建物をつくるとはどういうことか-6・・・・勘、あるいは直観、想像力

2010-11-09 11:49:35 | 建物をつくるとは、どういうことか
[文言訂正 15.20][文言追加 15.33]

◇「勘違い」・・・・「勘」による判断は誤まりか?

たとえば「東海道線」。知らない人はまずいない太平洋沿岸沿いに関東:東京(駅)と関西:神戸(駅)を結ぶ鉄道幹線。

では、西、つまり神戸方を向いて、東京駅の右手側、左手側は、方位で言うとどちらを向いているか?
同じく名古屋駅の右手側、左手側は?

多分、東京駅、名古屋駅を日常的に使っている人は、正しく方位を言い当てることができるでしょう。

私の場合、東京駅はある程度使うことが多いので、右手すなわち丸の内側が西、八重洲側は東にあたることは分る(ただ、八重洲側が大きく変った今は、多分駅構内では迷子になる)。

しかし、私は名古屋駅は日常的には使いません。名古屋市内も知りません。

一度、所用で名古屋を訪れたときのこと、用事まで時間があったので、街中を歩いて見る気になり、右手側の改札を出た。右手側に出たのは、街の中心はその方向であるらしいことが案内板で分ったから(案内板には、方位は示されていなかった)。

私はてっきり右手側の改札口は「北を向いている」と「理解」し(つまり、北側に出たと「理解」し)、それを「手がかり」に「適当に」歩いた。
多分、そっちに行けば名古屋城があるはずだ・・という程度。そう判断したのは、名古屋の北部に城があることは「何となく知っていた」からです。

けれども、しばらく歩いても、城は見えない。しかも、電柱に貼り付けてある地名表示も何となくおかしい。「〇〇東」などと地名に書かれている方位が、私の「理解」と喰い違うのです。
そうこうしているうちに、しばらくして、私は北に向って歩いているのではなく、東に向いていることに気付きました。

そうなると出直し。
そのときの出直し地点は、駅。途中に、先回触れた「前進基地」を築けていなかったからです。そのときの名古屋の街筋は、私にとって「のっぺらぼう」な街だったわけ。

駅に戻り、そこであらためて案内地図を見やり、東海道線は、名古屋では南から入ってきて北に抜け、岐阜に至ることに気付いたのです。

では、なぜ、私は「右手は北だ」と思い込んでしまったのでしょうか。

もちろん、日本列島の姿・形は、あらかた頭に入ってはいます。
ただ、鉄道の位置まで、その路線の曲折まで、頭に入っているわけではなく、大雑把に、東海道線は、その日本列島の「東西を結ぶ」鉄道、という程度の「理解」が頭にあるだけだったのです。
それは、たとえば、東北線は、東京と列島北端を「南北に結ぶ」鉄道、という「理解」と同じです。
そして、この「理解」が、私が方位・方向を取り違えてしまった原因なのです。東西に走る鉄道で、西に向って右側は北である、という「論理」による「理解」。

では、この私の「理解」は、間違っているのでしょうか。

その当否は一概には言うことはできないのです。
簡単に言えば、正しくもあり、正しくもない、のです。

つまり、非常に大きな捉えかたをするならば「右手は北」と見なすことは「正しい」、「間違っていない」。
けれども、詳細に見れば「正しくない」、「間違っている」。[文言訂正 15.20]

逆に言えば、ものごとの「理解」は、局面に応じて異なって当然、ということになります。

そして、これがきわめて大事なことだ、と私は思うのですが、
このように、私たちは、「新たなもの・こと」に当面したとき、常に、その「新たなもの・こと」について、「勝手な」「想像」を描きつつ「行動する」のです。
そして、その「想像」は、「事前に得ている各種の情報:データ」が基になっているのです。
ただし、その「事前に得ている各種の情報:データ」は、「当該の『新たなもの・こと』についてのものではない」ことに、留意しなければなりません。

では、それは何だ?
それは、私が、その「新たなもの・こと」に当面するまでの「多様な経験」からの「類推」にほかなりません。
「事前に得ている・・」とは、そういう意味であって、「新たなもの・こと」についての案内書などで知った、あるいは人から聞いた、という類の情報・データのことではありません。

   ときには、「案内書」を見て、それに従い行動することもありますが、
   そのときでさえ、
   「案内書」から得ているものが、私の中に「姿」をもって捉えられているわけではありません。
   私が私の中に描く「姿」は、それさえも「想像」の成せるものなのです。
   「案内書」の中には、ときには「写真」もあるかもしれません。
   しかし「写真」と「実際」を比定するためには、そこでも「想像」が必要になります。
   第一、そのように「案内書」と首っ引きで街を歩くとき、それは自分の目で街を観ているのではなく、
   「案内書を懸命になって比定している」に過ぎないのです。つまり、
   「案内書」が、事実に合っているか、を確かめているようなもの。
   それにいかほどの意味があるでしょうか?
   それでは、(自分の目で)「街を観ていない」、ということ。
   私は、かねてから、何かを見に行くときは、最初は案内書を持っていてもいいが、
   二度目以降は見ない方がよい、と言ってきました。

   カメラも持たない方がよい、カメラを持っていっても、
   カメラを構えるのは、最後にすべきだ、とも言ってきました。
   これも同じようなこと。
   「自分の目でものを観る」ための必須条件。  

つまり、「多様な経験」すなわち「経験の積み重ね」により、私たちは、自らの中に、「ものの見方」を「養っている」「培っている」のです。そしてそれが、一つの「想像」として結果するのです。私はそのように考えています。

それをして、「事実」と喰いちがっているがゆえに間違った「想像」だ、と言ってその「想像」を否定、批判するのは、それこそ『間違い』です。「想像するということ」を否定してはならないのです。

別の言い方をします。
「想像して描いたもの」、それは「仮説」と言ってもよい。
「仮説」を「もの・こと」:実際の事象、現象と付き合わす。事実・現象と食い違う。
「仮説」が妥当でなかった。だからと言って「仮説を立てること」を否定してはならない、ということです。

別の例を出します。
人にもよるとは思いますが、次のような経験はありませんか?
ある土地に出向いて、宿泊先に到着したのは、夜になっていた。疲れていたので、部屋に着いて早々に寝付いた。
翌朝、朝日が差し込んでいたので、カーテンを開けて外を見た。そしてそこに、「想像外の風景」を見た。
なにが「想像外」か。
前夜、部屋の窓の外には、「かくかくしかじかの風景」が広がっている、たとえば山が見える、あるいは海が見える・・・はずだ、と「思い込んでいた」からです。
私の場合、窓の外に、建物の裏手の雑然とした場所が目の前にあって驚いたり、あるいは海だと思っていたのに山側でびっくりした・・など、かなりの数の「想像外」を経験しています。

このときの私の「事実と符合しない」「勝手な」「想像」は、それはすなわち、すでに触れてきた「そのときの私の『定位』作業」にほかなりません。

もしも、翌日、カーテンを開けることなく部屋を出て、帰途についたならば、私の中には、「部屋の位置」についての「間違った理解」がそのまま残っているはずです。しかし、それは、翌日の行動に何らの差し障りにもならない。その日はその日で、「新たな想像」で一日を過ごすのです。

そして、もしもその地に長く居ついて仕事をするような場合には、私は、その「間違い」を徐々に修正し「事実」に近づくことになるはずです。
これが先回触れた「私の世界」が「点から線、そして面」へと広がってゆく過程にほかなりません。

この場合もまた、私の「間違った理解」「間違った想像」を理由に、「想像すること」自体を否定してはならないのです。
これは、「『思う』こと」と「思う『こと』」とを混同してはならない、ということです。『こと』が事実に合わなくても、それを『思う』ことを否定してはならないのです。

   ところが、ものの見事に、「方位」まで「正しく」指摘できる「特技」のあるかたもいます。
   以前このブログで紹介した「小坂鉱山」について調べた和泉恭子氏は、その特技の持ち主でした。
   どこに行っても、ちゃんと、こっちが北、と言えるのです。
   彼女は日本有数の世界に通用するパラグライダー選手だった。
   それを可能にしたのも、この「特技」だったのかもしれません。
   残念ながら、1998年、32歳で不慮のパラグライダー事故で急逝。

以上書いてきたことは、私たちが日常的に行なっている「定位作業」の実相の一つです。
そして、私たちの「定位作業」は、私たちの目にする、あるいは遭遇する「もの・こと」を基にしての私たちの「想像」に依拠しているのです。

この「想像」は、別の言葉で言えば、「勘」というものだ、と私は考えています。あるいは「直観」と言ってもよい。
つまり、私たちは、日常的に、意識はしていませんが、「勘」あるいは「直観」を働かせて行動している、別の言い方をすれば、「仮説」を立てつつ行動している、ということができるのです。
   
   「勘」や「直観」は、多くの現代の《科学的であろうとする》人びとが、《非科学的》として「忌み嫌う」語・概念です。
   「仮説」と言うと、《科学的であろうとする》人びとでも、さすがに文句をつける人はいないでしょう。
   ただし、「仮説」でなく、「事実」に基づいて行動せよ、と言うかもしれませんが・・・!
   では、「事実」は、どのようにして認識されるのか?「分る」のか?


下の図は、1990年代、駅や車内でよく見かけた東京の地下鉄路線図です(今は別の表記の図になっているようです)。
この図は「日本地図センター」発行の1991年の手帳に載っていたもの。
駅や車内で見たのと少し違うようにも思えるのですが、類似のもので手許にあったのはこれだけだった・・(当時のJTBの「時刻表」にもあったと思いますが、手許にはない)。 



これは、元はロンドン地下鉄かイギリス国鉄の路線図を模倣したものであったように記憶しています。
要は、複雑な路線網を、横線、縦線、そして45度(135度)に振れた線で構成されるグリッド上に整理して表記しようとした「グラフィックデザイン」の「成果」。それはそれで見事な成果です。
記憶では、ここに掲載の図よりも、もっと図柄は綺麗で格好よかったように思います。

しかし、「図柄が綺麗である、格好よい」ことと「分りやすさ」は、必ずしも一致しないのです。
さらに言えば、綺麗に「整理する」ことは、必ずしも「分りやすくなる」ことにはならないのです。

そもそも、「路線図」は何のためにあるのでしょうか。
言うまでもなく、それは「案内」のためです。

では、「案内」は、誰への「案内」か?
それは、「知らない人」への「案内」。「知っている」人は「案内」不要。
それでは「案内」とは何か?

それは、「ある人」が「ある所」に行こうとしている、それを「支援する」ことです。
当然、その「ある人」は、「ある所」に「初めて行こうとしている人」です。
「ある所」へ一度でも行ったことのある人には、「案内は必要ではない」からです。多少迷うことはあるかもしれませんが、何とかなるはずだからです。

では、「初めて行こうとしている人」は、何を支援して欲しいのでしょうか。

それは、自らの「定位」のために、自らの「想像」「勘」を働かせるにあたって「効果のある」支援です。
たとえば、駅を出たらどちらに向いているか、それが「事実に即して知らされる」、そういうことが分ることです。改札を出て、方向が間違っていないか、ということです。
先に掲げた「路線図」は、その援けになるでしょうか?
残念ながら、支援の足しにはなりません。

例えば、「上野」駅。この図では、東京から上野に向ったとき、右手は「南」になる。この図を見た人は、上野駅の右手は南側だ、と思ってしまってもおかしくない。しかし、実際は、右手は東側なのです。
そう思い込んだ人が、自らの「理解」を訂正するには、私が名古屋で駅に戻ったように「出直し」が必要になるはずです。そしてその因は、この「路線図」。
つまり、この路線図は、「誤まった」「情報」を伝えてしまうのです。
他の駅についても、多分、多くの「誤解」を「伝えて」いるはずです。
結論を言えば、この「路線図」は、「必要とする案内」には、なっていない、のです。

なぜそうなるか。
その原因は、「横線、縦線、そして45度(135度)に振れた線で構成されるグリッド」に整理することに「熱中した」あまり、「実際の位置関係を無視してしまった」こと、にあるのです。
と言って、私は、このグラフィックデザインを間違っているとして批難しているわけではないのです。
なぜなら、この図を作成したデザイナーも、先回の「建物をつくるとはどういうことか-5 の追補・・・・設計者が陥る落し穴」で触れた「落し穴」に落ちただけに過ぎないのです。
このような図に整理するには、いわば徹底的に各路線を頭に叩き込まなければできません。それは大変な作業です。
ところが、全体を徹底的に頭に叩き込む作業に没頭しているとき、図の目的を忘れてしまう、別の言い方をすれば、いつの間にか「適確に整理すること」に目が移ってしまっている、からなのです。
それは、建物の設計者が、全体を俯瞰した絵:「平面」のスケッチを描いているうちに、初めてその建物に接する人も、設計者と同じように全貌が分る、と思い込んでしまうのと同じです。

地下鉄をふだん使い慣れている人は、路線図を見ないはずです。
もし見るとすると、乗ったことのない路線に乗ることが生じたとき(たとえば、何かの会の案内に、乗ったことのない路線の〇〇駅で下車、とあるようなとき)、自分のふだん使っている路線から、どう乗り換えたらよいか知る、そういった場合のはずです。
そのとき、「自分のふだん使っている路線」は、自分の定位の「前進基地」になるわけです。
問題は、初めて乗る場合なのです。つまり、「おのぼりさん」相手の場合。
これがきわめて難しい。特に地下鉄は難しい。路線そのものが「目に見えない」からです。これが、地上の鉄道なら、もう少し何とかなる。   

かつて、東京はもちろん大きな都市には路面電車、いわゆる市電が走っていました。東京や京都の場合、まさに四通八達。大体、どこへでも市電で行けた。
これがきわめて分りやすかった。
ところが、市電がバスに代替されてから、代替バスが同じ行程を通っているにもかかわらず、まったく分らなくなったのを覚えています。外には、以前と変らぬ風景が見えている、しかし、どこを通過中なのか、「見えなくなった」のです。

いったい、市電のときは、何を見ていたのか。
風景だけではなく、「線路」を見ていたのです。
詳しく言えば、道路上に敷設されているレールを基に、頭の中に「路線図」が描かれていたのです。その「路線図」は、「レールのある街路風景」と言った方がよいかもしれません。自分の乗った市電の「航跡」が、「レール」として、いつまでも消えずに残っているのです。
乗り換えの停留所なども、そこには描かれている。だから、どこそこに行くには、あれに乗って、どこそこであれに乗り換える、・・・といったことが即座に「目に浮かんだ」のです。
残念ながら、バスでは、こうはゆかないのです。「航跡」が残らない、見えないからです。

地下鉄に於いてはますます分らない、それがあたりまえ。だから案内もまた難しいのです。

最近の地下鉄案内をネットで確認してみました。だいぶ変っていましたが、それでも「おのぼりさん」の目でみると、やはり分りにくい。
案内図としての「地下鉄路線図」は、グラフィックデザイナーにとって、いわば「永遠の課題」なのかもしれません。

   ちなみに、私は初めて訪れる場所に行くときは、極力「航跡の見える乗り物」を使うことにしています。
   「安心して」いられるからです。
   初めての人を案内するときも同じです。どんなに地下鉄の方が早くても、「見える乗り物」の方が、
   その人の中に、「確実なデータ」が残るだろうと思うからです。

さて、ここまでくだくだと書いてきたのは、
私たちは常に自らの「定位」を行なうことによって行動を維持している、
そして、
その「定位」は、先ず以って私たちの「勘」によって為されているのだ、という重大な事実を確認しておきたい、そのためでした。

今、私たちは「勘」あるいは「直観」を馬鹿にしている気配があります。
多分それは、「この科学の時代に『勘』だなんて」という non scientific な考え方が広く流布しているからだ、と思えます。

先に書きましたが、「勘」とは「想像すること」であり、硬い表現で言えば「仮説を立てること」に他なりません。
裏返して言えば、「仮説」は「想像」しなければ生まれず、「想像」は、私たちの内に蓄積された経験を基にした「勘」「直観」に拠る以外にないのです。
残念ながら、私たちは、「想像すること」に臆病になっている、それぞれが備え持った「勘」を封じ込めようとしている、そのように私は思います。
  
このような話が、なぜ「建物をつくること」と関係あるのか、と問われる方もおられるでしょう。
しかし、ここまで書いてきたことのなかに、なぜ係わらなければならないか、その理由のいくつかは、すでに示されているはずです。


今回の最後に、これも「日本地図センター」の1991年版手帳にあった「鉄道路線図」を転載します(関東から中部の一部が載った部分)。これもJTBの「時刻表」にあるものと同じはずです。
頁の版面のなかに、路線と駅名をすべて表記しなければならない、それゆえこのような形になったのだと思います。これも苦労の成果。
この図もまた「分析」対象としてはなかなか面白いのです。
路線が曲って書かれているところは、実際もそうなっている場合(それには、曲る理由がある)と、たくさんの駅名を書き込むためにやむを得ず線を長くした場合、とがあるようです。[文言追加 15.33]
実際の地図と対比してご覧ください。


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