エスペラントで色をどう表現するか知りたがっている verda akvo さんのブログを読みました。実は私も知りたいと思っていたのです。
先日、有名なエスペランティストと話す機会がありました。
そこで質問しました。
『エスペラントには purpura と言う単語がありますが、この単語は緋色だったり紫色だったりします。どう解釈すべきなのでしょうと。』
答えは:
『purpuraとは、赤と青の組み合わせのすべてを指している。ですから、赤が極端に多ければ、それは緋色となり、逆に青が多ければ紫となる。purpura で表される色には幾つも、あるいは幾十もの違いがあります。ですから、私たちはもしかしたら自分のイメージと違った色合いかも知れないのに purpuraという一つの単語で納得しているかもしれません。』
私は草木染めをしますが、植物によって、灰色でも茶色でも全く違うのです。例えばキウイとか背高あわだち草の茶色は緑味を帯びているのです。それを言葉で表すのは形容詞をどう使うか、自分の感性を形容詞を使ってどう表現するかの工夫しかないのでしょう。
エスペラントには強調するのに -eg- 弱小を表すのに -et- という接尾語があります。これを色を表現に用いるのは好きでありはありません。
例えば :青い blua
瑠璃色 : lazuro
藍色 : profunda bluo
秋の天高く見える空の色 ; leg^ela bluo
もっともっと違った表現ができるでしょう。ですから、本を読むのが好きなのです。色だけではなく、人間の色々な感性の表現と出会えますから・・・。
先日、有名なエスペランティストと話す機会がありました。
そこで質問しました。
『エスペラントには purpura と言う単語がありますが、この単語は緋色だったり紫色だったりします。どう解釈すべきなのでしょうと。』
答えは:
『purpuraとは、赤と青の組み合わせのすべてを指している。ですから、赤が極端に多ければ、それは緋色となり、逆に青が多ければ紫となる。purpura で表される色には幾つも、あるいは幾十もの違いがあります。ですから、私たちはもしかしたら自分のイメージと違った色合いかも知れないのに purpuraという一つの単語で納得しているかもしれません。』
私は草木染めをしますが、植物によって、灰色でも茶色でも全く違うのです。例えばキウイとか背高あわだち草の茶色は緑味を帯びているのです。それを言葉で表すのは形容詞をどう使うか、自分の感性を形容詞を使ってどう表現するかの工夫しかないのでしょう。
エスペラントには強調するのに -eg- 弱小を表すのに -et- という接尾語があります。これを色を表現に用いるのは好きでありはありません。
例えば :青い blua
瑠璃色 : lazuro
藍色 : profunda bluo
秋の天高く見える空の色 ; leg^ela bluo
もっともっと違った表現ができるでしょう。ですから、本を読むのが好きなのです。色だけではなく、人間の色々な感性の表現と出会えますから・・・。
「良く、私は赤が似合わない、という人がいるけど」と彼女は言いました。「赤だって色々な赤が有るのだから必ずその人に似合う赤がある筈」。
彼女の言うことは尤もで、すっかり彼女を尊敬してしまったのですが、先日私のブログに書いた赤い延齢草も英語名は紫延齢草だし、日本語では「青信号」が英語では「緑」だし、
日本語の「青葉」もBluaではないですしね。
殴られて目の周りに「青あざ」が出来ると、英語では「black eye / 黒目」とか目を白黒させるほど表現も色々です。
色の微妙さは目で見て判ることで、言葉で十分に表現できないと思います。聞く人の先入観が大きく影響するのですから。
だって、伝統的表現に縛られていませんし、それぞれのエスペランティストが、自分の中で培った文化を持っているのです。その感性が共鳴した時、きっと素晴らしい者が生まれると期待します。