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自分で考え、自分で調べる

 自分で勉強する、このくせをつけることは、大変大事なことです。勉強するとなると、誰かに教えてもらわなければ、と考えがちですが、まずは自分で勉強するということから本来は始めるべきなのです。

 例えば、本を読んでもいいし、調べものをしてもいい、自分で勉強していくという姿勢は、なるべく早く身につけてもらいたいと思います。

 塾で、よく受けた質問で、こういうことがありました。
「子どもが勉強しているのを、横で見ているのですが、いったいどこまで教えればいいのでしょうか。」
という質問です。これはなかなか難しい質問です。自分で勉強できるようになった子どもに対しては、別に教えなくてもかまいません。自分で勉強できるようになると、何がわかっていて、何がわからないかは、結構早い段階からわかってきますので、親が教えなくても、自分で先生に聞いたり、あるいは参考書や本を探して調べたりします。
 多分、問題なのは
「わかんないや」
といって投げ出す子どもでしょう。こういう子どもたちは、まず入り口のところで、本当に勉強したいという動機づけがしっかりできていないことが多いようです。本当に勉強したいという動機が明確になっている子どもは、いろいろな方法を用いて、自分のわからないところを克服しようとします。ところが「勉強をやらされている」子どもは、わからないことを、勉強をやめる一つの言い訳にしますから、ちっとも進まないのです。こういう子どもたちには、まず動機づけをしてあげなければなりませんが、すぐにはできないでしょうから、やはりわからないところは、少しずつ教えてあげなければいけません。
 ただ教え方には二つ、守らなければならないことがあります。

 ひとつは、怒らないこと。わからないからといって怒ってしまうと、子どもはそれが怖くなってそれ以上勉強する気には到底なりません。これは、最近多くなりました。お父さんやお母さんが熱心に教えるあまり、だんだん子どもに腹を立ててしまうケースが見られます。怒ってしまうと、子どもはその先、「怖い」が先にたってしまいますから、あまり良い結果には結びつかないようです。怒らないように気をつけてください。

 もうひとつは、ほめること。興味をおこすためには、自分が「できる」という自信をもつことが重要です。誰でもそうですが、できると思えば、積極的になります。お父さんやお母さんからほめられて、うれしくない子どもはいません。できたら、多少大げさでもかまいませんから、ぜひ、ほめてあげてください、それが自信になって、子どもは、
「僕は算数が好きだ」
とか言い出すようになります。

 自分で勉強できるようになっていくのは、だいたい5年生の中ごろくらいからではないでしょうか。動機づけがしっかりできてくれば、もっと早いかもしれないし、そうでなければずっと遅いでしょう。

 自分ひとりで勉強できるまでは、私は自分の部屋で勉強させることには、反対しています。子どもは自分の部屋に入ってしまうと、誘惑がいっぱいあって、なかなか前に進みません。マンガがあったり、おもちゃがあったりすれば、勉強しようと多少思っていたとしても、うまくいかないでしょう。

 自分の息子に関して言えば、中学に入るまで、勉強は食堂でさせていました。といって、私や家内が勉強を横でずっと見ていたわけではありません。食堂で勉強させることで、今は勉強する時間なんだということを、意識させていました。しかし娘に関しては6年生の最初から、自分の部屋で勉強させました。これは兄の影響があって、自分も受験して合格したいという気持ちが強く、また女の子ですから、精神年齢も比較的高いので、部屋で勉強させていました。

 どちらがいいのかは、個人差がありますが、本当に自分で勉強できるようになるまでは、自分の部屋で勉強させない方がよいと思います。

 最近の家庭では、無理して子どもの部屋を作っていますが、一方しつけの面では、独立させることと反対のことをしているのが目立ちます。部屋をもつということは、自分でその部屋の管理をするというのが条件です。掃除をする、自分の洗濯物は片付ける、そういったことが、きちんとできて、初めて自分の部屋を持てる条件が満たされるのです。

 ところが、そういうことはお母さんがやってあげていて、それで勉強はひとりでやれというケースが多いのです。本当は逆。まず、子どもが自分でできることを増やしていくことから始めなければなりません。掃除や片付けが先です。その間は、親の目の届く範囲で勉強させておく、そして自分の世話が自分でできるようになったら、今度は自分で勉強する環境を与えてあげればよいのです。

 受験に関して言えば、ひとりで勉強するというのは大変です。子どもはどうしても、自分でできないことは避ける傾向にあります。ところが、それでは状況が改善しません。したがってやはり、できないことを明確にして、それをできるようにするような、どちらかといえば苦しい勉強をしなければならないのです。

 そういうことを、自分の部屋の片付けもできない子どもができるはずがありませんね。ですから、4年生くらいまでの間は、なるべくいろいろなことを自分でやらせながら、受験勉強は親の目の届くところでやらせていく、そして次第に子どもの勉強もまかせていくという感じがよいのではないかと思うのです。

 中学に入った時、自分で勉強できない子どもは大変かわいそうです。少なくとも、ここまでには自分で勉強できる姿勢が身につけられるように、しつけてあげてください。
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プラスイメージ

 プラスイメージは成功の近道を良く言われます。これはずいぶん前からいろいろな人たちが説明していますが、子どもたちのようすをみても、これはあてはあるようです。

 なぜプラスイメージが良いのかといえば、成長に必要なやる気と自信が引き出されてくるかでしょう。例えばテストがかえってきて成績が悪く、合格可能性が30%だったとしても、いろいろプラスには考えられます。これが本番でなくて良かったな、とか。今のうちにできないところがはっきりして良かったとか、ものは考えようです。そしてそういうふうに考えられる子どもは、たいてい勉強しようという動機づけはできていますし、プラスに考えられるということは、自分に多少自信があるのです。そして自分がはっきりこうしたいという方向が決まっていますから、そこで向かってがんばろうという気持ちはよりいっそう充実しているのです。

 ずいぶん前の話ですが、入試会場に応援に行った時のことです。みんな、殊勝に握手していくのですが、後ろから私をどついた子がいました。振り返ると、満面の笑みをうかべて、
「受かってくるからな」
と言い残して、校門に消えていきました。後ろからお母さんが恥ずかしそうに追っていかれました。この子は決して成績の良い子ではありませんでした。合格ぎりぎりで最後までその学校を受けるか、お母さんは悩んでいました。けれど本人は他の学校を受ける気など毛頭ありません。「絶対合格する」の一点張りでした。私はお母さんに、
「お母さん、いいじゃないですか。この子にとっては最初の受験だし、ここまで受けたいといっていますから、他の学校を受けてもし受かったとしても、きっと後悔するだけでしょう。もうここまで来たのだから、あの子のガッツにかけましょう。」
とお話しして、結局本人の希望どおりの受験となったのです。

 で、結果は合格でした。しかし、おもしろいもので、第一志望の学校のみ合格して、後は落ちました。塾としてはちょっとひやひやものなのですが、何校合格しても行く学校はひとつですから、本人としてはこれでOKなのです。

 子どものうちは、比較的自分の希望をストレートに表しやすいと思います。中学受験、高校受験、大学受験と年齢があがるにつれて、本人も客観的なデータを理解するあまり、あまりこんな番狂わせ?が起こらなくなります。大学受験生に向かって、大丈夫だから受けてごらんといっても、
「先生、何言ってんの。これはやはり無理でしょう」
といいます。ところが小学生は、
「先生、やはり僕のことわかってくれてた?」
とニコニコします。

 私はそういう意味で、子どもの教育においてプラスイメージはすごく大事だと思うのです。多少なりとも自信をもっていてくれたほうが、いろいろとありがたいのです。結果も良くなるし、やはり人間の可能性をひろげてくれるという意味に置いても、積極的で明るいほうが良いのです。

 ところが、お母さんは一般的にいうとマイナスイメージの方が多いのです。ちょっとご自分のことを振り返ってみられるとよいと思うのですが、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと心配される方が多いと思います。そして困るのは、これが子どもに伝染してしまうことです。心配性のお母さんの子どもは、やはり臆病なことが多いようです。ですからこれはぜひ変えていただきたいと思います。

 ではどうすればプラスイメージをもてるのでしょうか。これは実はとても簡単なことなのです。プラスイメージをもつことを選択すれば良いのです。
「でも、わたしはつい、くよくよ心配してしまって」
とおっしゃるお母さんがいますが、それは選択していないだけのことです。プラスイメージをもとう、いいことだけを考えようとすれば、そうなれます。

 そしてこれが大切なことですが、お母さんがプラスイメージをもつと、子どももプラスイメージをもつようになります。
「先生、うちの子はいい子なんです」
というお母さんのお子さんは本当にみな良い子です。

 
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教育方針

慶応幼稚舎が以前出していた募集要項に、入学試験に対する幼稚舎の考え方が説明されていました。その中で「うちの子どもをとらないような学校なら大した学校ではないとどうして考えられないのでしょうか」という一節がありました。この考え方は非常に大切だと私は思うのです。

 

 本来受験勉強とは、子どもをよりよい教育環境の中で育てる目的で準備するものです。したがって結果として、子どもの教育にプラスにならなければ意味がないし、また準備する過程も教育的なものでなければいけません。しかし結果を急ぐあまり、いろいろな無理が横行しはじめると、子どもに好ましくない影響がでる場合があります。したがってそれを防ぐためにも、我が家の教育理念というような基本的な方針を、親としてしっかり持っておかなければなりません。

 

 例えば思いやりのある子どもにしようとか、いろいろなことに積極的に挑戦できるような子どもに育てようとか、自主性のある子どもに育ってほしいとか、そういうことはどなたも考えることだろうと思います。ところがこうした「理想の子ども像」の育成を望みながらも、一方で受験のことにとらわれ、子どもに勉強を無理強いする場合が少なくありません。

 しかしただ合格させるという目的のために、これらの教育方針を曲げる必要はないと思います。いろいろなことに挑戦できるようにしようと思えば、おけいこごとも大切な教育の場になります。ところが進学塾に通うために、それをすべてやめてしまうことは本当に必要なことでしょうか。もちろん受験勉強のために時間が必要なことは事実ですが、すべてを犠牲にすることはないはずです。

 

 また、他の人としっかりコミュニケーションを図れる力というのも、子どもの教育の上では大切です。そして子どもは、この能力を遊ぶことによって身につけていきます。子どもを遊ばせるということはとても大切なことなのですが、受験生が遊んでいると親は腹が立ってきます。これもどこかおかしいのです。

 

 以前私が担当した6年生がいました。志望校はお父さんが卒業した学校。そこに弟さんは小学校から入っているので、お母さんとしても何とかしたいと思っておられました。しかし、成績はなかなか上がらず、私どもの塾にお越しいただいたわけです。

 私は、彼を見ていて、自信のなさを感じていました。何をやるにつけても、彼には不安感がつきまとっています。本当は力があるのに、精神的に負けているようなそんな印象を受けました。私はお母さんに、面接時間をいただいて、こんな提案をしました。

「お母さん、彼、剣道をやりませんか? お近くに剣道の道場がありませんか?」

 進学塾の先生に、剣道をやれと勧められたお母さんもびっくりされたと思うのですが、私の意を汲んでいただいて、彼も納得して週2回剣道に通い始めました。

 ある日、彼に、

「どう、剣道は」

とたずねると、彼はニコニコしながら、こう答えてくれました。

「あのね、僕のメンでもけっこう痛いんだって!」

 

 彼は初心者なので、小学校の低学年といっしょに練習していました。とはいってももう6年生ですから、彼がメンを打つと、小学校低学年の子には痛いでしょう。でもそれが、結構本人の自信になっていったのです。

 彼はやがて自信を持ち始め、成績も上がっていきました。剣道の時間は勉強できませんが、その分彼は自分の器を大きくしていったのです。

 

 我が家としては子どもはこう育てたい、そのためにはこういうことをさせたい。こういう考えは親としてしっかりもつべきです。そしてその方針に従って家庭教育をまず充実させることです。その上で他の教育機会を与えるべきなのです。我が家の教育理念を変えてまで何かをさせようとするとき、同時に何かを得る機会を失わせているということに親は気づいていなければなりません。

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なぜ勉強するの?

 塾の生徒に、「どうして勉強するの?」と聞くと、
「合格したいから」
とか、
「受験があるから」
という答えが返ってきます。これはある意味正しいのですが、本当は全然正しくないのです。というのも
「では中学に入ったら勉強しなくてもよいか?」
という質問をすれば、子どもはみな、
「そんなことはない」
と思うでしょう。
 なぜ勉強するのかということが最近の子どもたちはわかっていないのだろうなと思います。それどころか大人も本当はわかっていないのかもしれません。

「歴史の年号なんて覚えたって、社会に出たら何の約にも立たない」
と言っている人はたくさんいます。年号を覚えるのは試験に対する対策だとしても、では歴史を勉強する意味は本当にないのでしょうか?

 本当は、勉強を始める前に、先生はこういう話を子どもたちにしてくれていると良いのです。これについては教師仲間でもいろいろ議論しました。別にこれが答えというものがるわけではありません。ただ、私はいつも子どもたちに勉強を教える前に、なぜ勉強するのかを考えてもらっていました。これは小学生だけでなく、中学生や高校生を教えているときもそうでした。そして私の考えを説明していました。

 私の考えはこうです。
 勉強するのは何も試験に合格するとかそういう問題ではありません。自分というものをしっかりさせるためにやるのです。人間は社会に対して何らかの役割を果たすために生まれてきています。二十世紀を眺めてみても、人間社会は確実に良くなってきていますが、それは時代時代でそれぞれの人間が、自分の役割を果たしてきた結果です。ではひとりの人間は何の役割をもっているかというと、これは自分で決めなければなりません。みんな顔や個性が違いますから、何が得意であるか、何をしたいのかはそれぞれの人間で全部違います。しかしそれがわかるのも自分だけですから、自分でつかまなければならないのです。
 そのためにはいろいろなことを理解しておかなければいけません。歴史も非常に大切ならば、生物学も非常に大事です。そういうことを理解しながら、自分の考えを深めていって、自分は何を果たすべきなのか、が次第に決まっていくのです。試験を受けて学校に行くのも、その過程のひとつであって、それが目的なのではありません。

 しかしこれだけでは誤解をまねくかもしれません。別に自分の職業を決めるだけのために勉強をするのではないのです。人間は社会の中で何らかの役割をもつわけですが、その役割を果たしていくためには力がなければなりません。その力というのは専門的な知識も必要でしょうが、それだけではなくいろいろな目にあってもそれを乗り越えられるような力が必要です。そういう力は人間が本当に勉強して、自分の頭でいろいろ考えてできてくるものです。これは言い換えれば自分をつくるということで、単に知識をもっているだけではしかたがないのです。

 学校の勉強は知識を教えることが多いので、どうしてもそうなりがちなのでしょうが、学校で学ぶことは知識以外にもたくさんあります。人間は生きていれば、いろいろな目にあいます。なぜこんな目にあわなければならないのかと思うこともあるかもしれません。しかし、そこで取り乱していても、解決にはなりません。なぜそうなったかを考え、そこから立ち直っていかなければならないのです。どういう心がけだったから、そうなってしまったのか考えて理解できれば、自分を変えるチャンスがきます。どういう原因があるからどういう結果になるのかということを知っていれば、心配せずに困難に立ち向かっていけるでしょう。そういう力は自分で考えて、本当に納得しなければ自分のものにできないものです。ですから学校に通うだけで十分というものではなく、学校を出た後も勉強は続けていかなければならないことになります。

 クラーク先生の「青年よ、大志をいだけ」という言葉はよく知られていますが、じつはこの言葉には続きがあります。
「お金や自分の得や、世間が名誉だというがその中身はなにもないことのために大志をいだくのではない。人間としてこうあるべきというすべてのことを達成しようという大志をいだけ」というのです。

「人間としてこうあるべき」ということを理解するだけでも、相当勉強しなければならないでしょう。私にしても当然まだまだわかっていません。ましてすべてのことを達成するために勉強するというのは大変なことですが、しかしこういう心がけをもつことはとても大切なことです。こういうことを考える機会を私は、お父さんもお母さんも子どもともってみたらよいと思います。どうして勉強しなければいけないのか、みんなで話し合ってみてはどうでしょうか。答えが出なくたっていいんです。でもそういう話し合いをしていくうちに、子どもは、
「やっぱり勉強しよう!」
と思うようになるものです。
「勉強しなさい!」
としかっているお母さん。ちょっと待ってください。お子さんは、なぜ勉強しなければならないのか、納得していますか?

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中学受験と高校受験

 中学受験は、ある意味特殊な受験といえます。全国レベルで考えてみれば、たいていの地域では、義務教育の間は地元の公立小学校、公立中学校に通い、高校受験をするケースが圧倒的に多いでしょう。東京の場合、学校群が始まるまでは、同じ状況だったと言えます。しかし、学校群が導入されて以降、東京では私立中学への入学が次第に増加しはじめました。地域によって異なるでしょうが、2月1日の受験日に学級閉鎖状態になるクラスも少なくありません。
 確かに私立に入るためには、中学受験をした方が有利でしょう。多くの学校が六年一貫教育体制になっており、高校からの入学者を極端に少なくしているからです。しかし、別に中学受験でなければならない理由は何もありません。子どもたちにはそれぞれ個性がありますから、その時期その時期で勉強に向くときもあれば、そうでないときもあります。ただ、私がなるべく中学受験を勧めていたのは、中高6年間を受験なしで過ごした方が、すこしゆったりしていいかなと思っていたからです。
 これは勉強するということが本来、受験勉強とはまた違う意味で必要だと考えていたからでした。子どもたちは、これから将来に向けて勉強しなければなりません。しかし、最初のうちは、いろいろな科目を勉強するにせよ、だんだん自分の好きなものが決まってきて、専門の勉強に進んでいきます。そして中高6年間の勉強は、そういう専門の基礎をやるので、その中から自分は何が好きか、じっくり掘り下げられた方がいいと思うのです。

 私も中高一貫教育で育ちましたから、高校受験がなくて、非常にのんびりした時間を過ごしました。好きなことを好きなだけやれる時間というのは、大変貴重だと思います。しかし一方で、中学受験は小学生の間に受験勉強しなければならないので、当然、そこには負担が生じます。これは繰り返しになりますが、その負担は決して楽なものではありません。しかも、まだしっかりとした価値観が育っていない段階ですから、例えば「合格しないと恥ずかしい」とか「みっともない」というような価値観が植え付けられてしまうと、それはあまりいいことではありません。

 このあたりのことを、十分考慮にいれて、中学受験をするかどうか判断されたらいいと思います。そして準備をすすめていく段階で、これはあまり子どものためにならないなと思われたら、潔く撤退することも非常に大事なことだと思います。
 以前、塾で教えていたときにも、そういう子どもがいました。とても幼くて、宿題をしたり、復習をしたりするのが苦痛で仕方がないのです。ご両親としては、何とか受かってほしいと思いますから、いろいろと諭しますが、そのたびに、彼は自分がだめだと言われているように思ってしまい、元気な男の子だったのが、とても自信がなさそうな感じになってきました。

 私はそこで、ご両親に面接にきていただきました。
「しばらく塾をお休みにしませんか?」
と申し上げると、ご両親は自分の子どもがついに塾に見放されてしまったのだと思われたようで、大変がっかりした表情をなさいました。
「これは、彼に自信を取り戻させるための大事なプロセスだと思います。今の彼は、明らかに勉強よりもやりたいことがあります。しかし、勉強はしなければなならいと当然、思っています。それができないと思うから、自信を失ってしまっているのです。これではせっかく彼がもっているいいところがなくなってしまいます。合格してもひからびてしまうのは、かわいそうだと思うのです。」
「お休みするというのは、どのくらいでしょうか?」
お母さんがお尋ねになりました。
「3ヶ月を一つの目安にしたらどうでしょうか?」
「そんなに勉強しなかったら、間に合わないのではないでしょうか?」
「大変申し上げにくいのですが、今のままでも間に合いません。ですから、ひとつ、ふんぎりがついてくれれば、変わると思うのです。彼は決して頭の悪い子ではありません。考える能力も十分もっています。ですからむしろ、ここで慌てて、彼が自信をなくした子どもになってしまうことの方が問題だと思います。」
 結局、彼と毎月1回会うことを条件にして、しばらくお休みをすることにしました。彼と会うときは、勉強の話はしませんでした。遊びのこと、学校のこと、いろいろな話をしていましたが、ある日のこと、
「先生、お願いがあるんだけど」
と彼が言うのです。
「なんだい?」
「僕に、宿題だしてくれないかな」
「宿題って、受験勉強のかい?」
「うん」
「でも、あまりやりたくなかったんじゃないの?」
「そうなんだけど、でも勉強しているときに、やりたかったなと思ってたこと、もう全部やっちゃったんだよね。そしたら、ヒマになっちゃって」
「そうかい、じゃ、少しずつやろうか」
 私はそばにあった受験参考書から、彼のできそうなところを何問か選んで宿題に出しました。
 すると翌日、彼は約束していなかったにもかかわらず、塾にやってきたのです。授業の合間の休憩時間を狙ってやってきました。
「おや、どうしたの?」
「全部、終わった。答え合わせをしてほしかったんだけど」
「そうか、ちょっと待ってね」
7割ぐらいは丸でした。偶然、彼の友だちが脇を通りました。
「なんだい、来てんじゃないか。早く出てこいよ」
そのときの彼の顔を見て、もう大丈夫かなと思いました。
「お母さんに電話してあげようか。後半の授業に出てみるかい?」
「え、いいの?」
「どうぞ」
 結局、その日から彼は塾に復帰して、その後第一志望に合格しました。彼は復帰できましたが、そうでなかった子どももいます。でも、彼らもまた次の機会にまたぐーんと大きくなっていきました。子どもの成長はいつ始まるか、わかりません。早い子どももいれば遅い子どももいます。それを何が何でも間に合わせようとするのは、あまりいい方法ではありません。ゆっくりと始めながら、子どもの様子を見て、進むときには進む、休むときは休んでいいのだと思います。ですから中学受験はやらなければいけないものではないのです。一つの選択肢にすぎないのだという認識を、ご両親にもっていただきたいと思います。
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中学受験、合格して失敗する子、不合格でも成功する子



 私は、よく保護者会などでこんなお話をしていました。

 中学受験で一番いいのは、一生懸命がんばって、落ちること。
 次が、一生懸命がんばって、合格すること。
 次が、がんばらないで、落ちること。
 最悪なのは、がんばらないで、合格すること。

 もちろん受験するのですから、合格するのにこしたことはありません。けれどもやはりそれは努力によて培われたものであることが、一番子どものこれからの成長につながるものだと思います。一生懸命がんばったけれども、自分の努力で通じないことがあったということを、子どものうちから知るということも、これはこれで大変貴重な経験なのです。今の子どもたちは、とても恵まれています。したがって、いろいろなものを大人から与えられているでしょう。ですから、子どもがはじめて、自分の努力が足りなかったと感じることは、本当に大事なことなのです。
 その一方で、こんなもので合格するのなら大したことはないと思い、中学入学後もついだらだらしてしまう子どももいます。しかしよくしたもので、そういう子どもたちは、また失敗することで、新たに学び、変わっていきます。
 親としては失敗しないように先回りしたいと思うものですが、そうはうまくいかないものです。失敗したり、悩んだりして、子どもは成長するものですから、それはまたそれでよいことだと思う心構えをもつことが大切なのです。親が先回りして考えるよりは、そのときそのときでいっしょに支えてあげることが親としての役目ではないでしょうか。むしろ怖いのは、合格至上主義に陥ってしまい、子どものときにもっていたみずみずしさを台無しにしてしまうことです。子どもたちは、まだ小さいので、そういう価値観を簡単に植え付けられてしまいがちです。とにかく受かればいいんだろうといわれれば、それは違います。別に受かることが偉いことではないのです。そういう勘違いをしている子どもたちはたくさんいます。これは子どもたちが悪いのではありません。そういう考え方をさせた大人が悪いのです。私が「合格しても失敗する子」というのは、そういう子どもたちのことです。
 中学受験は、まだこともたちが小さいうちの受験なので、親の関わる部分が多くなります。それはある意味仕方のなことですが、その分、受験がもつさまざまなデメリットにぶつかったときに、子どもたちを支えてあげることができます。子どもが大きくなって、そのデメリットにも耐えられるようになっていれば、何も問題はないのですが、子どもたちはまだ小学生ですから、自分だけでがんばるのは、なかなか大変です。

 私は中学受験の塾で約20年間教えてきました、その間、たくさんの子どもたちを見てきましたが、一番大切にしてきたのは、合格させることではありませんでした。むしろ、いろいろなデメリットから子どもを守りながら、彼らがもっているみずみずしさをなるべく保ったまま、この受験を越えてほしかったのです。

 この本では、そんなノウハウをなるべくわかりやすく説明しました。子どもたちは、まだまだこれから先にたくさんの未来を抱えています。その未来が輝くように、少しでも役に立てばと思います。


「中学受験、合格して失敗する子、不合格でも成功する子」
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