今では臍下丹田がいつも動いておりますので理解できますが、座禅を始めた当初は、臍下丹田は何処だろうと思いながら、体の中へ吐く息を追いながら、座禅を行なっていました。
もの本には下腹の何センチ下辺りとかの記述がありましたが、ひたすら出来るだけ長く吐く息を吐いていたのです。
いつも体の中に入っていく息を追うようにして、体の内部からしかの視点でしかなかったのですが、ある時、体の外部からーイメージで上斜め上部から見るようにしました。
下腹のどの辺りだろうかと上斜めから見ていたある日、突然、下腹が心臓のように鼓動を始めたのです。 臍下丹田が鼓動することは、全く知りませんでしたので、一瞬びっくりはしましたが、普段の座禅を通して、自然の流れに任せ自然の摂理に従う気持ちを持ち、楽しんできましたので、その心臓のような鼓動を楽しみました。
今でもそうですが、ひたすら静かに胡座を組んで、座禅を行うことが大切なのです。 何かを求めるのではなく、ひたすら座るのです。 ただし、世のため人のために、何かを祈ることは、決して悪いことではありません。
誰かから教わったことや、ものの本に書いてあることを理解・認識するのではなく、自らの座禅を通して感得することが、とても大切なのです。
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