ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

座禅は誰かから教わるものではなく自らの実践の中から感得するものと思うのですが

2019-01-19 03:40:52 | 座禅

私は長い間、自分一人で我が家で、毎日ひとり座禅を行なって来ました。 自分ひとりで座禅を行うことは、自分の生活のペースで自由に行えるからとの理由でした。

私がひとり座禅を行うきっかけは、千葉に住む大学の級友がクラス会で、今度多摩センターで気功の静功の会が開かれることになったので、自分も参加することにしたと声かけがあったからでした。

参加費も高かったのですが悩んだ挙句、結局参加して無我夢中で、中国の留学生の指導者の云うことに疑問を持ちつつ、1時間真っ暗闇の中でひたすら深呼吸の要領で、長く吐く呼吸を行なっていました。

長く吐く呼吸は前もって読んでいた、初心者の気功入門と云う本に長く吐く呼吸の大切さが書いてあったからですが。 すると1時間になる前に、頭のてっぺんにある百会が活性化して、電子の輪の帽子を被ったような状態になったのです。

それがきっかけで、それでは毎日1時間の座禅を行ってみようと、実践することになりました。 半身浴で十分汗をかいた後に、自分の布団の上で薄い座布団の上に、普通の胡座を組んで座りました。

隣の部屋では家族がテレビを見ていて、その音が漏れ聞こえる中で、部屋を真っ暗にしております。 肩の力を抜いてリラックスし、頭のてっぺんから引っ張られているように上半身を維持して、ひたすら、はじめに大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐きます。

私は幸いにも禅宗の腹式呼吸を知りませんでした。 無の理念で、はじめに息を吐き出す腹式呼吸は、自分の体験から体の自然な生理的な動きから反していると感じております。

私の場合、先に体が反応して、後から参考になる本を読んで、こういう事だったのかなあと改めて感じることが多かったのです。

よく雑念は払いなさいと云うことを聞きますが、私自身は、意識が集中する中でのふと浮かぶ雑念は、払うことなくに考えることにしました。 すると日常的な解決しなければならないような問題も、どこからともなくサゼスチョンがあり、こう考えれば良いのかと教えてくれるのでした。

私は座禅は、自らの実践を通して感得して行くものではないかと、思うのですが。



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