建物をつくるとはどういうことか-12・・・・建物をつくる「作法」:その2

2011-01-10 21:25:45 | 建物をつくるとは、どういうことか
年を越して、先回の続きです。長くなりそうですが、よろしく・・・。

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[語句追加 12日 19.00][註記追加 12日 19.06]

先回、原地形図を推定してみた土地を、定住地にしようと決断した人たちは、どこに最初の拠点を設けたでしょうか。
もちろん、この人たちの場合、現在のように、ここからここまでが敷地、という「縛り」はありません。
あったのは、多分、「この辺り」という感覚。これは、まったく純粋に、そこに既存の地物のつくりだしている空間そのものに接しての判断のはずです。

彼らは突然通りすがりにこの地を見て即座にとどまることを決めた、とは考えられません。何度か下見をしているはずです。
とりわけ、農閑期:冬は、樹林も透けて見通しがいい。そのころに見定め、準備をしてこの地にやってきた、そう考えられます。

彼らが見たとき、一体はどんなであったか、勝手に地表の様子を想定して見ました。
丘陵上は広葉樹、針葉樹が入り混じり、裾には潅木、蔦のたぐいが生い茂り、そして前面の低地は葦原。
林の中には、いく筋ものけものみち、葦原には水鳥たちが群れ、空には鳶が輪を描いている・・・。



彼らは、どこに建屋をつくろうと考えたでしょうか。
もちろん、その建屋も、現代風に部屋がいくつ・・・、などというものではありません。それまでも暮していたであろう、草葺き(茅葺き)の「一つ屋根」の建屋。大体大きさも形も決まっている。当座暮せて簡単につくれる大きさであたりまえの形(多分、寄棟型)。
その意味では「とりあえず」の建屋。

彼らには、その建屋を建てたとき、まわりにどのような空間が生まれるか、多分見えていた。隅々まで、想像できたに違いありません。
そのあたりは、現代人よりも感性が研ぎ澄まされていたはず。なにしろ、毎日、「自然」の(空間の)中で暮してきたのだから。
   
   これは、言ってみれば、テントをかついで山に入り、その日の宿営地を決める、その感覚と言えるでしょう。
   ここが宿営地、と決められているわけではなく、自ら場所を探して決めなければならない場合です。
   最近、決める「感覚」が衰えている、つまり、まわりを観ることがヘタになっている、
   という話を聞いたことがあります。

たとえば、建屋の北側。どうしても、建屋の影になる。建屋と既存の山肌でつくられる「狭間」、その醸しだす「雰囲気」も、十分に知っている。だから、山肌と「ころあい」の「空き(あき)」をとったに違いありません。
適切な「空き」がなければ、そこは陰湿で、何ものかが潜んでいる、と思いたくなる場所になってしまう・・・。そういう経験があるから、「ころあい」が分っているのです。

つまり、建屋のまわりに、新たな建屋と既存の地物との「共同」により生まれる新たな空間を「見定める」のです。
そういう「心積もり」を咄嗟に行い、おそらく、地形上の「潜み」の最奥ではなく、その「潜み」の感覚的に見て「重心」になる位置に場所を定めたはずです。
彼らには、建てる位置の選択は、比較的容易な「作業」だったと思われます。

   私は、建物づくりの「素養」として、
   いわゆる「造形」の「センス」よりも、先ず、
   このような、「場」が人に抱かせる「気分」を嗅ぎとる「感性」「習性」を、
   身に付けること、身に付ける学習をすること、が肝要ではないか、と考えています。
   「造形」を生み出す「根幹」としての感性です。
   これは、幼い子どもなら大抵持っている感性。
   大人になればなるほど、どこかに捨ててきてしまう感性・・・。
   捨てるまではしなくても、気付かなくなる、忘れてしまっている感性・・・。
   もっとも、もしかすると、最近は子供たちは、いっぱしの《大人》化しているのかも・・・。

   ここまで書いて、私は学生時代を思い出しました。
   その頃、「気分」だとか、空間の「雰囲気」などということは、口に出すことさえできなかった。
   偏狭な《唯物論》が蔓延していたからです。実は、数値至上主義はその延長上にあるのです。
   そのとき私を勇気付けてくれた書の一つが、S・K ランガー著「シンボルの哲学」(岩波現代叢書)。
   「思い描く」:conceive ( concept :「概念」の母語)とはどういうことか、
   「ことば」とは何か、・・・私の「悩み」を取去ってくれたのです。
   
   今も出版されているかどうかは不詳です。[語句追加 12日 19.00]


前にも書きましたが(下記)、原初的な住まいの空間は、「一つ屋根」で出入口が一つ。つまり「ワンルーム」。

  http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/4144be4e6c9410282a4cae463e3d42a3

そして、出入口は、多くの場合、と言うよりほとんどが、南側に向いている。晴れた昼間なら、僅かにそこから陽が差し込む。

   あくまでも日本での話です。
   乾燥地域なら、立派な屋根を被っていなければならないわけではない。
   それは、以前、中国西域の住居の紹介で触れました(下記)。
    http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/96fa99810f1b340e57b5b01db1b38e7b [追加 12日 19.06]

これは、大方の建屋が草葺の時代の話。
もし現代だったら、彼らはどうしたでしょうか。

やはりそのとき、彼らは、この地に建てる建屋の姿、こうあった方がよい、と思われる建屋の姿恰好を、即座に思い浮かべたに違いありません。
なぜなら、彼らなら、この地に建てるには、材料は何がよいか・・・、判断できたはずだからです。
彼らの感性なら、材料の特性を見分けることなど、朝飯前。
何せ、机の上ではなく、地べたの上で考え、蓄えてきた知見は並大抵のものではないはずだからです。
なぜなら、そうしなければ、暮す、と言うより、生きてゆくことができないからです。
そしてそれこそ、「今の」現代人に欠けている「能力」。

   いろいろな場面で、この頃、小中学校で、工作の授業があるのかどうか尋ねると、
   どうやらないらしい。
   私は子どものころ、木材でいろいろなものをつくった記憶がある。そして、ちゃんと塗装もかけた。
   そういう工作を通じて、木の特性、鋸の曳き方、釘の打ち方・・・などはもちろん、
   材料の組み方:どうすると強くなり、どうすると壊れやすいか・・・なども「実感」として身に備わった。
   これはそれこそ「地べたの上」の学習。
   机上で得る知識、人に口頭で教えられる知識・・・とは雲泥の差。

   だから、「実物大実験」で揺さぶらないと「分らない」、と言う方がたも、
   下手でもいいから自ら加工して(大工さんに頼まないで)組み立てるならば、
   どうすると弱くなり、どうすれば強くなるか、材料にどういう具合に力が伝わるか・・・体感でき、
   実験台で揺さぶらなくても「理解できる」はずなのに、と私は思っています。
   そうしてから「理論化」しても遅くはない。

ところで、これがきわめて大事なことなのですが、
こうして建屋の位置を定めるとき、彼らは、好き勝手に目の前の地物を扱ったわけではありません。
当然のことですが、そこに住み着くには、伐採しなければならない樹木もあったはずです。けれども、その伐採は、決して現代のような皆伐ではなかった。

もちろんそれは、現代のような機械・道具がなかったためにできなかった、そういうわけではありません。
そういう道具があったとしても、そういうことは彼らはしなかった。
なぜか。
それら地物は、彼らとともに在る親しい「友だち」、「心を許しあえるものたち」、言うならば、そこに暮す人びとと地物は、「一人称の世界」にいたからなのです。
これが、現代との大きな大きな違い。
木を伐ったり、建屋を建てるにあたっては、かならず「許し」を請うていたのです。
その形式的名残りの一が、今では単なる安全祈願と見なされることの多い「地鎮祭」。

この「一人称の世界」にいる、という認識こそ、人びとの当たり前の所作だったのです。
つまり「作法」。 

   先日、秩父の山深い村で、かつて自ら営々として築きあげた、しかし今は耕作をやめざるを得なくなった段々畑に
   いろいろな花木を永年植え続けている高齢の農業者のご夫婦の話をTVで観ました。
   「道を行き交う人たちだって、その方が楽しいでしょ」、それが花木を植え続ける理由。
   それを観ながら、私は「多摩ニュータウン」の建設時の光景を思い出していました。
   あの一帯は、多摩丘陵として永年親しまれてきたハイキングコースがいっぱい。
   小学校の頃、よく行ったものです。野猿峠、なんていうところもあった・・・。
   そこで為されたのは、樹木を伐採しつくし、丘を削り、谷を埋める・・・、まさに現代的「開発」でした。
   そういう場合にも、地鎮祭は行なわれる・・・。虫がいい。

以上は、地物だけの空間の場合。

まわりに、地物のほかに、すでに「人為の空間」があるならば、どうするか。
つまり、現在のように、「敷地」という「縛り」がある場合の話です。
「敷地」には、ここからここまで、という範囲があり、周辺には地物もあれば人家もある。

こういう所に居を定めようとするときも、往時の人びとなら、その為すことは、基本的に変りはないはずです。
すなわち、「そこにある全て(地物、人為、人びと・・)とともに「一人称の世界」にいる、という「認識」には変りはない。

たしかに、自然界だけの場合にはなかった「自分以外の人びとの暮し」がそこにはあります。
けれども、その場合でも、彼らの為すことは、本質的に、対自然・地物と同じなのです。
何かをする以上、対自然・地物と同じく、「許し」を請う必要があるのは当然だからです。

ただ、現代、というよりも現在:最近、それをしなくなっただけ。
往時の人びとは、自らの所有の土地の上であっても、私権よりも先ず「一人称の世界に在ること」を第一に考えたのです。
そうしなかったら、その地で暮せないではないですか。

「現在の慣習」で、ものごとを見てしまうのは誤りです。
というより、その「慣習」では、往時の人びとの所作は理解できないでしょう。
彼らは非合理的だ、などと思うのはもってのほか。彼らの方が真の意味で「合理的」である、そう私は思っています。

   最近の流行言葉に「孤独死」「無縁社会」「絆」・・というのがあります。
   なぜ、こういう言葉が流行るのか。

   私は、その根に、建物や都市に係わる方がたの「無思慮」がある、と思っています。
   彼らが「そういう街」にしてしまったからなのです。
   かなり前に、阪神・淡路地震後の「復興」によって、路地が巨大な道路に拡幅され、
   路地で為されていたご近所付合いをなくさせた「都市計画」の話を書きました。
   また、目の見えない方が、
   「復興」でなされた「区画整理」で、街がさっぱり分らなくなってしまった、という話も紹介しました(下記)。
   あれもこれも、そういうことを推し進める人たちに、
   私たちと私たちのまわりの空間との関係についての「認識」が欠如しているからだ、と私は思います。

    http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/d47097a3494ceec540ed351a5af923c7
    http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/5b5b07639df7d272f95aa662563b80f1
    http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/f8ef77f2085412cf444490064b27f8f2


このように考えるのならば、
今、人びとが為すべき「所作の在り方」、「作法」は、
往時の人びとが為してきたそれと、何ら変りはないのです。変るわけはないのです。
きわめて、簡単なこと、容易なことではありませんか!

それとも、変らなければならない、変えなければならない、「何か」があったでしょうか?


ここまでお読みの方の中には、なぜ、想定するのが「一つ屋根」の「ワンルーム」なのか、という疑念を抱かれる方が大勢居られると思います。
「住まい」とは「室:部屋」の集合体、それに「形」を与えるのが設計である、とお考えの方が多いのではないか、と思われます。そう教えられてきたからです。

たとえば、住宅にかかわる広告の《指標》自体、〇LDKなどというのが当たり前です。あたかも、「室:部屋」の数が「住居の価値」を決めるかのようです。

   下は、最近のタウン紙にあった広告。
   

   敷地が狭いのに(170㎡:50坪強!)、部屋数を「追求」するため、部屋の大きさは小さくなります。
   これは、まだいい方です。
   なお、「住まいの原型」で示したA~Cゾーンで、この住まいを仕分けてみてくださると、
   最近の「設計思想」「住まい観」が見えてきます。

これは、戦後の公営住宅の「計画」の「指針」のなせる結果なのです。
もう知っている方は数少なくなっていると思いますが、公営住宅の計画にあたっての「目標」に「食寝分離論」というのがあった。
要は、食事をした場所で寝る、などという暮し方はもってのほか、という論。
狭い室で、流し台を目の前にしながら食事をするというなんとも惨めなDKというのは、「食寝分離」を「促進させる」ための発案だった・・・。
隣りの、寝るべき室:六畳間で座卓で食事をする、などというのは「遅れた生活」だ・・・と非難された。本当の話です。
ここで、六畳という大きさが提言されていることにも注目。
かつては、六畳というのは、次の間、控の間の大きさだった!
これについて語ると、それだけで長くなってしまいますから、それはこれでお終いにします。

ただ、その結果、住居は「室:部屋の数」こそすべて、と考える「悪習」が、世の中に広まってしまったのです。
住居とはそもそも何か、などというのは、無意味な「そもそも」論だ、として、まったく無視されました。「本質」なんてものはない、という《思想》の時代。
この《考え方》から脱するのは並大抵のことではありません。まさに柵(しがらみ)。

しかし、洋の東西を問わず、人びとがつくってきた「住まい」は、「一つ屋根」が基本、そして根源は「ワンルーム」、というのは厳然たる事実なのです。


今回は、ここまでにします。次回、その次の展開を考えてみたいと思います。

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