ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

創作する場合には作為を持たない方が良いと思っているのですが

2017-09-15 02:58:00 | 自然

私は、これまでの自分の建築行為の中では、何らかの作為を持って作業を行って来ましたが、先日のテレビ放映された、こころの時代の仏師・山本龍門さんの話を聴いていて、改めて作為を持たない大切さを感じました。

山本さんは倉吉出身ですが、高校3年の秋に公務員試験で上京後、新聞記事で知った木彫師の住む滋賀県の上丹生(現米原市)に立ち寄ったのが縁で、焼杉彫刻の親方に弟子入りをされました。

欄間などの伝統彫刻を習得した過程で、京都の大仏師の松久さんがテレビで、「プロでもアマでも仏像を彫りたい人には教える」と話すのを聴いて、外弟子として本格的な仏像彫刻の基本を学びました。

外弟子は内弟子に比べると比較的に自由で、自分の思い通りに仏像を彫ることが出来、円空・木喰風の龍門流の彫り方で、1年で千体の地蔵さんを彫ったこともあったと云うことです。

そんな山本さんが友人・知人の援助のお陰で、倉吉に千体の仏像のマンダラがある集仏按を作り、そこを中心に変わらずに仏像を彫り続けておられるようです。

これから彫る木と向きあって、何らかの作為を持たずに彫り続けていると云う。 勿論、本格的な仏像彫刻の技術的なものを持ち合わせた上で、木と対話をしながら彫りあげて行くと云う。

私は子供たちが一心不乱に積み木遊びをしている過程で、できあがっていく作品が好きです。 作為がある作品の方が理解され易いものの、創る過程で思わぬものが出来上がっていく方が、楽しいと何時も感じていて、仲間たちと一緒に行う講評会では、私の意図する作品が、どちらかと云うと良い評価はもらえない雰囲気があります。 残念ながら。



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