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生きること:過去と未来とエスペラントと

ヨーロッパの魔女たち

2005-04-12 08:47:51 | Weblog
 私が初めてエスペラント世界大会に参加したのは、1987年、エスペラント100周年を祝うワルシャワ大会でした。二人部屋の宿泊希望は現在では、互いに了承した二人でないとできないのですが、当時は一人で申し込むと、違う国同士の人を組み合わせて相部屋にしてくれました。ですから、初対面の人が少なくとも8日間いっしょに暮らす事になります。私は相手も決めず二人部屋を申し込みました。私の相手はドイツ人のウルシュラでした。
 彼女は当時まだ若く、2才と4才の子どもがいました。ヨーロッパ人の話し方は非常に早いので、彼女が話しているときに口を挟むのは大変でした。

 彼女は『ドイツ人はポーランド人にどのような謝罪ができるのか考えなくてはならない。若い人と話したい。1階のバーは金持ちか、外国人用だけれど、4階に地元用のバーがある。そこには若い人が一杯来るから行きましょう』と私を誘い出かけました。
 暗いバーには若者たちがたむろしていました。彼女は数人の若者に話し掛け英語で議論しました。私のために、時にはエスペラント訳を試みながら。
 日本人と違って勇気があると驚きました。もしかしたら恨んでいるかもしれない人ばかりの所に入り込み、議論まで仕掛けるのですから。

 もう一つの彼女の話題はキリスト教で、彼女はキリスト教は嫌いだというのです。なぜなら、権力を得ると、自分と少しでも意見が違ったり、服従しない人を魔女として処刑したと、キリスト教の歴史を延々と話してくれました。中世の暗黒時代がとても身近になりました。

 ワルシャワの出会いから数年後、彼女はヨガを始めたと便りをよこしました。3人目を出産して肥ったのでヨガをやったらとてもスリムになった、今度あったらわからないでしょうと書いてありました。最近も大会で会うのですが、昔の体形に戻っていました。
 スウェーデンのエーテボリであった時は、一番下の娘が大学資格試験に合格したお祝いに3週間イタリアのエスペランチストを訪ねとても良くしてもらった。そしたら、娘がエスペラントを始めたととても喜んでいました。

 
 数年前、息子たちとオランダのゴーダへ行きました。チーズで有名な町ですが、オランダではGの文字を発音しないのでゴーダとはいいません。でもここでは日本式に読んでおきます。この町でオランダの魔女で出会いました。

 
 ゴーダの町は馬蹄形をしており周りを大きな運河が取り囲み、小さな流れが町中を網の目のように流れています。町の中央には市役所があり、その迎いが繁街です。市役所の正面にはチ-ズ専門の店があり、2階が展示館になっていて、チーズの製造工程とか町の歴史が分かるようになっています。中央には昔の町の模型がありました。その模型の中にギロチンにかけられようとする黒い衣装の魔女がいたのです。驚く私たちに係員が笑いながら説明してくれました。

 昔、開拓時代のオランダには魔女法廷が10個ありました。ゴーダもその一つです。魔女の規定は次ぎの通りです。
 ・天秤にかけた20キロの牛乳桶を2個、肩にかけて持ち運びできない人。
 ・体重が38キロ以下の人。
 オランダの魔女はウルシュラが話してくれた魔女とは違いました。この国では体力のなく、働けない人が魔女だったのです。

 係員は背丈が180センチを超えていると思えるきれいな女性でした。彼女は私を見て何か言いました。『あなたは大丈夫!』と言ったとのことでした。

 この話しを疑う方は夏にゴーダを訪れてください。路地を入ると水に浮いたテラスで人々がゆっくりと午後を楽しんでいます。町の外の運河の周りにはコテージが沢山あり、人々は泳いだり、庭でバーベキューを楽しんでいます。オランダ人にとっては憧れの町の一つだそうです。

  
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