建物をつくるとはどういうことか-11・・・・建物をつくる「作法」:その1

2010-12-23 21:41:54 | 建物をつくるとは、どういうことか
[図版更改 24日 7.53][解説追加 24日 7.53][註追加 24日 10.14][誤字訂正 25日 14.50]



上の航空写真、
左は、長野県の旧城下町松代。ほぼ中央にある空地の北側が、いつか紹介した「横田家」。
ここは武家の屋敷があった一帯。
   http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/dac1f08f6f94048c9a901238889f7d9e参照
右は、最近の比較的敷地が大きい分譲住宅地。1戸当たり平均約250㎡。
ほぼ同じ高さからの撮影(若干、右が低い高度から)。

そして下は、左が松代の通りの風景(航空写真とは別の場所)、右は上の住宅地の東側の通りの風景。

明らかに、この両者は、上から見ても地上で見ても、違いがあります。
この違いに(違いが生じることに)、重要な意味がある、と私は思っています。



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先回の記事は、10000字制限を越えてしまい、お終いのあたりで、かなり端折らざるを得なくなり、紹介するはずだった、ある方のブログの「失われた『作法』」を問う記事を載せることができませんでした(「伝統的建造物群保存地区」に指定された町で建築設計事務所を自営されている方のブログ。紹介の了承は得ています)。

そこで、今回あらためて要約、抜粋して紹介させていただくとともに、その話題をきっかけに、このシリーズの「本題」に近づきたいと思います。
   なお、地名や建物名などの固有名詞は、変えたり消したりしてあります。

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私の住む「伝統的建造物群保存地区」の裏手に建設中のある公共施設の建物を見つめながら想うこと。
それは、この地域に、何故このような造形の建物なのかな?ということ。
・・・・・
遠くから見ると、結構目立つのです。
まだ建設途中ですので、どんな感じの建物になるかはよくわかりませんが、素朴にその「形」の意味を問いたくなります。
・・・・・ 
私は決して「伝統的建造物群保存地区」だからといって「伝統的な造形」を期待しているのではありません。
公共施設は住宅に比べ規模も大きく目立ちます。
だからこそ、地域においてはシンボリックな建物になります。
「伝統的建造物群保存地区」周辺には「景観形成協定」に従う区域が定められています。
この公共施設の建設地は協定区域外ですから、協定は関係がないということなのかもしれませんが、
そこは、設計者の良心といいますか、造形に関しては・・・設計者に委ねられている領域であるが故に、
もう少しだけ配慮があっても良いのでは?と思ったのです。
・・・・・

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これは、この方が住む町内に建つ新築中の建物への感想です。
現在の《建築の世界》では、同業者は、他の方が係わる仕事に、だんまりを決め込むもの、まして同じ町内ならなおさらです。
それを、堂々と発言されたことに、私は敬意を表したいと思うのです。
そうであって初めて世の中はよくなる筈、そう私は思うからです。
しかし、今は、「意見を言うこと」「批評すること」を「非難すること」と勘違いして、誰も意見を言おうとしないし、人の意見を聞こうともしない・・・。

そしてまた、「伝統的建造物群保存地区」に暮しながら設計を業とされているこの方が、「伝統的な造形」を期待しているのではない旨語っていることも、私は共感を感じます。
「伝統的建造物」と「同じような形の建物をつくる」ことが「よいこと」であって、「同じ形をつくらないと保存地区がダメになる」というのが普通の考えだからです。
何度もいろいろなところで書いてきましたが(下記など)、問題は「形」ではない、そのような「形」に至った「考え方」が大事なのだ、そのように私は思っています。
   http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/5dbdeed98070cf36ba0536d48231dc94 
   http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/448089f04f15d7c77597d27b15d7625b [註追加 24日 10.14]

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記事には、工事中の遠景と、模型を俯瞰した写真も載っていました。
模型は敷地全体がつくられ、樹木等も配されています。
遠景の写真を見ると、たしかに周辺の風景に馴染まず、「浮いて」見える。

私は次のようなことを推測で読み取りました。
多分、この建物の設計は、「敷地図の上」でのみ、考えられたのだろう、
その「形」もまた、その平面の上で、平面を上から見ながら考えたのだろう、と(模型も使ったかもしれませんが、それも上から見ていたに違いない)。

現在、役所に提出する設計図書(「づ・しょ」と読む)には、敷地の範囲を示す「敷地図」とともに、その敷地がどこにあるかを示すための「案内図」を付すことが要求されます。
だから、設計者は、敷地周辺の地図を求める。多くの場合は、市町村が発行する「都市計画図」。この地図は、基本的には「地形図」です。つまり地形・地勢と地物が書き込まれている。
しかし、昨今、この地図はもっぱら「案内図」のために使われるのが普通のようです。地形・地勢などは余計なもの。


ここで、紙上で一つの「実験」をしてみたいと思います。

ある計画のための「敷地」があるとします。
その敷地には、一辺に接して道があるとしましょう。敷地には、その接線上のどこからでも取り付くことができるわけです。

初めて敷地を見に行くとき、その道を歩いて、あるいは車で近づきます。
車の場合でも、どこかに道を置いて、歩いて敷地に近づくでしょう。
場合によると、車を敷地の中に置くことがあるかもしれませんが、たいてい敷地の外に出て、道を歩いてみる。
多分、道を右から歩いたり左から歩いてみる筈です。そして、特に、普段その敷地に近づく方を重点的に歩いてみる筈です(そうするのが当たり前だと私は思いますが、そうしない人もいるかもしれませんし、あるいは敷地も見ない《達人》もいるかも知れません・・・)。

そのとき人は、敷地に接する道の「ある所」で立ち止まって敷地の方を見るものです。
ところが、この「立ち止まる『ある所』」は、人によらず、ほぼ同じ辺りなのです。
ただ、この「事実」に気付いている人は意外と少ないかもしれません。
ほんとかな?と思われる方は、どこか初めての場所で験してみてください。

これは何を意味しているか。

敷地内はもとより、敷地の四周には、かならず、いろいろな地物、あるいは、いろいろな建物が「既に」あります(当然、道を挟んだ向い側にある地物・建物も含みます)。

そのような敷地の前に立ったとき、人は誰もが、「敷地(測量)図」に示されている「単なる平面的広がり」を見ているのではなく、これらの地物・建物などによって「その敷地に生まれている空間」を「見ている」のです。
とりわけ、四周の既存の地物・建物がそれに大きな影響を与えていることに、特に注意したいと思います。
そしてそれは、「見ている」と言うより、「感じている」と言った方が適切でしょう。
なぜなら、そのとき人は、物理的な意味での三次元の「空間」の形を見ているのではないからです。
人は、敷地のそこここに、ここはイヤだな、暗いな、とか、気持ちがいいな、気分が高まるな・・・という「場所」を感じている、見て取っている筈なのです。
しかもそれは、人が「無意識のうちに」、しかも「咄嗟に」やってしまっている「作業」なのです。

これも、ほんとかな?と思われる方は、どこかで験してみてください。

   この「咄嗟の」判断は、子供たちにもあります。と言うより、子供たちの方が敏感かもしれません。
   かなり昔のことですが、ある方の設計した住宅団地内に建つ幼稚園を、その方の案内で見に行きました。
   幼稚園には、保育室に接してベランダがつくられていました。
   それは北向きで、その前方には北に向って緩い傾斜地が広がっています。
   なんでこの位置にベランダ?と私は思いました。誰も出ていません。物置きになっている様子。
   そのとき、設計者の方は、折角つくったのに使ってない!もったいない、と呟いたのです。
   えっ?と私は思ったことを覚えています。
   もう半世紀前、学生だった頃のことです。

   その頃のもう一つの先輩に連れられての「印象的」な「見学」。
   対象は、当時盛んにつくられていた公団住宅。
   そこで2つのバルコニーを見ました。
   1つは、バルコニー全体が建物から外に飛び出しているタイプ。
   もう1つは、建物に引っ込んでつくられ、側壁が1面ないしは2面、壁になっているタイプ。
   私が引っ込んでいる方( reccessed balcony と言う)が気分がよさそう、と言ったところ、
   バルコニーはバルコニーで、役目は同じだ、との先輩の言・・・。 

   こういういくつもの「些細な経験」が、私の「学習意欲」を高めてくれたことは否定はしません。
   建物づくりで、新たな「モノ」をつくるって、どういうことなのか?


「敷地に接する道のある所で立ち止まって敷地の方を見る」、その「ある所」は、この「無意識で咄嗟の作業」の「然らしめる結果」に他ならないのです。
ただ、これは一度の「体験」ではなく、日をあらためて行なうと、滅多にはありませんが、「ある所」が変る場合もあります。しかし、普通は同じ所に立ち止まるものです。

もちろん、このとき、「道を歩いてきた、そして敷地の辺りにきた」という過程も大事です。
私たちの日常的に体験している空間は、「常に連続していて途切れることはない」のが普通です(車や鉄道に乗る場合は、「途中」がなくなります。それを「途中の喪失」と唐木順三氏は呼んだ)。

   《都市デザイン》の用語に sequence というのがあります。本来はこのことを指しています。[誤字訂正 25日 14.50]
   これは「重層的に醸成された町・街」の少ないアメリカの研究者が、
   西欧のいわゆる『伝統的』町並の「素晴らしさ」を「研究した」結果見出した「概念」なのですが、
   残念ながら日本では、単なる「視覚の変化の演出」と見なされてしまっています。
   これについては、以前、清水寺の参詣道の話で書きました。
    http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/262176cccda7b41acd735a3d8f2732ac

この「ある所」、これは、「その敷地に取り付くには一番適した位置」といってよい筈です。なぜなら、そこで、自然に、無理なく、足が止まるのだからです。

この「感覚」は、かつて、ある土地に定住する人びとが働かせた「感覚」と同じものといってよいでしょう。住まう場所を選ぶときの「十分条件」を嗅ぎとる「感覚」、いわば「動物的」な「感覚・感性」。昔使われた言葉で言えば、「本能」。

もちろん、現代人は、かつての農耕者たちのように、農耕に適した土地を探すという切迫した状況にはないのですが、しかし、「住むによい」場所を選ぶという「感覚」は、未だにある筈なのです。

これも、ほんとかな?と思われる方は、日常の行動を振り返ってみてください。

たとえば、親しい人と昼食をとるために食堂・レストランに入る。運よく、空いていた。
そのとき、空いてりゃどこにでも座ってしまいますか?
どこにでも座ってしまうのは、急いでいるとき(あるいは、連れの人数が多すぎて、どうしようもないようなとき)。
普通は、咄嗟に見渡して、空いている席の中で、ここだ、という席を選ぶ筈です(もう少し詳しく言えば、そのときの「気分」:「楽しい話」をするのか、「深刻な話」をするのか:が強く影響しますが・・・)。
この「選ぶ」時の「感覚」、これが「十分条件を嗅ぎとる感覚」なのです。


ある敷地に建てる建物の設計は、「その敷地に取り付くには一番適した位置」を「見つけること」から始まる、と私は考えています。

たとえば、先々回の農業者の集落、その場所の地形図から、そこに定住を決めた人たちが見たであろう当初の地形を推定復元してみました。下図です。



この図の網を掛けた一帯は、多分湿地帯。川がどこを流れていたか、まだ明治の地図を見ていないので不明です。
現在はかなり地形に人工の手が加わっているようですので、じっと眺めて、こうだっただろう、と推定したのがこの図の等高線です。5mおきに簡略化してあります。
定住地を探し歩いていた人たちは、この場所を見つけて、いったい、どのあたりで立ち止まったでしょうか。

そして、何百年後かの現在の一帯の地図が下図。これは以前に載せたものと同じ(下記)。[図版更改 24日 7.53]
   http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/bf4d7fd4ed032ca0d9e5135552610c60



本当は現地で考えてみるのがよいのですが、この場所のように、耕地整理や新設道路が設けられていると、当初の様子は分らなくなっています。
そこで、推定復元地形図上で、当初の姿を想像してみるのです。
図のオレンジの線で囲ったところは、地形を加工した場所。ここでは、切り土して前面に盛り土しています。ただ、盛り土部には母屋は建てない。
左から三つ目の囲いのところは、道路新設にともなう切り通しの箇所。
黄色に塗った箇所は、往時の田んぼの縁が残存しているところ。[解説追加 24日 7.53]

   私の「楽しみ」に、いろいろな所を訪れたとき、特に山村・農村では、
   最初にこの地のどこに住み着いたか、どこから人が住み着きだしたか、想像する「楽しみ」があります。
   その集落で一番いいな、と思える場所に屋敷を構えているのが、その集落の村役である場合が多い。
   そして、その辺りから住み着きだした、と考えると、大体の場合、納得がゆく。


建築の設計とは、建「物」をつくることではなく、「空間をつくることだ」、ということは以前に書いたと思います。それは、もちろん、建物に内包される空間のことではありません。
すなわち、「その敷地に存在していた空間とは異なる空間をつくってしまう」ことです。
別の言い方をすれば、「既に存在していた空間を『改変する』こと」です。
さらに言い方を変えれば、「既存の空間を『破壊する』こと」でもあります。

それゆえ、その敷地に新たに建物をつくるときには、「そのような改変・破壊をしても構わないかどうか」「問題は生じないかどうか」ということについて考えなければならない、と私は考えるのです。

なぜなら、「改変・破壊を気まま勝手にしていい」という「権限・保証」を、私は誰からももらっているわけではない筈だからです。
それとも、敷地の持ち主、すなわち建物の建て主は、私に、その「権限」を与えてくれているのでしょうか。
仮にそうだとして、敷地の持ち主、すなわち建物の建て主は、そこを気まま勝手にしていい、という「権限・保証」を、持っているのでしょうか。誰からもらったのでしょうか?
その土地:敷地は、自分が自分の金で購入したのだ、だから私の「自由である」ということなのでしょうか。土地代で、「気ままに振舞う権限」を手に入れたのでしょうか?
もしそうだとするならば、ローンで買った場合、完済しない限り自分のものではない、その間は「自由にはならない」ことになりますが、そのときは、貸主に権限があるのか?

実は、ここが大きな「分かれ道」。

かつて、人は、自分の土地だからと言って、私有権の優先、主張を唱えなかった。「かつて」とは、つい最近、今からほぼ半世紀前、1950年代までのこと。
その後、人びとの感覚が変ってしまい、現在に至っている・・・。これについては、先回触れました。

今では、建築の設計に係わる人の中で、「ある土地に建物をつくる」ことは、「そこに既に存在していた空間を改変・破壊することだ」と考える人はきわめて少なくなってしまったようです。
それでいて、「建築家」も「建築評論家」も、環境、調和・・・を語る。これは、まさに「矛盾」の論理以外の何ものでもない。

皆、「まわりを見ずに、敷地の中だけで」ものごとを考えている。
「敷地という板」の上で粘土細工でもするように、好みの造形をする。それはたしかに「楽だ」。見えているのは板だけなのだから。
しかし、「粘土細工の載った板」なら、「押入れに仕舞う」ことはできる。
しかし、敷地というのは、それはできない。そのことを忘れている。

今回の初めに引用させていただいたブログの記事は、このことを問うているのだ、と私は思います。

   最近の「建築家」の中に、自分の「思い入れ」を建物という形にする方が居られます。
   なかには「環境造形」などと言う方がたもいます。
   その場合、「環境」とは、彼らがその「思い入れ」を描くキャンバスに過ぎないのです。
   それが、その方のものであるならば(つまり、自分が全費用をまかなっているならば)、
   まだいいでしょう(もちろん、傍にとっては迷惑ですが、そんなことは気付かない)。
   しかし、誰かが、特に公共的団体などがまかなうのでしたら、それは論外だ、と私は思います。
   けれども、そう思うのは「異端」らしい。「建築評論家」は、皆そういうのを称賛しています。
   そして「悪いことに」、偉い人がそう言うのだからとして、一般の人もそれを追いかけ、もてはやす・・・。


またまた大分長くなってしまいました。
敷地にやっとたどり着いたところで、この続きについては、次回に考えることにします。

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