glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

初めて使った外国語は

2005-04-03 08:20:19 | Weblog
 私が初めて使った外国語は "No thank you" 英語でした。 それは終戦の翌年の三月の下旬のことでした。私の住んでいた田舎町にも進駐軍の兵士が学校視察というか、教育状況を監査するためにやって来ることになりました。先生も生徒も大変でした。みんな教科書のあちこちを墨で塗りつぶしていました。私の父も友人たちの父も、殆ど教師でしたので、進駐軍来るという日の数日前から私たち子どもも興奮しきっていました。私たちは、大人たちが話していた進駐軍が来る時間に合わせて、アメリカ人を見物に行こうと約束していました。

 3才の弟を連れて出かけようとすると母は行ってはいけないと引き止めました。母は、進駐軍は子どもたちにガムをくれると言うのです。子どもたちが嬉しそうにガムを貰う姿を見るのは我慢できないと言うのです。
 戦争が終わってもう半年以上経っていました。映画館が営業を開始し、エノケンの‘たぬき御殿’とか戦前の映画を上映していました。その時に短いニュースがあって、進駐軍の映像はもう上映されていたのです。
 頑固な私に母は条件付きで折れました。ガムは決して貰わないこと。ガムを差し出された "No thank you" と丁寧に断ること。

 1945~6年の冬は積雪が多く、雪は門柱の上部に達するほどに積っていました。アメリカ人は背が高いと聞いていたので、彼らが良く見えるように、私たちは門柱に上ることにしました。弟を押し上げて私たちも上りました。数人反対側の門柱に上っていました。学校の校門は通りに面していたのですが、学校は奥まった所にあり、校門は教員室から見えませんでした。例え門柱に上ったとしても誰も私たちを引きずり下ろす心配はありませんでした。
 やってきたアメリカ人は4~5人いたのでしょうか、私たちの前に立ったアメリカン人は、白い紙に包まれたチューインガムを差し出しました。私と弟は両手を後ろに回し、"No thank you" "No thank you" と叫んでいました。
   

 あれから59年経ちました。あの"No thank you"は、敗戦国国民であるが、民族としての誇りを失いたくない、母の小さな示威表現だったと,今、私は思っています。
 
コメント
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