まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

東日本大震災、7周年に思う

2018-03-12 13:53:36 | 日常

平成30年3月11日

今日はあの大震災から7年目です。岩谷観音さんの登山道を修復中、府中町の有線放送から「14時46分、被災者を悼み、1分間サイレンを鳴らすので黙とうをお願いします。」との放送が流されました。私も作業をやめ黙祷しました。今,大事なことは津波のことを語り継ぐことではないでしょうか、同じ過ちを繰り返さない。三陸は津波の常襲地域で何回もその被害にあってきました。今回の震災にあって一軒の建物被害もなかった町があります。それは宮古市姉吉地区です。明治三陸大津波(1896年、明治29年)、昭和三陸津波(1933年、昭和8年)の二度の大津波により地区は壊滅的な被害をこうむりました。先人たちは建物を高台移転して、「此処より下に家を建てるな」との碑を残しました。前回の津波より78年目、この警告を守ったおかげで被害がなかったのです。今生きている人はこの震災は忘れないでしょう。でも次の世代にはどのように伝えることができるでしょうか。記憶を忘れないため残り少ない震災遺構は残し、教訓とすべきではないでしょうか。私は相馬の若者たちの地元の商品を販売する「トゥリーズ」の運動に賛同しています。これは地元の産業、商店の品物を購入して経済的支援するものですが、原発反対、自然エネルギー推進の立場からすると、あまり福島の現状が語られることなくもっと地元の困っていることなどを多くの人に語り、いかに原発の被害状況が大きいかを訴えるべきではと思っていました。最近の報道番組を見てフクシマの原発被害、三陸の津波被害がいかに悲惨であるかがよく理解できました。津波の復興は出来ても人は元の街に帰ってこない.嵩上げされ整備された土地も空地だらけである。特に若者子供が少ない。年寄ばかりである。コミュニテイーが破壊され、孤独死が多発、原発事故の終焉は見通せない。その影響は100年かかるとも言われている。街に人が帰ってこれない。住めないのだからふるさとは消滅したに等しい。双葉町、大熊町は100%、浪江町、富岡町が97%の人が故郷を離れて避難生活をされています。この実情を見ると原発を誘致してそのお金で繁栄しようという考えがいかに空論であったかよく理解できた。これほどの甚大な被害があり多くの人々の生活を破壊しながらなぜ原発を推進しようとするのか全く理解できない。ある番組で帰還困難区域に太陽光パネルを設置して発電したらどうか。そうすると原発が無くても電力は十分に賄いきれる。そうすると原発が必要なくなるから原発を推進する企業、政府が困るので許可しないとの発言があった。すべては政府の判断次第。真意はともかく脱原発は時代の要請のように思います。ドイツでは22年に原発廃止が予定され、お隣の韓国でもその方向に向かっています。中国でも太陽光パネル産業が世界市場を席巻しつつあります。車も将来的にはガソリン車から電気自動車に変換しつつあります。ガソリン車に明日はない。自然再生エネルギーにかじを切らない日本の技術は世界から遅れるばかりで趨勢に逆行しています。近い将来、30年以内に70~80%の確立で発生する恐れがある「南海トラフ大地震」は東北大震災の数倍の被害と言われます。死者は東日本大震災の2万2千人に対し32万人と予想されています。その地域内の原発は大丈夫でしょうか。四国愛媛県の伊方原発は広島からも近い。静岡県御前岬にある浜岡原発は海岸近くにあります。今の防潮堤で大丈夫なのでしょうか。おそらく私の生存中に起こるであろう南海トラフ大地震。心配ですね。同じ過ちを繰り返さなければよいのですが・・・

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1 コメント

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脱原発 (まっちゃん)
2018-03-13 09:53:35
同感です。
これほど迄に甚大な被害があったにもかかわらず、原発を誘致するなんて私には到底信じがたい!
おまけに後処理を全て終わるのに、後何十年も掛るというのに・・・・
企業、政府は全てとは言いませんが、金儲けの為なんでしょうね。
情けない限りで、心が痛みます。
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