ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

看とれませんでしたが

2006-11-10 07:49:47 | 
 このまま推移すれば2,3日ぐらいしか持たないでしょう、と言われていた91歳の母は、4日目に入った12時半に、この世から去っていきました。 私が到着する15分前でしたが、3日間母の傍で過ごしておりましたので、不思議と涙は出ず、天に帰っていったという感覚でした。
 立ち会った看護士の方の話から、最後まで苦しまなかったですね、という一言もありましたが、すーと息が止まり、心臓の動きも静かに止まっていったそうです。 年をとってからは、このような最後を迎えられたのも、本人の日頃の生活態度にあったのかなとも思いました。
 青春時代の娘の頃は、硬派で女番長をやるような人で、後年、一の子分であったとされた京都の常子おばさんが、我が家に来た時には、母は、常子、常子と呼び捨てにしては、あれしろ、これしろと命令口調で、こちらがはらはらするぐらいでした。 常子おばさんも、そのように母に言われても、嬉しそうに、はい、はいと言いながら従っていました。
 気が強かったために、いつも父と喧嘩が絶えなかった夫婦関係。 その間に挟まれた私達姉弟3人は、そんな雰囲気に耐え切れず、早く家を出て行きたいと思っていました。 先日、殆んど病院に来なかった弟も、久しぶりの母の寝顔をみて、すごく、穏やかでいい顔になったね、と話していました。
 私は、母にはいつも、父があちらのほうで忙しく、迎えにはなかなかこれないので、もう少しこっちで頑張っていてほしい、と言っていたよ、と話しますと、また、相場でもやって金儲けに忙しいのかね、という話のやり取りをすることも多かったです。
 娘が、パパは猫のリュウちゃんもいないし、もう誰もかまう人がいなくなったね と話し、なんとなくさびしい感じもいたしました。