日本の建築技術の展開-26・・・・住まいと架構-その3:上屋+下屋方式からの脱却

2007-05-22 11:11:02 | 日本の建築技術の展開

 霞ヶ浦は、地図で見るとY字型、頭をやや北西に傾けた「ざりがに」のような形をしている。その形を形成する半島様の一帯は、標高25m程度の段丘と谷地田が交互に、しかも複雑に入り組み、一帯は肥沃な土地。縄文期までさかのぼる住居址はもとより、古墳も多数ある。つまり、古代以前より人が住み着いた土地。
 その一角にあるのが「椎名家」である。農家だが、牧畜(馬?)などもやっていたらしく、また村役も務めていたという(ゆえに「げんかん」がある)。

 建設は「箱木家」や「古井家」からおよそ1世紀後。
 この建物の工法は、「上屋+下屋」方式の架構からすでに抜け出している。
 屋根は「上屋+下屋」方式同様、中央を「又首」で組み、その先に垂木を掛け下す方式だが、「又首」部分の載る「陸梁」を支えているのは、かつての「上屋柱」ではなく、「繋梁」上に設けられた「束柱」である。つまり、「差物」を自由自在に扱えるようになっていたと考えてよいだろう。

 「繋梁」は外側では柱に「折置」、内側の柱の仕口は「枘(ほぞ)差し、鼻栓」である。「ひろま」と「ざしき」境の鴨居は「差鴨居」、この仕口も「枘差し鼻栓、もしくは割楔」である。「足固め(大引を兼ねる)」の柱との仕口も同様。

 「差物、差鴨居」の柱との仕口は、後の世には、一般に、もっと手の込んだ仕口が使われるが、ここで使われているのは、柱へ横架材を確実に固定するという目的を達する最もシンプルな方法、と言ってよい(金物の補強などしなくても十分丈夫かつ確実で、今でも使える)。
 なお、横架材を柱に「折置」とする方法も、現在はあまり好まれていないが、今でも使える確実な仕口で、これも金物の補強など必要ない。

  註 同じ頃、関西の町家では、
    より確かに横架材を柱に固定するための技法が
    考案されている(現在も使われている「三方差」や
    「四方差」の多用。これについては近く触れる)。

 なお、「ざしき」と「げんかん」の境は、「薄鴨居+付長押」(内側に「貫」)方式である。武家の建物のつくりかた、つまり「書院造」の影響である(「げんかん」から「ざしき」へいざなわれるのは、村々を見まわる武士である)。
 そして、「薄鴨居+付長押」の形に倣うべく、先ほどの「差鴨居」は、やむを得ず一木から長押型を彫りだしている。こういう例は結構あるらしい。

 写真で分るように、小屋組部材の寸面は、全体に細身である。「民家」は骨太だ、というのは明らかに「誤解」であると言ってよい。

 上掲の図および屋内の写真は「日本の民家 1 農家Ⅰ」より転載。なお、図については説明を加筆した。

  註 これまで紹介の事例には、撮影不可の場合を除き、
    自分で撮った写真もあるのだが、プロの腕前にはかなわず、
    資料がある場合には、転載させていただいている。
    ご了承のほどを・・

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の建築技術の展開-25... | トップ | 日本の建築技術の展開-27... »
最新の画像もっと見る

日本の建築技術の展開」カテゴリの最新記事