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初詣は気をつけて

今年も間もなく暮れようとしていますが、お正月になると初詣に出かけられる方が少なくないと思います。特に受験生をかかえていらっしゃるご家庭では、合格祈願に行かれると思うのですが、実は、この初詣はあまり感心しません。

娘の受験のときです。

私も同じように考えて出かけたのですが、まあ、どこに行ってもならぶ、ならぶ。しかも決して暖かいわけではありません。場合によっては寒風吹きすさぶ中、長い行列に入っていなければならない。これは、はっきりいってやめた方が良いと思います。

うちでは、車で結局3軒回ってみて、どれも長蛇の列だったので、引き返し、うちの近くの神社で済ませました。(別に済ませなくてもよかったのでしょうが。)受験勉強の気晴らしに初詣というアイデアは悪くはありませんが、しかし長蛇の列には気をつけてください。風邪をひく元になっては、効果半減です。お父さんお母さんが出かけて、お守りを買ってきてあげるぐらいがちょうどいいのではないかと私は思います。
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冬期講習(1)

冬期講習2日目。直前の講習とはいえ、いざ、教えてみれば当然のことながら、「これはこうしろ」「あれはああしろ」が出てくるのも事実なのです。しかし時間はもう多くはない、だから「とにかく、ここまではやろう。それでできなければ仕方がない」「わかりました。」

お互いに達成したいことは同じですから、ああいえばピンときてくれるのでしょう。この一体感のために多くの指導員が塾の仕事から離れられないのかもしれません。

今年もそれぞれの子どもたちに担当の指導員が冬のプログラムを個別に書き下ろしました。今日もいくつか話をしましたが、指導する側の気持ちがよくわかります。そしてそれに何とか応えようという子どもたちの姿勢もよくわかります。この9日余りの間、ぜひともそれぞれの努力が結果に結びついて欲しいと思うのです。

帰り際、「今朝、何時に起きた?」
「6時半。」
「7時10分、明日はがんばります。」
ははは、でも子どもたちはみんなそれなりに必死なのです。大人の目から見ればまだまだかもしれませんが、本人たちはそれなりにがんばっているのです。どうぞ、その点はぜひ認めてあげてください。





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不合格ははずかしいことではない

昨日、帰国の合格発表があり、無事合格したのですが、その子と話をしていて
「「でも、落ちてもちゃーんと塾に行きなさいよ。」ってお母さんに言われたの。」という話を聞きました。

大事なことだと思います。確かに不合格は残念なことであるし、悔しいことでもあるでしょう。しかし、決してはずかしいことではない。このことはちゃんと教えておく必要があります。

土台、多くの学校では不合格者の数の方が多いのです。しかし、このころになると学校の友達が同じ学校を受けると聞いて「自分が落ちたら、どうしよう。もう学校にも行かない」などという子もいるかもしれないのです。

しかし、ここで気持ちをネガティブにしてはいけない、人生、そう勝ち続けることはできない、負けるときもある、だからまたがんばればいいのです。もちろん、そんなことは大人であればわかります。しかし子供たちにとっては最初の経験であることが多いのです。その結果は数時間のテストの結果にすぎないのだけれど、合否は出るし、それがもちろん重いからこそ子供たちにとって心理的なプレッシャーを与えるのです。

不合格はくやしいことです。涙を流すのも当然。ただ決して恥ずかしいことではない。またその気持ちを振起して、次に向かっていかなければならないのです。親としては当然、失敗してほしいとは思わないでしょう。しかし、失敗を受け止めさせることも大事なことです。ただその受け止め方はしっかり教えておく必要があります。

落ちても塾に来れば、ほんのちょっとの時間でもうもとに戻るのです。しかし、そこにくるまでの間、子供たちの気持ちには葛藤があるのです。ぜひ、背中を押してあげてください。
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ビジョンをもって

ここまで中学受験がブーム化すると、ムードに乗せられて「中学受験をしなければ」と思わず、考えてしまうご家庭も少なくないのではないでしょうか。

中学受験は首都圏、関西圏、九州の一部では高校受験に代わってその中心となってきているようですが、全国的に見ればまだまだ高校受験が中心の地域が少なくありません。首都圏の場合、私立高校は付属中学を併設して高校の募集を中止している学校が増えてきていますが、都立、県立をはじめとした公立高校も私立に負けない教育の内容を充実させてきています。今までは一斉テストだった公立高校も次第に独自入試を掲げてきていますし、これまで一浪は当たり前といっていた大学受験についても対策がとられてきています。

だから、なぜ中学受験をするのか、もう一度冷静に考えてみるべきなのです。中学受験には当然メリットがありますが、一方でデメリットもあります。やり方を間違えれば子どもにとって負担が大きすぎてしまう場合もあるでしょう。

本来、良い教育環境を与えたいと思って始める受験勉強ならばその過程も教育的であるべきですが、そうでない場合が増えているのです。

ですから、なぜ中学受験をさせるのか、どういう学校に行かせて、どういう教育を受けさせるのか、親がしっかりビジョンを持つべきです。そしてその準備についても「我が家の指針」に照らしてそれがいいのかどうか、親がしっかり吟味する必要があると思います。

中学受験をしないという選択肢も当然あるのです。
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考える算数

ここのところ、算数の勉強法のご相談が続いているのですが、根本的に考え方が違うのではないかと思われる(塾?)の指導法が目に付きます。

算数の勉強法というのは考える力をつけるために、真剣に、あるいは夢中になって考えさせる時間を創るということに尽きます。例えば、問題集に数字を変えた例題がいっぱい載っているものがありますが、あれは役に立つのか?といえば私はそうではないと思っているのです。

似たようなパターンの問題を練習する、確かにそのパターンはできるようになるでしょう。しかし、入試に同じ問題がでるとは限りません。むしろ今までになかったような問題をそれこそ1年かけて考えてくるわけで、だからすべてのパターンを網羅しようとすると中学受験の範囲は小5~中2ぐらいまでひろがってしまうのです。

もちろん解く道具として、公式や解き方を知っていることは大事です。しかし、それは応用問題の中でも勉強はできる。真剣に考えれば、解き方は自分で発明できるものです。その発明が、その子の力を創りだすといって過言ではない。だから、真剣に考えさせるべきであって、同じような問題を数字を変えて解くことはそのこの動機をそぐという意味で、私はあまり良い方法とは思わないのです。

良い問題をじっくり、考える。できなかったら復習する。(というか、良く考えるがずーっと続いているのですが。)そこから考える力が養えるのではないかと思っています。

今年も7月から学校別特訓をやるのですが、(私の担当は大倉山と桜台になりそうです。)それまでの間同じ時間帯で6年生を対象にした算数の特別授業「ゴリラ特別」をやろうかなあと思っています。(まだ発表された時間割には載っていません。)テキストなし。白板で問題を出し、じっくり考えてもらい、解説。そして家で復習。基礎から教えない。プリントも出さない。白板に書いてある問題を写せなければ何もできない危険性がありますが、逆に真剣にやれる子にとっては考える力がつく授業になるように思うのです。

詳細が決まりましたらまた書き込もうと思いますが、今の子どもたちは加熱する雰囲気の中で本当に過度な準備に追いまくられています。もっと問題数を絞って、しっかり考える、楽しく勉強することが大事だと思うのです。解くのがおもしろくなれば、考える力はつくのです。考える力をつけるということをご家庭でも意識していただければと思います。
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ここからは気持ち次第。

今日は6年生の補習です。

ほぼ学校別と同じように、それぞれが自分の志望校の過去問をやっていきますが、すでに2回目、3回目に入っているので高得点をとれるようになってきました。問題はミス。ちょっと気持ちが外に向くと、字が汚くなる、ミスが出る。
「この答案はていねいでないな、やりなおしなさい。」

受験生は誰しもが入りたい。だから合格したいと本当に強く思うことは大事なことです。その分、親は多少距離感を持って見守る必要があり、親が強く合格を思うとあまりろくなことがないものです。

さて、最近の学校別では緊張感をもてるようにしています。わざとプレッシャーをかける。何割取れたかチームにわけてポイントを競ったり、個人戦にしたり。土台全員がやっていることは違うものの、個別指導だとその分競うという緊張感はなくなります。だからやっていることは違うが競わせる。難しい問題を解いている子とそうでない子には若干のハンデはあるものの、とにかく競わせてミスを減らす。だいたい試験会場ではだめで、家だとスラスラできるのが普通です。だからプレッシャーをかけないといけない。

もうひとつは、もうあまり教えない。自分で考え、自分で理解させる。どうしてもわからない問題は「しようがない、教えてあげよう」ともったいぶって教えます。ここでもったいぶるのが大事。「え、教わっていいんだ?」「あ、いいです。もう一回考えます。」そうそう、それが必要。

今日のカミナリは記述の量が少ない子に。
もってきた答案がほぼ1文しか書いていなかったので、
「すべて4行書け。それが書けるまでは帰れないぞ。」
最後の一人になってでもやらせます。自分の課題が終われば補習ですから帰れますが、彼だけは帰ってはいけないのです。

で、結果はどうなったのか。
ちゃーんと書けるんですね。つまり気合が入っていない!
「やればできることをちゃんとやらない、君がいけない」
とコンコンと怒られて帰って行きました。

ここからは気持ち次第。気持ちの強い子が、成績のハンデをひっくり返すものです。
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説明する気持ち

記述の採点をしていると、勝手な思い込みで書いていたり、言葉が不足している答案をよく見かけます。

本人はなんとなくはわかっているようですが、しかしそれを相手に伝えようとする気持ちが不足している、だから勝手きままに書いて「わかっている」ことが採点者に伝わらない。

答案というのは、自分が何を理解したのかを採点者に伝えられなければいけないのです。単に答えを書くだけなら、YESかNOかですが、途中の考え方を記述で書いたり、あるいは登場人物の心情を説明する場合は、何がわかったのか、どういう考え方をしたのか、その過程をなるべく詳しく書いていく必要があるわけです。

「わかってもらいたい」という気持ちが文章に出る子は、大方合格します。逆にその気持ちがない子は、伝わってこない。「何を言いたいのか?」が見えてきません。

過去問を練習したり、記述問題を練習したりするとき、まずは「わかってもらいたい」という気持ちをしっかり持たせて練習させてください。

でないと、時間の無駄になることが多いものです。
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中学入試説明会を終えて

昨日の大倉山で全12会場の説明会が終了しました。

今回のテーマはこれからの中学受験。今の中学受験は過熱気味ですが、やはり過熱すると塾の論理が家庭の論理を上回ってくるところがあり、過度の負担が出てきます。出題範囲もいたちごっこで増えてきていて、全部拾おうと思うと大変なことになります。

昨日お目にかかったお母さんは「私の役目はそぎ落とすこと」とおっしゃっていましたが、まさに正解!!

テキストにしても宿題にしても、いろいろ出てくるでしょう。しかし計画を立ててみると「こんなの、終わんないよねえ」と場合が少なくないのです。ですから、親が見て上手にさばいてあげないと、子どもは一応「やらなきゃ」とは思うのですから注意が必要です。

次の説明会のシリーズは来年3月。2007年受験を振り返ってということで、来春の受験の総括をします。加藤(ハイハイ)がデータをまとめてくれますので、またいろいろなお話ができるでしょう。参考になさっていただければよいと思います。

さあ、あとは冬期講習です。
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いたちごっこ

中学受験の範囲は年々増えています。

最近の社会の問題を見ていると、現代社会の問題が増えて、いろいろな単語についての知識を求められるようになりました。横文字も増えてPKOなども当たり前に知っていないといけません。

そうなると対策する方としては、カリキュラムを見直します。単純に地理や歴史というわけではなく、国際関係や現代史なども範囲に含まれていくわけです。

結果としていわゆる出題範囲というのは膨大になり、今では小5、小6、中1、中2ぐらいまでの範囲がカバーされなければいけなくなりました。

だからといってそれがすべて必要なのか?といわれればそうではないでしょう。中学入試の問題を分析しているとやはり全体の3割が出題の7割を占めています。したがってその3割を知っていれば、70点はとれる。つまり闇雲にいろいろなことを勉強するよりは、その3割をしっかりと勉強する、そういう勉強法が必要なのです。

この3割はある意味、受験する学校によって違ってきます。例えばあまり地理の細かい知識を出さない学校(~平野、~山地などの地名を答えさせる問題)が増えてきています。したがってどこを受けるのか、どこを志望するかによって対策は自ずと変わってくるでしょう。

あまりいたちごっこに関心を払わず、むしろ第一志望の学校に照準を絞って3割が何かを考えていった方が効率はよくなるはずです。もう一度、出題傾向をしっかり見直してみてください。
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共同体の基礎理論

大塚久雄さんの共同体の基礎理論は筑駒の中学1年の世界史で読まされました。その後、慶応の経済に進んだとき、同じものをテキストにした授業を受けて、「まあ、なんとも無理なことをしていたものだ」と思ったものです。

しかし、最近「はた」とひざを打ったのです。

今の中高一貫校は大きく分けて2つの流れがあります。

旧制高校の流れを汲む学校は、このように教員が自分の興味にあわせて専門まで一気に勉強させてしまうクラスが出てくるのです。本来、中学校の世界史は通史をやるべきですが、ローマ史を1年間かけてやってしまったりする。中学校の教科書にはそんなレベルの記述はないから、先生が専門書を元に教材をプリントで渡す。この中間、期末は大変です。土台、中学生に専門のローマ史を教える塾や個別指導なんかあるわけはない。だから自分で勉強する技術を持っていないといけないわけです。参考書を探す、難しい文献もがんばって読む、しかしこれはまさに研究のファーストステップみたいなもので、受験勉強なんかさわりもせず、遺伝子だ、生化学だとやってしまう。

もう一方はきちんと受験カリキュラムを作って大学受験に向けて緻密にカリキュラムを組み立てていく。使っているのは塾用教材。あるいは予備校の教材。繰り返し演習をさせ、テストを組み込み、塾や予備校以上のパーフォーマンスを出していきます。学校についていくだけで結構大変だが、その分、塾や予備校に行く必要はない。最近では代ゼミや東進の衛星授業を高校の教室で見せる学校もあります。

当然、幼い子やいまひとつ学力が十分でなかった子どもたちが確実にできるようになるのは後者の方でしょう。最近大学受験の実績を上げている学校は間違いなくこのタイプの学校なのです。

しかしねえ。問題は大学に入った後なのです。

受験勉強というのは、ある意味楽といえば楽なのです。ここまで情報化やデーターベース化が進んでくれば、それに対する対策も比較的確立してくるわけですから、その通りやればまずはそこそこの成績はとれるようになる。

しかし、自分が何を勉強するか、どういうことに進んでいくのか、ましてや研究ということになるとどうなるか?だれも仮説の検証について個別指導してくれるわけではないわけで、自分で考えて方法論を見つけ出さないといけない。

最近理科離れとか研究職離れとかいう話を聞くたびに、パターン化された勉強をさせすぎているのではないかと思うのです。それで確かに大学には入れるだろう、しかし。その後どうしているのだろうか?

敢えて中学1年に「共同体の基礎理論」を配る先生はなかなか素敵なのではないか。少なくともそういう学風というかスクールカラーは大事にしてもらいたいものだなあと思うのですが。
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