ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

力を抜くー座禅の時には半眼にするのではなく半眼になる

2009-04-27 07:30:15 | 座禅
 座禅のときに、よく半眼にしなさいという話を聞きます。 目である一点を見ることは、凝視することによって力がかかります。 半眼にして目をうつろにするということのようです。

 ここで、私達は目を半眼にすることには慣れていませんので、はじめの内は半眼にする意識をすることも、大切ではありますが、座禅のときにあらゆる力を抜くという観点からは、半眼にすることを意識することも、力がかかることになります。

 私は、毎月2回日曜日の早朝に参加している普門庵の座禅会で、和尚さんから「半眼にしなさい」と目を瞑って座禅を行っていることを、注意されました。 いつも深夜に自宅の寝室で、暗闇の中で座禅を行っているのですが、暗闇ですので目を瞑るも半眼にするのも、意識したことはありませんでした。

 和尚さんには言われたけれど、どうして半眼にしなければならないのかを、いつも座禅の雑念の中で、考えることになりました。 自分なりの結論は、半眼にするのではなく、半眼になるということです。

 胡坐を組んだ座禅では、一見静かに行っているようですが、体の内部も含めて目には見えない部分で、活発に活動しているのです。 座禅では全てを静かにする必要があるのです。 静かー力を抜くことによって、目は半眼になるのではないかと考えるに至りました。

 私達が天に還るとき全ての筋力が抜け、内臓からは大便や小便が出てきます。 そのとき当然、目も力が抜け半眼になるのではないかと思ったのです。 究極的に力が抜けると、目は半眼になるということです。

 したがって、目を半眼にするのではなく、目は半眼になるように力を抜くということになります。 座禅を楽しんでください。


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