ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

脳梗塞などで半身不随の人へ

2006-11-18 16:06:27 | 
 年をとってから脳梗塞などで、半身不随になった方を見受けますが、ご自分が治したいという確たる信念があれば、治るのではないかと思っています。
 脳神経外科とか外科で治療を受け、薬を貰ってリハビリを行っても、なかなか元には戻りません。 少しずつ神経を刺激しながら、時間をかけて治していくしかありませんが、多くの方は、初めからもう治らないとあきらめてしまうケースが、多いのが現実です。
 できるだけ早くに、自分の幹細胞を採って培養し、血管に注入する治療方法も考えられていますが、まだ時間はかかるようです。 真向法の考案者である長井わたるさんは、若くして脳梗塞から半身不随になりましたが、勝まん経というお経の中にでていた頭面接足礼という言葉から、真向法の第1体操を考案し、第2、第3、第4体操と考え出されました。
 自ら、動かない体を動かし、毎日のように真向法の体操をやるうちに、いつの間にか動かない体が、少しずつ改善され、気がついたら治ってしまっていたといいます。 
 真向法の体操の極意は、体を曲げる時に息を体の中へ吐くことです。
 やってみれば分かることですが、曲がらない体も、1回、2回と続けているうちに、曲がらない体が曲がってくるから不思議です。
 薬代がかかるわけでもなく、治療費がかかるわけでもありません。 自分の治そうとする意志があれば、治すことができるのです。 体の中に息を吐くーそうです、逆腹式呼吸をすればよいのです。
 逆腹式呼吸を行うことによって、気の通りをよくし、神経の線に沿って流れているという気の通りをよくすることにより、寝込んでしまっていた神経をよみがえらせ、治癒できるのです。
 

呼吸法をしながらイメージの訓練ー3

2006-11-17 08:08:59 | 座禅
 蓮の花の写真をよく見ておき、座禅(静功)をしながら自分自身が蓮の花の上で、座禅をしているイメージで、逆腹式呼吸を行います。 蓮の花と言うのは、お寺でお釈迦様や観音様が、蓮の花の上に座っていたり、立っていたりするものを見かけると思いますが、蓮の花が特別な意味を持っていることが、座禅を通して感じることができます。
 宇宙でポツンと自分一人の 無(無心) のイメージ、光を浴び自らも光り輝くひかりのイメージと同様に、蓮の花で座禅をするイメージも、独特の感覚を感じさせてくれます。 蓮の花は、余りきれいでないどろどろとした水の中から咲きますが、そのどろどろとした というところに意味があるようです。
 静かな暗闇の中で、目を閉じ口をつむんで鼻だけで息をします。 軽く吸ってゆっくり息を体の中へ吐くようにイメージしながら座禅を行います。 肩の力を抜いて、頭のてっぺんが天から、引っ張られているような感じで座ります。 座布団または布団の上で、ちょっと薄い座布団を尻に敷いて、胡坐を組みます。 姿勢をよくしようとして、反ると筋力がかかりますので、長続きできませんので、よくはありません。
 呼吸がスムーズにできるようになったら、どこかの池に咲く蓮の花の上で、座禅を行っている自分自身の姿をイメージしながら、逆腹式呼吸をします。 何故、座禅の姿がよいかというと、座禅を行う中での体の変化が、一番わかりやすいのです。 立禅は、長くできませんし、寝て行う禅は布団などが体に接しているため、微妙な体の変化は、分かりにくいところがあります。 
 胡坐を組む座禅は、自身でやってみれば分かりますが、何時間でもできます。
私は、宇宙のエネルギーであり、情報伝達のエネルギーといわれている気を通して、私達に色々なサジェスチョンを、教えてくれているような気がしてなりません。 気長に、時間をかけて集中し、座禅をした人でなければ、得られないことだとは思っています。
  

呼吸法をしながらイメージの訓練ー2

2006-11-16 08:44:47 | 座禅
 本を読んでいたら、光のイメージの話が出ていました。 座禅(静功)を始めた頃、早速やってみました。 宇宙の本の中で、極小の物体が超爆発して今の宇宙が形成されたというビッグバンの理論。 瞬時に超高温とまばゆいばかりの光と、音を伴いながらの爆発と合成。 また、実の世界と虚の世界の考え方など。 
 光は、私達に有形無形のものを与えてくれますが、座禅の中での光のイメージも、独特の感覚を与えてくれます。 光のイメージをすることによって、私達に気感の促進という恵みを与えてくれます。
 いつも見ている水平線から出てくる、穏やかな朝の太陽のような光をイメージします。 目を瞑り、口を閉じて鼻だけで息をしますが、吐く息はゆっくりと体の中へ吐くようにしながら(実際には鼻から息は出て行きますが)、穏やかな光を体いっぱいに浴びて、とても気持ちがよいとイメージします。
 しばらく、そのまま気持ちよく光を浴びたら、今度はその光の中にに自分自身が入って、その中心にいて、光の放射を浴び、更に気持ちがよいと感じます。  しばらく光の放射を浴びた後、今度は光と一体になって、自らも光り輝くようにイメージします。 静かに呼吸法を続けながら行います。
 光を浴びる、光の中に入って光の放射を浴びる、自ら光と一体になって自らも光り輝く。 それを繰り返し繰り返しイメージします。 無(無心)のイメージもそうですが、この光のイメージも私達の体に、積極的な刺激を与えてくれ、微妙な体の変化を与えてくれ、気感(気を感じること)を促進させてくれるから、不思議です。 
 歎異抄の勉強会で、浄土真宗での神とは、無量寿光(まばゆいばかりの光)であるという話を聞きましたが、光をイメージすることによって、創造主のことを考えるチャンスを、作ってくれているのかも知れません。

呼吸法をしながらイメージの訓練ー1

2006-11-15 10:15:44 | 座禅
 逆腹式呼吸を日常生活のあらゆる場面で行うことにより、スムーズに呼吸ができるようになったら、イメージ(観想)しながら呼吸法を行う次のステップに進みます。
 体の下腹部分にあるとされる臍下丹田を、意識しながら逆腹式呼吸を行いますが、実際に臍下丹田が活性化し、動いてしまえばなんでもないことなのですが、へその下腹部分にあるのかなと半信半疑ながらも、座禅(静功)する中で呼吸を続けます。
 自分の今ある目の角度ではなく、ちょっと離れて斜め上あたりから見てみるという工夫も必要です。 
 無理なく1時間ぐらい座禅ができるようになったら、人工衛星から地球を見ているイメージをしてみます。 青い海、茶系の大地、うっすらと浮かぶ白い雲が今までのテレビ映像や、新聞報道の写真を思い出しながら、イメージして逆腹式呼吸を行います。
 始めは大きく見えた地球も次第に離れていきます。 だんだんと小さくなっていき、点でしか見えなくなります。 更に離れてもう殆んど見えなくなりました。 広い宇宙の中で自分ひとりが、ポツンと独りいるのがイメージされます。 これが 無 のイメージに繋がります。
 このイメージを静かな暗闇の中で座禅をしながら、何度も何度も繰り返しイメージします。 耳がキーンとなってくるはずです。 

腎臓結石、尿管結石について患者だった立場から-3

2006-11-14 07:01:20 | 
 第3の関門は尿管から膀胱に入る入口とされていますが、ここまで来れば後は時間の問題です。 お茶や水分をいっぱい飲んで、ジャンプしたりして体に振動を与えれば、膀胱に結石は入っていけます。
 膀胱からは尿道を通って後はいつ出てくるか、待つだけです。 カテーテルを尿管に入れたときに感じたことですが、尿が出るタイミングと、腎臓がポンプアップして、血液の残りかすを膀胱に、押し出すタイミングが合わないと、勢いよくは尿は出ず、したがって膀胱にある結石もなかなか排出することはできません。
 タイミングが合ったときに、はじめて結石は膀胱から出てきます。 膀胱に圧力が高まると、今度は逆に血液の残りかすは、腎臓のほうに逆流しようとします。 したがって逆流するようなタイミングの時には、尿は殆んど出ないことになります。
 第1の関門である腎臓から膀胱へいく尿管への出口が、一番結石が詰まりやすく、腎臓がポンプアップしようにもできなくするのが、冷や汗たらたらの原因を作ってしまうのです。 
 通常、腎臓内での結石は細かい突起物で、表面が構成されておりますので、腎臓内部を覆う襞襞の表面に取り付き、その表面からはなかなか遊離してはくれません。 
 私が、知人に半身浴を進めたのですが、何回か半身浴を行っているうちに、腎臓内にあった結石が遊離し(腎臓が活性化したということでしょうか)、結果的に大きな石が腎臓の出口を塞ぎ、救急車のお世話になったことを、後から聞いたことがありました。  その話を聞いて、半身浴は汗をかくことにより内蔵を含めた体全体を活性化し、新陳代謝を促進させるのだなと感じました。
 アルコールは余り飲まないほうがよいと、先生からは言われていましたが、結石を体外へ排出させる時などは、通常の体の働きを麻痺させたほうが、出やすいのではないかと体験的に感じました。

腎臓結石、尿管結石について患者だった立場から-2

2006-11-13 06:57:41 | 
 家庭医学全書などをみると、腎臓結石や尿管結石は痛みが伴うとありますが、正確には正しくはありません。 尿管は普段は密着していて腎臓の圧力が貯まると、膀胱に向けて血液の残りかすをポンプのようにして、送り出します。
 結石は、尿管内で造られることは殆んどなく、全て腎臓内で少しずつ造られていきます。 小さな結石のうちは、スムーズに腎臓から出て尿管を通って、膀胱に運ばれ尿としていつかは出てきます。
 大きくなると、膀胱から尿管の入り口が狭く、そこに結石が穴を塞ぐようにして廃液を止めてしまいます。 すると、腎臓がポンプのように動かそうとしても、動くことができず、トイレに行って尿意を模様しても尿が出ない状態になります。 腎臓は左右2個ありますが、同時に動くような仕組みになっているため、片方のポンプが動かなければ、機能しなくなってしまいます。
 痛みではなく、尿意を模様しても尿が出ないために、冷や汗がたらたらと出てくるような状態になるだけなのです。 これを救急先の病院での点滴によって、できるだけ強制的に尿管内に入れようとします。
 尿管内に入りますと、腎臓から尿管内の結石までの空間に余裕が生まれ、腎臓はわずかですがポンプを動かすことができ、冷や汗も少しは収まり、多少の尿も出るようになってきます。
 結石は、詰まりやすい箇所は3箇所あるとされていますが、腎臓から出た尿管が腰の上辺りで、膀胱に向けて進んでいるのですが、丁度、その部分で骨があり曲がるように通っています。 大きな結石は、腎臓の出口の関門を無事過ぎたとしても、、その部分で2つ目の関門に突き当たることになります。 
 18年前の電気ショックによる結石の破砕も、その後の治療方法の進歩もあり、今は、カテーテルを尿管のある部分まで挿入し、できるだけ結石がスムーズに膀胱まで運ばれ、尿として排泄されるようになっては、きております。

腎臓結石、尿管結石について患者だった立場から-1

2006-11-12 09:08:47 | 
 母は、35年前に腎臓結石か尿管結石で入院し、その時は、私の長女が生まれることもあり、薬で散らしたのか、点滴で押し出したかは定かではありませんが、退院し長女の誕生に(初孫)喜びを表しました。
 今から18年前に、私が毎晩のように夜遅くに、お酒とつまみの連続の生活の結果、腎臓がサンゴ状になり、もうお酒が口に入らなくなってしまい、救急車のお世話をお願いすることになってしまいました。 結石を電気ショックで破砕し、それを粉々にした上で、徐々に尿と一緒に出すという治療を受け、5泊6日で退院しました。 
 退院すると同時に、今度は母が、腎臓結石で同じ病院で破砕の手術を受け、4泊5日で退院してきました。 私の場合は、お茶を飲んではジャンプをしたり、逆立ちをして、腎臓付近を叩いたりしてもらったりして、なんとか7,8年で片方の腎臓の結石が出てきましたが、母の場合は、一人住まいだったり、高齢であることも手伝って、結石は細かくはなりましたが、余り体外には出なかったようです。
 それが、結果的に2,3年前から腎臓の働きを弱め、腎不全を引き起こしたのではないかと、思われます。 母が結石で入院し退院すると同時に、今度は、我が家の龍之介(ryunosukeヒマラヤンのお父さん猫)が、腎臓結石で入院し、その後、8歳ぐらいで腎不全でいなくなってしまいました。
食生活が似ているせいなのか、私。母、リュウちゃんと同じ時期に重なってしまいました。 幸いにも、私自身はもう一方の腎臓に残っていた結石もその後、破砕し、4,5年前に全部の石は排出されました。 
 

看とれませんでしたが

2006-11-10 07:49:47 | 
 このまま推移すれば2,3日ぐらいしか持たないでしょう、と言われていた91歳の母は、4日目に入った12時半に、この世から去っていきました。 私が到着する15分前でしたが、3日間母の傍で過ごしておりましたので、不思議と涙は出ず、天に帰っていったという感覚でした。
 立ち会った看護士の方の話から、最後まで苦しまなかったですね、という一言もありましたが、すーと息が止まり、心臓の動きも静かに止まっていったそうです。 年をとってからは、このような最後を迎えられたのも、本人の日頃の生活態度にあったのかなとも思いました。
 青春時代の娘の頃は、硬派で女番長をやるような人で、後年、一の子分であったとされた京都の常子おばさんが、我が家に来た時には、母は、常子、常子と呼び捨てにしては、あれしろ、これしろと命令口調で、こちらがはらはらするぐらいでした。 常子おばさんも、そのように母に言われても、嬉しそうに、はい、はいと言いながら従っていました。
 気が強かったために、いつも父と喧嘩が絶えなかった夫婦関係。 その間に挟まれた私達姉弟3人は、そんな雰囲気に耐え切れず、早く家を出て行きたいと思っていました。 先日、殆んど病院に来なかった弟も、久しぶりの母の寝顔をみて、すごく、穏やかでいい顔になったね、と話していました。
 私は、母にはいつも、父があちらのほうで忙しく、迎えにはなかなかこれないので、もう少しこっちで頑張っていてほしい、と言っていたよ、と話しますと、また、相場でもやって金儲けに忙しいのかね、という話のやり取りをすることも多かったです。
 娘が、パパは猫のリュウちゃんもいないし、もう誰もかまう人がいなくなったね と話し、なんとなくさびしい感じもいたしました。

ネフローゼで入院している人と話しました

2006-11-09 07:53:23 | 
 昨日は、母の入院している病院で、日本対キューバのバレーの試合をみながら、寝ながら行う呼吸法の話を、ひょんなことから話し始めました。 話に夢中になり、試合がどうなったのか結末は分かりませんでした。
 背中から腎臓に向けて、ちくりと刺して検体を3つ採ったといっておりました。 ひとつずつ検体を検査していくとのこと。 まだ詳細は分からないというネフローゼで入院している方でした。
 寝るときに、お腹の上に手を置いて、逆腹式呼吸を行えば、免疫力が知らず知らずのうちにつきますよ、と話したのが始まりです。 吐く息を体の中へ吐くようなイメージでゆっくり行ってくださいね。 ただそれを繰り返すだけでいいんですよと。 
 多分、昨夜は寝ながらの呼吸法を、行ってくれたのに違いありません。 早速、どうでしたかと聞いてみることにしましょう。
 半身浴の入り方も、話しました。 これも出会いのひとつになるに違いありません。 95歳の糖尿病のお母さんの介護をするために、仕事を早期退職してしまったといいます。 自分が入院してしまったので、九州にいる姉に来てもらってお母さんを見てもらっているそうです。 先行きのことを考えると、不安でしょうがないといっておりましたが、全てマイナスに考えないほうがよいですよ、と話しました。 バレーボールのテレビ中継を見ながらの出来事でした。 

91歳の母が腹式呼吸をしていたなんて

2006-11-08 06:41:41 | 
 天からもう還って来いといわれている91歳の母の元に、2日間いましたが、昨夜、看護士の方が今まで離れていた両手を、お腹の上においてくれました。 両手の指先も、血流の流れも末端までは届かなくなりつつあり、だいぶ黒ずんできていて、いつも手を通して(手をつかんで)母への交流を図ってきていましたが、指先は冷たくなんとなく、ああそろそろかな と思う日々でした。
 何気なく、いつもある場所にある手がありませんので、あれ、どこにあるのだろうと 探したところ、お腹の上にありました。 そっと手の上に私の手を載せたところ、びっくり仰天、お腹を出したり、へこましたりの腹式呼吸をしているではありませんか。
 50歳を過ぎてから始めた水泳も35年間(86歳まで)、父がなくなってから始めた詩吟(父がいつも詩吟をやっていたせいか)も25年間やっていました。 常々、二つとも呼吸の仕方が似ているといっていた母。
 少し冷たい手を下におき、暖かい手をその上においていたところ、冷たい手も指の先端まで冷たかった手も、暖かくなってきましたので、ほっと一安心して、とりあえず我が家に帰ってきました。