まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

牛田山(261m)~尾長山(185m)~二葉山(139m)

2013-01-30 16:35:06 | 日常
平成25年1月27日
体調も良くなり暖かい陽気に誘われ牛田山から二葉山の縦走に出かけました。
最近この二葉山は新聞にもよく取り上げられます。このコースがトレイルランニングのコースとして人気があるとか、山腹を掘り抜く高速道路5号線のトンネル問題、「二葉山山麓七福神めぐり」がパワースポットとして若い人にも人気があるようです。実はわたくしこの牛田で生まれ小学校四年までここで過ごしました。終戦後は二葉山の中腹にイモ畑がありました。チャンバラごっこやターザン遊びをしたのもこの山です。小学校の裏山の見立山には水晶を取りに登り、怖い山番の人に追いかけられた思い出も今は懐かしく思い出されます。
この両方の山は牛田小学校の校歌にも出てきます。よく歌いました。今でも覚えています。
「朝日、夕日に緑映え、雨にも風にもかわるなき、二葉、見立の、山々と、明るさ、強さ、美しさ、競うも、楽し牛田校」
牛田は古くから荘園があった土地柄で学校も136年前、明治7年に創立され、作詞が「夕日」や「村祭り」を作った福山、神辺出身の葛原しげる、作曲が古関祐而という豪華版です。
しかし当時は登山ということには関心がなく牛田山には登ったことはありませんでした。
今回初めて縦走しました。最後は神田山荘に入浴する予定でここに車を置き、いざ出発。公園から稜線に出ると135mの三角点。よく踏まれた登山道をゆくと手ぶらの散歩スタイルの人ばかり、いかにも地元の山という感じです。ランニングの人にも会いました。ただ低い山の割には階段が多いです。新しく作られた道だからでしょうか。古い道なら歩きやすくするためジグザグの九十九折に作られるでしょうが、新しい登山道は尾根筋にまっすぐに作るからこのようになるのでしょう。広島のビル街、都市の景観や瀬戸内の島々を眺めながらの山歩きは楽しい。団体の登山者はなく多くても3から4人で単独者が大半でした。、尾根道には地元から上る道が多くあります。不動院から、戸坂から、旭から、牛田東から、中山,大内越え、山根町とどこからでも登れ、どこへでも降りられるまさに市街地の山という感じですね。牛田山周辺の登山道はよく整備されていましたが最後の尾長山の下りは荒れていました。登山道が私に「助けて・・」と訴えているような気がしました。巨大な仏舎利塔からの展望も素晴らしい。高速道ができるころには広島駅周辺の展望も大きく変わっていることでしょう。東照宮の階段、疲れた膝には応えます。いったい何段あったのでしょうか。尾根筋をまっすぐに下り饒津神社(にぎつじんじゃ)の出るほうが楽でしょうね。3から4時間の手軽な山歩き、地図を読みながらの山歩きも勉強になりますよ。
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別府の正月休み(その3) 柴石温泉、亀川温泉、観海寺温泉

2013-01-09 20:58:52 | 日常
平成25年1月6日
朝一番に温泉に入り早々に次の温泉を目さし出発。
柴石温泉
この温泉は醍醐天皇や後冷泉天皇が病気治療のためご湯治されたと伝えられるほど由緒正しき温泉です。市街地から離れた山間部にあり空気も爽やかで霊気漂う観があり私の好きな温泉です。建物は平成9年に改築され綺麗です。泉質は硝酸塩泉、炭酸水素塩泉、単純温泉の3種混合泉で熱い湯、普通湯、露天風呂、床板が竹製の蒸し風呂があります。市営で料金は210円。家族連れには家族湯も併設されています。
国民保養温泉地に指定され近くには森林遊歩道もあります。1日ゆっくりと入浴したい温泉です。
亀川温泉
柴石温泉から南に下ると別府湾に出る。その浜が上人が浜です。
名前の由来は一遍上人が九州に来て初めて上陸したことに由来しています。
その海浜公園の一画に昭和61年別府市が砂湯を造りました。
地下に温泉の湯をとうして温め、その暖かい砂に全身を包み込むのです。磯の香りをかぎながら潮風に吹かれながらの15分心地よいです。料金は1000円です。
観海寺温泉
この地区には有名なスギノイホテルがあります。
私は物珍しさも有り「いちのいで会館」に行きました。ここはだんご汁つきの温泉です。
もともと鉱山の後を温泉にしたもので鉄塔が建っており露天風呂は明るいブルー色でプールのように大きな露天風呂です。山の上にあり展望はよいです。但し狭いくねくね道、天にも登るかのような急坂、離合も困難です。おまけに駐車場も10台あまりと狭い。さらに「だんご汁」も正月価格でガイドブックでは1300円となっていましたが1500円に値上げされていました。女性の露天風呂のお湯が一時でなくなったといっていました。
ものめずらしさから行きましたが二度と行く気にはなりません。
別府八湯のうち六湯に入りました。あとの浜脇温泉はヨーロッパ風のクアハウス温泉でした。温泉疲れで場所だけの確認になりました。もうひとつの堀田温泉、タクシーの運転手さんは「一番良い温泉です」と推薦されていました。次回の楽しみに取っておきましょう。山と温泉三昧の充実した正月休みでした。また明日から頑張りましょう。
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別府の正月休み(その2) 鶴見岳から内山縦走

2013-01-08 20:18:05 | 日常
平成25年1月5日
鶴見岳は別府の背後に聳え立つ標高1375mの急峻な山で山頂にはテレビ等が林立しています。鶴見岳は別府温泉の母体火男、火売という男女2柱の火の神として信仰され867年に大爆発を起こしています。登山口は標高503mのロープウエイの乗り場から。頂上まで標高差870m、この前来た時は歩けば2時間あまり要した。今回は時間短縮と縦走の時間がどれくらい掛かるか不明なのでロープウエイで行く。
行程は
ロープウエイ駅9:00-鶴見岳9:30--鞍の戸10:30--船底11:10--12:00向山12:25--塚原越13:40ーー狸峠14:25--明礬温泉15:20
山頂の気温はー5度、積雪10cm、曇りだが無風、絶好の登山日和。山頂周辺の樹木は霧氷で白く輝いています。冬にはこれが名物で見物客も多いとの事。9時の始発便は8人。皆山頂で帰られました。縦走は私のみ。雪も少なく、凍結していないので歩くのにはアイゼンを使用しなくても支障なし。左には由布岳、右には別府湾が広がるすばらしい展望を眺めながらの縦走は楽しい。鞍が戸は3つのピークからなる峰だが最後のピークに標識があった。ここからは行く先のルートがよくわかる。急坂を230m下れば船底という鞍部だ。ロープに捕まりながら下ったが雪が深かったり凍結していれば大変苦労する事だろう。くだりで良かった。この途中船底新道から登ってきたという単独登山者にであった。
船底からは林道を経由してロープウエイ口に戻れる道がありました。多くの登山者はここまでで引き返しているようです。ここから先は踏み跡はありませんでしたから。
船底から向山までは標高差130mだが頭上に覆いかぶさるように見える。最後の登りに気合を込める。登るに連れ雪も多くなら道が消えうせ樹木を掻き分け、岩をこり越えて直登してみると登山道は左側にあった。向山からは360度の展望が楽しめる。霧氷の白色、麓の草原は狐色、別府湾は青く輝き、前方には由布岳、その遥か彼方には九重山が見える。時折「ドーン」と砲弾の音が響く。これから先は稜線伝いに行けばよいのだが雪で登山道がわからないので地図と磁石で慎重に方位を確認しながら、テープを探しながらの歩行となる。特に下りは慎重になる。間違ったコースを下れば登り返しが困難なほどの急坂である。そこにはたいていロープが張られているのでそれを確認しての下山である。今日は天気に恵まれ、見通しも効くから良いけれどもガスや雪で前方が見えなかったり凍結していればかなり苦労を強いられたであろう。急峻な斜面を下り、痩せ尾根を過ぎると1039mの測量杭があり塚原越えも近い。塚原越えは前方の伽藍岳との広い鞍部である。左の広い道を下れば塚原温泉もすぐのようです。私は右側の鍋山、明礬温泉に下る。3箇所下山路があったが一番立派な標識の明礬温泉の道を選んだ。距離2500mとあったがその道の長いこと。樹林帯の中で展望もなく石ころだらけの道をひたすら下る。1時間40分も掛かりようやく明礬温泉の湯の花小屋に出た。こんなことなら谷を下り鍋山に出たほうが早くて楽だったように思いました。自動車道を避けて民家の中を下っていると地元民の共同浴場がありました。これぞ天の思し召しと感謝し入浴させてもらいました。60度の源泉掛け流しの浴槽に水を入れて温度調整しているとの事。熱い温泉は体がしゃんとして心地よい。神様にお賽銭と安曇野のりんごをお供えしました。今夜の宿はかんぽの宿、また温泉に入り、ビールでのどを潤し、ご馳走を食べ、心地よく爆酔しました。
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別府の正月休み(その1) 竹瓦温泉

2013-01-07 22:29:06 | 日常
平成25年1月4日
この正月は電話当番でどこにも行けず図書館で本を多数借りて読書三昧のつもりでいましたが4日から交代してもらうことができ、急遽保養のため別府温泉に出かけました。
今回の別府旅行で一番行きたいところは竹瓦温泉です。別府にはもう10回以上いっていますがここは知りませんでした。テレビとか雑誌でも別府の情緒が残る場所としてよく取り上げられています。温泉街のレトロな裏町散歩として観光コースがあるほどです。場所は別府駅の南、海岸近くを走る国道10号線から1歩入ったところにあります。驚いたことにこの周辺はソープランドやスタンド、クラブなどの立ち並ぶ歓楽街で客引きの人が立ち並んでいるような町がどの一角に立っていました。周囲の建物とは全く似つかわしくない唐破風の屋根を持ち、これに入母屋造り寄棟造りの屋根が加わった壮麗な大寺院のような姿が特徴です。最初は明治12年に創設され、屋根が竹葺のため「竹瓦の湯」とよばれ手いました。現在に建物は昭和13年に作られたものですが今では登録有形文化財に登録されています。泉質は炭酸水素塩泉で源泉掛け流し、料金は風呂は100円、砂湯は1000円です。初の体験なので砂湯に入りました。浴衣を着用して砂に埋もれるのですが一瞬冬山訓練の埋没体験を思い出しました。砂が重たいのです。15分埋もれています。経験者は夏は暑くてたまらなかったといっておられましたがこの時期気温が低いので背中は下からの温泉熱で熱いのですが上のかけた砂は冷えて熱いということはありませんでした。一度に八人、準備を含めると1回30分位掛かりますから1時間にせいぜい20人くらい。そのため正月のお客が多い時には順番待ち2時間もあったとか。
入浴客はほとんど観光客でした。
次の温泉は宿泊も兼ねて、いつものとうり明礬温泉の温泉保養ランド。男女混浴の池のような大きな露天風呂に入りゆっくりと心行くまで泥海につかり、日頃のたまった疲れを流し去りました。
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平成二十五年度 初日の出

2013-01-02 10:12:57 | 日常
平成二十五年1月1日
新しき年の初めの初春の、今日降る雪のいやしけ吉事(万葉集)

いつものとうり今年も岩谷の観音さんに登り初日の出を拝し、今年1年の平安を祈念しました。山頂付近は昨日降った雪が残り登山道は凍結していました。天気予報では雲が多く初日の出は困難ということでしたが私には観音さんにおまいりする目的もあり天候に関係なく出かけました。しかし予報に反し風もなく穏やかな天候で雲も少なく日の出は期待できそうです。参拝者は100人あまりで昨年より少ないようです。日の出は無理との予報のためでやめた人も多かったのでしょう。
広島の日の出時刻は7時16分でしたが山頂では7時36分でした。明るく力強く今年の発展を約束するような日の出でした。帰路に地元の今宮神社に初詣に行きました。神社も町も人影もなく静かな町の元旦の風景でした。風呂に入り冷えた体を温め、雑煮を作り、年賀状に目をとうし友の安否を尋ねるいつもと変わらぬの元旦の朝でした。
 今年もよろしくお願いします
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仕事納めと今年回顧

2013-01-01 23:55:41 | 日常
平成24年12月31日
今年も今日でおしまい。最後の仕事は「おせち料理」の配達。昨夜調理された料理を店舗や配送センターへ午前3時から6時までにまで届ける仕事です。シェフが真心込めて調理された大切な荷物であり、代替品はないのだから、荷崩れや落下などは絶対に赦されない仕事ですから失敗は赦されない。慎重になります。広島市内4箇所と山陰の松江市内1箇所の計5箇所配達しました。山陰への峠越えの道は雪も降り大変です。無事に届けと祈らずに折れません
何事もなく無事に完了。一休みして昼に会社に集まりミーティングをして仕事納めとなりました。皆には苦労に報いるためおせち料理をお土産に持ち帰ってもらいました。
厳しい時代いろいろなことがありましたが皆の協力により乗り越えました。業績も向上、顧客満足度NO1を目標にかかげ、いかなる仕事も真夜中でも何時でも断らない、誰にでも親切丁寧を心がけた成果だと思います。中高年の社員ですが一生懸命良く働いてくれたと思います。自分の目指す経営が出来たと感じます。最後に全員で記念写真を撮りました。
 今年一番ショックなことは友人の死亡でした。赤帽をはじめた時からの仲間であり、仲間内では一番若く、元気だったのに病死とは全く信じられません。人はいつかは死ぬとはわかっているけど・・・・寂しい限りです。そういえば今年はずいぶん多くの有名人が亡くなりました。年末12月だけでも森光子、中村勘三郎、広島ゆかりの「はだしのゲン」中沢啓冶氏、将棋の米長邦雄氏、小沢昭一氏が亡くなりました。歌手、芸能人だけでも伊藤エミ、宮史郎、尾崎紀世彦、小野ヤスシ、、山田五十鈴、大滝秀治、藤本義一、北公次、淡島千景、二谷英明ほかにも髭の三笠宮家寛仁親王殿下、カンボジアのシアヌーク殿下ほか巨星落つの感有り。人の命には限りがあると痛感しました
私もあと何年生きられるだろうか行く末を思わずにはおれません。いつお迎えが来てもよいように身辺整理を心がけ、悔いのない生き方をしなければならないと思います。会社でも会でも、先行き不安でまた死を意識しだした中高年に如何にしてやる気を起こさせるか名案はないものか、活性化するための方策を思案する次第です。
今年も事故なく無事に過ごせたことを感謝します。
来年もまたよい年でありますように祈念します。
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