まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

岳友の死を嘆く

2022-11-30 22:13:18 | 日常

令和4年11月28日
悲しい悲しい喪中はがきが届けられました。
私の山の大先輩、お師匠様といえる方の奥様の訃報でした。
同じ会社で、同じ山岳会ですから職場結婚して50年以上連れ添われ妻に先立たれるとは・・・
ご高齢ですからその喪失感は想像を絶するものがあります。
初登攀の記録を持っておられるような優秀なクライマーでありいろいろと教えていただきました。
豪雪のため下山が遅れた時にも「福原なら大丈夫そのうち無事に下山してくる」と擁護していただきました。大山北壁登攀の時には取付き地点到着前に登攀中止を言われました。落石を察知、警戒しての判断でした。せっかくここまで来たのに引き返すのは納得できないので取付き点に行ってみる落石があり的確な判断に感心しました。ぴゅーというかすかな小石の落石音と匂いで状況が分かったようです。
今では、年1回の年賀状で挨拶する程度でしたが早速にお悔やみののお葉書を差し上げました。
心よりご冥福をお祈りします。
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国東半島峯道ロングトレイル

2022-11-29 23:44:23 | 日常

令和4年11月25日~27日
長年にわたり憧れていた夢のロングトレイルに行ってきました。
今回は福山山岳会の例会山行。参加者は16名。コースは10区間、133㌔,周辺のオプションコース 87㌔を含めると220キロというロングコース。今回はそのうち主として豊後高田市側の4コースを部分的に歩きました。
印象的なのは耶馬と称される奇岩、異様な岩稜、岩峰大岩壁や大洞窟は他の地方では見られません。
この岩峰群の地形は両子山の噴火による安山岩質の凝灰角礫岩により形成されました。
予想にたがわぬ素晴らしいコースと仲間たちでした。
このコースは国東半島の中央にそびえる両子山周辺の6郷に718年(養老2年)仁聞菩薩が30余りのお寺と6万9千体もの多くの石仏を設置し開基したことに由来しています。この偉業をなしえたのは神業であり宇佐神宮の八幡神が姿を変えて人格化したものといわれています。日本古来の神と外来宗教である仏教を結び付けた信仰である神仏習合の始まりであり、修験道の道で、六郷満山文化と呼ばれる仏教文化の華が開花しました。
第一日目
朝6時福山出発、私は8時前、宮島SAで合流、12時過ぎ熊野摩崖仏到着。

鬼が一晩で築いたといわれる自然石が乱積みされた険しい石段を上ると2体の摩崖仏が出迎えてくれる。最初は高さ8mの穏やか表情の不動明王像。その右側に凛とした大日如来像。こちらは6,8m。日本一雄大で荘厳な摩崖仏に国東半島の六郷満山文化の古い歴史を感じました。
古い石段でしたが立派な手摺が作られ安全に上り、下りできますからご安心ください。
次は「田染荘の田園風景」
1200年前から宇佐神宮の根本桑園として栄えた田園風景は国の重要文化的景観に指定されています。
変わらぬ景観が残されたのも住む人々の意識あればこそです。ありがとうございます。

「富貴寺(ふきじ)」
国宝の美しい阿弥陀堂のあるお寺です。
宇治平等院鳳凰堂、奥州平泉中尊寺金色堂と並び日本三大阿弥陀堂の一つに数えられる九州最古の木造建築物です。
この地でこんなに素晴らしいものに出会い感激しました。
「両子寺(ふたごじ)」
六郷満山のお寺を統括する寺院。
ご本尊の千手観音菩薩は子授けにご利益ありとのこと。
山門の仁王像は国東半島最大級。
本堂でありがたいお説教を聞いていて他には見物できませんでした。また来ます。
「天念寺(てんねんじ)」
無人の寺院でした。10年に一度開催される峰入り修行のお寺。そういえば天念寺耶馬と呼ばれる背後の険しい稜線に無明橋と呼ばれる怖い橋が見えました。
その前の長岩屋川には川の中に川中不動尊と呼ばれる川の氾濫を治める不動さんが鎮座されていました。
また正月7日には福を呼ぶ祖先の化身である鬼が舞う「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」(国指定重要無形民俗文化財指定)が行われ多くの人が集うそうです。
今日のコースはここまで。
ルートでいえばT-1からT-3まで約50キロ余りを済ませました。バス利用だから行けたコースです。
下山後は店舗がない為、豊後高田市内のコンビニまで明日,明後日の2食分の昼食を買い出しに行きました。
今夜のお宿は真玉温泉,山翠荘です。
宿泊料は4割引き、買い物券3000円付のお得な料金でした。それでお土産を買いました。
温泉よし、食事もよく満足すべき宿舎でした。
第2日目
今日のコースはガイドブックでは豊後高田コースT-4と国東コースK-1です。
8時出発、17時30分着、歩数33000歩とよく歩きました。
この地のガイドブックも執筆されているサブリーダーのお兄さんがガイドをしてくださいました。

猪群山(458m)を縦走、登山道は良く整備されていました。頂上付近にあるストンサークルは詳しい人でなければ通過していたことでしょう。
大岩のご神体とそれを取り巻く巨石群、何より展望の素晴らしい所でした。

次は今回の核心部、ハイライトともいうべき中山仙境にバスで移動しました。
中山仙境は標高こそ低いものも奇岩絶壁の連なるスリリングな岩尾根歩きが楽しめました。


岩質も凝灰岩の為、ホールド、足場がたくさんあり歩き易く、鎖が張られていたので快調に歩けました。何より天気も良く周辺の紅葉、奇岩、絶壁の連なる耶馬風景は最高でした。
幅50センチ長さ2mあまりの石橋・無明橋も緊張してわたりました。

下り初めて100mあまりの絶壁を通過する時、左側は岩壁、右側の草叢越しに下方を覗くと垂直な岩壁のはるか下に緑の樹冠が見える。吸い込まれそうなその深さに一瞬めまいを感じました。すごい体験でした。
久々の楽しい岩峰歩きでした。
下山後はもうひと踏ん張りして「後野越え」。あと2時間余り歩く予定。
修験道というより昔の人の生活のための峠越えの道でした.ミツマタの群生地もありました。
一旦西方寺の里に下り、再び阿弥陀越えという峠を越えました。

その下り道の途中には大不動岩屋という大きな岩を削る取ったような空洞がありました。
人間が彫ったようには思われませんが自然にできたにしては不思議です。
尻付岩屋についたのは日暮れまじかな時間でした。
本当によく歩きました。
これだけ歩ければどこにでも行けますね。自信になったことでしょう。
今夜のお宿は赤根温泉・湯の里渓泉です。山の中で他には店舗はないようです。明日の弁当を買っていてよかった。
宿代は4割引き、お買物券1000円頂戴す、他にもリストから希望の商品を選んで後日送付するサービス付きでした。
第3日目
今日は千燈寺に行く予定でしたが参加者の希望によりガイドさん推薦の杵築市の鋸山に行きました。
山の内容はミニ中山仙境ということでしたが十分に岩稜登山を楽しめました。
当日は日本山岳会の一般人を対象とした講習会が開催されていました
皆さん、前日練習しているようなものでしたから快調に楽しみ、岩稜歩きに興味を持つ人も現れるのではないでしょうか。
岩登りを堪能しました。

今回は充実した山行でした。
過疎の進行を見ていると日本の典型ではないでしょうか。交通手段がない。担保もないので買い出しには車は必要です。
畠は荒れている。作ればできるのでしょうが個人ではなく企業とし広範に、機械化しててやらなければ成り立たない。
太陽光発電、もともと九州は多いのですが荒らすよりまだましで促進すべきように思います。歩いて周遊する場合、宿舎が必要になります。キャンプ場でもよいのですが。民宿でもあれば訪れる人が増えるのではないでしょうが。
宿坊でもよいですね。
ある人は車と自転車を利用している人もありました。
それも一案ですね。
今回私は豊後高田市に国東半島峯道の資料をお願いしました。
たくさんの有効な資料を送っていただきました。
交通機関や施設、特に民宿はないのか役所に照会したいです。
そのお礼に「ふるさと納税」で報いようと考えています。
今回を機縁としてまた訪れたいと思います。
今回企画していただいた役員の皆様、楽しませていただいた仲間の皆様、本当に良い旅をありがとうございました。
またご一緒しましょう。

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例会山行「絵下山」

2022-11-21 21:31:00 | 日常

(全員無事に降りてきました。もう大丈夫。バンザイ)
令和4年11月20日
今日は今年2回目例会山行の日です。
当初の天気予報は雨、こんなこともある..
雨でも万全の装備で準備していましたが予想外に晴れました。
皆さんも幸運を喜んでおられました。しかし夜半からは雨降りとなりました。
昼間の山行中に降らなくてよかった。これも観音様のお陰でしょう。
今日の参加者は9名(男性5名、女性4名)です。

(資料はコースガイド、ながい距離を歩くためのヒント、コースタイム表、行程地図を送りました。)
山行中は説明時間もありませんから詳しい説明ができませんので参加者には事前に資料を郵送しました。この絵下山はスモールアルプスである。距離11キロ、累積高度975m、岩場あり、下りの危険個所があるのでヘルメットがある人は持参ください。等を記した書面を送りましたら私には無理だと3名の方が辞退されました。他にも歩行速度が遅い方の申し込みがありましたが帰宅時間が遅くなるのでお断りしました。
参加メンバーの男性は全員初対面、入会間もない方です。うち1名は部外者の方、友達を誘ってこられたようです。
会のルールからすればリーダーに了解を得て参加すべきところなのですが・・・まだ理解されていない。
おそらく新人教育は受けておられないのでしょう。
登山靴、雨具、ザック、しっかりしたものを購入すること。を話しました。
今回の例会山行は新人教育、山の基本を学んでいただくための山行のつもりで行いました。

(天狗山の岩場を登る)
階段の多い山です。急登はゆっくり休まず。岩場からはストックを収め、両手で登る。
歩幅を小さく、大股で登ると疲れます。何より集中して一歩一歩確実に登ること。確認して力を入れる。水分補給は渇きを覚えてから飲んだのでは遅い、早めにこまめにとること。行動食の場所ははじめに決めており、来る車中で食べておくよう指示していましたが食べていない方がおられたようで早めに空腹の方があられ中天狗山で少し食し、奥天狗山で第一回の正式な食事。天気も良く,行く先先のピークが眺められるので快調に歩けました。六根清浄をとなえる呼吸法を教え、リズミカルに歩くこと。登り最後の急登では全員交代で「フライト、ファイト」で声を出し合って,快調に乗り越えた。
かなり疲れていたが大抵の方が省略する少し離れたところにある絵下山山頂(593m)にも登りました。
展望のある広場で第2回目の食事タイム。食後、山座同定で地図と磁石の使い方を学ぶ。出発前にストレッチを行い筋肉と筋を延ばす。靴紐を締め直し下山開始。

(明神山の細い尾根を下る。急坂で岩が浮いています。
今日一番の核心部、明神山の下りでヘルメット着帽。万一転落した時には頭部保護のため足から飛び降りることを話す。再度緊張感を持って一歩、一歩に意識を集中して歩くことを伝える。全員拳を上げて「頑張ろう」で気合を入れ出発。急坂,もろい足場を慎重に下る。予定より1時間余り遅れて16:40分坂駅に全員無事に到着.本当によく歩きました。お疲れ様でした。発車時刻は16:57分。上り海田方面は女性3名、下り呉方面は6名、同時刻に左右に分かれて発車。
多くのことを教えたがいくつ頭に入っていることでしょうか。
ひとつでも残っていればよい。
あとは経験を積み重ね、一人前の自立した登山者に成長してほしいものです。
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道後温泉別館「飛鳥乃湯泉」に入浴す。

2022-11-20 22:32:29 | 日常

(飛鳥乃湯泉のポスター)
令和4年11月19日
今日、朝6時着で松山行きの仕事がありました。
仕事が終えた後、朝風呂に入りたくて道後温泉に行きました。
本館はまだ工事中ですが人数を制限して営業されていました。
6時半ごろでしたが旅館の浴衣を着た人たちが列を作って並んでおられました。係の方に尋ねると予約券のない方は3時間待ちとのこと。
(この工事は2019年に始まり2024年12月までかかります。国の重要文化財に登録されている種物で26億円要するとのこと。)
この近所に道後温泉の別館が2棟あります。
ひとつは椿の湯」市民対象の建物で料金は400円。いつもはこちらを利用しています。
その代わり石鹸等はなにもありません。

もう1軒はこの「飛鳥乃湯泉」温泉です。
観光客向けの様でシャンプ、リンス等はそろっています。料金は610円でした。
こちらも他の浴場と同様、花崗岩の立派な浴槽でした。
湯は本館同様掛け流しの心地よいお湯でした。
ゆったりとつかりすっかり元気になりました。
道後温泉最高です。
庭先に596年、聖徳太子が来浴れた折素晴らしいお湯に感激されて書かれたという石碑がありましたのでその詩文を書き留めてまいりました。


聖徳太子 道後温泉碑(意訳)
かんがえてみると日の光や月の光は平等に誰にでも降り注ぎ、
同じように湧き出る温泉も人々に恩恵を与えている。
このように私心なく政治を行うことができたなら
これこそ「理想の国」寿国の姿ではないだろうか
人々は温泉に入浴して病を治している。
それは寿国で沐浴して仏になるのと同じではないか。
(以下略)
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愉しみな年賀状

2022-11-18 17:43:05 | 日常

令和4年11月18日
今年を年賀状を書く時期がやってまいりました。
私は今年は喪中はがきを出しましたので書きませんが住所等の確認のため改めて年賀状をめくってみると実に個性的な年賀状もいろいろとありました。
印刷しただけの年賀状。添書きしたもの。版画の力作。俳句を書かれてもの、その年の活躍されて名場面の写真。子供さんたちのおちゃめな写真。毎年見ていると成長の度合いがわかります。
年に一回のごあいさつですから近況を記した年賀状が楽しみです。そうそう、ことし40年来の会社の事務員さんから頂いた年賀状にこのような添書きがありました。
私の名前「福原不二雄」を説明するとき「不平の不ですといいましたら、相手の方からあらずの不という字ですね。といわれました。失礼しました。」
大昔の出来事をいまだ覚えてくれているとは微笑ましくなりました。
日本国中を歩き回り今は登山を卒業して畑作業に精を出しておられる方、会社役員をやめて出家した方、人生いろいろですね。
みな同じように老いて行く生き様をさまを見ればこれからの指針を示してくださっているようにも思います。
年相応な変化を求められるこの頃、「来年からは新年のご挨拶を失礼させていただきます。」との文面にもいくつかありました。
人それぞれ、年賀状を出すのはかなりの体力が必要です。
私の母は百歳を越えても年賀状を書いていました。習字の鍛錬を怠らず、丁寧に一字一字心を込めて書いていました。
この年賀状をもらった方は喜ばれることでしょう。
私も字が書ける間はボケ防止のため近況報告を記した年賀状を書き続けたいと思います。
時代に変化でしょうか、今どきはメール等で済ませる方も多いようです。
何よりも手間がいらず早く伝えられますね。
私は葉書派です。
わざわざ葉書を書く手間を惜しまず書けば相手を思う心が伝わるように思っています。
最近はお世話になったことへのお礼のご挨拶がなされていないに感じています。これでは気持は伝わりませんね。

時代は変わります。
人々の心の変化により変わってゆくことでしょう。
喪中葉書は大事な情報です。
死者を思い謹慎する意図で挨拶は辞退することになっています。
本当は多忙の言い訳のために省略しているように思います。
近況報告のためのと考えれば年賀状を出してもよいのでは思いますが、常識的にはね。出さない習慣ですね。
母の死後一週間後に登山した不謹慎な不埒な者だから言える言葉かもしれません。
葬儀のこと。家族葬で済ませ、簡易で申し訳ない気持ちでおりました。
最近大きなお屋敷からマンションに引越されたお客様が急になくなりました。
コロナ禍のご時世ですからかもしれませんが直葬にされたそうです。
焼き場で読経、近親者が面会し送り出されたそうです。
マンションには大きな仏壇は持参しませんで位牌を置く場所はありません。
遺灰は生まれ育った傍の猿猴川に流してくださいとのことでした。
生前からそのようなことを話し合われていたとのこと。
お金の問題ではありません。生き方の問題です。
これからは一切の手間を省けばこのような葬儀の形態になるのでしょうね。
この直葬方式は増えることでしょう。
無駄なものはいらない。人間1畳の畳の広さがあれば生きて行ける。
ない方が自然な生き方ができるのかも。
自分らしい生き方を模索する時代なのですね。
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母の49日法要を終えて。

2022-11-12 14:32:14 | 日常

(昨年102歳の時の写真です。このような表情豊かな遺影写真は初めて見ました。実に傑作、お見事です。)
令和4年11月12日
9月19日母が103歳でなくなり、自宅で葬儀を行い、11月6日には無事49日法要を済ませ一段落したところです。
最後の一年は病院で過ごしました。コロナ禍の為あまり面会はできませんでしたが家族同様の看護婦さんの温かい介護受け大変お世話になりました。
それまでは姉の手厚い在宅介護により多くの友人たちの仲間に入れていただきゲームをしたり歌を歌ったり本当に充実した理想的な老後生活でした。
このような幸せな老後を過ごせる人はもういないでしょう。
葬儀は町内のシティホールで質素にしようと話をしていました。
会員にもなっていましたが先客があり会場がないのでやむを得ず自宅で行いました。
母が好きな家から旅立つことは良かったのですが日時を延期するか、他の地区の場所の会場にするしかありません。自宅葬儀の場合は会員割引が適用にならないとのことでかなり高くなったのは予想外でした。会場が使用できないことなどそのようなことなど想定していませんから・・・・
私は母とは黒瀬に行ってからは一緒に住んでいなかったのでかくも影響するとは思いませんでしたが柱の一本が欠けたようで精神的にもつらいものがありました。
一緒に暮らしていた姉にとっては何倍もダメージが大きいのではと察しています。
良く世間では妻に先立たれて旦那は早死にする。
一方旦那に作田垂れた妻は負担がなくなり元気になると所詮夫婦は他人の関係。
母を失った娘の感情は肉親の情、楽になるどころか淋しさの情は増すばかりのようです。

母死亡という精神的に大変な時期にいろいろな手続きをするのですから大変でした。
役所への死亡に関する手続き、各種弔慰金の請求、保険金の請求、諸手続きには出生から死亡までの戸籍謄本が必要ですから母が生まれた江田島の役所にも行きました。葬儀への御礼のあいさつ、香典返し、諸経費の精算、遺産の相続の話し合い、その後の登記の手続き、喪中はがきの発送も終えほっとしているところです。
葬儀の時には会場もないので自宅でごく身内だけの家族葬ということで済ませましたが49日法要の時にはデイサービスの友人達や生前遊んで頂いた人にも来ていただき喜んでいただきました。
私は「家族葬」ということで内輪で簡単に済ませましたが母は本当は多くの友人に見送ってもらいたかったのではという気もしてきました。
友人、知人の中には葬儀に参列して見送りたいとの人も在ったろうに家族葬という自己都合で参加を見合わせた人も在ったろうに申し訳ない気もしております
自分の葬儀については家族も大変な時だから気が回りません。
それなら自分でプロデュースするしかないですね。
遺言書の執行人を定め、有終の美を飾りたいものです。
遺産の分割はこのようにする。その一部は福山山岳会、11面観音菩薩のおられる奈良の聖林寺には○○円寄託する。葬儀にはだれだれを招待し、流す曲目は「海行かば」と山の歌、棺には使い古した愛用のザックを入れてくれ。

今、私の傍らには素晴らしい母の遺影に使用した写真がある。
このようなにこやかな遺影写真は見たことがない。
私を元気にしてくれる素晴らしい贈り物だ。
「やぁ、元気で行ってらっしゃい。」
「やぁ、お帰り。ご苦労様でした。」
いつも見守っていてくれています。
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