まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

黒岳山行の下見調査に行く

2015-03-29 22:07:47 | 日常
平成27年3月28日から29日
幸運なことに呉市から大分市に行く引越の仕事が入りこれは下見調査の絶好の機会と勇んで出かけました。
今回の山行では気がかりなことが三つあります。
1)長湯温泉とはどのようなところか.どの温泉がよいのか。
2)吉部登山口はどの経路で行くべきか。マイクロバスはそこまで到着できるのか。
3)吉部登山口から長湯温泉への道路はいかなるものか。その距離と所要時間は。

夕方には無事仕事も終え、午後8時過ぎには長湯温泉に到着しました。
午後8時というのに町は真っ暗、空いている店もなくラーメン屋の明かりが漏れるだけ。寂しい町です。
温泉の中心施設である「御前湯」のみ玄関に明かりが見える。
「御前湯」はその歴史は古く江戸時代にこの地を治めた岡藩主の湯治場として始まり、今の建物は平成10年に建てられた3階建ての洒落た洋館です。日本温泉協会公認の天然温泉で源泉かけ流し。長湯温泉の特徴は何といっても日本一の炭酸温泉、その濃さは1300ppmと言いますから炭酸泉の入浴剤「バブ」の15倍近い濃さです。入浴して良し,飲用して良しの本物の温泉です。長時間入浴するのがよいとのことで1時間以上も入っていました。気持の良いのと日ごろの疲れもあり朝まで爆睡しました。
7時過ぎには「カニ湯」に入りました。町を流れる芹川の河原にある露天風呂。幅1m、横2m、高さ50㎝位の石積の風呂です。内部は長年の茶褐色沈殿物が付着して琺瑯のようにすべすべです。脱衣場はスイタ1枚のみ。いたってシンプルです。誰もおりませんから素裸になり「ドボン」。次は近くにある「ラムネ温泉館」ただし開店は10時なのでパス。少し離れた山の中にある「宿坊翡翠(かわせみ)之庄」に行く。そこは総面積3万坪の敷地にかやぶき屋根の母屋を中心に雑木林の離れ家30棟でなりたっています。道路を挟んだ向かい側には羊の牧場があり、そこに掲げられた掲示場の言葉からはオーナーの高遠な理想と強い志が感じられます。野菜はすべて自家栽培とのこと。その農園が周囲に広がっています。心癒される空間です。風呂は大浴場はなくすべて家族湯であり当日にならないと空いているかどうか不明とのこと。非常に情緒のある宿泊したい宿坊ですが当日の利用出来るか否かは確実でないので系列の浴場である「万象の湯」を紹介されました。「万象の湯」は足湯や飲用場もあり規模は「御前湯」より小規模ですが川べりに露天風呂、内部には内湯や低温の「ブクブク湯」もあります。浴場に書かれた入浴法に従い2セットも繰り返し入浴したので1時間あまりお湯につかり大満足。ここの「天恵塾食堂」では薬膳料理のバイキングがあります。ボリュウムもあり美味です。お風呂と食事をするには最適な場所ではないでしょうか。折角来たのだから朝パスした「ラムネ温泉」を再訪。焼き杉の黒い板塀の変わったデザインの建物です。テレビにも取り上げられ人気のスポットのようです。問題のラムネ温泉は四角い露天風呂です。3桝有って20人も入ればいっぱい。当日も炭酸を体に吸収させるため長く入浴している人が多いので日曜日の午後ともなれば大入り満員、寿司づめになるかも。でも話の種にはなりますよね。それなら温泉のはしごと行きますか。・・・・今、気づきましたが長湯温泉の「長湯」というのは体に炭酸を吸収させるため長時間入浴するのでこの名前が付いたのでは・・・風呂と食事の件はこれで一件落着。

3)の課題。このコースは「ぐるっとくじゅう周遊道路」のコースになっていますから大丈夫です。白水鉱泉までは2車線ですが「やまなみハイウエイ」の飯田高原からは1車線でこのほうが狭くて悪い。

2)の課題。白水鉱泉の道路からの分岐点も確認。吉部登山口までマイクロバスでも入れます、駐車場もあります。「大船林道」「鉄山キャンプ場」「暮雨茶屋」の看板を目標に行けば大丈夫。

これで今回もまた全て課題が克服できました。前回の時は三俣山の登山口に不安があり博多に行った帰り下見に行き確認でき自信をもってやりました。今回もまた同様の下見の機会を与えてくださいました。神様本当にありがとうございます。これで準備は万全。
一昨日の3月27日、急遽4月19日に沼隈半島一周の訓練山行を行うことを伝達したが全員参加するとのこと。ありがたいことです。目標があるので参加者の意欲が違ます。12時間、約36キロ歩行への挑戦である。
この困難なコースをやり遂げればきっと大きく成長することでしょう。黒岳、大船山、平治岳を乗り越え、長湯温泉で日本一の炭酸泉に入浴し、美味しい薬膳バイキングを食べるとき、みんなどのような笑顔を見せてくれるか今から楽しみです。ヤッホー、レェツ、ゴー。
(写真は万象の湯の露天風呂です。浴槽の色見てください。年季が違います。)
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上高地ウインターキャンプ27 (神は確かに存在する)

2015-03-16 20:31:03 | 日常
平成27年3月12日から15日
今回の例会山行の目的は冬期の静謐な上高地を体験すること、後継者の育成にあります。会員12名(男性5名、女性7名)が参加しました。男性3人は北方稜線山行、名越さんの捜索にも参加した頼もしい後継者達です。同志です。
1日目 憧れの上高地は1mの積雪、薄曇りでなにも見えない。まじかにそびえる焼岳も薄いシルエット姿のみ。テント設営後、遊歩道を通りウエストン碑まで往復しました。
2日目 焼岳は姿を現したものの穂高連峰の峰々は雲に覆われ見えません。ただ雪と岩の山裾が姿を見せています。右手の明神岳は急峻なスカイラインを描き、数年前に登攀した感激を思い出させる。
我々は雪の残る河童橋に佇み「アメイジンググレース」のCDを流し、口ずさんだ。この曲ほどこの神々しい場所にふさわしい曲はない。神は美しい自然そのものであり、その姿の体現である。今回の山行のサプライズは穂高連峰に向かい立ち、「アメイジンググレース」を歌うこと。それによりこの感激をより印象深く、より強く心に刻むことであった。「神様、あなたはこの様に素晴らしい場所を創造され、我々に御見せいただきありがとうございます。貴方を心から称えます。心からお慕いします。この姿を見てあなたの存在を確信しました。」この場所に佇む仲間も恐らく同じ気持でしょう。往路は梓川の左岸の雪原をスノーシュで歩む。刻々と姿を変える明神5峰の姿を愛でながら思い切り景色を堪能する。明神館を経由して徳本峠の分岐まで行く。昼食は明神池のある穂高神社の予定。先導する班長さんにコースを一任した。最短距離の樹林帯を一直線に進むかと思いきや遠回りの河原コースを選択した。神の啓示により導かれたのでであろうか素晴らしい絶景の風景が目に飛び込んできた。今までは明神5峰しか見えなかったがここからは明神5峰から2峰あたりの白銀に輝く峰々が連なって聳え立つ。今まで幾度と歩いた登山道からは見えない風景でした。こんな景色があったのか感激。奇跡というべきか雲が切れ、どんどん青い空が広がってゆく。皆、歓声を挙げ写真を撮りまくる。神様は何という粋な計らいをしてくださるのか。我々の願いがかなった。神を信じる私にそのお姿を御見せ頂いた。ありがとうございます。昼食を雪に覆われた穂高神社で摂り、帰路の右岸側の工事道路を下っていると道路から200m位のところに青白く氷結した見事な滝が現れた。高さは優に50mはあろうか、立派なアイスウオールである。これならアイスクライミングも出来そうである。次回にはアイスクライミングも目的に加えよう。新発見です。
3日目 夜間の冷え込は殊更厳しい。外に出ると満天の星空であった。
樹林帯のテントを撤収して帰路に就く。
大正池の下流部にあるビューポイントから見返ると、この世のものとは思えない絶景が姿を表す。
皆、感激の雄叫びをあげ、この幸運を喜んだ。
雪に覆われた大正池の向こう側に化粧ヤナギの樹林帯が広がり、その彼方に一片の雲なき碧空に白銀に輝く穂高連峰が横たわる。西穂高岳、間ノ岳、天狗峰、奥穂高岳、それに吊尾根がつながり前穂高岳、明神岳の峰々が坐する。
なんという光景であろうか、無駄を一切廃し、キリッとした極限の美がここにある。
最後に最後に神は我々が恋い焦がれた光景を御見せくださった。この光景を仲間に見せたくてここまで来ました。「貴方は最後の最後に私の望みをかなえてくださった。心より感謝をいたします。」悠久不変、春夏秋冬山の装いは変われど泰然自若として変わらぬ姿で鎮座する大自然の雄姿を仰ぐ時、人間社会の出来事などなんと小さいことか、人事のことも忘れさせ、人に平穏な心をもたらしてくれる。最後に昨年吊尾根で亡くなった岳友に別れを告げた。
いくつもの「道の隈」を曲がるたびに穂高を振り返り見る。「道の隈」とは万葉集に出てくる古語で「曲がり角」の意味です。都が飛鳥・藤原京から奈良に移り、移転するとき、見慣れた三輪山との別れがつらくて、道を曲がるたびごとに振り返りみては別れを惜しんだと書かれています。今の私も万葉人と同様な気持ちで何度も何度も振り返りみては穂高との別れを惜しみました。

初日は全く姿を見せず、2日目は一部のみ、最終日は最高の光景を見せてくださった。これも神の配剤というべきであろうか。本当にありがとうございました。

今回の山行の目的は後継者、リーダーの育成である。
設営、装備、記録、食糧、会計等役職を分担し、責任を持ち、深く考え、綿密に計画し実行していただいた。
食糧の量も余らず完璧、装備も最後の清掃までよくできました。すべて非の打ちどころなし。
各人が自分の役目を完璧にこなすことによりチームワーク、信頼感も深まる。自分がチームの役に立っている喜び。
参加者をお客さん扱いせず、平等に訓練に参加し苦労を共有していただいた。
人のために尽くす・今回の一番うれしいことです。私が指示しなくても大正池やバスターミナルの冬期トイレも雪などで使用できなかったが除雪して使えるようにしてくれた。伝統は継承されたと実感した。
各人が積極的に荷物装備を担架していただいた。誰も知られない処でもよくやってくれた。感謝します。
最後の最後、無事に福山に帰るまで安全第一の精神を保っていただいた。
次期のリーダー後継者の方には高齢者の参加できる山行の在り方に留意するよう要請した。
回を重ねるごとに充実した山行が出来たことを感謝します。
どの様な反省会になるか楽しみです。
さぞ盛り上がることでしょうね。

追伸
私がこのブログで「神様、神様・・」と盛んに書いているので気が変になったのか、こんなに信仰深い人だったのかと感じておられる方がいらっしゃるかもしれません。そうではありません。私は平凡などこにでもいる「平均的日本人」です。今日呼ばれている「上高地」の名前の由来はここが標高1500mの高地にある土地だから「上高地」となずけられたのでしょう。この名前は無味乾燥で何の情緒も感じられません。
「名は体を表す」といいます。ここは「上高地」ではなく「神河内」なのです。この地は太古の昔より他にも「神合地」、「神降地」とも呼ばれ神聖な土地と崇められていました。ここを訪れた人は私たちに限らずあまりの美しさ、荘厳さに神の存在を感じてこのような名前になったのでしょう。この時、今回のように「アメイジンググレース」を聞けばさらに感動は深まること間違いありません。「平均的日本人」を自認する私も皆様と同様あまりに美しさに感動して神の存在を感じたのも当然の成り行きでしょう。あなたもこの地を訪れればその美しさに感動され「神河内」の言葉の本当の意味をご理解されることでしょう。
是非お越しください。この感動によりきっと登山が好きになりますよ。
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北茨木市磯原にゆく

2015-03-10 20:32:58 | 日常
平成27年3月10日
北茨木市と言ってもわかりませんでしたが地図を見れば茨城県の中でも北の端、なんとあの福島県に隣接する遠方の町なのです。
緊急配送の依頼がありミカン箱程度の荷物1個をハンドキャリーで運送しました。
ハンドキャリーというのは汽車や飛行機を利用して、その荷物をもって輸送する手段なんです。
なんといっても車に比べれば沢山の量は運べませんが早いというのが一番の特徴です。
9日 16時13分広島駅発の東京行き新幹線に乗り、山手線で上野まで行き、そこから常磐線の特急に乗り継ぎ、目的地の磯原に到着したのが夜中の22時50分。そこからタクシーで先方の会社に行き配達完了。距離は1100キロ、車なら18時間くらいかかるでしょう。
もう帰る汽車もありませんから磯原のホテルに泊まりました。費用は旅費などが実費で52,000円余り、それにわたくしの日当が2日分ですから相当な金額になります。お客様は信用が第一というので我々をご利用いただいております。ですからいくらかかっても信用はお金には代えられません。お客様にも喜んでいただき運んできた甲斐がありました。つくづく我々の商売は小さな軽トラックの運送屋ですが「大きな信用」を運んでいるということを実感しました。
翌朝、ホテルから近い磯原海水浴場に行きました。東北の海が見たかったから・・・
海岸近くに行くと津波で家屋が流され基礎だけの敷地があちこちにあります。風はないのに激しい波が打ち寄せていました。今いるこの地に広い大海原から巨大な波の山が襲い掛かリ多くの人が亡くなった様を想像しただけでも恐怖がわいてきます。この地は原発から80キロ余り離れていますが当時は津波と放射能汚染で大変だったそうです。地震発生から1時間30分後に津波が襲来、河口からかなり奥まで被害が広がったと言っておられました。この地に野口雨情の生家がありました。常磐線はこれから先は海岸を通るところが多いのでそれだけ津波被害が大変だったの復旧にはまだ数年かかるそうです。帰路、日立駅で特急に乗り換えのため降りました。素晴らしくモダンな駅舎です。すぐ前が海浜です。広々とした太平洋のすべてが望めます。駅舎はガラス張りの透明な建物が海に向かって伸びています。忘れられない光景です。金沢駅が「世界の美しい駅14」に入っているそうですがここ日立駅もそれに劣らない美しさです。東北は広い。汽車に乗ってもトンネルはほとんどありません。肥沃な大地が広がり光も水もあふれ発展の可能性がある土地のように感じました。
(写真は太平洋を展望するモダンなガラス張りの日立駅です)
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国の行く末を憂う

2015-03-08 16:23:17 | 日常
平成27年3月8日
国会論議においても防衛省文官優位をやめるとか海外派兵が公然と議論になり、ますます右傾化の傾向を強めております。安部首相のタカ派の性格が表面化してきました。安部さんの血統によるものでしょう。大叔父は佐藤栄作、母方の祖父は岸信介氏、そうそうたる血筋です。特に岸氏は「昭和の妖怪」と呼ばれた所以は満州国立国に関与したA級戦犯であり、安保闘争の際は右翼、暴力団,テキヤの総大将としてデモ隊を弾圧したお方ですからその行く末、目指す処は想像できます。岸氏の信条は「自主軍備確立」「自主憲法制定」でした。安部首相は尊敬すべく岸氏を乗り越え後世に名を残そうと目論んでいるのではないでしょうか。目標は岸さんと同様の公約実現でその方向に着実に進行させています。安部首相は温和な表情ですが、人質事件の時の発言「指一本触れさせない」とか挑戦的な言葉で自らの言葉に酔う傾向があり、反中嫌韓を煽り立て国内世論を右傾化させ自らの方向に傾けさせております。
当面の目標は憲法改正でしょう。いま世界中で日本の行く末が注目される中、憲法改正して日本が戦争できる国になったと公言するメリットがどこにあるのでしょうか。各国は日本が戦争する国になることを望んでいるのでしょうか。日本は戦争しない。国連のPKO活動にしても経済的支援はするけれど他国を侵略したり人を殺さない平和な軍隊だから尊敬を集めてきたのではないでしょうか。国連の活動においても大きな勘違いがある。
国際連合とは公正な組織ではありません。国際連合とは第2次世界大戦の「戦勝国連合」なのです。かっての日本、ドイツ、イタリアの枢軸国は敵なのです。仲間には入れません。いまだに枢軸国に対する敵国条項は空文化されたとはいえ残されております。わが国に対する態度はこの程度なのです。このことは肝に銘じるべきです。この様な空文化された条項さえ削除できないのにかっての敵国日本が安保常任理事国になるなどありえません。
仮にアメリカが賛成しても中国は反対し、拒否権を行使します。わが国ではあまり報道されませんが数日前国際連合の総会で中国はそのことを明言し戦勝5か国の特権拡大を演説していました。日本は国際連合の経費を10パーセント負担しています。これはアメリカに次ぎ第2位です。いろいろな経済的負担はしていますがその国際的地位はそれに見合いものではありません。経済的支援はしても指導的地位になることなど困難なのです。日本にできることはアメリカに追従すること、その肩代わりでなく日本独自で各国の経済的援助、国造りの支援し、「衣食たって礼節を知る」このことで庶民の生活の向上をめざし日本の援助で国がゆたかになった、良い暮らしができるようになったと感謝してもらえるようになることではないでしょうか。それでこそ指導的地位は向上、尊敬される国になる。
憲法9条は日本に再び戦争をさせないためアメリカから押し付けられた憲法かもしれません。
しかし、戦争放棄は人類の理想ではないでしょうか。戦争をしなければ殺人はなく人々は平和に暮らせる。日本政府はアメリカに追従し海外派遣を全世界に出動できるようにしようとしています。アメリカの支持を取り付けるためでしょう。中国やロシアは日本の台頭を望みません。拒否権を行使するでしょう。実現は不可能です。だからアメリカの先兵となり戦うことはやめた方がよい。韓国はベトナム戦争後半でアメリカの代わりに先頭に立ち多くの韓国兵を失い、その恨みから多くのベトナム人を虐殺した。戦争とは殺し合いであり、利益を得るのは武器商人だけである。隣国には強力な軍事独裁大国、中国が存在する。
我国の自主独立を保つには防衛力を強化し相応の軍備は必要である。
その軍事力を海外に向けるのは反対である。
憲法第9条は改正すべきではないと思います。
今のままでも十分に国際貢献はできます。

日本国憲法第9条
1、日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇
    又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

追伸
3月9日 ドイツのメルケル首相が来日されました。その講演の中で「ドイツは原発の再稼働を決めていたが福島原発の事故により事故の危険は避けられないと判断し政策変更、2022年までに原発を全廃することをきめた」それなのに当事者で一番危険なことは知っている日本は再稼働を進めようとしている。この先廃炉には50年の長い時間と莫大な費用がかかるのになぜ再稼働するのか。どの様な困難があろうと政治家の決断により物事は決めれれる。安全第一をモットーとする私には理解できません。考えたくもないことですが日本にはこの狭い国土に50基余りの原子力発電所があります。万一戦争となりそれらが攻撃されたらいったいどうなうのでしょうか。50発の原爆が落とされたと同じ状況になるのでは・・そうしたら日本全土は・・・・危険性は皆無ではありません。時によっては原発は最大の弱点となる。深く考えない。同様な思考でしょうドイツは有史以来の宿敵であるフランスと和解しEUを作った。ナチスの行為を謝罪しフランスも和解に応じた。日本も同じように中国、韓国と歴史認識が不足であると関係がぎくしゃくしている。相手には特殊な事情があるにせよ日本の過ちは潔く謝罪すべきではないでしょうか。わが国には先の戦争はアメリカの経済封鎖により危急存亡のためやむを得ない戦いだとの意識があるように思います。戦争だから仕方がない。大目に見られるべきとの意識があるのでは・・・だから東京大空襲で10万人の国民が殺されても、原爆投下で広島、長崎で何十万の国民が殺されても抗議しない。市民を対象とした無差別攻撃は国際法規に反する行為ではないのか。根確かにそれぞれの国にはそれぞれ違う考えがある。お互いの事情を理解し話し合いを誠意をもってやる以外にはない。うやむやで事を丸く収める日本のやり方は通用しないのです。誠意をもって、腹を割った話し合い。政治家の決断を安部首相に求めていくことは無理でしょうね。政治家は決断すれば何でもできる。メルケル首相が範を示している。
原発再稼働も「原子力規制委員会」が安全性を確認したから決断した。また今年発表される70年談話も「21世紀構想懇談会」の意見を基に決めるとしている。決定はすべて「○○委員会」のご意見というのが彼の常とう手段である。その委員会は彼の意見に賛成する人物で構成された私的な諮問機関である。決断しない無責任な政治家である。EUの代表である百戦錬磨のメルケル首相との格の違いを認識させられました。この様な人物が日本の指導者で・・・・金持ち優遇の政策、借金経営財政、格差拡大、年金の切り下げ、右翼的な政策、近隣との不協和音この先日本はどうなるのでしょうか。

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訪問者は誰。

2015-03-08 12:16:37 | 日常
平成27年3月7日
我家の小さな庭先の枯れ木にミカンを突き刺しています。小鳥を呼ぶためです。
冬期は餌が無いだろうとお米や果物を置いています。今日初めて来訪者を見ました。スズメより大きく鳩より少し小さいくらいの野鳥です。
この大きさならミカンなど一口ですね。図鑑で調べるとはっきりしませんが尾のながいところからすると「ムクドリ」ではなく「ヒヨドリ」のような気がします。お米は食べませんし、リンゴはつつきますがレモンも食べません。お好みがあるようですね。枝にさすと大きな鳥に食べられるので空中にぶら下げると大形の鳥には食べられないと新聞に書いてありましたので早速試してみました。結果はいかがでしょうか。
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頑張ってるね。下松工高山岳部

2015-03-07 15:27:35 | 日常
平成27年3月6日
山口県下松市のお得意先の近所に下松工業高校があります。帰りがけに道路のそばの部室前のグランドで生徒がテントを張っていたのでちょっと見物しました。確か一昨年のインターハイでは準優勝、昨年の大会は優勝は長崎北陽台高校で得点は99点、広島の広島学院は97,9点で4位でしたが下松工業高校は97,5点とわずかの差で9位でした。このところ上位入賞し、すっかり常連校の仲間入りを果たしています。国体山岳競技でも山口県と広島県はライバルです。そばで担当の先生が立って見ておられたのでお話をお聞きしました。「三年生が卒業しいまは部員は12名のみ。先輩達は良いお土産を残してくれました。私は3年生を担任して大変忙しいのですが生徒たちの熱気に引っ張られて出てきています。三月には合宿で屋久島に行きます」若いけれどインターハイでの戦い方はしっかり熟知されている方のようでした。寒空の下熱心に訓練している高校生達の姿を見るのは本当に頼もしく、心地良い。修道中学のワンゲルに所属している私の孫たちともいずれよきライバルとなることでしょう。ガンバレ、高校生、若き山男達よ・・・エールを送ります。
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上高地ウインターキャンプ訓練山行とアメイジンググレース

2015-03-02 22:04:05 | 日常
平成27年3月1日
今日「県民の森」で上高地ウインターキャンプのため訓練山行を行いました。ウインターキャンプは今回で3回目であり特に問題となることはなかったが「久しぶりの雪山だから不安です」という方がおられました。それなら急遽参加予定者に呼びかけたところ8名の方が参加されました。あいにくの雨模様でした。私は天候はままならない。我々人間がそれに対応すればよい、悪天候ほど得るものは多いと思っていますので天候に関係なく山行を実施しています。6時30分福山発。県民の森スキー場から立烏帽子山の中腹、標高1220mの「展望の丘」を目指します。雪もたっぷりあり登山道をスノーシュの感触を確かめながら歩きました。到着後はまずツェルトを張り、雨に濡れないようザックを収容する。次は雪の少ない時の緊急対応のためスノウマウンドを作る訓練をする。15分くらいで完成しました。スノーマウンドというのは小さな「かまくら」です。ザックを積み重ね、それにシートをかぶせ雪をかけて小山を作り雪が固まったらザックを取り出すとそのあとが空洞になるというわけです。底の部分を掘り下げれば広くなります。雪が多い時には雪洞を掘ります。雪洞内は風の音も聞こえず静かで温かい。雪の中ですから温かく氷点下になることはありません。2班に分かれて出来栄えを競争しました。4人用で40分から60分かかりましたが手順を熟知すればもっと早くできるでしょう。しかしそのためにはスノソー、スコップ、シートが必要です。これらは雪山の必携装備です。皆、雪洞作りに夢中ではまっていました。午後からは気温も下がり吹雪となりました。氷の粒が顔を打ちます。目出帽の有効性を体験しました。高山のアルプスでは肌が露出していれば凍傷になります。それから急斜面でラッセルやキックステップの練習をしました。この様な悪天候の体験をしていれば上高地でも大丈夫です。皆よい体験になつたと喜んでおられました。今回の上高地ウインターキャンプには特別な思いがあります。アメイジンググレースを聞きながら穂高連峰を眺めることです。最初に冬の上高地に来たのは平成16年3月、今から11年前です。大正池越しに紺碧の空に白銀に輝く穂高の峰々を見た時、あまりにも美しく荘厳な景色に声も出ず、ただ立ち尽くしていた。神々しさに感激したためか涙があふれました。「神様、あなたはなんと素晴らしいものをおつくりになったことでしょう。そして今わたくしの目の前に御見せいただいています。これに勝る幸せがあろうか。本当にありがとうございます。あなたの御心に感謝いたします。」 思わず「アメイジンググレース」のメロディが澎湃と湧き上がってきました。この曲は讃美歌です。と同時に大自然に対する賛歌です。
私の感動はみんなの感動です。さあーアメイジンググレースを聞きながら穂高を眺めましょう。そして歌いましょう。
アメイジング・グレース
     何と美しい響きであろうか
   私のような者までも救ってくださる
     道を踏み外しさまよっていた私を
   神は救い上げてくださり
     今まで見えなかった神の恵みを
   今は見出すことが出来る

   神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
     その恐れから心を解き放ち給う
   信じることを始めたその時の
     神の恵みの何と尊いことか
                (以下省略)


     
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