まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

山田堰と斉明天皇陵・原鶴温泉

2020-03-30 23:36:26 | 日常
令和2年3月29日(日)
今日、引越で久留米市に行きました。その折、予てより念願していた「山田堰」に立ち寄りました。この山田堰はアフガニスタンで中村哲氏が住民の生活をよくするには「百の診療所より一本の用水路」が必要であると灌漑水路を建設した時のモデルとされた灌漑施設だからです。この工法が採用されたのは大型建設機械がなくてのできること。後の維持管理が容易であることが決め手になりました。この筑紫川は利根川、吉野川と共に「日本三大暴れ川」と呼ばれる川です。現地に立つとダムが放流中のため増水した水が広い石畳みの上を白浪を立てながら流れていました。この堰は1790年、古賀百工翁が藩命により干ばつ対策の農業用水確保ため築造されました。その工法は「傾斜堰床式石張堰」と呼ばれ斬新なものでした。川の地形や流れを巧みに利用して、流れに対して斜めに石積みして広い石畳みの堰を作り、平素は3本の水路で下流に流すが増水すればその石積された広い石畳みを越して流れる。せき止められた水は灌漑用に取水し、堀川用水路とした。この工事には62万人もの農民が従事し、用水路の長さは88㌔、650haの畑を潤した。その用水路には2連、3連の水車が7か所余りも作られて農業発展に寄与し田園風景に民俗文化財としてインパクトをもたらしています。これらの施設は「世界かんがい施設遺産」に認定されています。
この堰の横に恵蘇八幡宮があります。そこはかって「朝倉橘広庭宮」と呼ばれた由緒ある所です。
日本書紀によれば「660年7月、百済が唐・新羅連合軍に滅ばされると、斉明天皇は百済救済のため難波より661年3月九州に入り、その年の5月、朝倉橘広庭宮に遷られたが病気のため7月24日、崩御、中大兄皇子は7日後の8月1日にこの地にご遺体を移し、一時的に葬る」とあり地元ではこの山を御陵山と呼んでいます。恵蘇八幡宮裏の標高70m余りの展望の良い小山の頂の鬱蒼と繁つた森の中に小さな陵があり、その周囲は高さ1m余りの石柵が巡らされており、中央の塔石には「斉明帝藁葬地」と刻されているそうです。天皇の陵とは思えないような質素なものでした。大宰府には水城や山城等の城郭などを築きながら50キロ余りも奥に入ったこの地に本陣を置くとは予ほど唐・新羅連合軍の来襲を恐れていたのですね。その心労のため急死されたのでしょう。
この隣に原鶴温泉があります。15軒余りの温泉旅館のある小さな温泉です。大都市福岡から70キロ余り、博多の奥座敷といえる趣があります。私のイメージでは「美人の温泉」です。それはかって妻と来た時、展望の良い温泉でしたが妻が「見たこともないような若くて美しい絶世の美女に会いました」と話をしていました。妻のことですからいろいろお話をしたのでしょう。博多の水商売をしている方のようでした。それ以来、私には原鶴温泉は「美人の湯」となりました。今回は夜でしたから道の駅近くの家族風呂に入りました。3人用の個室のお風呂で料金は2100円でしたが一人なので少しサービスしていただきました。桧造りのきもちのいい、硫黄泉のお風呂でした。疲れもすっかり取れました。
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「日本三美人の湯・湯の川温泉」に行く

2020-03-22 21:55:19 | 日常
令和2年3月22日(日)
午前1時過ぎ、床に入りうとうとしていると電話が鳴る。医療機器の緊急輸送依頼で出雲市内の病院へ運送する内容。病院の仕事は新型コロナは関係なくコンスタントにあります。聞くところによれば大手引越会社の引越は景気悪化の為か社員移動を止めるところが多く半減しているとのこと。後半はどうでしょうか。今回の輸送時間は約3時間、寝るのが少し遅くなるが商売、商売。待っている人があり、頼りにされているので断れません。今宵の宿は「ホテルあかぼう」ですから登山用の寝袋を持参して出かける。ほとんどが高速道路の運転で、夜間ですから車も少なく予定時間通りの午前5時前には無事、引き渡し完了。後の楽しみは源泉掛け流しの温泉に入浴すること。近くの「道の駅・湯の川」で仮眠する。ここには無料の足湯設備があるとのこと。夜間は使用できるのかな。夜間だけども駐車場の半分くらいは車中泊の車両が駐車している。キャンピングカーも3台ばかりいる。大型トラックも10台程度。連休の影響で多いのかな。山陰でも出雲方面に来た時は湯の川温泉。松江方面に行った時は玉造温泉に立ち寄り入浴して帰ります。今回の湯の川温泉は日本三美人の湯と呼ばれる名湯です。神代の昔、因幡の国の八上姫が入浴、疲れを癒やされたという由緒正しい温泉です。ここには5軒ばかりの和風の旅館がありますが私が利用するのは日帰り入浴施設の「森の露天風呂・ひかわ美人の湯」です。泉質はナトリウム カルシュウム 硫酸塩 塩化物泉(低長性弱アルカリ性高温泉)アルカリ性ですから肌がつるつるになります。PHは8,4とのことちょっと低いのが気になりますが。源泉の温度は49度、広い露天の岩風呂は周囲は爽やかな森の中、ゆったりとリラックスできます。午前10時から午後9時までが利用時間。時間前には20人ばかりが待機中、受付の方に尋ねると今日は500人くらいのお客さんがあるでしょう。平日は200から300人、5月の連休には千人くらい来られるそうです。料金は高校生以上600円、小中学生400円、65歳以上の私は400円。県外の人でも割引になるそうです。食堂、2階には休憩所もあります。駐車場もたっぷりあります。明け方猛烈な風が吹きました。前線の通過によるものです。幌車ですから倒されるのではと心配しましたが9時過ぎには収まりました。出雲地方はそばが有名ですが私のお気に入りはドライブイン『はしもと」です。セルフの食堂ですがおかずがいろいろ選べます。別棟では仕出しもされているから味もよい。駐車場も広く、今は乗用車が50台余り、大型トラックが5台程度駐車しています。昼前にはほぼ満員の盛況です。美味しいところは皆よく知っています。私のお薦めのお店です。期待は裏切りません。「はしもと」の住所は松江市宍道町佐々布2457-120、国道9号線沿い、道の駅と54号線の分岐の中間点、2キロくらいの位置です。温泉と美味しい食事。良い休養となりました。月末は何件も引越が待っている、頑張りましょう。
(写真はひかわ美人の湯の露天風呂、左が岩風呂の露天風呂、真ん中は打たせの湯、右が源泉掛け流しの浴槽です。)
追記
今日、広島市の桜が平年より5日早く開花しました。しかしながら、この桜標準木は3月31日まで閉園中の縮景園の中にあり見物できないようです。
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人生に別離なくんば 誰か恩愛の重さを知らん

2020-03-20 23:27:08 | 日常
令和2年3月19日(木)
人は別離がなかったなら、恩愛の重さを知ることがない。中国、北宋時代の詩人、蘇東坡の言葉です。私も年を経るごとにその思いは深くします。
祖母は現在101歳、姉に世話をしてもらいながら日々穏やかに生活しております。私は毎月1回、ショートステイの迎えに行っています。祖母も私に会うことを楽しみにしているようです。私も祖母はこの先そう長くは生きることはないでしょうから今のこの時を大事に思っております。広島県の最高齢者は111歳、おそらくそこまでは生きられないでしょうから日一日を本当に愛おしく感じています。耳も聞こえにくい、目の視力が衰えてきており、歩行も困難で車椅子の生活ながらいたって健康、訪れる友人たちとオせロを楽しみ、何でもよく食べます。まだ手紙が書けるほどの元気があります。明るい性格で多くの人に愛されています。人が好きなのがよいのでしょうか、私も祖母との会話で笑うこともあります。本当に素晴らしい生き様を尊敬しております。一時でも長くともに過ごせますようにと、この一瞬を写真にとりました。親子、本当によく似ていますね..
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加藤武三 回顧展に行く

2020-03-15 22:28:49 | 日常
令和2年3月15日(日)
今日,広島市中区鉄砲町、ギャラリーブラックで開催された加藤武三氏の個展を見物してきました。
かって、広島の山仲間においてバイブルのごとく読み継がれた書籍は「西中国山地」(桑原良敏著)と「広島をめぐる山と谷」ではないでしょうか。
加藤武三氏の書かれた「広島をめぐる山と谷」は広島周辺の山のガイドブックとして登山を初めた頃からの愛読書でした。この本を片手に近郊の山々を歩きまわり、歩いたところは赤鉛筆でルートを書き入れ、地図が赤くなるのを楽しみに歩き回っていました。本当に懐かしい思い出が一杯つまっています。この本は昭和23年から亡くなる直前の昭和48年まで19版も刊行されています。氏は昭和6年に広島山岳会に入会、のちに分かれて昭和25年、広島山の会を結成、初代会長を務められました。山に登る傍ら絵も描かれ個展の会場には80点余りの絵画が展示されていました。どれもほんのりとした心が喜ぶような絵画ばかりです。よくこんなにたくさん描かれたものですね。ちょっと絵に付け加えられた文章、これが本当に良い。この文才を発揮して詩集「焚火」を出版されています。山と絵画と詩さいとその才能は我々の理想とするところです。和48年10月、61歳でお亡くなりになつたとのこと。懐かしい思い出に感謝の心を込めて2号くらい小さな絵画でしたが「錦秋」という題の絵画を予約して帰りました。手元に置いた楽しみたいと思います。元気をもらいました。
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今年は[沈黙の春]ではなく[沈黙の一年]]となるか

2020-03-12 16:21:15 | 日常
令和3年3月11日 今年も我家の庭先には真赤なボケの花が咲いています。 しかしながら新型コロナウイルスの感染拡大は全世界に拡大して収まる気配はありません。春をよぶ高校野球も無観客試合にて開催を目指していましたが今日中止が決まりました。高校生の全国競技大会は早々にすべて大会中止になったのになぜ高校野球のみ特別扱いなのか疑問に思っていました。高校野球は高体連(全国高等学校体育連盟)の陸上、サッカー、バレボール等の競技種目33競技に所属しておらず別組織の高野連(日本高等学校野球連盟)の所属であることがわかりました。結局、人気度、収入額が違うため、出場選手の経費負担等待遇に差があり、優遇するため別組織にしているのでしょう。不公平だとは思いませんか。恩恵はすべての高校生のスポーツ選手のために使われるべきです。学校休校は3月15日までとなっていますが、その他の催し物も専門家会議の答申として10日間の自粛延長が要請され、結局、延長されることになるでしょう。プロ野球開催も来月に延期になりました。大相撲も無観客試合で開催していますが全く迫力がありません.拍子抜けです。観光業だけでなく、演奏会も、美術館も休止、すべての産業に自粛が求められていますが高校野球も中止だから仕方ないとの雰囲気も蔓延しております。回復の兆しはありません。いつ迄続くのでしょうか。時を同じくしてWHOはこの感染症は「パンデミック」(世界的大流行)と表明しました。各国が入国制限をしており早急に収まる気配はありません。この状態では東京五輪も日本側に開催決定の権利はありませんから開催も危ぶまれ、このままでは中止となることでしょう。そうなれば日本経済はさらに冷え込み倒産、失業者も増えることになります。 私は4月4日に江田島の例会山行を計画していますが、4月以降の例会山行はどのようにするのか会に問合わせをしています。比婆山国際スカイランも5月31日開催、これもどうすべきでしょうか。 大変な1年となりそうです。 「沈黙の春」とはレイチェル・カーソン著書名。DDTなどの化学農薬の普及により、土壌汚染、生態系の変化により鳥などが鳴かなくなったことを訴えた著書の名前です.。 追記 今日は東日本大震災の日でもある。 あれから9年を経過、津波による被害はかなり復旧したが、原発の影響はまだまだでいまだ住めない地区が残されております。政府の計画ではあと30年余りで復旧することのなっているが廃炉の手順も未確定で手探り状態、大幅に伸びるのではないでしょうか。国家予算の何倍ものお金が必要です。この度の確定申告でもあと19年間、2、1パーセントの復興税の負担があります。今、汚染水の処理が問題となり海洋放出が議論になっております。できない責任を地元に負担させる。このやり方が許されるのでしょうか。できないものは作るなと言いたい。この現実を原発を抱える市町村の関係者はよく見てほしい。事故が起きれば福島と同じ状態となることを肝に銘じていただきたい。 今になって分かったこと。被害額の査定を行うのは国であり加害者の東電である。中立的な機関が妥当な的な額を算出したものかと考えていたがそうではないようです。裁判でないと被害者側にとって有利な金額が査定されないことがわかってきた。被害額が多額になることを原発業者は認識すべきである。それも今後の原発開発の危険性に入れるべきです。 あれから9年、住人の意識も風化しています。私が支援してきた高校生の地元商店を支援してきた組織も活動が低下してきています。いまだ支援要請がないことは…もう取りやめたのかも。昨年の通信では受験勉強と両立させるため苦労していると書いてありましたから・・・当初の発起者たちの「地元の人たちの役に立ちたい」という情熱は伝わってきません。 意識の変化は震災遺構の保存にも表れているように思います。先日テレビで気仙沼向洋高校の旧校舎を震災遺構として残し伝習館と共に公開されたとの番組がありました。百聞は一見に如かず。それは心肝を寒かしめるものでした。被災建物などを残すかどうかについては多くの議論がなされました。結局、被災者の「肉親が亡くなった建物など見たくもない。思い出しても心が痛む、早く撤去すべし」との感情論により多くが取り壊されました。当初はそのような心境であっても復旧が進み、心の整理がつくと、この場所でこのような悲惨なことがあったことを知ってほしいという心境に変わられるのではないでしょうか。30年、50年たち、震災を知らない世代にこの惨状を知らしめるものは言葉ではなく、この遺構しかありません。この度の震災で被害がなかった街には、前回の大津波の教訓として「これより下には家を建ててはならない」との石碑が残され人々がそれを守ってきたからです。残された震災遺構をこれからも大切に保存し、二度と被害がなきよう継承してゆきたいものです。
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身近な「新型コロナウイルス」の影響

2020-03-06 14:32:31 | 日常

令和2年3月5日(木)
会社の近所にある『くすのきプラザ」の駐車場が半分に削減されました。
なぜかなと思いましたがすぐにその理由がわかりました。休館されたのです。そこにある体育館、図書館。大小のアリーナ.トレーニング施設等すべての施設が感染拡大防止のためとして3月16日まで休止となりました。それに関連して3月中に開催予定の町内の諸行事も中止となりました。府中文化協会の文化祭、作品展、音楽会、コンサート、体協のウォーキング会、百人一首のカルタ大会も中止になりました。ほとんどすべての行事が中止という状態です。
隣の学習塾も3月末まで休みになりました。
子供の居場所はどこになるのでしょうか。
カラオケに行くグループも多いのでしょうか少・中学生はお断りの記事もありました。
昨日、比婆山国際スカイランの第6回実行委員会が開催されました。5月31日の開催を目指し着々と準備が進められていますが今日の一番の議題は大会を開催するかどうかということです。日数がまだあるようですが準備は進めなければなりませんので日程は詰まっています。広島県ではまだ感染者が出ちませんがそのうちには出てくることも考えられますが3月16日以降には政府から何らかの方針が発表されることでしょう。それを待って決定は来月初めまで先送りとなりました。3月中の開催予定のマラソン大会はほとんど中止。その場合でも参加費は返金しないと報道されています。募集規定にそのことが書かれております。開催が危ぶまれているのに申し込みをして返金されないのでは申込する人はいないでしょう。マラソン大会で中止の場合返金されないのは準備に多額の費用が掛かっているのでその経費を負担できないからです。中止の場合、興業中止補償保険に加入していれば参加費は返金できますがそれに加入すると高額の保険の掛け金は参加者にご負担いただくようになるんで参加費が高くなるから保険に加入する大会は少ない。
安全宣言が出ればよいのですが東京オリンピックの開催も危うい昨今、急に感染が収まることもないでしょうですからむつかしい判断を迫れることなることでしょう。
参加者のためになる結論を出したいものです。
マスクやトイレットペーパーの品不足が話題となっていますが、仕事面では「即席ラーメン」の運搬する会社の仕事が多忙です。休校により留守番する子供の食事にするため需要が多いためのようです。部品を納品する仕事の数量も減少しています。中国依存の影響でしょう。部品がなければ完成できず工期が遅れています
感染の影響は観光関連だけでなく製造業にも及んでいます。あらゆるところに影響が出ています。
大不況の兆しも見えます。安倍さんもいよいよ最後の時を迎えることでしょう。
追記
3月7日 広島県内で初めて感染者が確認されました。広島市安佐南区の30歳代の自営業の男性とのこと。地元民放テレビ番組では特集を組んで報道されていました次々と感染者が広がることでしょう。
トイレット不足はデマと分かり店頭には1家族1個と制限されていましたが並んでいました。
3月9日 広島市長は6日の検査で陽性と判定されたが、7日再検査の結果陰性であると判明した。発表が遅れたのは濃厚接触者の結果待ちしていたためとのこと。全員陰性でした。
クルーズ船では陰性と判断されていても2週間の観察期間を過ぎても陽性になることも稀にあり、ウィルス菌が少なければ症状に現れないようで正確な判定は困難のようです。
感染すると企業名は公表されるが、個人名は家族の強い要望、プライバシー保護の観点からとして公表されません。すぐに症状が現れませんから感染防止の点からは障害になるように思います。今後の課題ではないでしょうか。

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ボケ防止には登山道整備が一番。

2020-03-03 00:36:39 | 日常
令和2年3月1日(日)
私の日曜日の過ごし方は何も予定がなければ朝寝で又二度寝をして8時ごろまで寝てしまいます。ゆっくり朝食を作り、布団を干したりしているとだらだらと昼前になってあっという間に1日が過ぎてしまいます。山に行っていれば早立ちの時には午前4時には活動をして充実の時を過ごしているのに・・・なんと自堕落なことでしょうか。毎日が日曜日ではボケてしまうのが当たり前のように思えてきます。
今朝は東京マラソンがありました。大迫選手の日本新記録のレースには感動しました。挑戦という言葉に勇気をもらいました。そのように思い立つと何か残したくなり猪に荒らされた岩谷観音の登山道整備に出かけました。土が柔らかく猪の好物のミミズの多いところですが、急坂で重要な部分のため猪に壊されないように前回コンクリートを打ったのですが厚さが薄いため壊されてしまいました。負けたことが悔しくて今度こそは壊されないようにするため前回の倍以上の厚さにしました。1段の平面の広さが1,2平方メートルくらいありますから、セメントが15キロ余り、砂や砂利が20ℓのペール缶で3杯くらい運び上げてようやく1段が仕上がりました。今度こそは大丈夫ではないでしょうか。猪との根気比べです。猪には登山道を荒らさなくて周辺の草地で済ませてほしいものです。段木は鉄筋を40から50㎝を打ち込んでいますから、人間がバールでも持ち上がりませんから大丈夫。土の平面部分はコンクリートを打つか、土嚢袋を2重に重ねないと1袋では掘り返されます。1段目は地下深く埋め込んで掘り返されないようにして、その上にもう1段敷き詰め、2重にすればほぼ大丈夫のように思います。掘ってもまだもう1段あれば、力を尽くしても無駄だと学習すればあきらめてくれるのではないでしょうか。そうなれば登山道はあきらめてその周囲を掘った方が楽にミミズが採れると感じてくれるのでは・・・その傾向がだんだん表れてきています。また多くの人からも感謝のお言葉をいただくことも精神的には良い励みとなります。ボケは何もしないこと。体を使わないこと。何も考えないことが一番のように思います。老人ホームに入るとボケが早いのがわかるように思います。登山道の整備は終わりということはありません。何歳になっても続けることができます。汗を流し体を鍛え,猪との戦いに頭を使い、登山者に、山の神様に感謝のお言葉をいただき元気をもらう。ボケ防止には最適だとわかりました。
(写真の階段の下から2段目のコンクリートを打ちました。まだ固まっていないので保護のため黒い土嚢を置いています。1段目の右側、土嚢を2段重ねているので掘り返さなくなりました)
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