まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

妙義山・十一面観音菩薩・山の辺の道下見山行

2022-03-29 22:53:30 | 日常

令和4年3月25日~27日
何という僥倖でしょうか。充実した行程は観音様の思し召しとしか言いようがありません。
国宝・十一面観音菩薩は普段は聖林寺の観音堂に安置されていますが耐震補強工事のためその間、東京では令和3年6月22日から9月12日まで、奈良国立博物館での一般公開は2月5日から3月27日まで、その最終日に拝観できるのも何かのご縁でしょう。工事が完了する秋からは再び聖林寺にて常時拝観できるようになります。
私は4月9日から10日まで、例会山行で奈良の山の辺の道・春日山原始林の山行を計画、参加予定者12名には3月23日最終計画書を発送しました。いずれもかって行ったことがありましたが最新の状況を知るため下見を計画していました。3月21日から東京行きの予定があり、その帰路立ち寄る予定でしたがキャンセルになりました。実施日までにはまだ日にちがあるので後日下見に行けることを期待していましたが観音様の拝観は3月27日までであり、あきらめていました。
3月25日夕方、明日朝までに群馬県高崎市まで緊急輸送する仕事が入りました。願ってもない仕事です。帰りのことを楽しみに800㌔、ノンストップで走行し26日朝6時に無事お客様のところにお届けしました。早い仕事にお客様にも喜んでいただきました。

妙義山の山容。左から金鶏山、中央は金洞山、右側は白雲山)
ここは奇妙な山容で有名な妙義山の隣町。今年登りたいと研究していた憧れの山です。早速に登山口の「道の駅みょうぎ」に立ち寄りました。切り立った屏風のような壁が林立する山容は日本三大奇勝の一つです。この山容は火山の噴火で出来たカルデラが陥没したため出来たもので山の岩質は安山岩や火山の砂礫や灰が固まってできた凝灰岩などでできており長年の風化により弱い部分が洗い流されてこのような奇抜な山容になりました。「表妙義」と呼ばれる金鶏山は危険なため入山禁止、石門のある金洞山や主峰の白雲山もいたるところで落石の為通行止めになっています。上級者ルートは稜線の縦走のようですが岩がもろいようなのでザイルを持参したバリエーションルートのつもりで臨んだ方が良いと感じました。今回は奈良に行くのが主目的なので妙義神社のみを参拝予定でしたが、第一見晴まで登り下山しました。

(本社の前にて記念撮影。黒色の漆塗りに鮮やかな彫刻,日光東照宮の様な彫刻がしてありました。)
妙義神社は創建1500年の歴史ある名刹。本殿は全国的にも珍しい黒漆塗権現造りの荘厳な建物です。仁王様の代わりに赤鬼、青鬼が鎮座していました。また神社の階段や石畳は地元産の凹凹の火山歴の石でした。ちょっと躓きそうです。稜線上なら足元注意ですね。、そして同所にある妙義温泉「もみじの湯」で体を休め仮眠をとり,名物の横川駅の「峠の釜めし」を食し、再び来た道を引き返し翌27日早朝、奈良に到着。今日の最重要な予定は奈良国立博物館で開催中の「聖林寺・十一面観音」を見ること。天理の石上神宮と終点の大神神社のバスの集合場所を確認する。集合場所は大鳥居横の第一駐車場に決定。沢山の駐車場がありますが全て無料、環境整備が進行中で建物も立派、設置された芳名盤には1千万円以上の高額寄付者名がズラリと並び資金力豊富で繁栄を誇っています。
狭井神社からの三輪山への参拝登山は新型コロナウイルス感染防止のためいまだ閉鎖・禁止されていました。
山の辺の道を歩いていると心地よさについ狭井神社、桧原神社まできてしまいました。ここまで来ればことのついでに川端康成氏が揮毫された万葉歌碑「ヤマトタケルの望郷の歌「大和は国のまほろば」まで行くことにする。
石碑は溜池の堰堤に建てられていたが草叢の中でよく読めない、草を刈り取りよく見えるようにしました。
今度来た時除草剤を配布するつもりだが近くにため池があり除草剤はダメかな。
ここからはやまとの風景,畝傍山、耳成山、香具山の大和三山の展望もよくみえる。
何十年前に来た時と変わらない景色が残っているから懐かしくかってみた景色を思い出し心のふるさとといわれる所存でしょう。いつまでも残してほしい風景です。
次は奈良に移動し、春日大社駐車場に車を止め、奈良国立博物館へ、観覧料は1400円。いろいろな展示会場があるが目当ては観音様のみ、2階会場の中央に立っておられる。この十一面観音菩薩立像は木心乾漆造りという技法で奈良時代に作られた日本彫刻の最高傑作と言われています。その高さは209㎝だが蓮の花の台座約80㎝余りの上にあるので周囲からもよく見えます。正面から横から裏からの何回もぐるぐる巡る。普段は背後には光背があり、裏から見る機会はあまりないのですが今回は立像だけですから体の線、腰のくびれ、すっきりとした肉体感。横から見ても胸の厚みも豊かである。少し猫背のようにも感じられる。頭上の観音様は普通の顔(慈悲相)、怒った顔((瞋怒相)、歯をむき出した顔、(白牙上出相)、大笑い顔(暴悪大笑相)等11面あるものが3面かけています。光背も大部分失われていますが元に帰るときには復元されるのでしょうか。観音様の優しいまなざしに会い、来た甲斐がありました。ありがとうございました。

(宿泊する和風旅館「KKR奈良みかさ荘です。裏が春日公園です。)
次は高畑町まで歩き、滝坂の道を確認する。この辺りは志賀直哉旧宅があるがごとく今も昔も高級住宅街。その一角に「空気ケーキ」という有名なケーキ屋さんがあり立ち寄る。お土産に購入しようとしたが冷凍されており賞味時間は2時間というので断念。ここで食べるものを購入する。

(滝坂の道 石畳の山道 昔は武者修行の侍や牛馬を通行したのでしょうね)
滝坂の道は柳生への歴史の道。川沿いの石畳の道が心地よい。寝仏まで30分余り歩き状況を確認、引き返す。

(若草山山頂は新婚カップルのたまり場、10分ほどの間に5組も来て熱々の写真を撮っておられました。なんだかな・・・)
最後は車で奈良奥山ドライブウエイをはしり若草山へ。頂上からは市内の展望が抜群、生駒山,金剛、葛城の山並みも素晴らしい。なぜか山頂に新婚カップルが次々に上ってきて写真撮影している。それぞれカメラマンたち5人セットで登場。どうしてここで撮影するのか聞けばよかった。この前に来たときは春日山遊歩道を下ったが今回は有料登山道を下ったほうが時間も短縮できるので使用するのでその位置を確認をした。

紛らわしいことですが若草山【341⒨)は三笠山とも呼ばれ山頂が笠が三重なりのように見えるためです.山頂は「若草山三重目」との標識がありました。
歌に詠まれた御蓋山は春日大社の後方の山(297⒨)神聖な山で登れません
今日の歩数は29500歩よく歩きました。
これですべてのことが確認できた。
例会山行の成功を確信した満足すべき旅行(?)でした。

(聖林寺・国宝十一面観音菩薩立像「光」復元予想図です。美しいですね。待ちどおしい限りです。その日を待ちましょう。)
アメイジンググレースの一節に「信じることを始めたその時神の恵みのなんと尊いことか」・・・・があります。
私は「恵みがあるから観音様を信じるのではなく」
「観音様を信じているからその恵みを感じることが出来る」 ことを実感しました。
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新型コロナ明けライブと広島椿

2022-03-18 17:20:53 | 日常

令和4年3月17日
今月6日、広島県もまん延防止期間が解除され、飲食店も店を開け、町も次第に活況を呈してきました。音楽関係でも演奏会が開催される機会が増え、NHK広島放送局の公開収録番組が南区の宇品海岸の「ブルーライブ広島」で開催されるため放送資材を運びました。この番組は中国地方ゆかりの若手アーティストにスポットを当てた「コネクトミュージック2022」という番組です。会場のライブハウスは広さ250㎡、300名あまりの小さなスタジオですが食事をしながら質の良い音楽を楽しむというのがコンセプトで結婚式の会場にも使われているようです。広島湾沿岸部の倉庫街を再開発し、明るい広島湾の風景を目の前にしたおしゃれな街でインテリア、サイクリング、カフェ等が居並ぶ若者好みの「宇品デポトピア」として売り出し中の街ですがこのようなライブハウスがあるとは知りませんでした。自宅に閉じこもらないで出かけなければなりませんね良い刺激になりました。この番組は3月26日、NHK総合にて午後10時40分から放送されるようです。

早く到着したのでその間を利用して近くにある元宇品町の観音寺に行くました。このお寺は広島椿という有名な椿が咲くお寺です。
広島湾を望む宇品島の小高い丘の上にあり風光明媚なところに位置します。樹齢400年、ピンク色や赤色の華麗な花弁がいっぱい咲いています.1本の木から咲いているとのことですから驚きです。
この椿は400年前、浅野長晟公が紀州から移ってきたとき妻の振姫(徳川家康の三女)が丹精込めて育ててきた椿を植えたものです。お姫様のように淡いピンク色で上品でかわいらしいお花です。椿は挿し木、接ぎ木,交配により多くの種類の花が作られ興味は尽きなあいようです。広島を代表する品種です各所に植えて多くの市民にも鑑賞してほしいものです。許可が得られれば挿し木して増やし各所に植えたい心境です。
驚いたことにこのお寺は禅宗の臨済宗妙心寺派に属するお寺ですがなんと御本尊は十一面観音菩薩とのこと。私が信奉する観音様とはご縁があるのですね。「会いに来なさい」と呼んでいただいたのでしょう。
この観音様には長い歴史がありました。大同年間【806年から810年)常勝将軍と呼ばれた坂上田村麻呂公の守り本尊でした。身の丈は僅か一寸八分(5,4㎝)の小さな秘仏です。その後、源範頼が奉持していたが平家追討で西下りの折、宇品島近くで失いました。その後、漁師の網にかかり、曳き揚げられ小栗観音と呼ばれていたがこのお寺に奉納されました。疫病、水難、難産に霊験著しいとして庶民にも崇拝されました。また毛利、小早川、福島、浅野と時々の各豪族・藩主の信仰も集め栄えたとのことです。
毎年3月中旬には椿祭りが開催されているとのことですが新型コロナの影響か今年は開催されないようです。いつの日かご開帳の機会があれば是非ともご拝謁したいものです。
観音寺の住所は広島市南区元宇品町15番1号。元宇品小学校の南隣です。
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春を憂う

2022-03-13 21:52:23 | 日常

令和4年3月13日
今日は20度を超える気温で、4月中旬のような暖かさ、桜の蕾もいっきの加速することでしょう。その陽気につられて庭の草取りをしました。
水仙の白i色や黄色の花が一気に開きました。ほとけの座やその他の雑草も花をつけそうですので、花の咲くのを楽しみに、通行の邪魔になるところのみ引きぬきました。その雑草の中から牡丹の紫色の蕾が現れました。咲くまでまだ2か月はあるのに今年も咲くよと準備していてくれています。我が家で一番楽しみにしている豪華なお花です。
季節が巡り来れば花は予定どうり咲く。多少の前後はあれど常に変わらず咲きます。
自然の力、悠久の時の流れの力強さを感じさせます。自然は不滅,不変なのです。
それに比べ人間、私の体力は年毎に衰えてゆきます。
無理をすれば筋肉痛になります。今までできたことが段々出来にくくなります。年相応になったと考えるようにしてはいますが・・・・
植物達の春の命の輝き、眩しさ、生命力の旺盛さに比して、人間の私の体力は衰えるのみ。自然に嫉妬し、行く末を思えば憂鬱になります。
若い時に春は希望に満ち溢れた時期であったのに、年をとれば春は人間のはかなさを知る憂鬱な季節というのが身をもってわかります。
お礼にしっかりと肥料を施し、今年もまた美しい花を咲かせて下さいと願うばかりです。
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