平成26年8月27日
前穂高岳・北尾根行きの訓練全課程を終え、あとは来月天応の岩場での最終訓練を残すまでにこぎつけた。
今年2月2日の初練習から今回まで十数回の訓練を経て今日に至った。ところが藤石さんの遭難事故が突如として起こりました。
その後会長より北尾根山行計画を中止するよう要請がありました。
理由は1ヶ月もの間に2度も事故をされたら大事になる。絶対に中止してほしいとのことでした。
会長は遭難現場におられ、マスコミ、警察との対応におわれ遭難事故の大変さを身に染みて体験されておられたのでこのようなことがまたあったら大変だとの思いがあったのでしょう。
それは理解できるが我々はこの日のために練習に練習を重ねてきた。遭難事故に対してもあらゆる可能性を考え対応もできている。
まず事故の可能性は非常に低い。ここ北尾根での事故は平成23年9月4峰での滑落事故以来1件もありません。昨年度もサイデングラードや吊り尾根、ジャンダルムト等で19件の事故が発生、うち4名が死亡しているが北尾根では事故は1件もありません。ある程度登山技術のある経験者が登るのと、落石の危険性が高いので先行パーティーがいるときには危険地帯に入らないという原則が守られているためでしょう。もちろん我々もこの原則は守ります。天候が悪ければ中止するし、大人数のため順番待ちで遅くなれば中止することも決めていました。
登山ですから絶対安全とはいきませんが最大限の安全策はとったつもりです。ですから「はい、中止します」という気持ちにはとてもなれません。
「この日のために訓練に耐えて、成果を出してくれた仲間を見捨てられません。個人山行ですから自由に行っても良いのではとの気持もありました。
また親友でもある会長の立場を考えると迷いました。仲間か会長か。
友人から亡くなった藤石さんの直前の写真のことを聞きました。横尾で前日に撮った写真、明るい性格の人ですから笑った笑顔の写真と思いきや非常に暗い写真だったとのこと。・・・・・・
登山は正々堂々、楽しんでやるべきである。異なる意見であるとはいえ反対意見を押しのけて行くとその怨念が残る。登る我々もプレッシャがかかります。たとえ無事に成功したとしても会心の笑顔はえられないだろう。
来年までもう少し訓練を積みなさいということでしょう。会長に今回は中止することを伝えました。仲間もこの気持ち理解してくれることでしょう。私は高齢ですから明日はないが若い人にはまだまだいくらでも機会はあります。今回のことも良い教訓と受け止めてくれるでしょう
前穂高岳・北尾根行きの訓練全課程を終え、あとは来月天応の岩場での最終訓練を残すまでにこぎつけた。
今年2月2日の初練習から今回まで十数回の訓練を経て今日に至った。ところが藤石さんの遭難事故が突如として起こりました。
その後会長より北尾根山行計画を中止するよう要請がありました。
理由は1ヶ月もの間に2度も事故をされたら大事になる。絶対に中止してほしいとのことでした。
会長は遭難現場におられ、マスコミ、警察との対応におわれ遭難事故の大変さを身に染みて体験されておられたのでこのようなことがまたあったら大変だとの思いがあったのでしょう。
それは理解できるが我々はこの日のために練習に練習を重ねてきた。遭難事故に対してもあらゆる可能性を考え対応もできている。
まず事故の可能性は非常に低い。ここ北尾根での事故は平成23年9月4峰での滑落事故以来1件もありません。昨年度もサイデングラードや吊り尾根、ジャンダルムト等で19件の事故が発生、うち4名が死亡しているが北尾根では事故は1件もありません。ある程度登山技術のある経験者が登るのと、落石の危険性が高いので先行パーティーがいるときには危険地帯に入らないという原則が守られているためでしょう。もちろん我々もこの原則は守ります。天候が悪ければ中止するし、大人数のため順番待ちで遅くなれば中止することも決めていました。
登山ですから絶対安全とはいきませんが最大限の安全策はとったつもりです。ですから「はい、中止します」という気持ちにはとてもなれません。
「この日のために訓練に耐えて、成果を出してくれた仲間を見捨てられません。個人山行ですから自由に行っても良いのではとの気持もありました。
また親友でもある会長の立場を考えると迷いました。仲間か会長か。
友人から亡くなった藤石さんの直前の写真のことを聞きました。横尾で前日に撮った写真、明るい性格の人ですから笑った笑顔の写真と思いきや非常に暗い写真だったとのこと。・・・・・・
登山は正々堂々、楽しんでやるべきである。異なる意見であるとはいえ反対意見を押しのけて行くとその怨念が残る。登る我々もプレッシャがかかります。たとえ無事に成功したとしても会心の笑顔はえられないだろう。
来年までもう少し訓練を積みなさいということでしょう。会長に今回は中止することを伝えました。仲間もこの気持ち理解してくれることでしょう。私は高齢ですから明日はないが若い人にはまだまだいくらでも機会はあります。今回のことも良い教訓と受け止めてくれるでしょう