唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
神奈川県立高校の改革
一昨日の、親愛なる神奈川新聞の一面に「神奈川県教委が県立高校の改革素案を公表」と云う記事。少子化による生徒数減少に対応するために現在142ある県立高等学校を再編・統合しながら20~30校削減すると云う。
校数を削減しながらも特色ある高校をつくるとして、IB校、インクルーシブ教育実践校(障害の有無に関わらず共に学ぶ)、クリエイティブスクール(内容不明のカタカナ表記)と共に、「リーダーとして活躍できる人材育成を目指す学力向上進学重点校」を10校程度指定するとしている。
問題は「学力向上進学重点校」。あたかも、リーダーとして活躍できる人材と、学力向上と難関大学への進学がイコールであるかのような論調であるが、果たして本当にその二つはイコールなのだろうか。
難関大学の合格・進学が可能なのが成績優秀者に限られることは事実だとしても、ここでいう成績優秀者とは、答えのある問題を解くのが得意な者、単に記憶力に優れた者を指すのではないか。
しかし、実社会においてリーダーとして活躍できるのは、問題があるのかないのか、あるとすればどこにあるのか、その問題はどのようにすれば、解決することができるのかと云った、答えのない問題を見つけて解決する能力を持った者なのではないか。
知識はないよりもある方が良い。しかし、その知識を横に駆使し、あるいは類似の知識から類推しながら全体像に迫る想像力を持ち、これらの知識をチームとして共有しメンバーと協力し解決策を確実に推し進める実行力を持たずんば知識は単に「知識のための知識」、目の前に置かれた百科事典に過ぎない。 リーダーとして活躍できる人材と、学力向上と難関大学への進学がイコールであるかの幻想を抱いている時点で、神奈川県立高校の改革案はすでに破綻を来しているかに、郷秋<Gauche>には見える。
いや、試験において高得点を得ることが得意で、難関大学に入学・卒業し、これまた難関な試験を突破して神奈川県職員となった優秀な皆さんが考えた改革案であるからには、それはきっと多くのリーダーを生み出すことになる改革であるに違いない。でもね、郷秋<Gauche>にはそれが真に合目的的な改革だとはやっぱり思えない。難関大学合格者を多数出すこと、大手有名上場企業への就職者を多数出すことが教育の目的と結果ではない。教育の真の成果を見極めるためには長い時間を有するのだ。命の限り眉に唾しながらその成否を見ていくことにしよう。
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