筑波第一小学校の体育館建設用地は、急斜面で転石だらけだった。そこで、基礎工事が簡便で済む木造とすることになった。通常ならトラスを使って容易に屋根を架けることができる。しかし、用地が傾斜地のため高さ制限(13m以下)により、室内の高さが足りなくなる。
そこで採用したのが、先日紹介した「猿橋」や「愛本橋」で使われていた工法だった。これなら、高さを十分確保できる。
図の左側は当初案。一段目の「桔木」は10.0×5.0寸の材を@93.0寸で据え、5.0角の「枕」を@60.0寸で掛け、その上に二段目の「桔木」8.0×5.0寸@93.0寸を架ける。同様に5.0寸角の「枕」を掛け三段目に5.0寸角を架ける。三段目の「桔木」~「桔木」間に、5.0×2.5寸の垂木を三段目の「桔木」と天端そろいで@15.5寸で掛ける。
この組み方でつくった模型が左側の写真。
これに対して、施工を担当した棟梁の提案で実施したのが右側の図。
それは、直交する「枕」を設けず、合成した「梁:桔木」を@31.0寸で掛け並べる方法。梁相互は、厚1.3寸の斜め張りの野地板で固めるだけ。
出来上がった室内の姿が右の写真。1987年の竣工。
1年後、軒先に「雪止め」を付けることになった。「雪止め」は、保全のことを考え、対候性鋼で設計(丈250のC型鋼を平板で垂木に取付け)。
取付けのために現地を訪れると、軒先が予想以上の激しい不陸。
不陸は「桔木」ごとに違い、規則性はなく、荷重ではなく、大断面の「桔木」それぞれの狂いにより生じたものと思われた。
可能なかぎり強制的に正し、ようやっとのことで取付け。
今はC型鋼の「雪止め」で隠れているが、目線を軒先にもってゆくと、まだ相当の狂いがあることが分かる。
しかし、剛性の強いC型鋼で軒先が固定されたため、その後、18年経った今も、それ以上の変形は免れている。怪我の功名とでも言うべきか。
そして、この経験ではじめて、かつての工人たちが、「登り梁:桔木」を「枕」を介して重ねていった理由、また、浄土寺・浄土堂や東大寺・南大門で、垂木の先端に「鼻隠し」を取付けた理由、に思い至った次第である。
おそらく、「桔木」一本ごとに異なる捩れや狂いは「枕」との接点で相殺・吸収され、そして「鼻隠し」が「桔木」の先端の動きを止めるからだと考えられる。
写真・図は「建築文化」1987年5月号、「住宅建築」1987年7月号からの転載です。