清張記念館の売店スペースで、清張の長編小説「砂漠の塩」と湯呑み(笑)を購入していました。まるで寿司屋にある魚の名前が書かれたやつのように、清張の作品名が彫られています。ご愛敬ということで買いました。売り子のお姉さんに聞くと「あまり売れていません」と正直に笑っていました。

  以上、松本清張のルーツをたどる旅・・・訂正、業務出張報告書を終わらせていただきます。


  ところで、清張をめぐって、多少の縁を感じるできごとがありました。

 明日出張だという夕方どき、かつて仕事でお世話になったTさんから久々に飲みの誘いがあったのです。Tさんは、以前当ブログで退職激励会の様子を紹介させたいただいた、普通のうちなーオヤジです。そのTさんも松本清張ファンで、「これを読め」と手渡されたのが短編時代小説「佐渡流人行」でした。時代劇小説というジャンルに入り込めない8郎でしたが、だまされたと思って読んでみると(どんでん返し的に清張にはだまされたのですが)、Tさんの推薦の言葉に偽りなしでした。激オモです。「或る『小倉日記』伝」「砂の器」などに比べ、エンターテイメント性もあり、またとても短いので読みやすいです。あっという間にどんでん返しの奈落の底に落とされます! みなさんも、ぜひご一読を。

 Tさんの誘いは出張前日ということでお断りしたので、今週中に再セッティングすることになりました。記念館に行ったことを自慢してこようと思います(笑)。

 仕事がたまっているので、今日はこれにて。


銃と肉で年忘れ

2016年12月11日 | どぅしぐわぁ

 毎年恒例のN高同級生の忘年会を開きました。リーダー格のTら~、盛り上げ隊長のポン先生が不参加だったため、多少寂しかったのですが、この時期にしか顔を見せない砂吉が登場し、亀さん、森ドゥ、8郎の計4人で旧交を温めることができました。永遠の主賓であるヤスーンを含めると5人集まったことになりますね

 いつものごとく、何を話したかほとんど覚えてませんが、楽しかったです。どんどんオヤジになっていくどぅしぐわぁたーですが、いくつになっても、高校時代のようにつまらない話(失礼)で酒を飲み交わしたいものです。「タバコ見つかった事件」は今回もああだこうだと盛り上がりました!

 飲んだしまぁは、砂吉が「二日酔いしない泡盛」と勧めた「請福 直火焼き」。砂吉が言うだけに、いっそう怪しかったのですが(笑)、翌日の感想はというと・・・。本当に二日酔いしていませんでした!!! ネット情報によると、二日酔いをもたらす何らかの成分が、直火焼きによって何らかの抑制作用をもたらすそうです。驚きです。砂吉、うたがってごめん! みなさんも「今日は酔いたくないが幹事として泡盛を注文しなければならない」という機会にぜひお試しください。味のほうは・・・あまり期待しないほうがいいっす。

 2次会は、松山にある森ドゥおすすめの県内初というシューティングバー「バレット」へ。飲み放題でモデルガンをパンパン撃ち放つシステムのようです。8郎も初体験。モデルガンの使い方を、女性スタッフから習う亀さんです。身長145㌢という女性スタッフさんは、酔った亀さんのぼけに、「はぁ?」と半ギレする強者でした(笑)。それくらいでないと夜の世界ではやっていけないでしょう。頑張れ、145㌢の女性スタッフ~。

 日ごろ一番温厚な亀さんですが、射的を狙う目は完全にスナイパーと化していました。見てください、眉間のしわがめっちゃ怖いっす! 「お父さんが射殺体となって発見されたら犯人はあの白髪アグーのおじさんだよ」と10郎に遺言を書き残しておかなければなりませんね。

 射的を手に、「狙った獲物の心臓と耳をそぎ落とした」とご満悦の亀さん(左)。アフリカ大陸で、象牙のための狩猟を行っていたヨーロッパの貴族のような貫禄です(怖!)

  8郎も挑戦しましたが、どこに弾が飛んでいるか、わからずで、そんなに楽しくなかったっな~(笑)。ダーツのほうが盛り上がったかも。森ドゥ、またエキセントリックな店を探してといて~。 

  シメは、「那覇ステーキ戦争」といわれるくらいにステーキ屋が乱立している松山で、ひときわ有名な「88ジュニア」へ。牛肉250㌘で1000円。サラダ、ライス、スープはお代わり自由なのに料金は税込みです! また来てもいいっす。亀さんはスープを4回お代わりしていましたね。さすがハンター…って、飲みすぎだろっ

 楽しかったです。どぅしぐわぁたぁよ、また来年も飲まや~ ヤスーンもワルサーP38をうち、分厚いステーキまで食って、大満足の2016忘年会だったことでしょう。また来年の盆に帰って来いよ。みんな、楽しみに待ってるよ。


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 下写真は、宜野湾市で開かれていたペットカーニバルでのひとこま。モルモット?と触れ合う愛息10郎です。最近、寝ている間の歯ぎしりがひどく、妻によれば「乳歯が抜けるのが近い現象」なのだとか。うるささでなかなか寝付けない父と母ですが、息子に起こりうるすべての現象が成長のあかしだと考えて、甘んじて受けましょう! そのうち聞くことのなくなってしまう音でしょうから。子の成長は親の感傷など吹っ飛ばすほど全速力です。

 そろそろ、クリスマスですね。もう、10郎をだますために、サンタの衣装を着ることはありませんが、特に寂しいという感慨もないですね~(これまでが、ただただ、きつかったから!笑)。サンタの存在を疑いつつある10郎のプレゼントはすでに妻が購入済みです。

 忘年会シーズンも真っ盛り。みなさんも胃腸の調子には気を付けましょう。

 今日はこれにて。


師走早々がっかり

2016年12月03日 | スキルアップ

 2016年もついに師走に入りました。いまだに書類等の記入欄に2014年と書いてしまいそうになる43歳です。思考が2年遅れのようです(泣)。

 街中にはイルミネーションがちりばめられ、すっかりクリスマスモード。とはいえ、昼間のオフィスにはかりゆしの強者が散見するくらいの暖冬です。

 さて、今年も正式に宅建不合格が決まりました(師走のしょっぱなにいやな知らせを受けるのは今年で最後にしたい!)。機構のHPに8郎の受験番号はありませんでした。もちろん、予備校の合格ライン予測で落第していることは知っていましたが、あらためてがっくりするものです。合格点は昨年より3点上がり35点でした。「50点満点中7割で合格」という、まさに宅建の本道のような2016年度だったのです。しかし、その本道において8郎は3点も足りなかったのです。

 300時間勉強した一昨年は合格点32点に対し25点と7点差でした。それから201時間重ねた今年は3点差なので、合格点からみると、8郎の実力は実質4点しか上がったことにならないのです。まだまだ勉強不足だと痛感。あと3点は底上げしなければならないので、これから来年の試験まで300時間くらいは必要だと身を引き締めています。今回は予備校も通わず完全独学になると思います。 

 来年こそは受かります! 並行して本命の勉強のスタートもと考えましたが、危険なので(笑)、来年も基本的には宅建一本になるでしょう。独学だけに効率的な学習を意識します。早く受かって次のステージに移りたいっ。来年は44歳やでっ。

 

 以前「故障した」とお伝えしたダイバーズコンピューター、SUUNTOモスキートですが、電池を交換したところ、動き出しました! 不屈の魂に感激です。とはいえ、裏蓋がなかなか外れずに、写真のように10円玉を瞬間接着剤で固定してから開けたので、そのさいの粉塵などが、隙間に入っている可能性は大(エアスプレーをかけましたが)。またモニター表示も微妙におかしくなっています。時計としては復活しても、ダイコンとしてはどうなのか、来年のダイブで試してみるしかありません。とはいえ、当面は数万円の出費が抑えられたのでほっとしています。ありがとう! モスキート。

 最後に面白写真をUPいたします。最近人気の顔交換ソフトSNOWで遊んでいたところ、10郎の顔を8郎にも移してみました。すると、こんな感じに!(爆) 通常はモザイクをかけている8郎の顔ですが、この顔のひげを濃くすればまんまです。DNAを感じました。逆にいうと10郎、君の30数年後はおそらくこんな感じだ! がっかりするなって!(笑) ちなみに一番面白かったのは妻に8郎の顔を乗せたやつだったのですが、あまりの怖さに【閲覧中止】です。8郎の脳内DBにインプットされたすべての女性のなかで一番のぶさいくちゃんでした(笑)。

 2017年の初福笑い先取りということで、今日はこれにて。