沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

与那国ひとり旅 番外編

2015年01月31日 | 離島物語

  2日目のダイビングが終わったのは午後4時すぎでした。予定より早かったので、夕暮れまでの時間に島の観光名所を回ってみようと決断しました。8年前、できなかったからです。ホテルのフロントを通じてレンタルショップから原付バイクを借りることに。愛想のよい女性(おそらく店主の奥さん。本土出身の方のような気がしました)が送迎してくれました。

 2千円を前払い。41歳、数年ぶりに原付にまたがりました。いえい。

  ショップの奥さんが「ぜひティンダハナタからの眺めを楽しんでください」と勧めるので行ってみました。与那国らしい切り立った岸壁に遊歩道が敷かれており、しばらく歩くと、祖納集落とナンタ浜を見下ろす絶景が待っていました。

  のどかでビューリホー。

  しかし、8郎の最大目的は何といっても、日本最西端の碑です。せっかく与那国まで来たからには西の果てを目指さなければなりませぬ! 耳の奥でペットショップボーイズの「Go West」が鳴り響きました。地図を手にバイクをフルスロットル走らせます。日本で一番遅い夕陽といっても、今は1月、6時半には沈みます。さらに遠くに雨雲も見えてきました。急げ、8郎。

 途中で、与那国馬石垣牛の群れに遭遇。パチリ。このあと牛がめっちゃにらんできたので、怖くなったので退散。

  しかし、東崎に向かう途中で道に迷ってしまいました。標識と標識の間隔が広いので、道なりをどこまで信じていいのか分からないのです。気がつけば宇良部岳という標識が目の前に。地図で確認すると、島の中央よりで、コースは北側に大きくずれているではありませんか。正しいコースに戻るのに十数分を無駄に。くっそ~。東崎と軍艦岩を断念しました。

 バイクを飛ばしに飛ばして、与那国を代表する有名スポット「立神岩」展望台に到着しました。人っ子一人いませんでしたが、目の前の絶景に感動。わおー、雑誌やパンフレットでよく目にする光景だー。奇岩の多い与那国でも際立った存在感の岩ですね。一番奥の絶壁の向こうは2時間ほど前に潜っていた海底遺跡ポイントになります。

  展望台から東南を見ると雨雲が! やばい、急げ。

 

  起伏の多い道を走っている間にもポツリポツリと小雨が。途中で大きな馬3匹に囲まれたりしました(焦りました)。

  「Dr.コトーの診療所」に着くころには、意外にも夕陽が強くなってきました。これは一体?ヤスーンがもたらした第二の奇跡か? 入ろうとしたのですが、診療所の前の立看板に入場料300円と書いてあったので断念。まあ、コトーのドラマや漫画を見たわけでもないので特に感情移入もできず、そそくさと退散しました。

 そうそう、診療所近くで迷った時に、地元のおばあが丁寧に教えてくれました。ありがとうねー。

  さ、最西端の碑まで、アクセル全開。夕陽よ続いてくれー。

 そして、午後6時。ついに到着しました。日本最西端の碑、正真正銘の西のハテです。碑の後方には、力強い夕陽がありました。 

  8年前に妻と石垣島の御願崎で見たダイナミックな夕陽に次ぐ美しさでした。 

   残念ながら、台湾は見えませんでした。レンタルショップの奥さんも「地元の人でも年に数回しかチャンスがない」と言うくらいですから、そもそも無理難題だったのでしょう。 

  ショップには6時過ぎには戻る約束をしていたので、久部良バリも断念して、祖納に向かいました。一応、8年前に訪れたナンタ浜もチラ見。あまりに工事が進みコンクリートに囲まれていたので、なんだか悲しかったなー。 

  以上が、わずか1時間半の与那国ツーリングの旅でした。でも、回って見ただけでもよかったです。今後の人生で三度来るかどうか分かりませんからね。 

 そして翌日午前11時半の便に搭乗。島を発ちました。さらば、国境の島、与那国(写真左)。楽しかった!ありがとう。

  地域振興にも一役買おうと、お土産もこれだけ買いました。妻あてに買ったレトルトの与那国ビーフカレーはレンジでもチンできる優れものなのですが、味は泡盛が強くて好き嫌いがはっきりしそうですね。名酒「どなん」はお世話になった先輩に。長命草を使ったお菓子は職場用です。

  これにて、与那国ひとり旅はすべて終了です。長らくお付き合いいただきありがというございました。

 みなさんも機会があれば、ぜひ西のハテの島に足を運んでみてください。他の島では味わえないパワーを感じると思いますよー。


与那国ひとり旅 後編

2015年01月31日 | ダイビング

  さあ、2日目です。早くもハンマー撮影ラストチャンスです。本日3DIVEのうち2DIVEをハンマー狙いに充てることになりました。確率的には朝一が一番高いというので俄然気合が入ります。いざ西崎へ出港!

  ダイバーの数は昨日の倍に膨れ上がりました。船上は誰かとぶつからずに歩くのが困難なほどに。みんな同時に器材をセッティングするほどの場所がないので時間差をおいてやるような状況です。ショップにとっては一年で一番の稼ぎ時ですからイケイケドンドンなんでしょうね。でも安全第一ですよー。 

 次の写真は8郎が押したわけではなく偶然写ってしまったのですが、エントリー時の光景です。期待と緊張が交錯する瞬間です。ハンマーよ、もう一度現れてくれ、そう願いながら足を思い切り広げて、えいやー。

  8郎のダイビング史上に残る瞬間は、潜ってから3分も立たないころにやってきました。丸刈り半袖のガイドさんが合図を出しました。

  ハンマーだ!

 昨日の、いや8年前のリベンジを果たすべく、8郎も猛ダッシュ。その上を韓国人男性が最新式の動画カメラを片手に進みます。行く手には確かにハンマーヘッドシャーク。しかも昨日より鮮明に見えるばい!! 

 息ハアハアしながら必死に追いかけました。逃げていくハンマーとの間合いをはかり、今シャッターを押さなければ、間に合わないと判断。カシャ! ハンマーの群れが濁りの向こうに消えてしまうまでに数枚撮影することができました。8郎が撮影した数枚のなかで、一番写りがいいのがこれです。

  う~ん、微妙ですねー。ハンマーの由来である独特の形をした頭部は横から見ても分かりにくいんですよ。右上のやつは、何とかハンマーの端が光って見えますが・・・。念のため、8郎の下を通過した個体も撮影したので、UPしておきます。ぼけていますが上から見れば、本当にハンマーが現れた、ということだけは信じてもらえるかと。

 今ダイブで、8郎史上最深の30.8㍍を記録しました(過去最高は08年11月伊是名島の田老で30.1㍍)。それでも海底などは見えませんでしたがね。写真的には全然満足していないのですが、2日続けて見れたということに、かなり興奮してしまいました。これもきっとヤスーンが呼んでくれたんだね。ありがとう! 

 オクトパスからとめどもなく出るバブルも宝石のように輝いていました。

  2本目もハンマーに挑戦したのですが、残念ながら一匹も現れず。まさにオール・オア・ナッシングのダイビングです。でも、それがいつまでもダイバーをひきつける魅力なんでしょうね。南伊豆では夏に見れるそうですが(しかもハンマーが頭上を通る率も高いそうです)、それでもハンマーダイバーたちは冬になると与那国まで飛んでくるそうです。8郎は2勝1敗。高確率だとガイドさんが言ってくれました。8年前の3本を合わせると2勝4敗なのですが・・・。

 

 最後のダイブのポイントは「海底遺跡」になりました。8年前、あまりの潮の流れの強さに、最大スポットである「メインテラス」の撮影に失敗した苦い記憶がまざまざと蘇ります。ハンマーとはまた違った気合が入りました。ガイドはうれしいことにN本さん(写真左)でした。客は8郎のほかに、経験が浅いという自衛隊の方と、女性ダイバーです。みんな一人旅の様子。

  エントリーすると、そこにはすでに遺跡の風格が備わっていました。

  N本さんが指差す先にはグルクンの群れ。魚影も濃かったです。渡難の海の豊かさも感じました。

  そしていよいよ遺跡へ。N本さんが指差すのはその入り口となる「城門」(ぐすくもん)

  城門はダイバ一人しか通過できない狭さです。この巨石を積み上げてできたような通路は、人工の臭いを感じても不思議ではありませんね。

  そして二枚岩。薄い巨岩が二枚縦に並んでいます。自然というにはあまりにも奇跡を感じるポイントですね。ここは潮も穏やかで誰でも記念撮影ができます。しかし、ダイバーがうじゃうじゃしていたので、N本さんの合図で早めにメインテラスに移動することに。賛成です。 

  せっかくなので思い出づくりにと自撮りに挑戦(流行りの自撮り棒はありません)。うわー、二枚岩が一枚岩になってるあらにー。

  美しいアカバナ。ここを越えると、流れが激流に変わり、いよいよメインテラスの登場です。いざ!

  ごごごー

 8年前と変わらず強い流れです。何かをつかんでいないとあっという間に向こうに流されてしまいます。N本さんが女性を抑えるのに必死です。8郎は8年前の経験を生かし、左手で岩をつかみ、右手でカメラを構えます。よし、この構図だ。ちょっと濁っていて奥にある「巨人の階段」がよく見えませんが。体勢を立て直して、シャッターを押すぞ。

  すると、女性を安全な場所に移動させたN本さんが、こちらににじり寄ってくるではありませんか! N本さん、正直じゃまっすー。恐らく手前にいる大きなヤドカリの説明に来たのでしょう。あふれんばかりのガイド魂です。N本さんの吐き出す気泡をみれば、いかにここの流れが強いか分かります(ロケットのように後方に噴射しています)。N本さんが熱心になにやら書き込んでいる間、結局想定していた写真は取れませんでした(笑)

  ついにN本さんも流されます。そして「8郎さんの後からもダイバーが来てるのでもう移動してください」という合図。8郎も他の人に迷惑をかけるわけにも行かず、岩から手を離し、激流に身をまかせました。

  それでもシャッターチャンスは逃すまいと、後ろ向きの体勢に。後続ダイバーの姿が見えました。左手前の灰色のスーツと黄色いフィンを着用したダイバーにご注目を。 

  あっという間に流されてきました(笑)。8郎は先ほど撮影できなかった「巨人の階段」を無事ゲットしましたよ。(写真右)。ところで、階段と呼びたくなるのは理解できる形ですが、巨人の足には幅が狭すぎではないですかー?

  さらに流されながら、全景も撮影。あらためて壮観な眺めですね。この非日常さは、ダイビングやっていてよかったと思う瞬間です。 

  そのあとは流れの穏やかなスポットを散策。まずは「拝所(うがんじょ)」。N本さんの説明では、腹部にある十字架の模様が神秘的で、ダイバーはみなそこに向かって祈りを捧げるとか。確かに十字の線があり不思議なのですが、遺跡文化とキリスト教が結びつくとは思えません(笑)。おそらく自然の造形なのでしょう。ま、観光客はどんなこじつけでもミステリーを喜ぶものです。

  拝所の下にあるソフトコーラル。N本さんの説明では「これを触って色が変わると願いごとが叶うそうです」とのこと。おいおい、このサンゴは反応して変色しているだけで、そもそも本当に遺跡だったとしてもその当時は陸地のはずでこんなサンゴはないあらにー?(笑)まあまあ、観光中にやぼな現実論はやめましょう。楽しければいいじゃないか。

  そして、奇妙な形をしたくぼみ。真上から撮影。

  そして最後の名所。「亀のレリーフ」です。ほかのダイバーが言ってました。「ただの三角でどうみても亀ではない」と。8郎もそう思っていましたが、かなり上から見ると、三角の部分は亀の頭でその後に大きな甲羅が広がっているのです。でも、やはり亀というには苦しすぎるかなー。ま、楽しければいいじゃないか。

  後続ダイバーらも続々と終結。

  もちろんドリフトダイビングなので、エグジットはみんな集合し、船が来るのを待ちます。それぞれのダイバーにそれぞれの思いが交錯するひとときですね。

  船に上がると、同行の女性ダイバーは今にも吐きそうな表情でへこたれていました。かわいそうにっ。せっかく与那国まで来たのだからいい思い出にしてほしいものです。N本さんにあいさつする間もなくホテルに送迎されました。また真栄田岬で利用しますね!

 

 これにて今回の旅のダイブはすべて終了。ハンマーヘッドシャークと海底遺跡に8年ぶりのリベンジを果たせた、思い出に残る5DIVEとなりました。ヤスーン、ありがとう。そして何より、快く(?)決済を出してくれた妻に感謝です。

 

 ホテルではまたしてもお一人様ディナー。オオタニワタリのおひたし、カジキの刺身、フーチバーの天ぷらなど、大変おいしゅうございました。妻のほうが喜んだのではないだろうか、と思いながら完食しました。 

      ◆        ◆        ◆        ◆        ◆

 ダイビングが最大目的の今回の旅。本来ならこれにて終了なのですが、実は2日目のダイブ終了後、原付バイクを借りて、島の観光名所をぐるっと回ってきたので、その模様を番外編として後日、お伝えします。わずか1時間ほどの弾丸ツアー、迫る夕暮れとの勝負でした。そこまでお付合いください。


与那国ひとり旅 前編

2015年01月31日 | ダイビング

  8年前のリベンジと、9年半に及ぶ現部署での慰労をかねた、2泊3日与那国ひとり旅から帰ってきました。とても充実した旅だったので、3回(前後編と番外編)にわたってお伝えします。長文かつ写真もいっぱいの盛りだくさんでお届けします!

 

 那覇から与那国への直行便はRACが一日一便だけ運行。朝7時半発でした。お決まりの雲の写真を撮ろうとすると、窓ガラスの無数の傷にNIKONのコンデジのマクロ機能が反応して撮りにくいったらありゃしませんでした。雲の上は晴れていますが(当然)、与那国は3日間ともほぼ曇り時々雨でしたよ。

  狭い機内はほぼ満席。「老人と海」を20Pくらい読んだ辺りから記憶がありません(爆睡)。イビキをかいていないかだけが心配です。当初のアナウンスでは「天候不良により引き返す可能性も」とありましたが、着陸時以外それほど揺れませんでした。

  8年ぶりに降り立った与那国空港。なぜか地元のおばぁたちが出迎えてくれました。めんそ~れ~。風雨が強かったので、8年前を思い出す間もなく施設内へ。

  空港にはダイビング器材を持った観光客も多かったです。ホテルのマイクロバスが8郎を迎えに来てくれました。写真をUPして初めて気付いたのですが、1月の与那国で半袖を着用する後姿の丸刈りさん。今回世話になったダイビングガイドさんではありませんか!(のちほど登場)

  宿泊先に選んだのは、アイランドホテル与那国。一時、経営難で休館となった経緯もあるそうですが、その後合理化をはかり復活したようで、今では与那国随一のサービス満点の評価があるとか。単に競合相手がいないという気もしますが…。でも、2泊ともなんのストレスもなく過ごすことが出来ました。島を楽しむには島人の人情を感じる民宿が一番ですが、都会を離れて癒やしを求める場合はホテルに限りますね。

 8郎の部屋は3階でした。

 このホテルにはシングルがないので8郎もツインに。一人ではもったいないくらい広々としていました。家族連れで来たかったという思いも強くなりました(まぁダイビングするとなれば厳しいですが)。

 

 窓を開けると遠くにオーシャンビュー。岸壁に打ち付ける高い荒波に不安が増します。ロビーで説明してくれた女性のダイビングガイドさんは「大丈夫」との説明でしたが。

  今回利用したのダイビングショップは「マーリン」さん。島にある数店のなかで一番安かったのと、HPのスタッフブログが一番アットホームだったのが選択理由です。結果的に正解でしたね。実際にスタッフ全員が親切ていねいだったのと、何と、2年前に真栄田岬で利用したショップのガイドN本さんがヘルプでいたからです。うれしいことにN本さんも名簿のなかから8郎の名前を覚えていてくれたそうです。沖縄は狭い。

 さ、空の旅の疲れを癒す間もなく(疲れてませんが)、早速、渡難の海へダイブです。

 最初の1本目はリフレッシュを兼ねて、浅めのポイントだとのこと。「すべてハンマー狙い」を希望していたのですが、仕方ありません。「サバチ」と呼ばれるそのポイントは思っていたほど、波は高くありませんでした。しかもそれほど寒くもありませんでした。ボートコートはレンタルできたのですが、一度も羽織らずじまい。写真右の丸刈りガイドさん(やはり空港の後姿だっ)は、ウェットスーツも半袖だとか。寒くないんだそうです。たくましい外見とはうらはらに説明もていねいなナイスガイでしたよ。

  ダイバーは8郎のほかに韓国人グループ5人(男性2女性3)。なんでも韓国でダイビングショップを経営しているオーナーとそのインストラクターたちだとか。スキルがハンパね~。8郎はまたしても一番のヒヨっこだぁ~。それにしても、沖縄の海ながら周りは全部ヤマトンチュというのは毎回のようにありますが、韓国人に囲まれるというのは初体験。さすが国境の島です(笑)。唯一日本語が話せるという女性は、独り者の8郎にも積極的に声をかけてくれる優しい方でした。カムサハムニダ~

 8年ぶりの与那国ブルー。 太陽もなく冷たい感じが、8年前とおんなじでした。ダイコンで確認すると水温は22度。8年前より2度低かったんですね。

  最初の被写体は41歳おっさんの自分。すいません。

  ガイドさんは特に説明しなかったのですが、あちらこちらに腰の辺りが発光している小魚が群れていました(写真は一匹ですが)。青い海の中でとってもきれいでしたよ。【後記】図鑑で調べるとノコギリダイという名前らしいです。煮つけ、から揚げでおいしいのだとか。

  クマノミの群れです。今まで見た中で一番の数でした。写真には写っていませんが、もっと広がっているんです。まさにクマノミの町です。

 一本目は無事終了。波は高くなくても、さすが絶海の孤島、潮の流れは強かったです。エグジットしたら、すぐさまボートのへりにあるロープをつかまなければ流されてしまいます。 

  さ、ショップで弁当を食べたあとは、本日最後となる2本目です。ハンマーのポイントとして日本一有名といっても過言ではない西崎(いりざき)に。8年待ったんだ。出て来いよ、ハンマーと心の中で叫びました。2日間のタイトな日程なので、ぜひ初日に見ておきたいのですよ。

 潜ってしばらくすると、半袖ガイドさんがむき出しの左手を思い切り伸ばして合図を出しました。まさに「ハンマーがいた」です! 8郎は突然のことに動揺したのと、海水がにごっていたのでピントも合わせることができませんでした。しかし、それどころではないわい、ハンマーを追わなきゃ 

  周りの韓国人ダイバーらも餓えた狼のように急に速度を上げます。8郎の下から女性ダイバーがバタ足で追い抜いていきます(それまであおり足だったじゃないかっ)。まさにコリアンパワーです。息ハアハアしながら、やっと8郎はその群れらしきものを見ました。あの特徴のある頭の形はまさにハンマーヘッドシャークです。カメラのシャッターを押しました!

  ・・・う~ん、全然わからないっす。白イルカの群れといわれても判別つきそうにありませんな~。水深は30㍍より下。8郎のスキルではとても追いかけていけません(空気が足りなくなるだけでなく潜水病の危険度も高まります)。

 高い金払って与那国まで来たので「とにかく見ることができた」という安堵と、でも写真が取れなかったという悔しさが入り混じった心境のまま、その日の2DIVEを終えました~。ぶくぶくぶく・・・。

 ホテルに帰ると、レストランで夕食。もちろんお一人様です。他にダイビング客らしき客は点在するだけで、ほとんどが内地の高齢者の団体ツアーのような感じでした。その日はムーチーの日だけあって、メニューにも三色ムーチーがありました。粋ですね。味は普通のムーチーでした。 与那国らしいカジキのムニエルもおいしゅうございました。

  部屋に戻り窓を開けると外はホテルの外灯以外、真っ暗です。湿った潮風が入ってきましたが、このホテルは除湿機が24時間回っているので、あえてしばらく開け放しにしました。現職場での9年半の思い出をいろいろ振り返りました。誰にも説明できないさまざまな思いが胸をよぎりました。

  8郎のガラケーの待ち受けは、通常は愛息10郎のアップなんですが、この旅はあえて、7年前に亡くなったどぅしぐゎヤスーンの写真に替えました。確かにひとり旅ですが、8郎の海にはいつも最高のバディがいるんです。ヤスーン、ぜひ明日もう一度チャンスをくれ! 成功を願い二人で乾杯しました。

  疲れからすぐ寝たものの、習慣化した夜勤生活のおかげで、またもや午前1時に目が覚めてしまいました。熱い風呂に入り、窓を開けて冷風を室内に入れながら、ストレッチなどし、再び眠りにつくことができました。

 さて、翌2日目は8郎のダイビング史上に思い出に残るものとなりました。早めにUPしますので請うご期待!


FP3級 ガッツポーズ

2015年01月27日 | スキルアップ

 前回記事は、人事異動の件で落ち込んだあまり、暗い内容となってしまったことをお詫びいたします。すんませ~ん。当ブログは、8郎の日記的側面もかなり大きく、その日の正直な心境を綴っておくことも重視しているので、そのままUPしました。気持ちは完全に切り替えていますので、ご心配なく!

 

 先日、愛息10郎のお遊戯会を観賞してきました。3歳だった昨年は演劇に挑戦したのですが、脇役だったためか本人的にも不完全燃焼だった模様で(笑)、今回は大好きな空手演舞も混じった踊りということで、本番前から4歳児の体にやる気がみなぎっていました。父母も、名護から来た祖父母も期待大です。

 幕が上がるや、飛んだり、跳ねたり、舞台狭しと大ハッスルです。

 

 10郎は演舞の最中も視線はずっと父母の席。望遠レンズ越しに見ていた父8郎は面白くて仕方ありません。子供にとって親というのは一番認めてもらいたい存在なんだなと痛感しました。最高なのがこの写真です。

 ブリッジしても見ています!あっぱれ。

 最後の正拳突きも決まったね。男だぜ、10郎!

 成長の早さに驚くばかりですが、息子の頑張っている姿に心温まりました。

 とはいえ、8郎と妻にとって、その日のイベントはそれだけではありませんでした。午後は、8郎の資格取得スケジュールにおける、簿記2級合格から大本命の宅建試験までの中休みとして位置づけたファイナンシャルプランナー3級の試験に、昨日挑んできました。10郎は妻方の両親が預かってくれました。落ちるわけにはいきません。

 会場(沖縄大学)に入ると、8郎の呼びかけに社内で応じてくれた先輩さんの姿もありました。「過去問で7割はとれるので余裕だと思いますよ」とのたまっていた後輩は、夜勤明けで起きることができず受験を断念したそうです。(翌日、「敵前逃亡野郎」と呼んであげました)。 

 午前10時から午後2時半までの試験は、学科は手ごたえありでしたが、実技はよくて6割を超えたところか、という感触でした。合格ラインに乗ったかどうか、とても微妙でした。妻は自信なさげでした。

 その日の夕方にHP上に模範解答が出るので、帰宅後、早速答え合わせしてみたところ、わたしも妻も見事合格ラインを超えていました! 息子に負けずに41歳、思わず軽くガッツポーズ。努力のかいがありましたー。驚くことに、なんと妻のほうが点数が上でした。8郎より勉強スタートが遅かったにもかかわらず、です。元人事部であることや現在の銀行窓口業務が奏功しているとは思いますが、久々に(失礼)見直しました(笑)。しかし、あの自信なさげな態度は何だったのでしょう…。

 夜は妻方の両親と、那覇市内のレストランで会食し合格を祝いました。人事異動を控えていますが、これをいい弾みにして、宅建の勉強も本格スタートせねばなりません。また予備校通いかな。

 FP3級は大した資格ではないかもしれませんが、妻と一緒に頑張り、二人合格できた(おいおい、正式発表は3月やでー)というのが、何よりうれしいんです。

 

    ◆        ◆        ◆        ◆        ◆ 

 

 さて! 28日、ついに与那国ダイビングの旅に出発します。28・29日の二日間に5DIVEし、憧れのハンマーヘッドシャークの写真撮影に挑みます。大群に遭遇するのも期待していますが、ぜひ、ダイバーの頭上を通る「ハンマーリバー」を見せて欲しいものです。マンタ同様、下から見ると迫力が数倍になるからです。ハンマーが出ることだけでもありがたいのに、ハンマーリバーなんて奇跡に近いと思いますが、ダイバーなら願わずにはいられません。

 そうそう、ご報告が遅れましたが、フードベスト、結局新規購入しました(恥)。4㌔の減量が叶わなかったのと、何より、7年のときをへて、フードベストがかなり縮んでいたというのもあります。ウェットスーツは久々に初代の5㍉(イルカを思わせる青と白のデザイン)を着用します。最近は夏にしか潜っていないため、このイルカスーツも恐らく数年ぶりかと。デザイン的には気にいっています。

 スケジュール的には朝から夕までダイビングなので観光名所めぐりは想定していませんが、せっかく行くのだから最終日の午前中だけでもバイクを借りて、島を周ってみようかとも思っています。日本最西端の碑、Dr.コトーの診療所(ロケ地)、クブラバリ、ティンダハナタなどいけるところだけでも。8年前に仕事で通ったナンタ浜にはぜひ足を運んで見ます。ただ、週間天気予報では二日間とも雨なんですよっ。

 それはともかく、一人旅なので、最大の懸念は夜をどう過ごすか、なのです。。当初は、人生初、一人でふらふらと居酒屋に入ってみようかと思っていたのですが、宿泊先のホテルが歓楽街とかなり離れているので、歩いて行けそうにないのです(流しのタクシーなど走っていませんので)。なので、島で最高のホテルと言われるアイランド与那国で、風呂でもゆっくり浴びて、9年余の現職場での心身にわたる疲労を癒そうかと思います。それだけでもぜいたくだ~。缶ビールを手に妻に電話している自分の姿が思い浮かびます…。

 旅のお供には、本を一冊もって行きます。数年前に読んだことがある「老人と海」です。与那国を舞台にしたカバー映画もありましたね。行きの飛行機2時間半で読んでしまうかもしれません。

 さ、明日は一日かけて旅の準備だ。鼻炎がなかなか改善しないので、午前中に病院にも行ってきます。

 待ってろよー、ハンマーヘッドシャーク!


家族のために働きます

2015年01月15日 | お仕事

 異動の内示が出ました。一定の確率で想定していたものではあるものの、最悪に近い結果でした。

 

 9年前に1年半在籍していたイベント部署です。そこは「お前あさってからS部だぜ」と一方的に異動させられた部署です。なんでそこに戻すのか理由が全くないのですが、人事権者が肝っ玉の小さい野郎なので仕方ありません。人事権者は、8郎の社員生命を奪うような最低のことをしておきながら最低限の説明責任すら全うしない、きったねぇやつです。(辞令の理由ははっきりしています。そこから戻る先輩社員がいるので、その単なる代替要員にあてただけです)。

 ただ、これもサラリーマンの運命。堅物の8郎は、こざとい生き方はできません。自分が正しいと思う働き方で会社に貢献し、いつかサラリーマン人生を終えたいと考えております(この会社が8郎の定年まで安定しているか疑問ですが)。自分の生き方に反省はあれども悔いはないです。

 

 人事権者の顔面を殴りたい気持ちを抑え説明を中座しました(殴ったら犯罪です)。怒りと不安の胸中のまま、妻にメールで報告。妻からは「また新しい生活を一生に頑張ろう」との返信がありました。添付されていた10郎の無邪気な写真を見るにつけ、「負けてたまるか。俺は上司にゴマするために働いているんじゃない。家族のために働いているんだ」という気持ちが改めてふつふつ沸いてきました。妻のメールで、一番大事なものは何かはっきり分かりました。妻に感謝です。

 

 どこもそうでしょうが、これから行く部署も、本当は何でもいうことを聞く若手がほしいに違いないので、不惑を超えたおっさん社員は歓迎されないだろうなと思います。でも、8郎は逃げません。信頼できる上司から「仕事できるな」、後輩からも「頼りになる」といわれるように頑張ります。いまだに納得できないこの人事に、今すぐ思い浮かぶメリットがあるとすれば、もうこりごりの夜勤生活から、普通のサラリーマン生活に戻ることができることかな。夜や土日は家族と過ごせる時間が今よりは持てるかな。宅建などスキルアップに充てる時間も確保したいと思います。

 

 まぁ、来年もあきらめずに異動願いは出しますが。

 

 家族3人で新しい生活を始めます。狭いアパートも引っ越そうかと考えています。

 

 とりあえず、目の前のFP3級試験に全力を注がねばなりません。自分で自分を誉めてあげる与那国一人旅も控えています(予約してよかった)。くよくよしている時間はありません。気力を振り絞り、頑張ります。

 

 今日は眠れないかもしれません。


挑戦の2015年

2015年01月06日 | 年末年始

 2015年、あけましておめでとうございます。本年もみなさんにとって幸多き年になりますように。

 さて、本年は8郎が生まれてから42年目、入社してから15年目、結婚からは11年目、10郎が生まれてからは5年目という節目の年になります(何でもこじつけます)。しかし、年末年始は鼻炎に悩まされるスタートとなりました。年末に病院に行ったのですが、「また悪化している。このまま来院せずに年を越したら前回同様になっていたでしょう」と担当医。強い薬をもらったのですが、今のところ目だった改善はなく鼻水、頭痛、肩こりが続いています。もう一ヶ月近く筋トレもしていません。初詣はもちろん、毎年恒例の名護詣でや草野球チームダンキンズの新年会にも参加できませんでした(泣)。とはいえ、与那国ダイビングやFP3級試験、そして2月末の人事異動(内示は1月末)など重要イベントが目白押しです。わが身にムチ打って頑張りたいっす。

 先日、8郎妹家族と恒例の豊崎にじ公園で遊んできました。いとこのNAOTA&ユナが来るまで一人時間をつぶす10郎。晴天の下、すべり台を満喫。

 10郎の遊ぶ姿を見ているといろいろ成長を感じて楽しい限りです。大型遊具では、自らたくさんの子供達に積極的に声かけし(「何歳?」「どこの保育園?」「足速い?」程度ですが)、たくさん友達をつくっていたのにはびっくりしました。どんどん自分から前に出て行くようになったね。これも小さな保育園から大きな保育園に転校し、多くの競争にもまれた結果かな。とーとーは頼もしげに見ていました。

 遊具のスキマから父を見つめる息子の瞳です。親バカですがかわいくてたまりません。これが10年たって反抗期になればにらんでくるんだろうなー(笑)。甘えてくるうちにいっぱい遊んでおこうっと。

 NAOTAとユナが到着してあとは、まるできょうだい3人のように走り回っていたね。NAOTAを「これ俺のにーにー」と周囲に紹介していたね。「これ」って(笑)。もっとしーじゃを敬いなさいっ。

 その後はとみとん内のゲームコーナーに。海賊船にのって亡霊たちをマシンガンで撃つゲームではNAOTAと大興奮。銃で人をバンバン殺す戦争ゲームなどには触れさせたくありませんが、相手が亡霊なら別です(笑)。みて下さい、この真剣な表情を。闘う男の表情になっています!

 NA0TAも「で~じ面白かった。またやりたい」と満足げ。男3人、また行こうか。41歳8郎もちびっ子たちから新年のエネルギーをもらったよ。さ、ブログはこれぐらいにしてFPの勉強、勉強!

【追記】与那国ホテルパック、支払ってきました。計4万2300円なり。現地ダイビングショップのブログを見ると、年末のハンマヘッドシャークの出現率は大当たりだった様子。年明けも快調のようです。これも低気圧などで海水温が下がったからだと思います。あと、3週間、低気温続いてくれ! 待ってろよハンマー!

 ではみなさん、今年もよろしくお願いします。