ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

無心・無欲になれというけれど

2012-10-17 07:56:07 | 座禅

 私は、「ひとり座禅のすすめ」のブログ上で、色々と書いてはおりますが、その殆んどのことは自身の座禅を通して感じた・感得してきたものです。 何か人から教わったとか、本で読んだとかのものではありません。

 生まれて初めて行なった時に、無我夢中に行なってきた我流の逆腹式呼吸を行いながら、静かに1時間座り続けてきた座禅(静功)を通して、感じてきたことを思い出しながら、書いております。

 当時は、まだその時々に起きたことや感じたことを、書き留めて置くことまでは、考えつかなかったのです。

 よく座禅といえば、無心・無欲という言葉を聞きますが、そんなに簡単に、そのような心境になれるものではありません。

 私は、たまたま吐く息を出来るだけ長く吐く息に、吐く息を体の中へ吐き、体の中へ入って行く息を追うようにして、そのことだけに意識を集中してきました。 

 意識を一点に集中することによって、ある意味では「無心・無欲」に近い心境になりうることを知りました。 長く吐く息に集中する方法と、ひたすら数を数える数息法があるようですが、私は数息法は、行ったことがありませんので、よく分かりません。

 長く吐く息だけに意識を集中していても、長い座禅時間の中では、ふと日常的な解決しなければならないような問題が、頭をよぎります。 雑念は払いなさいという言葉をよく聞きますが、私はそのような状態の時(意識が一点に集中しているとき)に、そのことを静かに考えました。 すると不思議なことに、このように考えたらどうですかという宇宙の叡智のサジェスチョンが得られるのです。

 ものの考え方が少しずつですが、その積み重ねの中で形成されていくような気がいたしました。

 寝る前に行ったり、早朝に起きて行ったり、深夜に行ったりしながら、1時間の座禅は、私自身の生活習慣になって行ったのです。