熊野神社
熊野神社はわが町、恋ヶ窪の鎮守様だ。
神社境内にはいろいろな記念碑があるが、見る人は殆どいないのではないかと思う。
関心がないと言えばそれまでだが・・・・
数は少ないが開運祈願とか、受験合格祈願等の絵馬なども掛けられている。
鳥居をくぐった左手に大砲の砲弾を乗せた碑がたっている。
「明治三十七・八年戦役記念」と書かれている。
日露戦争の戦没者の碑のようだが詳しい事はわからない。
その隣には「平和記念碑」がある。記念碑の文字は国務大臣福田篤蓁書とある。
この碑はこの町恋ヶ窪出身の俳人、宝雪庵可尊の句碑だ。
「月花の 遊びにゆかむ いざさらば」の辞世の句が刻まれている。
可尊は明治十九年八十ハ歳で亡くなったが、その辞世の句を門人たちが明治三十年に建てたもの。
この碑は松尾芭蕉の句碑。
「ひよろひよろと なお露けしや おみなえし」この碑は宝雪庵可尊が明治七年に建てたもので、字は可尊の書いたもの。
このように由緒ある碑が本堂横にある。
この恋ヶ窪はその昔、鎌倉街道の宿場として栄えた村だった。
新田義貞の鎌倉攻めに加わった畠山重忠と、宿場女郎の朝妻大夫の悲恋物語などの伝説がある。
このブログに時々登場する姿見の池は畠山重忠との悲恋の末、朝妻大夫が身を投げたと言われる池だ。
姿見の池の名の由来は宿場女郎たちが自分の姿を池に映して見ていた事に由来している。