昔から座禅は特別なもので、お寺のお坊さんがやるものだと、思われてきました。 また精神修行のためとも。 私自身が大学の級友からの呼びかけで、座禅(静功)を行って以来、宇宙の気を感じ胡座を組んだ時に感じる、宇宙の気が優しく脳を癒してくれる感覚を知ったときには、これほどまで素晴らしい喜び、至福感は、今まであっただろうかと感じたほどでした。
宇宙の叡智は、私たちのその素晴らしい感覚を味わえる人を、狭き門を作って選別しているようにも思えます。 私は座禅を始めてからは、いつも楽しむ、遊ぶということを心がけてきました。 別に何かの修行をするつもりは、毛頭ありませんでした。
いつも座禅の時の雑念の中で、この素晴らしい感覚をより多くの人に伝えるためには、どのような表現をしたらよいのだろうかと、いつも考えています。
私たちが友人達と歌を歌ったり、お酒を飲んだりゲームに興じたりして楽しみ、喜ぶと同じように、座禅は宇宙の叡智という友人と一緒に、静かに脳のエクササイズを通して、崇高な喜びを与えてくれます。 ところが、宇宙はその素晴らしい喜びを、狭き門を通過した人しか感じさせようとしません。
改めて座禅をしながら遊び、楽しむ感覚で行うことが、より狭き門をこじ開ける秘訣かもしれません。 楽しんでください。
宇宙の叡智は、私たちのその素晴らしい感覚を味わえる人を、狭き門を作って選別しているようにも思えます。 私は座禅を始めてからは、いつも楽しむ、遊ぶということを心がけてきました。 別に何かの修行をするつもりは、毛頭ありませんでした。
いつも座禅の時の雑念の中で、この素晴らしい感覚をより多くの人に伝えるためには、どのような表現をしたらよいのだろうかと、いつも考えています。
私たちが友人達と歌を歌ったり、お酒を飲んだりゲームに興じたりして楽しみ、喜ぶと同じように、座禅は宇宙の叡智という友人と一緒に、静かに脳のエクササイズを通して、崇高な喜びを与えてくれます。 ところが、宇宙はその素晴らしい喜びを、狭き門を通過した人しか感じさせようとしません。
改めて座禅をしながら遊び、楽しむ感覚で行うことが、より狭き門をこじ開ける秘訣かもしれません。 楽しんでください。
父は81歳です。父は、身長が170cmくらいありますが、体重は40キロになったといっていました。
最近叔母が骨粗しょう症で歩けなくなり、入院させてもらいましたが、退院させられるとのこと。歩けない叔母を今の父が介護できると思えず、心配がつきません。
介護認定の変更もままならず、自分でヘルパーさんを頼むと父はいいます。
兄が助けようとするものの、父や叔母にも、生き方へのこだわりがあり、中々折り合えません。
今は遠くにいて、心配するだけですが、帰国後はすぐに駆けつける必要がありそうです。
自分もいずれ行く道。。。ちょっと考えてしまいます。
すいません。
叔母さんが婚家の残らず、兄弟と住みたいと行って、marimaさんのお父さんと住まわれるなんて、なかなか出来ないことですね。
骨折して歩けなくなった母を私の家へ連れてきて、結果的に3ヶ月だけ我が家で過ごし、あとは老人介護施設、特別養護老人ホーム、病院と晩年を自分の住まいで、過ごすことは出来ませんでした。 最近になって、あの時に母を呼び寄せた方が良かったのかと、座禅の雑念の中で考えることがあります。
自分を創造してくれた親に感謝し、自分を一人前に育ててくれたことを、自分の生活の中で何が出来るか、何をするのが一番良いのかを、考える次期に来ているのかもしれませんね。
母がいなくなる直前に、夢の中でちょっと振り向いて、にこっと笑ってくれたことは、忘れることは出来ません。 どうもご苦労さんといってくれたような気がしています。
後悔しないように、精一杯行動してください。 お年寄りは水分の補給が苦手です。 水分を飲むとトイレに行かなければならないと思うからです。 でも水分を補給することによって、もう少し体力はつくと思いますが。