日本の建築技術の展開-16・・・・心象風景の造成へ・1

2007-04-27 13:30:33 | 日本の建築技術の展開

 先に、鹿苑寺・金閣について触れた。しかしそれは、工法の視点に限ってであった。
 たしかに、金閣の建設は、実用の多層建築の具現化として、工法面で高く評価できるのだが、同時に、金閣をつくるにあたっては、それまでとはまったく別の思考が基にあった、と考えることができる。

 それは、単に建物を見る、あるいは視る対象としてではなく、見ること、あるいは、そこに在ること、によって心のうちに生じる感懐、「心象」を重視したつくりかた、と言ってよい。
 現在金閣は、その華麗な建物を「眺める」ことが主になっているのだが、当然、つくった立場では、外から眺めるだけが目的ではなかったはずである。そうであるならば、何も二層、三層に床を張る必要もなく、古代同様の方式で十分だからである。

 上層を実用に供する建物は、すでに鎌倉時代末から南北朝(室町前期)に、禅宗寺院の建物に存在していたようで、実物はないが、図や絵として残されているという。
 また、「自然の一画を建物として囲いとる」つくり方・考え方、普通の言い方をすれば、いわゆる「庭」を考えながら「建物」を考える建て方も、「山水:自然の中において生きることを通じて人格を形成する」という禅宗の思想の影響が強いという。
 その典型として、いわばモデルとなったのが「西芳寺(通称「苔寺」)」。「西芳寺」は、後醍醐天皇と近く、後に足利尊氏が帰依した南北朝期の臨済宗の僧:疎石(そせき:夢窓国師)のかかわった寺。そして、足利義満は、「西芳寺」にならい鹿苑寺の前身、北山殿を営んだのである。

  註 西芳寺は、かつては修学旅行も訪れる「名所」だったが、
    苔の疲弊を避けるため、現在は拝観が許可制になっている。

 ややもすると武骨と思われる武士階級に禅宗思想がなじんだ、というのは不思議な気もするが、納得できるような気もする。

  註 建物に金箔を張る発想には、禅宗思想に共鳴する一方、
    権勢誇示欲も未だ捨て切れなかった義満の
    率直な気持ちのうちが垣間見えるように、私には思える。


 おそらく、空間にいて自ずと生じてくる心象を、空間造成、建物づくりの基幹とする考え方が芽生えてくるのは、室町前期:南北朝頃からで、私は、この時期が、単なる「視覚風景の造成」から脱して、「心象風景の造成」へと、建物づくりの意識が変る重要な転換期ではないか、と考えている。

 中世から近世にかけての建物づくりを、工法・技術だけではなく、このような視点も含めて触れてみたい。
 
  註 現在は、「心象風景造成」よりも、もっぱら「視覚風景造成」に
    夢中になっているように思える。
    だから、私には、「景観法」などというのは茶番に見える。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の建築技術の展開-余談... | トップ | 日本の建築技術の展開-16 ... »
最新の画像もっと見る

日本の建築技術の展開」カテゴリの最新記事