沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

から梅雨の花火

2019年05月25日 | 10郎

  沖縄で年に一度だけ行われるプロ野球パ・リーグ公式戦「埼玉西武ライオンズvs福岡ダイエーホークス」の初戦を家族で観戦してきました。沖縄は梅雨入りしているのですが、から梅雨が続いており、試合当日も晴天。ラッキーでした。

 主催団体の受付サイトでカード決済がうまくいかず内野席を押さえられなかったので、なくなく外野自由席に。少しでも近くに選手たちを見たいとNIKONのコンパクト双眼鏡「トラベライト EX」を持参することにしました。野鳥観察などがを目的に11年前に購入(2万円相当)。性能をあらわす数値は10×25。10は倍率(100㍍先が10㍍先に見える)を、25はレンズの口径㍉(すなわち明るさ)を表します。数値的には初級~中級というグレードです。11年間使用機会が少なく、8郎のアイテムの中でも、貢献度の低いアイテムでした(笑)。今こそ能力を発揮し、名誉挽回するときが来た!

 8郎は会社を定時に退社。奥武山セルラースタジアムに到着しました。すでに満席状態。沖縄の5月は暑いが、野球熱も熱い!

 この試合のお目当てはもちろん、沖縄出身でライオンズの主砲、山川穂高選手です。昨年47HRで県勢初の戴冠。今年も早くも19号と絶好調です。そんな山川選手の凱旋20号ホームランを期待して、座る位置も左中間奥を狙っていたのですが、すでに満席。レフトポールのすぐ後ろになんとか3人分のスペースを確保し、妻子を待ちました。

 ちょっと日が暮れ始めたころ、チアリーダーのお姉さんたちが多少のお色気と健康美にあれふるダンスを披露し、8郎らおじさん族を喜ばせにかかります。そして、なぜかゴムを弓に見立てタオルを発射するサービスを展開。ポーズも決まってます!

  ぼよよ~んと飛んできたタオルに野球少年たちも群がります(笑)

 妻子を待つ間、屋台でつまみとビールを購入。焼きそばが650円と高額でしたなぁ。

 「地元のビール」の品質にそう満足していない8郎ですが、同意見である先輩が言っていた「味はともかく(泣)真夏にぐいぐい飲むときはなかなか合う」という意見に、多少の同感も。

 18時30分、試合が始まりました。一塁の守備に就く山川選手にスタジアム中から大歓声が沸き起こりました。「ナイチャーに負けるな」。島を出てプロ野球という厳しい競争の世界でそれを実現した山川選手はまさに沖縄県民の誇りです。風貌も、ポーク、天ぷらを食べて育ったウチナ―ンチュそのもので最高ですね(笑)。とはいえ、トラベライトEXで見た、筋肉隆々の太ももはゾウくらいあり、厳しい鍛錬のあとがにじみ出ていました。

 やっと妻子が到着。国道がかなり混んでいたそう。翌日の新聞によると1万6745人の観客だったそうです。10郎の表情にも20号への期待感があふれていました。

 早速トラベライトEXで山川選手を探します。球場も明るかったので、チームメートと戯れる山川選手の笑顔や、先発だった同じくウチナ―ンチュの東浜投手のボールの握りもはっきりと見えました。トラベライトよ、やっと活躍したな。

 7回にはホークス応援団から風船花火の打ち上げがスタンバイ。8郎も初めての体験です。

 ピュルル~という音とともに風船が、から梅雨の夜空に舞いました。妻子も興奮。お祭りみたいで楽しかった~。

 高校生バイトらしきにーせーたちが風船回収に向かいます。10郎が「俺も行きたい」と(笑)。

 そして7回裏、ウチナ―ンチュが待っていたその瞬間が訪れたのです。山川選手がウチナ―ンチュの思いを乗せた花火を、から梅雨の夜空に打ち上げてくれたのです。

 大歓声とともに4打席目に入った山川選手。最後の打席になるかもしれないと(実際そうなりました)、スタジアムの歓声も最高潮に達します。ソフトバンクの中継ぎ松田投手の投げたスライダーを、フルスイングで狙い打ちです。パコンッという乾いた音とともに、打球は放物線を描きセンター方向へぐんぐん飛びます。白球が夜空に描く放物線は、それはもう美しいものでした。白球は勢いを弱めることなく左中間奥のネットに突き刺さりました。両リーグダントツ一番乗りの第20号3ランホームランです!  スタジアムの歓声はクライマックス! 1万4千人のウチナ―ンチュがみんな喜びを爆発していました。やってくれたぜ、山川選手、まさに千両役者! 調子乗っちゃってぇ~、どすこい!

   から梅雨だけに湿度も低かったので、打球の伸びを後押ししたことでしょう。まさに今の沖縄でこそ打てたホームランだったのではないでしょうか。ホームランは野球の華だということを実感しました。

 その歴史的瞬間を8郎も負けじと愛機STYLUS TG-2で激写。ん? どこにボールが写ってるかって? 右下の赤い上着の男性がさしている指の先3㌢にあるではありませんか!(ちっちぇ~)

 試合終了後のヒーローインタビューはもちろん山川選手。超ド級の歓声と指笛が鳴り響きます。かつて具志堅用高さんが世界チャンピオンになったとき、沖縄尚学高校が初めて甲子園優勝を果たした時もこのような感じだったのでしょうか。

 

 「沖縄の皆さんのために打ちました。今までの野球人生の中で一番うれしいホームランです」


 同じウチナンチュとして、偽りのない言葉だと思っています。ありがとう!

 山川選手はさらに野球少年たちへのメッセージとして、「野球がうまくなりたければこれから家に帰って素振りをしてください」と呼びかけました。まだヒットが出ない10郎の心にも響いたかな。

  ウチナ―ンチュと野球。忘れかけていた二つが何だかとても心を熱くした、から梅雨のナイター観戦でした。

 今日はこれにて。 


不安を信じる力

2019年05月19日 | スキルアップ

 先日、46歳になりました。40歳を過ぎてから、あっという間すぎて、特段の感慨もありません。ただ将来に対する不安と焦りの気持ちは年々募るばかり。とにもかくにも、サラリーマン人生のターニングポイントと位置付ける50歳までに、できることを日々積み重ねていくしかありませんね。妻と10郎が祝ってくれました。妻がジョーギで買ってきてくれたケーキのローソクの灯を消すのはわが家の王子の役目です。どんどんお兄ちゃんになっていくね。

  ところで、最近よく思うのです。不安、というものほど怠惰な自分を動かしてくれるエネルギーはないということを。不安で不安でしょうがない、のであれば、そこで止まるのではなく、不安のまま走り続ければいい、そう思えるようになってきました。なぜなら怠け者の自分では手に入れることができない自分を動かすエネルギーを、神様がタダでくれたともいえるからです。調子に乗っているときの自分ならここで止まっていただろうという地点でも、不安の心理状態なら一歩前に進めてくれるのです。

 

 例年より9日遅く5月16日に梅雨入りした沖縄。下写真のように雲一つなく晴れる日も多いのですが、湿気が高くじめじめしており、梅雨入り宣言は妥当だったと感じています。

 雲がないおかげで満月の夜も幻想的でした。 
 

 さて、8郎と誕生日が近い甥っ子のタイチンにプレゼントを買ってあげるために、姪っ子ヒマリンも含めて久しぶりの再会。ディナーは焼肉で英気を養いました。二人とも元気そうでした。勉強も放課後も充実しているとのことで、中学3年生のタイチンはオール5を取ったと報告、高校2年のヒマリンは8郎の母校である国立R大を目指すと言ってくれました。看護師になりたいそうです。二人の頑張りに心配性のおじさんの不安も焼肉の煙と一緒に消えましたよ。今度は8郎妹の甥っ子姪っ子のNAOTAとYUNAちゃんも誘って一緒に食べようと約束しました。君たちも家庭環境的に不安を抱えながらの毎日だろうが、ただ、君たちにはおじさんがどんな大金を払っても手に入れることのできない「未来」があるからね。夢と目標をもって、自分の努力でつかみ取ってほしい。おじさんも応援します。下写真は妻撮影。

 そんな二人は、二人の母つまり8郎の姉から、10郎あてに誕生日プレゼントを預かっていました。それは『夢をつかむ イチロー262のメッセージ』(2005年、ぴあ)という本でした。10郎が野球を始めたことを二人から聞いたのでしょう。

 長い間闘病を続ける8郎姉からの贈り物に、弟としてうれしく思いました。10郎にはまだ難しい内容なので、8郎がペラペラめくってみました。イチローの名言はいろいろありますが、引退するにあたって、象徴的な言葉として最も取り上げられたのが、これではないでしょうか。

 

 「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行けるただ一つの道」

 

 外国勢に比べると恵まれた体格とはいえないイチロー選手が世界一の野球選手になった、その秘訣は、誰よりも努力を重ねた、ということでした。誰にも評価されない資格試験を地道に学んでいる、同じく1973年生まれの8郎にも救いの言葉となりました。

 愛息10郎にも教えてあげたフレーズは次です。未来を生きる息子に、生き抜くすべとして伝えたい言葉でした。

 

 「準備に集中することができました。それがすべてです」

 

 日米通算4367安打は、すべて毎日の周到な準備から生まれたものだったのです。おい10郎、父ちゃんの言うことは聞かなくてもイチローの言ったことは覚えておけ(笑) 中身のそろっていない筆箱(常習犯)なんて、さやに刀が入っていない侍と一緒だぞ。戦う前から負けると分かっている。そんな男になるな。

 最後に、サラリーマンとして組織に生きる男にとっても、共感する言葉もありました。

 

 (練習や試合を)楽しんでやれ、とよく言われますが、僕にはその意味が分かりません」

 

 入社20年近くになるひねくれ者の8郎が職場で20年近く痛感していることです。仕事とは苦しいものです。給料という見返りをもらわなければ絶対にやらないことです。それを「仕事は楽しく。笑顔で」と呼びかけるやつは大体がただの “忖度野郎” です。うそつきの中でも、たちの悪いうそつきだと思っています。そういうやつは、周囲の仲間の笑顔を見たいのではなく、今そこにある問題をアイコンタクト一つで共に隠蔽してくれる子分が増えたことを、また、自分だけが権力者に好かれようとする下心に気づかないおバカたちの存在に安堵しているだけです。8郎は、そんなことにすら気づかない “いい人たち” と行動を共にしようとは思いません。共にしたところで結果は見えています。時間の無駄です。商品が売れなくなったからではありません。うその笑顔をつくる心の弱さが、この会社をここまでだめにしたと心底思っています。そもそも笑顔なんて自然に出るもので強制するものではありません。

 さもしい職場の話はともかく(笑)。。。

 とにもかくにも、イチローの生きざま、そして、この本を送ってくれた姉の昔と変わらぬ優しい心に、46歳のおっさん、感謝しています。

 

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 さて、今年で科目合格を目指す「中小企業経営・政策」の2019年度版テキストが届きました(下写真)。この科目は毎年内容が変わるので、毎年買い替えなければなりません。来年はもう買いたくないので(笑)、徹底暗記します! ところで、最初の過去問が6割越えと順調なスタートを切った「経営法務」ですが、次の過去問では5割にも届かず(涙)。やはり難関国家資格ですね。そんなに甘いものではありません。。。でも仕事上必要なスキルなので、46年使ってきてくたびれているであろう脳に地道にインプットしていきます。

 昨年に続き1次試験の申込をしてきました。1万3千円です(高!)。来年まで払うと考えると、約4万円の受験料となります。来年で絶対に終わらすぜ!

 不安に包まれたまま迎えた46歳ですが、不安におののくだけでなく、不安を感じ取る自分の心を信じ(つくり笑顔を信じても未来はありません)、不安から力をもらうことで、今できることを積み重ねていきたいです。 

 妻にばれるかも、という不安にさいなまれながらも、心を奮い立たしてケーキをお代わりしますので、今日はこれにて。


左手に託す

2019年05月11日 | スキルアップ

 いきなりですが、左手の甲全体に染みがある8郎です。物心ついたときからあるので原因は分かりません。大病にかかったこともなく健康な人生なので、特に病的な症状というわけでもなさそうで心配はしていませんが。。。今では蒙古斑的なものかなと捉えています。そもそも右利きなので見た目を気にすることもほぼありません。

 そんなどうでもいい話題でスタートです(笑)。

 来年10月を想定する中小企業診断士試験2次試験へ向け、電卓を購入しました。「実務電卓 ナイスサイズタイプ EL-N942X」です。

 使い慣れたシャープ製です。もちろん自前のものはあったのですが、「(ルート)」をはじめ、減価償却費や有価証券の計算などに使う機能「GT(グランドトータル)」など試験時に必須とされる機能が付いていなかったゆえの新規代替となりました。写真でお分かりのように、ご丁寧にソフトケース付きです。

 電卓は1次試験で使えませんが、2次試験の「事例Ⅳ」では使用可能な上、使いこなすスキルが合格の必要条件だとされています。今春の人事異動で、第一希望ではないながらも、窓際(悲)とされる現職への打診を了承したのは、電卓を使う機会が多い、ということを見込んでいたからでもあります。

 価格は3912円と高めでしたが、退職するまでの付き合いだと考えると安いですね。しかも、貯まっていたクレジットカードのポイント2000円分を使ったので、実費1912円。おそらく人生最後の電卓となるでしょう。

 購入を機会に、キーを打つ手も右手から左手に変えることにしました。ペンを持つ手と電卓を打つ手が同じだとタイムロスが発生し、1秒を争う闘いの場においてハンディになるというのが理由です。最初はぎこちないかもしれませんが、2次試験までは早くても1年以上あるので、それまでには慣れていることでしょう。先を見据えて、左手に託します。 

【余談】包装にはこんな機能までPRされていました!(下写真)。かつてのファミコン全盛時代に名を馳せた高橋名人の「16連打」にも対応可能ということになります(笑)。

 高橋名人の16連打は右手でしたね。

 

 ほかに話題もないので、おいしゅうございましたシリーズです。最強カレーこと「たんぽぽ」のカツカレーを妻が買ってきてくれました。ルーのニンジンの粒が大きめになっていたような気がしましたが、味に変化はありませんでした。らっきょう、ピクルス、福神漬けも最高です。毎度おいしゅうございます!

 たんぽぽカレーには遠く及びませんが、一人自宅学習の休日に冷蔵庫の余り物で作ったカレーです。細かく刻んだピーマンを隠し味にするのが8郎家風。10郎もおいしいと言ってくれます。濃いめのルーが染み込んだニンジンとジャガイモがたまりません!(カレーほど野菜を美味しくするメニューはないでしょう。味を染み込ませるために煮る前にニンジンはフォークで刺しておくのがコツ)。お代わり必至です。

 70㌔の世界、いずこ~。

 

 染みのある左手が活躍するときが来ると信じて。今日はこれにて。 


令和も三振スタート

2019年05月09日 | 学童野球

 前回に続き、令和に突入した大型連休の8郎家のお話です。

 愛息10郎の野球生活も本格化。連休最終日に開会する大会への参加を前に、背番号をもらいました。20番です! かっちょいいぜー。とは言いつつ、全員で19人なので、自動的に全員に割り当てられるのですが(笑)。

 ところで、10郎。君が調子に乗る前に言わせてもらうが、父が最初にもらった背番号は1番だ。スパイクもグローブもなかったが、エースナンバーをもらったのだ。それは努力以外のなにものでもない(監督の温情采配こそありましたが)。しかも、当時は全員がもらえるわけではなく、激しい競争を勝ち抜いてのことだ。自慢のように聞こえるかもしれないが、父ちゃんが言いたいのはそんなことではない。君の背番号は母ちゃんが縫い付けてくれたが、父ちゃんは電気も水道を止められた部屋で自分で安全ピンでとめたんだ。父ちゃんは自分の努力で背番号を勝ち取ったが、家庭の事情で野球を断念せざるを得なかったのだ。そういう友達も周りにいることを忘れずに、一球入魂🔥でプレーしてほしい。 

【補足】正直に言うと、少年時代の8郎は、あくまで2軍の1番だったような記憶もあります。40代後半にもなると過去を美化しはじめるので危険です(笑)。

 

 最近、よくサードに指名される10郎。強肩を評価されたようです。長嶋茂雄のようにダイナミックなプレーヤーになれ。捕れない、と思っても、まずは飛びついてみろ。練習試合では4打席連続三振を喫するなど、長嶋クラスのデビューを見せている10郎です(笑)。令和の幕開けに三振のスタート、いいじゃないか! あとはヒットを打つだけだ。振って、振って、振りまくれ! 

 10郎の近視が進んでいるのが気になりますね(これはもう遺伝ですね)。

 早朝集合の開会式は父8郎も同行。まさかのセルラースタジアムです。父が果たせなかった夢を、もう果たしてくれました。感謝です。

 毎週土日は練習試合という過密日程。そのほとんどに帯同する妻にも感謝です。「今日の10郎」がどんなプレーをするのか、8郎夫妻の週末最大の楽しみとなっています。チバリヨー、10郎!

 

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 さて、令和最初のおいしゅうございましたシリーズです(そんな大した企画ではございませんが)。

 10郎が野球に行っている間、妻と二人で足を運んだ浦添市内のタコライス屋「CORDE」(こるで)。濃い味のタコライスでなく、ちょっと優しめの味でした。女性店主さんが作った感じがまんま出ていました。8郎が頼んだのは、沖縄そば麺を使った「タコそば」(写真手前)。価格も500円台とリーズナブルで、どちらもおすすめです。

 ところで、この店はメーンのタコライスよりプリンが人気なのだとか(驚)。試しに買って自宅で食べてみたのですが、本当においしゅうございました。福岡空港のお土産といっても疑う人はいないでしょう。学生時代、ケーキ屋でバイトしていたことからデザートにうるさい妻も高評価。みなさんもぜひ!

 急激に睡魔が襲ってきたので、今日はこれにて。誤字脱字ご勘弁を。


坊主で始まる令和

2019年05月06日 | 釣り、素潜り漁

 2019年5月1日をもって、令和元年となりました! 

 その歴史的瞬間を8郎は一人寂しく自宅で迎えました。妻子が名護に帰省していたからです。

 

 世替わりの瞬間、テレビではまるでプレミアム2000年当時の年越しのようにおおはしゃぎしていましたね。仕事だった8郎の職場ではそういうことはなかったのですが。飲み屋街もそうだったのでしょうか。

 8郎にとっても、坊主頭の14歳から、ある意味坊主頭のままの45歳までを過ごした平成という時代は、現時点で人生の大半を占めます。どういう時代だったか、時間をかけて振り返ることも必要でしょうが、今はやめておこうと思います。それはいつか仕事をリタイアしたときにでもできるし、今は、一日一日を一生懸命生きるだけですから。妻子を抱え、右肩下がりの会社勤めに勤める40代後半サラリーマンに、平成を総括している余裕なんかない、ということです。

 とはいえ、一言だけ言わせていただくと、現実が理想を押しつぶし、格差がはっきりし始めた時代、というところでしょうか。いい時代だった、と言い切れない昭和生まれの自分がいます。同時に、一部の昭和バブル世代のように「あの頃が一番いい時代だった」という無責任な言い方もしたくありませんし。

 

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  さて、世替わりを挟んだ大型連休の後半。仕事と勉強と家事で時間を費やしていた8郎に、ついに愛息10郎と行楽に出かけるタイミングが整いました。5月5日こどもの日です。釣りに行くことに決めました(妻は体調不良で自宅待機に)。ただし、残念ながら翌日早朝に10郎の野球大会開会式があるので車中泊は断念。秋に再計画たてるぞ~。

 ということで、出発。場所は先日の車中泊で選んだ浜比嘉島。場所を改めて考える余裕がなかったからです(笑)。週間天気予報では雨でしたが、8郎の願いが通じたのか、五月晴れに。最高のこどもの日びよりになりました!

 誕生日プレゼントの3DSに興じる10郎。今日はアウトドアのはずだぜ! 

 少年野球に入っても、坊主すなわち丸刈りだけは断固として受け付けない今どきの少年です(笑)。チームでも義務ではなく、父も丸刈りを強制するつもりは毛頭ありませんが、オススメしたいだけです。気持ちいいぜ!

 高速を北中城で降りて、泡瀬方面へ向かいます。海の色もきれいです。梅雨までのひとときの絶景ですね。

  浜比嘉大橋もご覧の通り絶景。毎度ながら、空を飛んでいるような爽快感があります。

 前回の浜比嘉港ポイントは先客がいたので、再び橋を渡って、平安座漁港に移動。前回の車中泊でタコライスを食べた広い港です。公園も隣接しており、シーミーなのか、多くの親戚一同がテントを張ってにぎやかに弁当を食べていました。練習試合を重ねながらも、いい結果を残せていない10郎が、キャッチボールをしたいというので、まずは公園でキャッチボールの相手をしました。

 港に入るとすでに多くの家族連れが糸を垂らしていました。こどもの日であることと、大潮というタイミングが重なっていたので、そうなるのでしょう。空いているスペースに駐車。空いている時点でほぼ釣れないポイントであろう(泣)とは思っていましたが、快適性を重視。ここならのんびりできそうだ。向こうに見える橋が浜比嘉大橋です。橋のはるか向こうが沖縄本島です。

 まずはコンビニ飯をいただきます。台湾まぜそばです。10郎は冷やしそばを食べました。

  食べ終えると、まずは10郎にルアーの仕方を教えます。教える、と言ってもルアーで魚を釣ったことのない8郎ですが(笑)。もちろん何も釣れませんでした。

 10郎は速攻飽きたのか、3DSの「爆釣りバ―ハンター」というバーチャルフィッシングの世界に戻ります。リクライニングシートの使い方も様になっています。 8郎は一人で垂らし釣りをセッティングしました。こんなはずでは!

 撒き餌を大量にまき、糸を垂らすこと数分で竿がぐっとしなりました。鈴もリンリンと鳴ります。10郎と一緒に引き上げると、10㌢程度のイシミーバイでした。20㌢あれば味噌汁でしたが。10郎が「30秒以内に返さないと死んじゃうよ」と優しいことを言うので、リリースしました。大きくなって帰って来いよ。

 それからは竿先がぴんぴんはしますが、鈴が鳴るほどのしなりもなく、時間だけが過ぎていきます。

 空は五月晴れでしたが、気温はそこまで上がらず、海風も心地よく、のんびりと竿に向かうことができました。 

 日が傾くに連れ、まったく糸が反応しなくなりました。しかし、エサのオキアミだけはなくなっています。注意深く海中をのぞいてみると、エサ取りのプロであるカワハギが鈴を鳴らすことなくオキアミをつついていました。お前か、犯人は!

 日差しが車内に入ってきたので多少熱くなり、のどが渇いてきました。歩いて数分の距離にある自販機まで行き、炭酸を買ってきました。Dr.Pepperです。8郎にとって、ファンタオレンジに次ぐ、炭酸飲料ベスト3に位置するスーパー飲料であります! 蓄膿症であることも原因の一つ(いつものどが不快)だと思いますが、炭酸がない人生なぞ考えられません。

 (注)魚が釣れていたらこんなネタと写真使いません。

 10㍍離れた位置で、浮き釣りをしていたカップルらしき男女は、一度、大き目の魚を釣り上げていました。8郎もいつまでも安易な垂らし釣りで妥協せず、別のやり方も覚えたほうがよさそうです。

  午後6時になると夕日が黄金色になりました。 美しいっす~。でも竿は微動だにしません~。カワハギ君がまだ頑張っているようです。

  夕日が沈む~。海風と波音が心地いい。

 沈みました。マジックアワーの時間帯です。井上陽水の「少年時代」が流れてきそうです。

 青空に残された 私の心は夏模様~♪

 満潮は午後7時50分ごろだったので、潮どまりということで同7時には撤収を決めました。あ~、今日も坊主じゃ。令和元年を飾るヒットはありませんでした!

 でも、天気予報を覆すいきなりの晴天、野球漬けの息子とのタイミングが合ったことなどを考えると、行楽なきはずだった大型連休の最後のプレゼントとなりました。

 空っぽに見えるクーラーボックスには、息子との思い出が詰まっているんです。。。

 って、坊主が言うか! 

 今日はこれにて。