沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

嵐のあとのパフェ思考

2008年10月28日 | 食事処&飲み屋

 いやぁ。やんばるにとって、のような一週間でした…。

 全国級の事故が二つも発生したんです。23日には、本部町沖で貨物船と漁船が衝突、3人が死亡。翌24日には、なんと米軍セスナ機が名護市内のサトウキビ畑に墜落。米人乗組員含め死傷者はいませんでしたが、民家まで100メートルほどの距離でした。

 両方とも大きな事故ですが、どちらも結局は人災。怖いですねぇ。ハチローも仕事で通りかかりましたが、交通規制のため大渋滞でした。下写真は国道58号を封鎖した県警と、我が物顔で現れた米軍人らのシルエットです。セスナ機は米軍人らの「お遊び」だったとか。 Gennba

  県代表が甲子園で二度も優勝し、ウチナンチュが大臣にもなりましたが、米軍基地がなくならない限り、沖縄の「戦後」は終わらないようです。

 さて、久々に休みのとれた本日。一人きりの夕飯を続けさせていた妻(泣)への「わび」も含め、本部町(もとぶちょう)のCAFE「ブリリアンテ」に行ってきました。下写真はハチローが注文した「やんばる豚とほうれん草のカレー温泉玉子付き」です。本部のどこに温泉があるのだろうといぶかりながらも(笑)、おいしゅうございました。

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 「ブリリアンテ」は景色のいいところで、心地よい海風が気持ちいいっす。下写真はデザートに注文したフルーツパフェ。向こうに見えるは東シナ海。手前はヤスーンと最後のダイブをした崎本部です。そして向こうの島は瀬底島、その向こうが漁船と貨物船の衝突事故現場になります。妻と二人、パフェを食べながらいろんなことを考えました。

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 こちらをご参考に⇒「ブリリアンテ」

 さて、忙しい毎日が続きます。持っている企画もなんとか、あと一つになりました。今日のリフレッシュでまた頑張るぞう。

 涼しくなってきましたね。皆さんも風邪など引かぬように。


給低く、業増える秋

2008年10月19日 | 10郎

 どんどん秋空に変わってゆく沖縄です。いくつになってもどことなく寂しさが胸に吹き荒れる季節です。そんなハチローも大小四つの企画が迫ってきており、かなりあせっています。今週が勝負だと気合を入れていたら、のどがごほごほ。風邪気味のようです(泣)。乗り切らねばぁっ。

 下写真は今帰仁村でみたリュウキュウハギ。春と秋を告げるように、年に二回咲くようです。誰もいなかったので、モデルはまたしても妻。やんばる異動後、最多登場者です(笑)。Photo

 先日、会社の後輩の披露宴のため、またまた那覇に戻りました。後輩の人柄がにじみ出たいい披露宴でしたなぁ。ハチローも社内で尊敬する希少な先輩と久々に話しができて充実した宴会となりました。よ、しっかりモノの奥さんをもらったんだから、仕事ももっと頑張れ。もう護送船団でやってきた高給おっさんはあてにできない時代だぜ。

 ハチローがお給料を頂いている会社も、世界的不況のあおりをダイレクトに受けつつあります。「こんな地方までもが…」という時代ではないのです。先日は全社決起集会も開かれ、社長より厳しい見通しが発表されました。これまで高度成長、バブル、そして護送船団方式の波に乗ってきたわが社も、ついに大慌てしているようです。遅ればせながら「大変革」をしようとしています。もう遅いと思いますが…。

 その大変革最大の策が「若手の給料を抑える」です。笑ってしまうなぁ。あんたら、俺様たちはただのサラリーマンとは違う優秀な頭脳を持っている、と豪語してたよな。時代が変わっていることに気付かずに、スキルを伝承せず若手批判だけして、ちゃっかりと退職金だけは満額もらっていくおっさんども。その考え自体、不正受給に等しい。そのおっさんどもが育てた自称エリート予備軍どもも今更大慌て。すべて「勘違い」が災いの元かと。

 今やることは、若手どうこうでなく、「俺様たちも民間企業だったことに今気付きました」と反省することでしょうが。

 この会社がいずれどうなる分かりませんが、ハチローはしっかりと見ていてやろうと思います。

 本当に会社の役に立っている社員と、そうでないヤツを。

 そういう先輩だけを応援し、そういう後輩だけを評価したいもんです。

 支社にいると、本社の側面が見ることもあるんですなぁ…。

 話しは変わって、結婚以後「二次会行かない宣言」を自主採択しているハチローですが、せっかく那覇まで来たのだからと参加しちゃいました。結局、ゲームでも乗り切れず酔いだけが加速してしまい後悔することに(泣)。ホテルで寝とけばよかったぁ。どぅしぐゎ以外の披露宴では「行かない宣言」を再度採択いたします! 独身の若い世代だけで盛り上がってくれ~。

 下写真は翌朝行ったフレッシュネスバーガーのスパムバーガー(右)と、妻が注文したチーズオムレツバーガー。必ず注文する生のオレンジジュースが二日酔いに効くんです。

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 最後は、今日ベランダから見た夕日。美しさとどことなく儚さが広がっていますねー。

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 会社の状況(というか社員のレベル)も含め、何となく気分が乗らないこのごろですが、気合を入れなおし、頑張らなければなりません。離島出張もある今週、風邪が本格化することだけは避けたいなぁ。

 いい風邪対策があれば教えてくださーい。


ツバメウオが終わらせた夏

2008年10月12日 | ダイビング

 昨日(11日)、バディ第2号タカと慶良間の渡嘉敷(とかしき)島DIVEをしてきましPhoto_3た。そのご報告をしたいと。

 とその前に…。前日の10日、社用もあって那覇のビジネスホテルに泊り込んだハチロー。当初は、同僚らと飲む予定でしたが、那覇に来てまで会社の面々と顔を合わすのも何だばーかんだばーということで、いつものどぅしぐゎたぁに声かけ。緊急ながらTら~が付き合ってくれました。外周り営業でおつかれモードながら、2時間程度、楽しく、そしておいしいビールが飲めました。美人さんを同伴していましたが、Tら~の顔に「今日はあまり深く聞くな」という色が濃かったもので、そこは35歳のハチロー、許容範囲内にとどめました。

 Tら~、ありがとよ! また次回な。

 そして宿泊したホテル「アバンティ」のシングルが下写真。先日、妻が利用したさいにも事前情報を得ていたのですが、入ってみてあまりの狭さにビツクリ。シャワー室の上にベッドがあるというアクロバティックなつくりとなっています。基本、寝るためだけと考えたほうがよいかと。カプセルを限りなくビジネスホテルに近づけた、という感じです。新しいだけあって、清潔でした。

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 最大のマイナスポイントは、駐車場が遠いこと。フロントで地図を渡されます(泣)。 

 さて、本題のダイビングへと!

 下写真は今回のポイントとなる渡嘉敷島前に着いたころ。初心者グループ向けのポイントを探していたのでしょう、何度か場所を移動したために、30分以上も時間をロス(泣)。

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  結局一本目は、ラビリンスというポイントを選択。Cカード講習時にも潜ったというタカ。前回のけっしてスムーズでなかった潜行実績もなんのその、「えぇ、早く潜りたいやっさぁ」と相変わらずのプラス志向。しっかりと6㌔のウェイトで万全を期していました。下写真は無事着底したときのタカ。まるで、アポロ13号の月面着陸なみの歴史的重みを感じる一枚です。降りただけやーん(笑)。

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 しかしラビリンス(迷宮)とはいえ、初心者向けに安全安心なコースを選んだと見え、淡々と進みました。「ダイナミックな地形が見もの」とガイドさんは言っていたのですが…。まぁ、初心者ながらも海底遺跡辺戸岬ドーム経験のあるハチローには、すべてが普通の岩に見えました(かっちょいいー)。しかし、クマノミに関してはこれまでに最大数の数を確認。いたるとことに巣がありましたなぁ(これほんと)。

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 上は定番のハナクマノミですが、全6種のうち2番目に希少価値といわれるセジロクマノミを初確認!(下写真)。

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 ブルーの世界でイエローがまぶかったっす。制覇に向けて、残すはトウアカクマノミだけです!

 次は逃げもせず、近寄ってきたチャ。けっしてファではありません。非常に目立つ魚でしたが、皮膚からも毒を出すようで、さわっちゃいけないんだそうです。それにしても面白い顔をしていますねー。

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  下写真は新婚さんなのか、水中でもお手手をつなぐカップルさん? お熱い

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 しかし、このお二人。クマノミなどの被写体の存在を知ると、手をぱっと離し、ハチローらの前にでしゃばりパチリパチリ。怒りを通り越してあきれましたなぁ。海の中にもルールはあるのですよー。まぁ、船上では横着な二人ではなかったので、気づいていないだけだと。れっきとした初心者ダイバータカも「これだから初心者は困るばーよ」とご機嫌ななめ。気分は中級以上(笑) いいことです。

 さて二本目は別のポイントへ。ツバメウオがいる、とガイドさん。期待して入りました。言葉どおり、数は少ないけれど確かにいました(下写真)。ピントが合ってません。なんとこの一枚を境に、愛機ミュー770wsに異常事態が発生したのです!

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 モニターに「このカードは使えません」との表示が出たきり、動かなくなってしまったのです。「うそつけぇ。今現在まで使ってきただろうが」と動揺するハチローを尻目にうんともすんとも言わなくなってしまったミュー(もともとしゃべりませんが)。おかげで残念ながら、ツバメウオの横に泳いでいき「ツーショット撮って」と合図するタカに応えきれず。すまん!

 しかし数分後、元通りに! 何でやね~ん。その数分間に大きなハマサンゴや、スズメダイの群れなどダイブ中最も多くの被写体が登場してきたのは気のせいでしょうか(泣)。原因不明でコミュニケーション不通となるのは、まさにデジタルの怖さ。まさかもう耐用年数が切れたわけじゃ…。

追記】ふと思い出しました。昨年の夏、ヤスーンと青の洞くつで撮影した際も、D200が急に動かなくなりました。そのときもツバメウオを撮った直後だったかと…。ハチローにとってツバメウオは鬼門なのでしょうか!

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 とにもかくにも、初の渡嘉敷ダイブは終わりました。満足度的には物足りないものの、それはハチローが経験を積んできた証でもあるかと。この二本でめでたく40本到達です。

 あとはせっかく身に着けているダイコンをもっと有効利用するのが課題かな。

 どぅしぐゎとのビール慶良間ブルーで癒やされた二日間の休日も終わり、明日から仕事。

 ハチローの夏ももう終わりかな。


夏の終わりに40本

2008年10月09日 | その他

 こまごまと忙しかったこの二週間でした…。ブログの更新率がどんどん低下中(泣)。Photo_3

 沖縄地方は相変わらずの晴天が続き、過ぎ行く夏 を惜しむひまもないと思っていたら、やんばるの森にはフヨウが咲き始めていました(右写真)。沖縄の秋を告げる数少ない風物詩ですね。ツールドおきなわの出場選手と思われるサイクリストが駆け抜けていく姿も増えてきました。沖縄の長い夏も終わりに近づいているのでしょう…。寂しい限りです。

 さて、下写真。けしてヨーロッパ中世城跡めぐりをしてきたわけではありません。ご存知、海洋博公園の熱帯ドリームセンターです(笑)。営業で寄った際に、ちょっと休憩がてらのぞいてきました。あの塔は展望台になっていうんですねー。初めて知りました。伊江島や、大型リゾートホテル建設中止で話題の瀬底島(泣)まで一望できました。

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 木々の下くつろいでいると、鳥のさえずりが。見上げるとイソヒヨドリの雄が一羽(下写真)。ハチローがエサらしきものを持っていないのを確かめると、どこかへ飛んでいきました。期待倒れでごめんよー。

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 さて明後日ですが、夏の終わりのダイビングを予定しています! バディ2号ことタカと二人です(1号ことモーリーはキャンセル。最近逃げ気味なのが気になります。戻ってこぉい)。予約等はタカに一任しているので決定ではありませんが、慶良間ボート2ダイブになるかと。タカのスキルが上がっているかも気になりますし、マクロかミクロかでも迷っています。そして何より、この二本でハチロー、ついに40本達成となります。ぱちぱちぱちぃ。今年度目標の50本に遠く及びませんが(いつになったら初心者ダイバーの冠を外せるのでしょうか)、とにもかくにも頑張ってきます。タカとのダイブは下の過去記事を参考に。懐かしき南洋アザラシも登場します。

 ⇒「バディ1号&2号とチービシ体験」07年11月18日

 慶良間の海で、ヤスーンも待っててくれるかな。約束したからなぁ。楽しみです。


勝手に清原論

2008年10月05日 | むぬかんげー

 姉妹に清原和博そっくりといわれているハチローです。姉妹以外にはいわれたことがなく、妻にいたってはTKOの鶴べえの物まねをするほうに似ているといわれる今日このごろです…。

 そんなことはともかく…(笑)。22年間におよぶ選手生活に幕を下ろし、清原和博が引退しました。引退試合、すぽるとで見ながら目頭が熱くなってきた35歳サラリーマンです。

 ハチロー世代にとっては、高校野球、プロ野球ともに、まさに清原和博と歩んできたといっても過言ではありません。高校野球でも凄かった。プロの1年目も凄かったなぁ。プロ野球選手に憧れていたハチロー。スポーツ新聞で毎日のように、清原がHRをうったかどうか、打率、打点は増えているかどうか、チェックしていたのが懐かしい思い出です。西武ライオンズが勝とうが負けようが、正直、どうでもよかった(笑)。

 ところで清原和博、残した成績を見てみると、一流選手であることは間違いないのですが、決して「一時代をなした」といえるほどの選手ではありません。代名詞でもある本塁打は、525本で歴代5位。1シーズンの最高は37本です(一度も40本超えならず)。それでもすごいじゃないか、というのは逆に本当の清原ファンではないかと。王さんのもつ世界記録を簡単に塗り替えてくれる、メジャーに行ってもガイジンが度肝をぬかすほどのHRを打つ、と思わせるほどの男が清原和博だったのです。そういう意味では、600本も打てなかったし、メジャーに挑戦すらしなかった。 結果的に、期待倒れの選手といえなくもありません(超失礼)。

 それでも好きなのは、清原和博という男が、一打席一打席、ロマンを背中に背負ってバッターボックスに入ったからだと…。たとえ、結果的に外角スライダーで無様な三振に終わろうとも、一振り一振りに、ロマンを感じさせたのは彼だけだったのです。 

 数々の名勝負を見せてくれた清原ですが、その数だけライバルがいました。KKコンビの桑田、日本人最速158㌔で勝負した伊良部、自慢のフォークを捨てストレートで勝負した大魔神佐々木、そし新世代の松坂藤川あたりまで。みんなストレートで勝負を挑みました(桑田だけはここぞいうときはカーブを投げましたが)。清原にはピッチャーをその気にさせる何かがあったのですね。その中でも、個人的には平成の名勝負といわれた野茂英雄との対決にしびれました。この二人が対峙するSCENEは、もう試合の勝ち負けを超えていましたね。侍VS侍という迫力を感じました。今のプロ野球では見られないっす(イチローVS松坂はそれに近いものがあるが、もはや外国)。

 しかし清原和博。人間臭いところが、選手生活の後半戦ではマイナスにも。

 巨人にFAで移ったときから、何かがおかしくなってきました。背番号がからに変わったことで、ツキも落ちたかのように見えました。同時に過剰なウェートトレーニングを始めたのもそのころ。もともと下半身に比べて上半身が弱いとは言われてましたが、あれはやりすぎです(泣)。ナントカ山崎(?)に感化をされたのが間違いのもとかと(しかも好きなアスリートに「ジェロム・レ・バンナ」を挙げていました。どうして格闘家なんだよう)。TV番組では「技術は一朝一夕には身につかないが、パワーアップは短期間でできると思った」と理由を話していましたがね。過剰な筋肉が天性、芸術とまで呼ばれたバットコントロールをさびさせたのは素人のハチローにも分かります。

 当時三冠王の落合博満も「来年からはキヨがライバルだ」と言っていたのに、巨人でチームメートになったころには「あいつは間違った方向に行っている」と距離を保ったとか。引退試合で、同じく「なぜマッチョ」になっていた長渕剛と並んでいるところも何故か悲しかった。曲が好きなのはいいのですが。戦争容認発言など、思想的にどこかで偏っていったのかもしれません。日焼けサロンやピアスなど、個人の勝手ではありますが「そんなことに時間を浪費しなくても」と…。後半の清原には一ファンとして非常に残念な気持ちが残ります。

 なぜってイチローや、松井、そして最大のライバル野茂英雄にはそんなところはなかったから。

 しか~し! それでもなお清原和博が永遠のスーパースターであることに変わりはありません。20年に一人という天性の才能を持ちながら、満開とさせることはできなかった清原和博。でも、それが、日本中の男たちを感情移入させる理由なんでしょうね。イチローや松坂のためには泣けないが、清原和博のためには泣ける、っていう。

 ちなみに、現在西武ライオンズの主砲おかわり君がすでにHR46本でタイトル確実だと。つまり成績的には、清原和博、ついでに秋山の全盛期(最高43本)を超えたことになります。でも、おかわり君は本当に清原和博よりすごいでのしょうか? 数字でいえばそうでしょうが。でも、その答えは世代によって異なるのでしょうね。 

 さらば、清原和博。血わき肉踊る(古)男と男の勝負、そしてドキドキするプロ野球を見せてくれて、本当にありがとうございました。

 最後に、清原和博が残した記憶に残る記録です。

 通算サヨナラ本塁打12、通算サヨナラ安打20、通算最多三振1950(いずれも日本記録)。

 サヨナラは、ここぞというときに打ってくれた証。三振は、夢を追ってバットを振った証です。

 

 追記:明日は休み、でも、出勤(泣)。もう寝ます。