沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

37年越しの夢叶う

2020年11月23日 | 学童野球

 表題の通りです。47歳おっさん8郎の37年越しの夢が叶ったのです!

 と言っても、ブログチェッカーのみなさんはともかく、初見の方は何のことやらだと思うので、過去の関連記事をアップしておきます。興味のある方はどうぞ。

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37年越しのマウンド - 沖縄 8 Scene

今回のブログを読んでいただくに当たって、2年前の記事を再アップすることにしました。初めて読まれる方には、今回のストーリの背景と意味が分からな...

37年越しのマウンド - 沖縄 8 Scene

 

 さて、本題に戻ります。そうです、市内の少年野球大会Cクラス(4年生以下)で愛息10郎が、父8郎の母校M小学校のグラウンドで先発投手を務めたのです。愛息が小学校を卒業するまでの間に、いつか叶うだろうと思っていたら、もう叶ってしまったのでうれしさ半分、驚き半分です(笑)。

 奇跡が起きた背景には偶然がありました。

 大会会場予定だったU小学校のチーム(優勝候補筆頭)が初戦で敗れたために、準決勝、決勝の会場が同学校から急遽変更になり、その変更先がなんと、母校M小学校になったのです(もちろん母校M小学校のチームも勝ち残っていたためです)。なんという巡りあわせでしょう! しかも母校のチームということは、37年前に8郎が所属していたチーム(すでに廃部)の遺伝子を受け継いでいることになります。そのM小チームが準決勝の相手になったのです(非情にもそこにはコールド勝ちしましたが・・・)。なんて奇跡でしょうか! 野球の神様、すごすぎます、早すぎます。でも、ありがとうございます。

 先日もお伝えした通り、M小学校は校舎こそ建て替わったものの、木立やグラウンドの雰囲気はそのままでした。そのピッチャーマウンドに本当に息子が先発で立つなんて。しかも決勝戦です! 万感の思いでパチリ。10郎の生誕からずっと成長を撮り続けてきてくれた愛機NIKON D300も喜んでくれたことでしょう。

 10郎は前日の初戦の強豪戦でも先発していました。後述のように自責点ゼロに抑えた上、2点先制する予告通りのランニングホームランまで放ちました! 最初の難関を撃破する原動力になったのです。チーム力を合わせ、その後2試合も勝ち進みました。そして運命の決勝戦です。メンバ―表を見ると、10郎が先発でした!

 決勝戦を前に監督、コーチ陣、父母会のみなさんも緊張感にあふれていました。8郎もなんだかソワソワしてしまいました。少年時代の生活苦から部活動とは無縁だった8郎に、こんな楽しい緊張感を味わせてくれるなんて、息子と野球に感謝です。そしてA老監督にも。

 そして、運命の決勝戦。10郎がエースとして先発マウンドに立ちました。8郎はもちろん感無量。これだけは誰にも説明できない感情ですね。いつか10郎は分かってくれたらいいな。 

 10郎は3回3分の1を投げ5奪三振でもちろん無失点! 「死のリーグ」を圧勝してきた強豪チームの強力打線を真っ向勝負で抑えきりました。37年前の8郎が知らなかったけん制もさらっとこなしていました。小学生の肘と肩を守る投球制限60球のため、リリーフに引き継ぎましたが、見事大役を果たしてくれました(初戦と合わせると6回3分の2を10奪三振、自責点ゼロ! まるで前日の日本シリーズで巨人打線を圧倒したソフバン千賀投手のようです)。どんどんうまくなってきている仲間たちの守備にも助けられたね(1年半一緒に練習してきた仲間たちはもう普通の内野ゴロならさばいてくれます)。試合結果はというと、延長までもつれこむ激戦の末、慣れない特別ルール(無死1,2塁からリスタート)で守備のエラーが重なり負けてしまいました。敗戦後、10郎はじめ多くのメンバーが泣いていました。悔しかったのでしょうね。

 初優勝の経験をさせることはできなかったのは、親としてコーチとして残念ですが、とても素晴らしい試合を見せてくれました。37年前の不運な小学4年生の怨念を、小学4年生の息子がはらし、父の夢まで叶えてくれたのです。野球の神様は8郎を見捨ててはいなかった、そう息子が教えてくれたのです。十分です。甲子園になんか行かなくてもいいよ!(笑)。帰り際、代表監督から「今大会のMVPは10郎君ですよ」と褒めていただきました。

 

 魂のこもったボールを投げていた愛息をD300でパチリ。よく見ると後ろには37年前の、ボロボロのグローブをはめた10歳球児こと、うしろの8太郎が写っています。夢破れた怨念がメラメラと燃えていますね(え?見えませんか? 8郎の眼にはハッキリ見えますよ)。10郎、そいつはきっと君の投げるストレートに万感の思いで追い風を送っていたはずだよ(反則じゃ。笑)。

 

 軸足をしっかりさせるタオルピッチング、スピンを上げるために寝転がりボールを天井ぎりぎりまで投げる練習等を本人が続けてきたかいがありました。大会2日間の10郎の成長に親が驚いた次第です(数日前の父子ピッチングより格段にコントロールがよかったからです。やはり実戦ほど最高の教室はないですね。それとも怖い顔をしたスパルタ父だと投げにくかったのか?笑)。右足の離陸が早いなどフォームにはまだ是正の余地がありますが、これからです。バッティングではランニングホームラン以外は特に成果はなかった(決勝戦の最終回、サヨナラのおいしい場面では内野フライ)のですが、これはCクラスの球速が遅いからだと思うので気にしていません。10郎の主戦場はすでに代表Aですから!🔥(実際翌日の練習試合では県代表の東風平の強豪6年生チーム相手に引っ張って三塁打を打ったそうです。妻が動画をLINE送信)。

 

 子供の成長する力って素晴らしいですね!

 野球って素晴らしいですね!

 書き残したかったのはそれだけです。今日はこれにて。


12年分の感謝のカタチ

2020年11月15日 | どぅしぐわぁ

 お久しぶりです。まだまだ25度以上の夏日が続く沖縄です。

 下写真と関連する本題に入る前に、これまでの8郎家の日常をお届けいたします。

 来週末3連休に少年野球Cクラス(4年生以下)の大会を控えた愛息10郎たっての希望で、親子ピッチング練習をしてきました。その日は野球の練習も休みだったからです。沖縄市泡瀬の県総合運動公園まで初めて足を延ばしました。

 いろいろフォームを確認しながら70球ほど投げ込みました。コントロールはどんどんついてきていますね。そのほか、10郎の苦手な分野である守備の練習も行いました。フライやライナーから逃げる癖を直そうと、父8郎が階段の上からボールを投げ落としたボールを10郎が体で止める練習です。はたから見ると完全の昭和のスパルタ親父ですね(笑)。そうなりたくない47歳なので、「お前にならできる!」とプラス思考で続けてますよ。父子ともども楽しい汗を流しました。妻は撮影係を頑張りました。

 せっかく沖縄市まで来たからにはと、会社の同僚が教えてくれた沖縄市のバッティングセンターにも足を延ばし、5打席立たせました。いい当たりを飛ばしていました! もう球速100㌔程度には振り遅れないですね。

 帰りがてらのランチで中城村の「伊波家」に寄ろうと思ったら、駐車場が満車で入れなかったので、「やっぱりステーキ」に変更(自宅近くにもあるっちゅーの)。おいしゅうございました。安いとはいえ、ランチで一人千円! 8郎家の財布に一足お先に冬将軍が忍び寄ってきました。

 どんどん食べろよ!

 残り1週間弱、基本練習を頑張ればきっと大会本番では成果となって現れるだろう。君の全力プレーが見られる週末が、父ちゃんと母ちゃんは今から楽しみです。再び拡大してきたコロナ感染で、大会が中止にならないことだけを祈っています。

 

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 さて本題です。とは言え、長くはありません。どぅしぐわぁたーに大事な報告があるのです。

 

 8月末に行った男旅の動画編集が完了したのです!

 

 製作期間はほぼ1カ月に及びました。もちろん毎日作業したわけではありませんが、勉強に思い切り支障が出るくらいの時間を費やしました(怖)。ヤスーンが天に召されてから12年分の感謝を込めたからです。

 ほぼ初めて触る動画編集ソフト「POWER DIRECTOR365」にはアナログおじさん、苦労しましたね。終わってみると、素晴らしい機能が盛りだくさんなソフトだということが分かり、動画の未来性を強く感じることもできたのですが、なにせ自己流。操作が行き詰ったとき、ネット等で調べて解決するのは本当に大変でした。

 何度も断念しかけましたが(もうサクっと仕上げてしまえと何度思ったことか…笑)、なんとか、それなりの中身をつくり完結にこぎつけたのは、二つ理由があります。一つは、難儀な作業をしている中で、30年前のN高時代の記憶をたどることができたことです。それは47歳のおじさんを甘酸っぱい青春時代に戻すのに十分な体験でした。もう一つは「もう2度とやることのない作業だ」と言うさみしさからか、疲れるほどに不思議とエネルギーが盛り返して来たのです。ヤスーンと仲間たちのおかげですね。

 どちらにしろ、8郎にはやらなければならない任務でした。任務完了し、ほっとしています。

 完成した動画を見てつくづく感慨にふけりました。ヤスーンと青春を過ごすことができてよかったと。そして一緒にいたどぅしぐわぁたー5人の素晴らしき個性を再確認することができたからです。

 

 みんな、サイコー! そしてありがとう。

 つたないこの動画こそが、8郎のみんなに対する12年分の感謝のカタチです。

 

 動画は森ドゥの教え通り、ギガファイルにアップロードし、LINEで共有しました。ダウンロードして鑑賞してくれたどぅしぐわぁーたーに喜んでもらえたので、8郎も満足です。

 ところで、動画を当ブログで紹介するわけにはいきません。中身が8郎ら7人だけの世界観であることが第一の理由ですが、そもそも、サザンやケツメイシなどの名曲をBGMに使っているので、WEBにアップしようものなら、著作権問題が生じるからです! WEBでも合法になるよう簡易版の作成も検討しましたが、労力を考えやめました(笑)。8郎はもう勉強せねばなりません!

 今年の忘年会は大きな節目となるでしょう。生前のヤスーンと最後の宴となった12年前の奇跡の写真のように、7人そろったら最高だね。尽きることのないこれまでの思い出話と、それをカタチにしたつもりのこの動画への批評(!)が、宴に花を咲かせてくれたらと思います。

 ヤスーン、これまで同様に首を長くして待ってるよ。同じK中出身の相方、砂吉(下写真右から2人目)を絶対に連れて来てくれよ!

 では、師走に7人でおいしい酒を飲むために、みなさん、今はコロナに注意してください。 

 今日はこれにて。


37年越しのマウンド

2020年11月03日 | 学童野球

 今回のブログを読んでいただくに当たって、2年前の記事を再アップすることにしました。初めて読まれる方には、今回のストーリの背景と意味が分からないと、何の話だか、ちんぷんかんぷんになると考えたからです。下写真は、8郎の母校M小学校のグラウンドです。雲一つない秋晴れでした。

 2年前の記事はこちらです。初見の方向けだけでなく、成長した愛息10郎がいつか読んでくれる可能性を高めるためでもあります(笑)。

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グローブをはめる時 - 沖縄 8 Scene

いきなりですが、メジャーリーグに渡った大谷翔平選手、すごいですね!永遠の草野球少年44歳8郎も「ここまでできるのか」と驚きを持って見ておりま...

グローブをはめる時 - 沖縄 8 Scene

 

 長い駄文をお読みいただけましたでしょうか。

 では、話を1983年から2020年現在に戻します。冒頭で書いた通り、8郎の母校(転校したため卒業はしていませんが)であるM小学校に37年ぶりに足をはこんだのです! というお話になります。

 足を運んだ理由は、愛息10郎の野球チームの練習試合の会場となったためです。残念ながら当時8郎が所属していたチームはすでに廃部・統合?されて、なくなっていましたが、いつかM小学校のグラウンド、ピッチャーマウンドを見たいと思っていたので、非常に貴重な機会となりました。胸にこみ上げるものがありましたね。

 M小学校の校庭には、当時の野球チームのメンバー一緒に弁当を食べた、あの木立とその下の階段も残っていました。お世話になったA老監督の車のラジオから流れる夏の甲子園(興南出場)の中継を聞きながら、みんなで食べたなぁ。その場所に37年後、自分と同じ年齢になった息子と一緒に野球をしに来るなんて、当時10歳の8郎には想像もできませんでした。人生、つらくても頑張っていれば、いつかいいことがくる。

 校舎は建て替えられており、すっかり様変わりしていました。父から母子4人家を追い出された困窮家庭だったために給食費を払えず、担任の女性教師にビンタされた悔しい思い出は今も忘れられません(今なら告発すれば新聞沙汰かつ懲戒ものです)。今でもその女性教師がビンタするときの形相を覚えていますが、それは弱いものをいじめる人間の顔でした。同時に、この人も誰かにいじめられているのだろう、と幼心に感じました。37年前の教訓です。この元女性教師ももう80歳近いでしょうね。ご健在かどうかに全く興味はありませんが、教員人生をどう振り返っているのかなと考えたりもします。

 そして、思い出のピッチャーマウンドです。マウンドと呼べないほど平たいですが、確かに同じ場所にありました。写真のような上等なバックネットは当時なかったはずですが、ネットの向こうに、37年前に応援に来てくれた幼き姉妹の姿が浮かび、おっさん一人涙が出ました。他人の家庭に向かって親に感謝しろ、などと軽々しく言ってはいけません。

 苦しく、悲しかっただけの幼少時代ですが、野球との出会いは、まぎれもなく美しい思い出です。8郎に夢を与えてくれた野球には感謝しかありません。

 この日のM小学校での試合で10郎はマウンドに立つことはありませんでした。しかし学童野球はあと2年もあるので、その機会が訪れる可能性は高いです。その時、父8郎は、愛息がまるで甲子園球児にでもなったかのように感動するのかな。楽しみです。

 

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 話は変わりますが、引き続き、学童野球のお話です。

 37年越しのマウンドを体感し感無量の8郎に、ちょっとうれしい出来事がありました。学童野球Cクラス(4年生以下)の大会が迫る中、練習試合で10郎が先発に選ばれたのです!(大会前なので限定2イニングでしたが)。それは本番でも先発の最有力候補であることを意味しています(と思います)。 

 結果はというと2イニングをノーヒット2奪三振で無失点に抑えました。地道な練習を積んできた10郎の球速が明らかに相手打線をねじ伏せていました(まぁ、そんなに強豪チームではなさげでしたが)。さらに、マウンド上の10郎をよく見ていると、コントロール重視のときは指を開いてボールを握るなど、彼なりに考えて投球をしていました。8郎夫妻は、愛息が無失点に抑えたことより、けん制悪送球で崩れかけた自分を自分で立て直したことに感激しました。本番でも先発に選ばれてほしいものです。マルチ安打も放つなど、打撃に関しては同年代でダントツだと思っていますので、打順は4番以上ならどこでもいいです(笑)。

 両手を水平にするフォームは、まるで今注目のオリックスの剛腕・山本由伸投手のようです。父子で追及してきたかのインバートWか!?(笑) 10郎よ、 足の指から手の指さきまで意識し、自分に合った最高のフォームを作り上げて、最後は自分の魂を込めて投げるんだぞ! 孤独なマウンドで調子が上がらず不安になったときは思い出せ。電気も水道も止められ、夜な夜な借金取りに脅される極貧生活の中でマウンドに上がるも、夢破れた37年前の君と同じ10歳児が、君の背後からものすごい怨念を送っているということを! 「その程度で不安になるなら、そのピカピカのユニフォームとスパイクとグローブを俺によこせ! 俺が投げる🔥」とね(どんな目の前の強打者より、後ろで待っているそいつが怖いぞ。笑)。

 10郎、マウンドに上がったら「ここは俺の舞台だ。俺が主役になる」と勇猛かつしたたかに投げるんだ。そう『我こそは張飛なり。死にたいやつから前に出ろ』のファイティングスピリッツだ!(古)。チバリヨー、10郎! とっても怖い「うしろの8太郎」より。

 

 少年野球の楽しみに関して言うと、子供たちのプレーを見ることの他に、月に2、3回、弁当をもって他校に練習に行くことで「ピクニック気分」を味わえることにもあります。妻も忙しいので毎回手弁当というわけにもいきませんので、近くのスーパーで買い弁することもしばしば。でも、子供たちと外で食べると十分においしいですね。

 さて、少年野球のおかげで、8郎の体重もまた70㌔台に戻りました。あ、常連のブログチェッカーのみなさんはもはや興味ないですか?(笑) どうせアイス食って80㌔台に戻ったんだろって? その通~り。でも、なかなか見られない数値なので、野球から帰宅直後に撮影したやつをアップさせてください。

 とはいえ47歳。早朝からの少年野球で体力的に疲れた(他校まで子供たちと一緒に走って移動しました)ので、今日はこれにて。