glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

遊び【追記あり】

2020-08-29 12:17:58 | 福祉と教育
 先ほど息子が録画をしていたNHKの番組’遊びの科科学’を見た。すごく面白かった。私の中で育った。息子達も遊びを中心に教育した。子どもが遊びの中から体験から得られるものは大きいと思っている。危険と思えるほどの冒険は理性的判断力を養うらしい。
 動物も遊びをする。動物も人間も遊んでいる時は前頭葉の同じ部分が活性化しているという。爬虫類も蜘蛛の中にも遊びをする種がいるという映像には初めて見たが楽しかった。


 遊びとは直接生活に役立つものではないらしい。そして同じことを繰り返す。動物の子どものじゃれあいも遊びで、その中で他者とのかかわりあい方を学ぶという。

 自閉症児の常道行動は遊びなのだろうか、何かの意思表示なのだろうか。それとも意味のない動きなのだろうか。
 むかし、訓連会と称して広い講堂を使っての保育会に参加していたことがあった。家では休まず数時間飛び跳ねる子どもの母親の悩みを聞いたことがある。1階に住んでいるのに、2階の住民から苦情が来ることあると悩んでしました。訓練会ではそんなことは無かった。
 ドアが開くと飛び出す子もいた。ドアに鍵がかかっているわけではないけれど保育者の誰かがドアに気を配っている時は飛び出さない、が、一瞬7~8人いる保育者が全員ドアの存在を忘れる時がある。その一瞬のスキをついて飛び出すのでした。それは周りをしっかりと見ている、あるいは感じているということでしょう。
 学童保育時代。木に登りたがる子がいました。決して降りようとしない。毎日子どもとの攻防戦が続く。他の子はその枝細いとか、そんな高いところから落ちたらケガをするとか説明するとそれ相応の対応した行動をとる。だが、彼にはこちらの説明が届いているのかわからない。母親には長ズボンをはかせてといったけれど、まるで学習院の制服のような半ズボンでやってくるのでした。抱き下ろすことはできないから、ある程度木に登ったところで足を引っ張ると、木の皮で皮膚がすれる。傷ができたと母親は不満そう。命と傷とどっちを取る?傷が嫌なら長ズボン!と譲歩させたり。

 どなたか閉症児と遊びについて研究してくれるといいけれど!

 今日は内容が少しずれているようです。最近訪問し始めた自閉症児を持つお母さんの記事が胸に刺さります。
 他人の子も自分の子も遊び中心に生活させようと思ったけど・・・。

 【追記】 
 先ほど録画しておいた
兄と奏でるノクターン
発達障害 家族の情景

2020年8月18日放送
音楽の才能を開花させていく発達障害の兄・ソンホ。母親はソンホにつきっきりで、弟ギョンギは疎外感を感じていた。仕事もうまくいかず、兄を馬鹿にし、母親には暴言…。しかし、母の代わりに兄のロシアへの演奏旅行に同行することに…。少しずつ変化していく兄弟の関係を、カメラは丁寧に映し出していく。 原題:Nocturne(韓国 2019年)2019年 韓国 Media Namu制作


を見ました。散文的なドキュメンタリーです。発達障害の長男を音楽家として育てた母と二男の葛藤が伺えます。障害を理解することは障害者が親族にいない人には難しいとは思うのですが、こういうドキュメンタリーも見てほしいと思いました。積極的に手助けをするのは難しいですが、消極的であっても見守ることは誰にでもできるのではないでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古い記事:自分用メモ | トップ | 先入観 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

福祉と教育」カテゴリの最新記事