まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

今年はやります。「比婆山スカイラン」

2022-04-16 22:17:14 | 日常

令和4年4月16日
新型コロナウイルス感染拡大のため2年間中止を余儀なくされていましたが今年は何とか開催できそうです。
今日はその準備のためコースの整備及び一部の看板掛けの為現地に9時集合予定で出かけました。
自宅から県民の森までは約130㌔、約3時間要します。5時30分家を出る。庄原辺りまではすっかり春到来の様子で色とりどりの花がさながら百花繚乱、しかしながら六ノ原の谷に入るとまだまだ木々に芽吹きもなく冬枯れの状態です。いつもは綺麗な花をつける枝垂れ桜もまだ二分咲き程度、少し遅れ気味です。六ノ原な寒々とした天気。昨夜冷えたのでしょうか烏帽子岳の稜線は白くなっています。
午後は晴れるとの予報に期待しましょう。

午前9時。本日の参加者は25名、4班に分ける。私はいつも担当しているBコース。7名で作業します。走路上の倒木等を除去すること。距離標識等の設置が今日の仕事。

10時に開始し、降りてきたのは3時でした。その間倒木7本を切断、撤去。手鋸で切断するのですから時間を要します。他にも木の根等の障害物の撤去。走路の邪魔になる木の枝等を切断し走りやすくしました。倒木はいつもは2から3本程度ですが今年は昨年中止だったこと。雪が多かったためではないでしょうか。走路の状態も段木をして土砂の流出を防いでいたので悪いところはありませんでした。
毛無山頂へ飲用水のボッカ等いくつか課題はありましたが大会までには克服できます。
比婆山スカイラン開催は5月29日。あと1か月余り、素晴らしい新緑で選手の皆様をお迎えしましょう。

(解体中の旧若人の家、他にも第二キャンプ場のトイレ、炊事棟など撤去、整地されなくなっていました)
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例会山行第2日目 『春日山原始林」

2022-04-14 12:52:52 | 日常

(若草山三重目…三笠山とも呼ばれ、三っ目の笠と言う意味なのです。)
令和4年4月10日
春日山原始林は世界遺産に登録された山です。
春日大社の背後にそびえる森林面積。300ヘクタールの広大な山域です。
承和8年(841年)以来神山として春日大社の聖域として狩猟、伐採が禁止され、幹回り3m以上の巨木も1300本余りと日本一の規模を誇っています。
今回のコースは滝坂の道を上り奈良奥山ドライブウエイを若草山まで歩き、有料登山道を下り東大寺に至るコースです。林内に立ち入り禁止ですからこれ以外のコースはありません。
約10キロ、4時間余りのコースです。

(高畑町の住宅は自宅で喫茶、カフェを開いているお宅がたくさんありました。)
昨日は早く寝ましたので朝4時ごろには目覚めました。朝食は7時ですからその間宿舎周辺を散歩しました。ここ高畑町今も昔も高級住宅地、かって白毫寺のような貴族の別荘地や遊歩した場所であり、今も志賀直哉の旧宅など著名人や立派な邸宅が並び、また神社の禰宜関係も多く住んでおられるのでしょう。入江泰吉の奈良市写真美術館や新薬師寺などを見て歩きました。この辺りは各所に自宅で喫茶やカフェを開いているお宅が何軒もありました。ゆっくりと朝食を済ませ7時40分出発。春日山と高円山の谷あいの道、「滝坂の道」を歩きます。

(滝坂の道 修行僧、武芸者、牛馬が米や荷物を運んだ石畳の道です。滝の水音、小鳥の声が心地よい。)

(崖にほられた朝日観音像です。)
平安時代には修行僧が石仏を刻んだ修行の道、江戸時代には剣豪たちが柳生道場に通った道。緩やかな石畳の山道を滝の水音、小鳥にさえずりを聞きながら歩む。これほどの森林浴の適地はほかにはありません。心が癒されました。1時間余りで首切り地蔵に至り休憩。トイレや東屋もあります。そのすぐ上が高円山と若草山をつなぐ「奈良奥山ドライブウエイ」に出る。高木に囲まれた林間の道を歩く。時折車両で出会う。中間地点の大原橋から鶯滝を見物のため下る。滝を見物して再び上り返すと 「春日奥山最大の山桜」と明記された大きなヤマザクラに出会う。少し傾き道路に覆いかぶさっている。30分余りドライブウエイを歩くと若草山の頂上(341⒨)に到着。「若草山三重目」との看板がある。「三重目」とは?
この山は別名、三笠山ともいわれる、緩やかな笠が三つ重なっているように見えることからこの名前がついたとのこと。紛らわしい山名ですが歌に詠まれた「御蓋山」(297⒨)は春日大社の背後にそびえる神様の山で一般は立ち入り禁止です。この日は天気が良すぎて靄が立ち向かいの青垣の山とゆうべき生駒山,二上山、金剛山、葛城山も見えませんでした。

ともあれ奈良市内の景観を眺めながらゆっくりと食事する。下りは山焼きした芝生の道をまっすぐに市街地を目指し下る。
若草山の山焼きは例年1月下旬、来年度は1月28日に行われます。
二重目、一重目の頂を下るとお店の並ぶ登山口に。
次に目指すはお水取りのたいまつで有名な二月堂。ご本尊の十一面観音様にご拝観できると思っていましたがこの仏さまは「秘仏中の秘仏」でお寺の人でも見たことがないといわれました。
誠に残念。
秘仏とは、観音様の尊いお姿を見せずして庶民の信仰心を得られるのでしょうか。
そういえば福山・明王院の観音様も33年に一度しか御開帳されないと聞いたことがあります。
それに比べ聖林寺の国宝 十一面観音菩薩様は何時でもお目にかかれる。それによりご縁を頂きました。
本当にありがたいことです。
せっかくですから東大寺の大仏様にもお目にかかりました。
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たくさんの豪華なお花に囲まれ大仏様も幸せそうでした。
これで予定したことはすべては無事完了。
定刻通り14時春日大社を出発、17時40分無事に福山に帰りました。
随所に観音様の恵みを感じた2日間でした。
充実した濃密な時間を過ごせたこと感謝いたします。


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例会山行1日目 「山の辺の道」

2022-04-11 23:10:10 | 日常

令和4年4月9日
山の辺の道は我国の歴史が始まって以来、都のあつた明日香から奈良まで平坦地には3本の官道があったといわれていますが今は多くの家屋が建ち、その道の有り様は変わっています。さらにその上の道の東側の山際につけれた道は今もそのまま残されて「山の辺の道」と言われています。
私は40年前に初めてきましたがその姿は当時と変わっていません。大和には昔ながらの田園風景がそのまま残っています。誰もが幼い時にみたような景色、誰の胸にも残る日本の原風景、日本人の心のふるさと、原点と言えるものではないでしょうか。
神武天皇以来今年は皇紀2682年、皇位も125代、寺院、神社、数多くの古墳群、いずれも日本最古のものばかり、万葉歌碑も62基あります。
距離は約11キロ、早く歩けば4時間、各地を丁寧に見て歩けば1日あっても足りません。
私の判断で6時間程度の見どころを選択させていただき歩きました。

今回の参加者は12名(男性2名女性10名)。マイクロバス貸し切りで行いました。
週末の天気予報は気温は高めで25度くらい、晴れの見込みで快適な山行となりそうです。
私はリーダーであり、万一遅刻してもいけないので、福山には夜中に到着、福山オート観光の駐車場で仮眠しました。皆さんも予定より早く集合され、5時20分には出発、途中渋滞もなく三木サービスエリアで一度休憩しただけで予定より1時間も早く午前9時には出発地の石上神宮(いそのかみじんぐう)に到着しました。
石上神宮は日本最古の神社、大和豪族の物部氏の氏神様、朝廷の武器庫としての役目もありました。

(石上神宮の鶏、きれいですね。)
静寂な森を玉石を踏みしめ参道を歩いていると「コケコッコー、」と元気な鶏の鳴き声。今やこの神社の人気者となった長鳴き鶏,東天紅や烏骨鶏たちです。色鮮やかな羽の色の鶏たち40羽ほどが元気に駆け回っていました。この道沿いには門構えの格調高い家屋が多い。長い歴史の賜物でしょう。

(竹ノ内環濠集落に残るお濠、当時は周囲にめぐらされていたのでしょう。)
次の見どころは竹ノ内環濠集落。家屋が立て込んだ集落周囲に堀をめぐらし外敵から防衛されたのです。菜の花畑、いろいろな花の咲き乱れる道は歩いていても楽しい。年季の入った太い幹の果樹は柿木の果樹園。この辺りは刀根柿の産地です。道端の無人売店には100円で八朔やわけぎ等が並び、梅干を購入した人もありました。

今日は雲一つない快晴の天気、気温も予報を上回り28度、体も慣れていないので熱中症にならないよう、水分補給に要注意です。
長岳寺前のトレイルセンター、満開の桜の下で食事、ソメイヨシノはすでに散り始め、風が吹くごとに桜の花吹雪が舞う。今はナラノココノエサクラが満開で天を覆う。なんという絶景であろうか。奈良公園では遅咲きナラノヤエザクラが5月上旬まで楽しめるとのこと。
次は平成10年、黒塚古墳で大量に出土しは三角縁神獣鏡をみに展示館に立ち寄る。あの魏志倭人伝で邪馬台国の卑弥呼に送られたものかも古代のロマンを感じます。
満々と水をたたえる巨大な崇神天皇陵【10代)と景行天皇陵(12代)を見る。有名な日本武尊は景行天皇の皇子である。
日本国中九州から、東国まで天皇の命令により戦いに明け暮れ、最後は伊吹山の征討で病になり、都を目の前にした亀山市の能煩野(のぼの)で、大和望郷の歌「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれるやまとし麗し」との辞世の句を残して亡くなりました。

次は私が最も見たい風景である。「景行天皇陵まで800⒨」の標識が建てられているが実際は天皇陵から少し下った曲がり角がです。角を曲がったとたん前面に三輪山の美しい三角形の山容が現れる。大和の人たちが毎日なれひたしんだ神様のお山、三輪山です。
そこには額田王が都が飛鳥から近江に遷すことになり,下向するとき、三輪山が見える最後の道の隈(曲が角)で詠んだ歌の碑が残されています。
  三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなも隠さふべしや (万葉集1-18)
三輪山をもっと見ていたいのに、雲よ、心あるなら隠さないでください。もう少し見させてください。
「道の隈」 道を曲がるごとに、そのたびに何度も何度も振り帰りみるのが、愛する者への惜別の礼儀です。
この気持ちよくわかります。山でも経験したことがあります。かって上高地で冬のキャンプをしたとき、白銀に輝く穂高蓮峰の山々に感激、別れるのが惜しく、帰る時には何度も何度も道角を曲がるたびに振り帰り別れを惜しんだことがありました。
丁度ここには広場があり、ストレッチをして体を癒やし気合を入れなおしました。
桧原神社は元伊勢と称される伊勢神宮の元祖のような神社です。それを下った井寺池の堤に川端康成氏揮毫の「大和は国のまほろば」の歌碑があります。

その手前にはご当地歌手で有名な「水森かおり」さんの「大和路の恋」の立派な歌碑がありました。なんとボタンを押すとその歌声が流れてきます。満開の桜の下、いい声です。思わず聞きほれ情緒がありました、
ここまで来ればあと1時間ばかりでおしまい。余裕が出たところで玄賓庵(げんびんあん)のお庭を見物させて頂きました。ここには元は大神神社の大御神寺にあった重要文化財の不動明王座像が神仏分離で分けられここに鎮座されています。格子越しに拝見させていただきました。
次は薬の神様、ご神水の狭井神社に参拝、儀礼に則り、いつものように鳥居のところで入る時、帰る時にも一礼をして参拝しました。
最後は大神神社(おおみわじんじゃ)霊験あらたか、しっかりとした組織で大勢の人々守られているのでしょうね。掃除も行き届き、参道に落葉一枚落ちていません。
建物の立派なこと、立派な石灯篭が立ち並び協賛金の掲示を見ても何千万円がずらりと並び財政力が豊かなことがうかがわれます。
だから広い駐車場も無料です。
15時30分予定通り全員無事に完歩しました。
これで一件落着。
このコースでは我々のような団体やツアーの団体も4から5組出会いましたが個人や数人のグループが大部分で人並みの途切れることはなかった。
いつまでも変わることなく今の姿を残してほしいものです。
宿舎のみかさ荘の近くに有名なケーキ店「空気ケーキ」があります。
下見の時お土産に購入しようとしましたが賞味期限は2時間というので持ち帰りできませんでした。
この度サプライズでロールケーキ等を予約していたので立ち寄り、宿に着いた時、一服して食していただきました。
好評でした。生クリームが時間がかかると溶けて形が崩れるので賞味期間が2時間となったのではとのことでした。

すぐ隣は春日公園、美しい庭園を眺めながら、食事も豪華で奈良を堪能しました。
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