「天井」・・・・「天井」の発生:その由縁

2006-11-07 20:48:01 | 建物づくり一般

 過日、「踏み天井」と書いた(06.11.02 鉄筋コンクリートの「踏み天井」)。
 「天井」を別途設けず、上階の床の裏側をそのまま下階の空間の上蓋とするのを「踏み天井」または「根太(ねだ)天井」と呼ぶ。
   注 天井:上方にある「井」:「いげた」状に区画された部分、の意。
     「井」はセイ、ショウと発音。ゆえにテンセイとも読んだようだ。

 現在では、構造いかんにかかわらず天井を設けるのが普通だが、地域、材料・工法によらず、当初の建物は、屋根そのものの裏面、あるいは上階床の裏面が室内空間の上部を構成するのがあたりまえだった。そのことから言えば、「踏み天井」は、まさに空間構成の原型と言ってもよい。

 日本の木造建築について、「天井」の生まれる過程を、手近にある資料で調べてみた。
 ①の「法隆寺東院・伝法堂」は貴族の住居を移築転用したと言われるが、屋根構成材の下面がそのまま屋内の上部を構成、仏像を祀る場所に「天蓋(てんがい)」を吊るし、仏像に合うように空間の高さを調節している。
 ②「新薬師寺本堂」は、①とともに奈良時代の建物に特有の緩い勾配屋根の建物。室内は、一見①と同様、屋根構成部材表しのように見える(写真参照)。しかし、見えているのは、屋根本体とは別もの。屋根同様の(その材でも十分に屋根を構成できる材寸の)「屋根型」を実際の屋根(「野屋根」)の室内側に設けている。「化粧屋根裏」と呼ぶ。
 このことは、人びとに、建物の室内側は、「屋根裏が見えるのがあたりまえ」、という感覚があったことをうかがわせる。
 「野屋根」と「化粧」の二重にしたのは、室内側の「見えがかり」をきれいに仕上げることが容易だからだろう。

 奈良時代の上流階級の建物は、おそらく大陸伝来の工法を受け入れたものと思われるが、勾配が緩く、外から見ると視界に占める屋根の比率が小さいため、扁平に見える。また、緩い勾配の瓦屋根は、多雨の日本の気候に合わない。
 こういった点を改めるためと思われるが、屋根勾配は徐々に急になる。
 しかし、急な勾配の屋根のままでは、室内の中央部は高くなり、そのまま表すと室内空間としては大きすぎる。そこで、「化粧屋根裏」で緩い勾配の「室内用の屋根型」をつくり調節する方法が採られるようになる。
 その結果、「野屋根」と「化粧屋根」との間に空隙が生まれる。

 平安期に、この空隙を利用して「桔木(はねぎ)」を使う屋根工法が生まれる。
③の秋篠寺はその一例で、側部分の「桔木」下に設けられた「化粧垂木」は細身になり(まったくの「化粧」で、屋根の荷を支えるようには見えない)、中央部には格子組の「組入れ天井」が吊られているが、見かけは、格子が梁上に置かれたように見える(写真)。
 「桔木」が盛んになると、構造本体が天井裏に隠れて外から見えなくなることをいいことに、見えがかりだけを重視し、構造本体が雑な工事が増えたという(現在に通じるところがある)。
 こういう悪しき傾向が流行る中で生まれたのが、④の「浄土寺・浄土堂」。一般に「大仏様」と呼ばれるが、屋根そのもので室内空間をつくる、という原型に戻った方法。
 しかし、屋根そのもので室内空間をつくる、という方法は難しく、なかなか一般には受け入れられなかった(ただし、大仏様の用いた「貫」の利用は広く普及している)。

 鎌倉時代以降、屋根勾配はますます急になり(「桔木」利用も一般化)、室内をつくるために「天井」を設けるのがあたりまえとなる。
 そこで「天井」として生まれたのが「竿縁天井」。⑦の園城寺・光浄院客殿(書院造の典型とされる建物)はその一例(写真参照)。これは、人が歩むことはないが、根太の上に板を敷く床のつくりと同じ(この例では、竿縁が《床刺し》になっていることに注意!《床刺し》を忌むようになるのはずっと後)。⑥の大徳寺・大仙院も同じ。なお、これらより古い(1400年代末)慈照寺(銀閣寺)・東求堂(とうぐどう)で、すでに竿縁天井は使われている。
 
 古建築には多層建築は少ないが(楼門などには床がない)、⑤の金閣は珍しい例。この建物は、「鏡板天井(漆塗り金箔張りなど)」で、小屋組、床組が隠されている。近世の多層建築、「城郭」では「踏み天井」が普通。
 一般人の住居で多層建築が現れるのは、江戸期の町家、あるいは養蚕農家など。
 ⑧の今井町・豊田家(商家)では、一階天井は「踏み天井」(写真)、二階は部分的に「竿縁天井」。屋根裏という感じが強い(厨子二階と呼ばれる)。
 豊田家の180年ほど後の⑨今井町・高木家(商家)になると、二階が最初から計画され、一階は「踏み天井」、二階は「竿縁」。
 なお、江戸期の武士階級の住宅は、書院造の系譜。天井は「竿縁」。明治以降の都市住居へと続く(図、写真はまたいずれ)。

 以上見てきた天井は、いずれのつくりも、「天井」を「何かが支える」という形をとることに注目したい。つまり、「構造」の意識が強い。また、金閣の全面「鏡板」を除き、施工が容易(上を見上げながらの作業が不要、下向きで仕事ができる)。

 では、現在の建物づくりで、「天井の意味」は何か?
 それは、ほとんど「ボロ隠し」、あるいは、「本体隠し」。壁までそうなってしまったからか、まともに「空間と構造の関係」について考えることが少なくなっているように見える。
 見えないところはどうでもいいや、という風潮を助長してはいないだろうか。
 

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