まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

何故・冤罪事件が繰り返されるのか(松山東署誤認逮捕事件)

2019-08-27 22:33:35 | 日常
令和元年8月27日
台風10号の上陸以降、雨模様の日が10日あまり続いています。夏なのになぜかと考えて見ますと例年9月に発生する秋雨前線が半月も早く到来しての現象だと思いました。気候が変わってきているのです。このうっとうしい天候に加え、更に疎ましい冤罪事件が発生し気が重くなりました。8月25日「煙石博のブログ」に掲載された「松山東署誤認逮捕事件」です。煙石博さんの冤罪事件と同じ構造です。この事件は今年1月、女子大学生がタクシーの車内から売上金5万5千円を盗んだとして5月下旬から連日取り調べを受け7月8日家宅捜索を受け逮捕されました。この時点で実名で公表されました。そうなると一般人は犯人と考えます。しかし、タクシーに乗車していなかったことが判明、別な容疑者が浮上したことから10日に釈放され、7月18日に誤認逮捕であったことを認めた事件です。ドライブレコーダーに写った写真と似ていたこと。容疑者が同じアパートに住んでいたこと。この偶然が重なり犯人とされて様です。乗ってもいないタクシーに乗ったことにされ警察側は犯人と思いこみ、連日自白を強要された。無罪が明らかになったのちも謝罪はなく警察は「誤認逮捕となった原因を調査する」とコメントしているだけ。警察は21日に県警察職員の福祉厚生団体である互助会から見舞金として50万円を支払ったとのこと。なんとも妙なことをするものだ。償いなら国家賠償補償としてなされるべきものなのに・・・警察の誠意を見せたつもりなのでしょうか。8月1日に被害者の女子大生が取り調べの状況を書いた手記を公表されその記事が読売、朝日等の全国紙で報道されました。中国新聞では取り上げていませんでしたが・・・「煙石博のブログ」にその手記の内容が掲載されていますのでご覧ください。警察の取り調べの状況が詳しく記載されています。今治市出身の山本国家公安委員長は記者会見で「極めて遺憾である。大変な怒りを持って推移を見守りたい。良く指導する」とのコメントを出されているが幾度となく繰り返される誤認逮捕にどのように対処されるのでしょうか。ちなみに2010年度には343件もの誤認逮捕があったとのこと「明日は我が身」と考えざるを得ないですね。取り調べの可視化、弁護士を取り調べに立ち会わせることこれなくして被告の権利は守れないように思います。何度も言うことですが警察ごとには弁護士を呼び同席してもらうこと。これ絶対、大切ですよ。助けに来てくれる弁護士を見つけておきましょう。

松山地検はこの事件について被疑者補償規程にもとずき、一日補償額の最高額である12500円の3日分 37500円を支払うことを決めたとのこと。
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幸手市長辞職に追い込まれる。

2019-08-20 22:02:19 | 日常
令和元年8月20日
広島の平和記念式に出張し,深夜、飲食店の女性従業員に暴行したとして現行犯逮捕されたが、翌日、何の説明もなく処分保留で釈放された渡辺邦夫市長、11月の任期いっぱいまでやめないとしていたが今日の市会臨時会で不信任の審議予定であったが突然、辞職願を提出した。その結果全会一致で承認され21日付で辞職することになりました。9日の釈明会見では「事実無根、今後も争う」としていたが市民から抗議の電話が殺到し市役所の業務運営に支障ををきたすとして辞職に追い込まれたものです。弁護士の力により拘留を免れ放免されたが悪事を見逃すことに抵抗があり、私の心中はわだかまりがあリ、釈然としなかったが一般の市民感情までは抑えることができなかった。溜飲が下がった。老子に曰く「天網恢恢疎にして漏らさず」 天に張られた網の目は粗くて悪事も目から漏らすのではと思われがちだが、悪事は必ず天罰を受ける。実に良い言葉だ。各あるべし。
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さすが久保豊年・冤罪弁護士「警察を黙らせる」

2019-08-09 22:48:32 | 日常
令和元年8月9日
夕方のニューㇲを見ていると埼玉・幸手市長の無罪主張会見になんとあの煙石さんの無罪を勝ち取り一躍冤罪弁護士として有名になった久保豊年弁護士が登場されているではないか。懐かしいですね。元気に活躍されているようで結構ですね。久保弁護士の登場でこの事件は一件落着と感じました。この事件よくわかりませんが私が勝手に推察するに8月6日の平和式典に埼玉から出張して参列、午後は宮島を視察。何を視察されたのでしょうか、観光旅行ではと思いますが。夜は同行した職員と居酒屋で飲み、夜中0時にまた一人で飲みにホテルを抜け出し、いかがわしいバーにでも行き午前2時過ぎに料金トラブルを起こし、女性暴行容疑で警察に逮捕。8日検察庁に送検された。普通なら容疑を否認しているのなら身柄を警察に拘束して取り調べられるがさすが久保弁護士、逃亡や証拠隠滅の恐れがないとして警察に圧力をかけ、釈放させ、9日には埼玉に帰って「青天のへきれき」と無罪を主張会見されています。市長もよい人を弁護士に選任したものです。煙石さんも身に覚えがないとして容疑を否認した。そのため28日間も警察に留置され、自白を強要され続けた。煙石さんも広島の有名人であり、自宅も町内にあり、逃亡の恐れはないし過去のことなどで証拠隠滅の恐れもありません。それでも拘留された。警察に呼ばれたらすぐに「弁護士を呼んでくれ」といえば警官はめんどくさがつて、たいてい釈放されると聞いたことがあります。警察は弱い者には強く出るが強いものには弱いものなのです。久保弁護士は広島の警察にとってはまさに天敵。最高裁判所の無罪判決において広島の警察の無能ぶりを厳しく糾弾されていますから。警察も最高裁で冤罪を勝ち取った久保弁護士のご威光には逆らえなかったのですね。釈放理由も説明されていません。言えばぼろが出るの言わないのでしょう。バーの被害者も加害者の市長もお互いに弱みがありちょうどよいところで手を打たれたのでしょう。持つべきは敏腕弁護士ですね。近く市長選挙があるとのこと。例えこの事件は不起訴になってもこのお行儀の悪さでは再選は難しいのではないでしょうか。高い広島の夜になったようです。この内容はすべて新聞報道を基にした私の想像ですから悪しからず。
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二つの原爆慰霊祭

2019-08-07 14:51:40 | 日常
令和元年8月6日
今年もまたあの日がやってきました。父の勤務していた広島郵便局の慰霊祭に参列しました。広島郵便局は原爆ドームの近くにあり、建物は壊滅、288名の職員は遺骨すら残っていません。母は私を背負い終日探し回りましたが何も見つけることができませんでした。昨年は娘や孫と一緒にお参りしたのに今年は私一人。祖母も車いす生活で離れた黒瀬町にいるし、娘たちも仕事や学校でこれません。会場は慰霊碑のある比治山の多聞院。例年はかんかん照りの猛暑ですが今年は雨の涼しい慰霊祭となりました。初めてのことです。参拝者は年々減少し遺族席のテントは30名余りで郵便局の現職の方の方が多いようです。8時15分サイレンの音と同時に黙とうして開始。読経の声を聴きながら平穏を祈る。長らく平和が続いたためか世間は戦争当時の大変さを忘れ、何やら不穏な空気が漂っています。日韓関係も泥沼に陥り反日機運が高まり韓国の首相自ら経済戦争開始と息巻いて民間の文化交流も次々よ中止となっています、しかし、今朝のニュースでは釜山と下関市間の職員交流は継続するとのこと。何とか友好関係を維持してほしいものです。希望の灯を消さないでください。香港でも自治が危うい状況いずれ中国の実力行使が始まり多くの血が流されることでしょう、北朝鮮、ホルムズ海峡でも波乱がありそうです。参列中に中国新聞から取材を受けました。生後10か月で被爆した最後の被爆者として「平和な時代の続くことを祈ります」と答えました。はたして明日の新聞に掲載されるでしょうか。生花をいただいて帰り仏壇にお供えしました。
もう一つの慰霊祭は母校の慰霊祭です。慰霊碑は平和大橋西詰め、100m道路沿いにあります。こちらは午前9時30分から開始されるので参列しています。舟入高校の前身は広島市立第一高等女学校、地元では市女(いちじょ)と呼ばれています。今の原爆ドームのある材木町で建物疎開作業に従事していたため生徒教師合わせて676名が一瞬のうちになくなり市内の学校の中では最も多くの犠牲者を出しました。現在は両校の同窓会も継承し一体となり運営されています。同窓会の主催する慰霊祭ですが舟入高校の生徒の気風に触れるため参列しているようなもので、生徒会、ブラスバンド、演劇等の生徒が一生懸命のお世話してくれています。久しぶりに校歌をうたいました。勇気をもらいました。
今年12月29日まで平和公園内にある「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」において「広島市女原爆追悼の記録の企画展が開催されています。ぜひお越しください。常設会場では私の父の記録も展示されています。また会いに行きます。
追記  8月7日中国新聞29面 「各地の慰霊祭」欄に私のコメントが掲載されていました。


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明神岳縦走例会山行 「登山は体力」

2019-08-05 23:16:13 | 日常
令和元年8月2日~4日
今回の山行は私の最後のバリエーションルート山行の覚悟で計画しました。明神岳の5個の峰を縦走しA沢を下降して奥又白にキャンプし北尾根の5・6コルへのルートを確認するという計画です。前穂高岳東壁登攀後の下山ルートであるA沢を下降するルートが確認できれば将来いろいろな登山ルートが計画できるから後輩たちへの遺産となると考えていました。今回体力のある若手会員の参加を得て計画することができました.
今回のメンバーは会員5名、いつもの常連3名と、若手が2名です。3日早朝平湯に到着。6時30分いつもの安山さんのタクシーで上高地へ。今年は天候が悪かったので御客は少ないとのこと。いわれてみると今日も少ないです。眼前に明神岳の急峻なスカイランが広がる。果たして無事に登れるだろうかと不安になる。私にとってはこの稜線に立つことが核心部ですから。岳沢登山道の7番標識が明神岳登山の出発点。テント場の5峰台地までは標高差が約900m。急峻で細い馬の背の岩稜もあります。半ばくらいで足が痙攣す。コブラ返しだ。若手に荷物を持ってもらい13時過ぎにようやく到着。明日は予定を早め徳沢まで伸ばすので朝4時に出発することにした。疲れの為か食欲がないカレーを少し食べただけ。あまり寒さも感じず熟睡す。2時30分起床。朝食はパンを少し食べただけ。食欲なし。何とか歩けそうだ。午前4時前ヘッドランプを頼りに出発。迷いながらもなんとか5峰(2726m)に登る。あとは4峰、3峰、2峰と岩峰を登り、下りを繰り返し2峰に到着、ここで2回懸垂を繰り返す。最初は残置ロープがありそれを使用する。2峰は頂上を巻けると書いてあるが谷は急峻で困難のように思います。ある程度の岩登り経験者でなければ上り返すのは困難でしょう。主峰は2931m、最低鞍部の奥明神沢ノコルは2840m、もう1回懸垂して下る。次はA沢下降地点。わたしの記録では標高3000mとしていました。前穂高岳の標高が30090mです。2950mあたりにそれらしき場所がありました。よく似た地形ですが人の気配がない。マーキンングも標識もない。雪渓も50m位からあり、中ほどにはクレバスも見える。支点となるべきものも見当たらない。あれでもと思い3000mまで上がってもない。誰かが警察に電話したのでしょうか「危険である」と言われたようで中止とし前穂高岳に登り、重太郎新道経由で岳沢に下り上高地に帰る。運よく安山さんが上高地に客待ちしておられたので午後6時前に合流し福山に帰りました。
今回は登山の基本は体力が第一であると痛感しました。安全も、余裕のある行動も体力があり始めて実現できる。行動を判断するにしても正常な判断に影響を及ぼす。今年75歳、皆の足手まといにならないよう訓練に努めてきた。7月には9回岩山観音に登り,天応、蔵王と2回の訓練山行を行いました。体力には自信があったが日頃の寝不足からでしょうか体調不良、初日の足の痙攣のため仲間に迷惑をかけることになったがやるべきことはやったので悔いはない。夜間行動が体調不良、食欲不振に拍車をかけた。念願のA沢の下降。急なガラ場の懸垂下降は支点がなければ危険であるが雪渓の下降であればアイゼンも持参しており全く問題はなかった。判断ミスであろうがその意識、意欲がなければ危険を招来することもありやむを得なかったと考えよう

(写真は明神岳2峰を懸垂下降するところ、上と下と二ヶ所あります)
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