情報はネットから。でも辞書は・・・

 昨日、所謂「パソコン雑誌」が売れていないらしいことを書いた。『ASAHIパソコン』の編集長が最終号に「皮肉だが、パソコンの普及でパソコン雑誌が不要になった」と書いたらしいが、まさしくそういうことなのだろう。

 自分自身のことを思い出してもそうだ。ただし、正確に言えばInternetが普及して、もっと言えばInternetの常時接続が普及して、だな。常時接続になる前はやはり接続時間が気になってゆっくり検索ができなかった。私がADSLを導入したのはまだ全国で一桁万人しかユーザーがいない時だから相当に早い時期だったけれど、そのスピード(最初は1.5MB/sだった)よりも常につながっていることに、同時に電話も使えたことに驚いたものだ。

 検索エンジンでとことん調べ倒すとか、オークションに参加するといったことはやはり常時接続が前提である。ハンドルを廻せば水が出るのと同じように、PCの電源を入れれば(入れっぱなしの方もいるだろう)Internetに接続されているのが当たりまえのユーザーにはその有難味はわからないかもしれない。

 そんなこんなで、Internetの常時接続が普及した時点で雑誌や書籍、辞典の存在意義は消滅した、とも言えよう。だがしかし私は、少なくとも辞書・辞典の類はやっぱり本、つまり紙ベースがいいし、現在も愛用している。電子辞書は、持っていない。私にとっての辞書・辞典はその時に必要な言葉や事柄を調べてそれで終りではなく、読み物として存在しているからである。

 そう言えば、1年前に書いた三省堂のカタカナ語辞典のこの頃の常置場所は我が家のトイレである(座って右手に設置してあるカウンターの上にケーブルTVの番組表(でも放送される番組は見ない)、前日の新聞と共にきちんと載せられていますのでご安心あれ)。これほどトイレで読むのに適した本はそんなに多くない、と私は思っている。


 今日の一枚は、桐の花。最近、街中ではほとんど見かけませんのでこの花をご存じない方も多いかもしれませんね。

[ 撮影 : なるせの森 ]
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