平成30年6月7日
今日、ついに待ちに待った百合の花が咲きました。鉢に植えた2本の茎がぐんぐん伸びて顔の高さまでになり、沢山の蕾を付け、頭でっかちになり風で倒れてはいけないと支柱を立てたばかりでした。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言われる通り美しい女性の容姿、立ち居振る舞いを花にたとえて形容されています。白い百合は清楚さの象徴、ゆらゆらと揺れるさまが優雅な女性の歩く姿にたとえられるところからすれば支柱などは余計なおせっかいで、いらなかったのかもしれませんね。5月の牡丹に続いての美しい花で庭に華を添えてくれました。今朝の新聞を見て泣かない人はいなかったのでは・・・私も泣きました。弁当を持ってきた娘も号泣したといっていました。会社の同僚も涙したといっていました。東京で5歳の女子供に食事もあまり与えず暴行、虐待して死亡させた事件です。父親は保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されました。こんなことことで許されるのでしょうか。このようなことで許されるのならこのようなことはなくならないでしょう。詳細な調査によって明らかになったことは食事を与えず、放置すれば死に至ることは明白な事実であり、未必の故意により殺人罪も視野に入れて捜査をすべきではないでしょうか。厳罰を求める請願書でも書きたい心境です。少女がノートに書き残した文章にはつぎのようなことが期してありました。
「パパとママにいわれなくても しっかりと、じぶんから きょうよりかあしたは もっとできるようにするから もうおねがい ゆるしてゆるしてください おねがいします。(以下略)」
涙なくしては読めません。なぜこのようなことができるのか理解できません。近所の人間関係が希薄になり無関心で、情報がなかったのでしょう。虐待の前科があり2度も保護されたことがながら転居のため十分な対応ができなかったようです。山でもそうですがリーダーの対応次第で遭難することがあるように,相談所の職員の対応が適切であれば早期に保護できたはずです、面会が拒否された段階で虐待の予想はされます。なぜ保護できなかったのか、職員の責任感、倫理観の欠如ではないでしょうか、躾に名を借りた虐待は何千、何万とあるでしょう、虐待は拡大します。保護すべき親の資格のないような場合には子供の命を守るため隔離し保護すべきではないでしょうか。行政も今一度この事件を教訓になぜ起きたのか、対応策を検討すべきではないでしょうか。子供の育て方がわからない。本人も親から愛情ある育って方をされていなのでこのような対応になったのでしょうか。親の愛情を感じさせるため3歳までは親の手元で育てるべきと言われます、乳児の時からお金のため働きに出る。そのため託児施設に預けることも今一度考えるべきではないでしょうか。稀有な事件と考えたいが先の新潟の女子児童殺人事件と言い日本社会の変質が問われる事件が続いています。問題山積、前途多難ですね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/a0/3b9c95e3e9ca9387700724a0084615ae.jpg)