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(雲一つない快晴の奥又白池、24年分の絶景をプレゼントしてくれました。最初で最後の光景です.左側のピークが北尾根5峰、その右側、低い峰が6峰、その間が5・6コル。中央白色のガラ場の右側の尾根上に登山道があります。)
令和4年9月30日~10月1日
今回の山行ほどいろいろな出来事を経験した山行はなかった。無事に完了できたことを仲間に感謝するとともに数々の幸運に恵まれ、観音様のご配慮・慈愛を感じた最高の充実した山行でした。
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(奥又白から前穂高岳東壁を望む。北尾根の峰々、三本槍もよくみえます。)
最初に奥又白に行ったのは24年前、平成10年の8月でした。
西穂高岳から奥穂高岳の縦走を計画したが天候の問題で独標で断念し、上高地に下山。
「このまま帰りたくない」という仲間の声に登ったところが奥又白池でした。
その時はガスであまり展望が効かず池の水面を見ただけでした。
当時、上高地は数日前から群発地震に見まわれ、この奥又白池にキャンプした人は落石の音が響き怖くて寝れなかったといわれました。
草原には落石の痕跡が登山道のように何本もついていたのを記憶しています。
その後、槍穂高岳周辺のすべての登山道を走破しました。
5・6のコルから北尾根を登り前穂高岳山頂を極めました。
明神岳は5峰すべてを縦走したがA沢はルートが不安で下降できなかった。
岳沢のクラッシックルート トリコニー〈三本の岩峰)にも登った。
それでも奥又白池と前穂高岳稜線との間が空白地帯でつながらない。
その空白地帯を埋めるため奥又白池と5・6コル間のバリエーションルートを歩くことを計画、私も今年78歳になりましたので登山人生の一つの区切りとするため思い出深い奥又白池に行くことにしました。
メンバーはいつもの6人。男性3名、女性3名、いずれも70歳前後の高齢者。会を退会した人もおられますが友情は変わらず続いています。
メンバーに一人60歳の若手(?)がおられます。私の一番の愛弟子です。昔のよしみで老いぼれた先輩を気遣い荷物持ちをかって出てくれました。その彼はいまや元気な福山山岳会の活動の中心的存在であり20代から40代の若手を鍛えてくれ、彼らからも信頼され慕われています。
3世代続く会員の構成を見れば我会の将来は安泰です、創立103年を迎えてもなおこのような年齢層が幅広く活発な活動をしている山岳会はまれであり、年長者としてこれほどうれしいことはありません。
昨年も計画しましたが直前に大地震に見まわ中止としました。
あの生々しい崩落の映像を見ればご家族の方々に大変なご心配をおかけするので止めました。
今年は私の母が入院中で危うい状態でした。
当初計画した9月23日から25日の登山中に葬儀等が発生するときは参加できない。
その前の9月19日に亡くなったので20日通夜、21日本葬、22日役所等の手続を済ませました。
世間的には親族は1年間は服喪期間として謹慎すべきといわれますが来年ではみんなの体力が低下しおそらく実行できないでしょう。
これは長らく温めてきた計画であり、母が私への最後のプレゼントとして行かせてくれたのでしょう。
「いま出来ることの最善を尽くす」のが私の信条で勝手に解釈。
それで1週間遅らせて9月30日から10月2日の日程で実施することにしました。
初めの計画では徳沢園と涸沢小屋に予約していましたが延期の時点ですべてキャンセルしています。
涸沢の紅葉シーズンまじかですからあらためて電話してもどこの宿も満杯。
女性陣3名が電話をかけ続け、またインターネットで予約状況を確認、ようやく、30日、徳沢ロッジ男子2名分、徳沢園の仮設テント、女性3名分、若手はテント持参1名。ようやく1泊分の宿泊が確保できました。
もう1泊分は徳沢か、横尾山荘を期待する一方、ない場合は日帰りも覚悟して計画しました。
当日、平湯温泉に着くまで電話しましたが満室状態は変わりませんでした。
延べ600回くらい電話したとのこと。すっかり声も覚えられましたがこれだけやったのだから悔いはありません。本当にご苦労様でした。ありがとうございました。
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(徳沢のキャンプ場。ハルニレやトチノキの木陰が心地よい芝生のキャンプ場です。昔は牧場でした。)
第1日目
午前5時福山出発、11時45分平湯温泉到着、2日目は日帰りと決定したので不要な装備は車に残置。常連の安山さんのタクシーで上高地へ12:55着、徳沢に14:45着。
徳沢には100張程度テントが張れますが既に半分くらいは張られていました。
混んでいるので夜は張綱に要注意です。
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(常設テント
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(常設テントの内部
女性陣の常設テントはノースフェイスのジオドーム。地球儀のような豪華なものです。
「ぷらキャン」と呼ばれ手ぶらで来ても大丈夫。ホテルのディナーような豪華な食事。シェラフも高級な「ナンガ」製、湯たんぽ付きで温かく過ごせたとのこと。
今回は3人で使用しましたが2人なら簡易ベットになるとのこと。
ただし料金は徳沢園の宿より高く、一人15000円とのこと。
良い経験になったと皆さん大満足の様子でした。
男性の宿は徳沢ロッジ。森のなかの重厚な感じの宿でした。
団体客も多くおられました。我々の部屋は2段ベットでした。涸沢から降りてきた人の話では今年の紅葉は例年の1から2割で最低とのこと。中日新聞では毎年涸沢の紅葉写真を掲載していますが今年は不調で掲載なしとのこと。9月になっても高温で、枯れたためだといっておられました。
ビールを飲んで7時過ぎには就寝。
第2日目
3時起床、4時出発。くらやみをヘッドランプをつけ歩く。新村橋は今月から5年かけて付け替えられます。記念すべき日となりました。パノラマルート、奥又白の分岐前までは道幅もあり快適でした。道が石ころだらけの道になり分岐点を過ぎてしまい引き返す。暗かったので見過ごしました。同じ失敗をしないようその分岐点に赤色と黄色の丸印標識を描きました。
よく目立ちます。
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(パノラマルートと奥又白の分岐地点。左の谷間が松高ルンぜ、右側の小山が奥又白への登山道)
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(奥又白への登山口の岩壁につけられた遭難碑のプレート)
取付き地点は「松高ルンぜ」横の尾根道です。その取付きの岩壁に緑色の遭難碑のプレートがあります。ここから奥又白池まで水平距離、約850mに対し、標高差約580m。如何に急峻な道かわかります。岩場の連続、両手両足を使って4つんばい。おまけに枝が生い茂っています。
大きなザックでは引っ掛かり大変でしょう。時間があればきれいに伐採したいところです。
笹が道を覆いスリップして滑り易いところもありました。道幅がわかりにくい所もあります。
沢を詰めて登るところもありました。横に登山道があるのでマーキングしました。
広いガラ場で右に行くか左かよくわからないところにもマーキングしました。
昔は池の下方に「宝の木」と呼ばれた目印となる樹木がありそれを目指して登りましたが今はなく、トラバースを登ると目の前に奥又白池の湖面が飛び込んできてびっくり仰天しました。
荒々しい岩峰の前に対照的な静かな美しい池。感動しました。
今朝、ここにいるのは我々のみ。テント場には小さなテントが1張りあるのみ。
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(5・6コルへのルートがよくわかります。
雲一つない快晴の青空。眼前にそびえたつ東壁、北尾根の岩峰、5・6のコル。登る予定の6峰。頭に思い描いていたとおりのルートが眼前にある。
広い笹原をトラバース気味に下り、奥又白谷のガラ場、尾根の末端で乗り越え、5峰から下ったガラ場を少し登って右の尾根に取付き、厳しい尾根の岩場を登り、安定した尾根道で小休止、少し下って岩壁の下をトラバース。今、5・6のコル下の急なガラ場を登る2人の登山者の姿が見える。右側を四つんばいになりながら登ると5・6コルの平らな広場に出る。標高は2730m、64mを登って6峰山頂に立ち、その後涸沢に下る予定でした。
そのルートが、白い登山道が眼前に見える。
眼を左に転ずれば扇状にに広がったA沢の末端が見えるそれを上にたどれば岩峰のかなたに稜線らしきものが見える。
下降にはザイルが必要ですが、登りにはなくても大丈夫なようです。
今回下山時に出会った多くのグループは今日は池の傍にテント泊し、あすはA沢を登るといっておられました。
通常はここには11張程度しかテントは張れないようですが今日の人数からすると20張以上になりそうです。大賑わいです。
眼を南方に転ずると遥か彼方に富士山の姿も見える。どこにいても富士山を探す。
昨日初冠雪とのことですが白くは見えなかった。
今日ここに来られたのも母のお陰である。
感謝して叫ぶ声が東壁にこだました。
母もこの絶景を共に見て喜んでくれていることでしょう。
「おかぁさん。ありがとう。」
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もうひとつの仕事が残っている。分岐点とせめて5・6のコルは無理でも奥又白谷の尾根取付き点まではマーキングしたかったが、釜トンネルの閉鎖は19時、引き返すタイムリミットはぎりぎりで11時。下山路の困難さを考えれば少しでも早く引き返さねばならない。分岐点はすぐにわかりました。ここしか5・6のコルに向かう踏み跡はない。標高は2455m。足元の石に赤色、黄色のマーキング。藪に入って約200m付近の大岩にマーキングを残し下山した。よく見えます。あとは後輩たちが引き継いで完成してくれることでしょう。
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一仕事なし終えた満足感に浸りながら慎重に険しい尾根道を下る。
新村橋では十数匹のお猿さんに見送られ、今年が最後となる鉄筋の橋げたを渡る。
長い間使用させていただき有難うございました。
徳沢園ではテントを撤収後ソフトクリームを食した。
前穂高岳を眺むれば頂上付近は雲に覆われていた。あの絶景はもう見れないでしょう。
幸運を感謝。
16時30分河童橋着。
宿が取れないこと。日帰り登山となったこと。いろいろな問題があったけれど天候に恵まれ最高の結果を残せました。
事故もなく全員無事ですべては終わった。
感激をありがとうございました。
全員、穂高の山々に向かい深く一礼、上高地を後にしました。
(実際、充実した山行を行った時には自然に感謝し山に対し「ありがとうございました」とお礼する心が起こります。)