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まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

花開くゴールデンウィーク

2025-05-06 11:34:37 | 日常

(演奏会のポスター2種類です。)
令和7年5月3日から6日
今年のゴールデンウィークは山にもいかず地元にいました。
音楽三昧の日々でした。
5月3日は東区区民文化センターで開催されてた「壁のない無限教室コンサート」、これは広島在住のエリザべト音楽大学関係者20名の演奏会でした。管弦楽や歌等のいろいろな演奏がありました。
5月4日は広島文化学園HBGホールで広響の三大ピアノ協奏曲の演奏会がありました。
ピアノは日本を代表するピアニスト清水和音氏でした。
ベートーヴェン、チャイコフスキー,ラフマニエフの協奏曲 が一度に聞かれるのですからお得です。圧巻な2時間30分でした。
満席かと思いましたが2階席は3割くらい空席がありました。意外です。
6月22日にはベルリン交響楽団とピアノ、石井琢磨氏の呉公演があり、7月20日には広響がN響のコンサートマスター、郷古簾氏を招聘して徳永二男氏指揮のコンサートを予約しています。楽しみにしています。
広島市には中四国唯一のプロ管弦楽団 広島交響楽団があります。
広島県、広島市の公共機関、広銀,マツダ、中電等の地元企業出資の楽団です。
それを頂点に多くの楽団があり広島の音楽業界を支えています。
主なものをあげますと管弦楽では広島市民オーケストラ(1979年)、広島ターフェルオーケストラ(1990年)、グランツ管弦楽団(2020年)、アンサンブルカッカ(2000年)、はつかいち室内合奏団(2020年)があります。
吹奏楽団では、広島ウインドオーケストラ(1993年)、祇園ウインドアンサンブル(1983年)、広島吹奏楽団(1965年)、広島シティハーモニ吹吹奏楽団は今年45周年を迎えました。
それらの頂点として広響があるわけでそれらの多くの演奏会は無料か安価な会費で開催され演奏会を開くことを目標に大勢の演奏家が練習に励んでおられます。
演奏会が技量発揮の貴重な機会となっております。
その平素のご努力に拍手を送ります。
つくつく思うに音楽は経済的には割に合わない。難関の有名芸大等に入学しようと思えば早くから多額の月謝を支払い練習に励み、先生の指導を受けてようやく入学してもライバルが多くコンクールに優勝しなければ日の目を見ない。
厳しいテストを受け楽団員となっても一般企業と比べても変わらない給与である。活躍の場を設けて自分で演奏会を開いても有名でなければ観客は入らない。実力本位の大変厳しい世界です。
今年3月にも東京芸術大学出身で広島県在住者の演奏会がありました。
日頃の練習成果を発表する場が必要なのです。
音楽大学といえば東京芸術大学、エリザベト音楽大楽が有名ですが地元広島大学においても教育制が充実し高籏健次氏など優秀な人材を輩出しており今後の活躍が期待されてい。

(売店のブースがの受けられました。)
私にできることは多くの演奏会に参加して拍手を送ることだけです。
発表会といえば、演奏会の前に行ったフラワーフェスティバルもそうですね。
皆練習して皆さんの前で披露することに頑張っておられました。
(バトンの演技がありました。全国大会で優勝したチームの演技です。)

パレードもそうですね。舞台ステージでもプロ級から地元の初心者クラスといろいろありましたが皆さん舞台では元気いっぱいに演技されていました。
今朝の新聞では「備後ばらバラよさこい踊り隊」がパレード部門で多くに参加チームがありながら優勝されたとのこと福山の皆さんおめでとうございます。昨年の山野峡祭りにも来場し、演技を披露していただきました。日ごろの活動の成果ですね。
いまや福山の誇りですね。

(陸上競技・棒高跳びの演技が披露されました。大勢の人が注目しました。)
養護施設からもいろいろな作品を展示、販売されていました。
病院等もブースを設けて筋肉量を測定しサルコペニア検査をされ多くに人が並んでいました。
大学生の陸上選手が棒高跳びの演技を披露されていました。
大学生もいろいろなブースを設け日ごろの成果を発表されていました。
170万人もの人が集ったわけですか日ごろの成果を発表する絶好のチャンスなのです
出演者,出店者の皆さんご苦労様でした。成果ありましたか。
元気をもらいました。ありがとうございました。
また来年お会いしましょう。













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水分峡森林公園殺人事件

2025-04-13 20:38:33 | 日常
(公園駐車場は事件のため本日閉となりました。)
令和7年年4月13日
昨日午後10時30分頃、男性一人が水分峡森林公園の管理棟付近で血を流して倒れているのが発見され病院に運ばれましたが死亡が確認されました・
その直前に「助けてー」という叫び声を聞き警察官が駆け付けて発見したとのこと。
県警では殺人事件として80人態勢で捜査するとのことです。
誰が通報したのか、いろいろな報道がありますが近くにある宅は200mくらい離れているので声が聞こえたのか疑問があります、公園内にいた人となっているが駐車場も午後5時には閉まるし夜中に何のために駐車場に人が行くのか、だれが通報したのか疑問があります。
(新聞記者たちが今や遅しと待機しています。)
実はわたくしその約3時間前にはそこにいたのです。
先日の例会山行「芋峠・吉野山」のお礼参りに岩谷の観音様に登り感謝の報告をしました。
午後4時から登り始め登山道の悪いところを直しながら登り午後6時過ぎ到着でした、膝の調子が悪いので下山したのが午後7時過ぎで、あたりは真っ暗でした。
私が駐車している場所は広い森林公園の駐車場は5時に閉まるので、時間制限のない向かい側の墓地の先にある小さな3台くらいの駐車場においています。
私が下山してその駐車場につく前,ハイビームの車両が入ってきてすぐにUターンして去ってゆきました。普通ではありえない何か探し物でもしているようなおかしな行動に思いました。
「安芸の湯」で食事、入浴を済ませ、帰宅したのが午後9時過ぎでした。
寝る前のニュースで事件を知りました。
今日コンサートに行く前に登山者のための竹杖が少なくなっているので補充のため10本ばかり持参しました。
今日の森林公園駐車場は閉鎖されていました。新聞記者の方や警察官らしき人たちがあわただしく活動されてました。
私の止めていた駐車場は現場の上方にあり、立ち入り規制範囲外で下流方面しか捜査されていませんでしたが、あれでも何かの役に立つのではと思い警察官を案内し説明しました。ここには不法投棄防止のため監視カメラが設置してあります。
公園の管理棟に監視カメラはあるのでしょうか
不審な車両が来た時にもピカーと光っていましたから車番は検知できるでしょう。
平穏な街に起きた殺人事件皆驚いております。一日も早く解決することを願っています。
明日府中町内の小、中学校はすべて休校になりました。
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例会山行「芋峠・吉野山」

2025-04-09 17:45:30 | 日常

(花矢倉展望台から下方の下千本を望む。)
令和7年4月5日から6日
私にとって「やまと」には行くという感覚ではなく、懐かしい故郷に帰るという気持です。
やまとの風景、田んぼ、畑、小川等ののどかな風景が残されており,それが昔見た故郷の心象風景とも重なり、懐かしくなります。
日本人なら誰しも感じることであり、やまとは「日本人の心の故郷」といわれる所以でしょう。
新しいもの、珍しいものを見に行くという感覚はないので、何度行っても飽きることはありません。
来年もまた行きたいと思います。

今回のコースは昨年NHK朝ドラで放送された「虎に翼」のコースを歩きました。病床の天智天皇は弟の大海人皇子を枕元に呼び,譲位を持ち掛けますが「ご子息の大友皇子に譲位されるがよい。私は天皇の病気平癒を祈願し出家します。」と述べ直ちに頭を丸め、武器を差し出し、吉野に去った。
この時,譲位を受託していれば謀反心ありとして殺害されていたことでしょう。
当時の都は琵琶湖湖畔の大津宮です。吉野までは70キロ以上あります。その長い道のりを追っ手を気遣いながら必死で逃げたことでしょう。険しい山道を一睡もせずて休まずに歩き続けてようやく芋峠にたどり着き、眼前の吉野の山々を眺めた時これで助かったと安堵されたことでしょう。
持統天皇となり在位10年の間に34回も吉野に行かれた気持が表れています。

この度の例会山行参加者は23名(男性8名、女性15名)
福山オート観光を午前5時30分出発。
予定通り午前10時25分石舞台に到着。
準備体操を行い3班に分けて出発。
(稲渕集落の男綱。2月ごろ総出で架け替えるそうです。)

(柏森集落前の女綱)
稲渕集落に入る前に飛鳥川に綱が張られています。
中央に藁で作られた男性の陽物がかけられた男綱がかけられています。
次の柏森集落の入り口には女性の陽物がつるされた女綱がかけられています。
これらのしめ縄は川を伝って悪疫が侵入するのを防ぐ目的で作られているのですが五穀豊穣、子孫繁栄の目的もあるようです。

(最古の橋、石橋を渡る。)
この先には人類最古の橋、石橋があります。川に石を並べて橋としています。
小さな飛鳥川だからできるできることです。洗濯したり、農具を洗ったりして生活に密着した川です。
     明日香川 明日も渡らぬ石橋の 遠き心は 思ほえぬかも
            (石橋の間が遠くなるようなことはありません)
明日香の風物,習慣は今も昔も変わりません。それらは大切に守られていることに気付かされました。

(天皇の行幸の様子,輿に乗っています。)
柏森集落を過ぎるといよいよ芋峠越えの古道に入ります。かって故犬養孝先生たちが作られた万葉の道です。木漏れ日の漏れる杉林です。大きく息を吸い心を和ませ歩きました。かっては幹道で多くの旅人も行きかい茶屋もあったようですが今は遺跡だけで何もありません。途中に輿に乗った御一行の行列の写真があり当時の様子がわかりました。
70分余りで芋峠に到着。
ここまでくれば後は下るだけ。助かったと安堵されたことでしょう。
峠には故犬養孝先生の説明版が設けられ多くの人にここが大切な場所であることが理解されるよう書かれています。
(故犬養孝先生の説明文)
(下見の時,段木を設置して歩きやすくしました。)

下見に来た時、登山道が痛んでいたので段木を設けて歩きやすくした箇所を見ていただきました。
下山道は今までよくわからなかったので舗装道路を下っていましたが大回りで距離もあり時間もかかるので犬養先生たちが谷筋に道を作られたものを下りました。
はじめが急坂ですから注意してください。今は植林にも使用された様で歩きやすい道で後半は舗装されており1時間でせせらぎ公園に到着しました。
すぐにバスに合流、途中でコンビニで二次会の材料を購入。16時30分橿原オークホテルに到着。
18時より宴会場で夕食。/
終了後、和室で全員参加してミーティング・二次会で大いに語り,杯を上げました。
(二次会です。雰囲気が伝わりますか・・・)
2日目
6:30 地元のバス会社に宮滝まで送ってもらう・

(宮瀧の様子、最初の飛鳥川とは全く違います。水量等の迫力に圧倒されたことでしょう

宮滝は離宮のあった場所です。
巨岩の渓谷美、流れも急で白く泡立って流れている。
今は上流にダムができ水量も減っているが当時は水量も多く迫力があったことでしょう。
小さな優しい飛鳥川に慣れ浸しんだ宮廷人にとって吉野の大河は驚かれたことでしょう
出発して間もなく小雨が降り始めた。

(憧れの喜佐の清流
喜佐谷は大伴旅人の歌で有名な万葉の歌枕の地である。
(「きさ」は喜佐とも、象とも書きます。近くに象山と書く有名な山があります)

    昔見し 象の小川を今見れば いよよ さやけくなりにけるかも

大伴旅人大宰府に赴任し 思いを募らせて詠う
  わが命 常にあらぬか 昔みし 象の小川を 行きて見ぬため

うす暗いスギ林の中、白い小さな流れがある。心静かに見ればさらさらと水音が聞こえてくる。大伴旅人の思いを感じる水音でした。
40分余りで尾根道に出る。
いよいよ桜の吉野だ。
上千本の花矢倉展望台は桜の吉野の風景を代表する有名な場所だ。
ここはつぼみであるが下界は桜の風景が広がる。
今までは人に会うことがなかったがここからは別世界、さすが天下の吉野だ。
車も人も混在で通行するので舗装道路だ。まずは青根ヶ峰を目指して上る。


金峯神社から西行庵へはこの桜の時期は道が狭いため一方通行になっている。青根ヶ峰の道とは離れた場所にある。このあたり奥の開花は10日先とのことですから長期間にわたり桜が楽しめます。
西行庵は小さな何もない庵である。3年間も隠遁生活をされたとのこと。こんなところでよく生活されたものである。

近くに歌に詠まれた水場が残っていました。
          春雨の木下(こした)につたふ清水かな

西行を師と仰いだ松尾芭蕉も2回おとずれて読んでいます
        とくとくと落ちる岩間の苔清水
西行法師といえば下記の歌が有名です。
    願わくは花の下にて春死なぬ その如月の望月のころ
死亡したのは建久元年2月16日、釈迦入滅の翌日です。
このようなすごい人だから3年間も過ごすことができたのですね。

青根ヶ峰を目指して多くの少人数の団体がたくさん来られるので聞いてみると皆さん「ツアー」とのことでした。
後で調べてみると「青根ヶ峰コースツアー」1人、11,500円で載っていました。
1パーティー7名でした
女人結界との石碑がありました。
ここが大峰奥駈の出発地点
このすぐ上が青根ヶ峰(857m)頂上です。11時45分到着
下山は自由行動、各人行きたいとこをを決めておられるようでしっかり楽しんでください。
集合時刻は2時30分ごろ
午後3時 下千本駐車場に全員無事に集合。出発
予定より30分も早く20時10分福山に帰りました。
役員の皆様、CLさん,会計係さん、記録係さん。そして参加者の皆様ご協力ありがとうございました。
おかげさまで無事に終えることができました。
感謝しております。

天気のこと。
言葉では信じてもらえないでしょうから記録でおもせしましょう
はじめは午後は晴れる予報でしたが前日には終日雨に変わりました。

(6日は二つ目低気圧でした。しかし朝になり高気圧となり、二つ並んだ高気圧の谷間となり短時間の雨になったと思います。)

天気予報は1日目は曇り、2日目は終日雨の予報でしたが実際は1日目晴れ、2日間1時間余り小雨でしたがあとは良い天気でした。
初めの予報では日本海と太平洋に低気圧ができる二つ目低気圧ができる予報でしたがその太平洋側ができなかったために晴れたようです
いつもながら幸運、皆様には「ラッキー」ということになるのでしょうが私にとっては幸運は『観音様のお陰」と観音様に感謝いたしました。
来年もまたご一緒しましょう。






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聖林寺の永代供養塔と法華寺の十一面観音の御開帳。

2025-03-24 21:04:50 | 日常

(永代供養塔です。この側面に大理石で法名が記載されています。)
(私は生存中ですから赤字となっています。)

令和7年3月21日から23日
私も80歳の大台を超え終活を考える時機となりました。
このお彼岸の時に奈良市・法華寺の国宝十一面観音が春期特別開帳されるのに合わせて、聖林寺から永代供養塔への法名刻印が完了したとの連絡を受けていたので確認のため出かけました。
我が家のお墓は黒瀬町の姉の敷地内に建てられています。孫たちも一緒に住んでいるの先の管理は安心できます。
信頼し敬愛している国宝第1号の十一面観音様の下で夫婦ともに終の棲家を得られたことで安堵いたしました。2人分ですから通常の料金とはかなり高いように感じますが特別な場所でもありお寺に寄付したと思えば何のことはありません。

(法華寺の十一面観音、光明皇后を模したといわれています。)
もう一つ、国宝の十一面観音像8か所のうちあと2か所を見ていません。
そのうち、奈良市北部の法華寺の観音様の春の御開帳が3月20日から4月7日までの予定であり、見物してできました。
(美しい格調のある正門です。)
(観音様の祭られている本堂です。)
法華寺は元は父親の藤原不比等の邸宅であり、聖武天皇の妻である光明皇后が女人成仏のための総国分尼寺として建立されました。
この観音様は日本におけれ福祉事業の先駆け的存在と言われ光明皇后の姿をモデルにしたものと言われています。慈悲深さをにじませ、貧しき人や病気の人々のために尽力されてお姿を見るようです。
(サウナ様式のお風呂です。今でも使用可能です。)
境内にある「からふろ」と呼ばれるサウナのような温浴施設があり庶民のために役立たせました。
本堂の祭壇の御厨子の中の高さ1mばかりの小さな仏像ですが神々しいお姿を拝見、思いを込めてありがとうございましたと頭を下げました。

(今は拝見できませんので模型の仏像がありました。)
最後の国宝十一面観音を祭られているお寺は京都東山区にある六波羅蜜寺です。
このお寺の十一面観音は12年に一度の御開帳、昨年実施されたばかりでした。
厨子の扉は閉まってみることはできませんが代わりに境内に観音様の銅像が建てられており、模造品としてのお姿は見ることができました。来た甲斐がありました。
これで国宝の十一面観音のお寺すべて訪れることができました。

帰路は有馬温泉,太閤の湯に入り温泉気分を満喫して帰りました。
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岩谷観音登山道整備「広場」に掲載される。

2025-03-19 22:43:50 | 日常
令和7年3月19日

今朝の中国新聞「広場」に先日13日に送った原稿が掲載されました。
17日に編集部の方から詳しいことを聞きたいとのことで詳細にわたり説明しました。
山のことについては素人でよくわからないとのことなので詳しく、資料などを交えて3回くらい内容の打ち合わせ等を行いようやく昨日4回目にして読みあわせまとまったばかりでした。追加で岩小屋のことも載せるよう言いましたが。文字数をオーバーするのでカットされました。
掲載日は近々ということだったので先になるものと思いました。
正直採用されるとは思いませんでした。
広場に掲載された投稿内容は中国新聞に掲載された記事に関するものや政局の批判、ご意見が多く私の原稿は山の案内、個人的な自慢話のような内容ですかかなりマニヤックなのでただ投書しただけ終わると思いました。
掲載された内容は岩小屋のこともあるし、観音様のおかげとも記されていました。
満足するものでした。
今日、お礼のついでに山のことは詳しくないのにどうして採用されたのか聞いてみましたら、長年熱心に活動されたことが採用した要因と言われました。
私の活動の源となった多くの方々の励ましの言葉。私の活動と同様の功績があります。お声掛けいただいた何千人の方がたも喜んでおられることでしょう。
これをご縁に多くの方にお越しいただき観音様のご利益を得て幸せになることを祈念いたします。
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岩谷観音登山道、緊急工事する。

2025-03-15 22:38:09 | 日常
(工事後の写真、右側の岩の斜面が通路ですが砂利があり滑りやすい。右側に安全通路を作りました。)
(工事前の写真、児童が滑らないように一時的に土嚢を設置しました。
左側のくぼ地に通行できるようにしました。)

令和7年3月15日(土)
今朝は8時過ぎから登山道の緊急工事に行きました。先日子供たち50人余りが岩谷観音に登山したとき150m地点の岩場を下るときもろい岩の上に砂利があり滑りそうで苦労していました。
横は窪地でガレて足場が悪いのでこのもろい岩の上を通行するしかありません。
その時は土嚢を作り通行してもらいましたが子供にとっては難所ですから渋滞します。
今日3段の段木を設置して土嚢を5袋置いて階段状にして安全に通行できるようにしました。
今日は暖かい昨日とは打って変わって真冬の寒さ、雨の中の作業になりましたがすぐしなければならない作業なので続行、3時間余りで無事完了しました。
汗と雨のため体が濡れて震えました。
ほかにも2か所補修工事を行いましたので段木が8本必要になり昨日5本運び上げていましたから無事に一度に済ませることができました。

(腐蝕防止のため50本ほど塗装をしました。まだ400本余りあります。)

15年余りの長きにわたった登山道の整備もほぼ完了し第二段階として段木塗装を行い長期間維持するように始めたばかりでした。
そのことを知ってもらうため13日に中国新聞「広場」欄に「魅力いっぱいの高尾山・岩谷観音」と題した投稿原稿を送付したばかりです。
採用される確率はかなり低いので掲載は厳しいかもしれません。数日中に結果は判明するでしょう。
このような事情があり安全のための工事を急いで実施しました。

(大勢の演奏家の方が技を磨いておられます。発表の機会は大切です。)

また夕方18時から廿日市文化ホール「さくらぴあ」で広島ターフェルオーケストラの無料の演奏会があり聞きに行きました。
アマチュアの団体ですから無料で聞きに来てほしいのでしょうが今年は31回となっています。
団員は80名近くおられます。演奏会を開くために練習に励んでおられるのです。
広島交響楽団からも指導に来ておられるようですから優秀な方は広響にも参加することもできるのですから広島の音楽界のかさ上げにも貢献できるのでしょう。
注意してみると毎週あちこちで演奏会が開催されています。
楽しみです。又行きます。楽しみが増えました。

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街歩き。

2025-03-10 13:28:40 | 日常
令和7年3月8日
普段、街に出かけるときは車を使用しますが駐車料も高いので久しぶりにJRやバスで出かけました。サッカー見物か広島交響楽団に鑑賞行くか。向洋駅から白島駅まで190円。ここから20分余りあるくとエディオンウイング広島のサッカー場。まだ開幕までは3時間余り前なのに大勢のサポーターがおられます。入場券を購入無事にゲットし一安心。今日はここにしよう。このスタジアムの定員は28500人ですから大丈夫入場できます。

(スタジアム前のグランドは長い列ができました。列の半ばから後半を見てもこれだけの人数。この前にも同様の行列があります。うんざりです。やめて帰ろうかとも思いました。)

今日は入場者数1万人を目標に選手たちもアイディアを出し入場者増員に努力される姿がよくテレビでも放映される様子を見たので応援するためきました。先着1万人には記念法被も準備しているとの報道もありました。
私は品切れでもらえませんでした。
続々と集まってきます。たこ焼き屋にも5から60人の長い行列ができている。食べ物屋はどこも長い行列。空いていたレストランに入り本日のランチで牛ステーキを注文する。混雑しているためか40分余りも要した。外に出てみると広いグラン広いグランドは人人でいっぱい。最後尾の列を探してはるか先まで探し並ぶ。何重にも長い列だ。入り口がAゲート1か所だけのためでしょう。試合開始が迫ってもまだ入れない。20分くらいまえになりDゲートも開かれてようやく入場できた。
これほど大勢が来るとは予想外だったのでしょう。
なんと本日の入場者は20156人。目標の倍以上、ものすごい数字です。女子サッカー史上最高、ダントツの第1位の記録である。
今までの最高記録は国立競技場の12000人,サンフレッチでは6000人くらいですから準備、対応ができないのも理解できました。

(久しぶりに登山用のシャツを買いました。今までのウールものはよく着ているので襟や袖がすり切れています。メリノウールのシャツです。早く着たいです。)

次は登山用シャツを購入にゆきました。
紙屋町の好日山荘に行きましたが品数も少ないので近くのモンベルに行きました。珍しく念願のウール100%の製品があり即購入しました。17600円でした。
帰路はバスセンターから芸陽バス利用。380円でした.行きの倍額でした。
まだ日があったので気がかりであった900m地点のう回路の岩谷観音の道路整備に出かけました。

(滑りやすい登山道の横にう回路ができていました。歩きやすいように3段の登山道をつくりました。)

出発が5時過ぎですから帰りは暗くなるのでへッドランプがあれば安心して作業できます。3階段、土嚢で設置工事しました。
18時30に作業完了。日没時間は18時12分。どの程度の暗さまで歩行できるのかヘットランプを点灯せず試しに歩きました。普段なら30分もすれば一寸先も見えない真っ暗闇になるのにいつまでも歩けました。今日はよく歩けるなと思っていると、そのうちかすかに人の影が地面に映るのに気が付きました。
月の明かりで歩けたのです。見上げると中天に少しお腹の出た半月のお月様がありました。

夕闇は道たずたずし 月待て 行ませ我が背子 その間にも見む
                       (万葉集巻4-712)

万葉集にはこのような「あなた、闇夜は道がわからないので月が出てお帰りなさい。その間にも、もう少しお会いしていましょうよ。」というような愛情豊かな歌がたくさんあります。
昔の人は月夜には歩いて恋人の元へ通ったという表現がありますがその体験が実地にできたのです。
万葉の昔の夜道はこのような感じなのですね。
うれしくなりました。

帰路にはいつもの「安芸の湯」で汗を流し、さっぱりして帰りました。
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光の春到来

2025-03-08 22:19:02 | 日常
(日の光につられて一気に咲きました)
令和7年3月7日
今朝は大雪の予報であったが予想に反して降雪はなく明るい日の光が燦燦として輝き、まさに光の春到来の感がしました。ですから気温は11度、風も冷たく冬のままですが光が強いので車の車内は暑いほどの陽気でした。
二葉の里の尾長天満宮の塀越しにピンク色の紅梅が見えます。
それにつられて境内を訪れました。白梅も見事に咲き始めています。
しばしその香りを味わいました。
また境内には菅原道真公由来の撫で牛の銅像があり、痛いところをさすると効用があるとのことなのでそれに倣い膝をよく撫でました。早く良くなりますように。
牛さんの頭部は皆さんによく撫でられてピカピカに光っていました。
この双葉山の山麓は歴史の散歩道として多くの人々に愛されていますいつかゆっくりと歩いてみたいものです。
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岩小屋に看板を架ける。

2025-03-03 13:43:03 | 日常
(正面の岩壁では真上になり見にくいので、左側の岩壁に看板を取り付けました。左側の内部も壁を削り広くなりました。あとは奥側を削って広くします。)

令和7年3月1日
岩谷観音頂上直下の岩小屋。名無しの権兵衛では目立たないので看板を付けました。
文面は「日本では稀有でめずらしい「山頂の岩小屋」です。 ありがたい観音様のパワースポットです。」と記しました。
(看板標識です。)

本当に頂上に自然の岩小屋は珍しいことです。今まで日本全国の山、多くの山頂に登りましたがどこにも岩小屋はありませんでした。
この岩小屋が実に珍しく貴重なものであることを知ってほしいので作りました。
この山頂の観音様は本当にご利益があります。
数々の山行において天候に恵まれる等のおかげに山仲間たちが感謝し、お礼参りのここに来た時、悪天候に会い、ここに休憩所があればいいのにと思いました。
そのあとにこの場所を見つけ、中の土砂を搔きだし、その後の空間がこの岩小屋になりました。
このことが観音様のご利益の証明です。
観音様の啓示というべきことです。
朝10時過ぎから登りましたが20日ぶりの登山であり体が重たい。装備も通常のものに岩にボルトを打ちこむのでザイルやあぶみ等が増えましたがいつもとそんなに増えたわけではないがなぜかしんどい。一歩、一歩確実に歩を進めるだけです。
加齢にもよりますがこのところ膝関節症の為あまり歩いていないので体力も低下しています。
ようやく到着。正面の岩壁では見えにくいので左側壁にボルトを打ち込み、取り付けた。びしっと引き締まりました。
ついでに内部を拡張して広くする手始めに左側の壁を削り広くして、すっきりしました。これで良し。
次回には奥のほうを削って広くすれば空間が広がり使いやすくなるでしょう。
登山者の方からもお手伝いしましょうと声をかけていただきました。

3月2日
日曜日ですが昨日に引き続き登りました。
(少し朽ちたようなステージの床板と、工事前の椅子の写真)

(山頂の観音様と工事後の床板とL形金具で補強した椅子。これなら安心です。)

岩小屋はかたずいたのですが、観音様の前のステージの座板のほころび、一部に隙間ができているのが気になります。
万一折れたりしたら怪我をするかもしれない。
観音様にきて怪我をするなどあってはならないことです。
お心に背くことです。
小さなミスも許されない。
気が付いたからには直ちに修理すべきである。
足が筋肉痛であり、小雨も降っていたが作業をするのが目的だから合羽を着れば支障はない。

(頂上近くの階段道の傍に下部が崩落した今にも落ちそうな岩があります。落石注意の看板とピンクテープで注意を促しています。)

ついでに気になっていたステージ上の椅子の補強と崩れかかった岩石の「落石注意」の標識3枚を作成し持参することにする。
(広い道では横にして担ぎました。狭い道では縦にして担がねばなりません。後ろ荷重になり重くなりバランスもとりにくいので苦労しました。
座板は長さ140センチの足場板がありそれを持参した。岩谷寺跡までは横向きでも運搬できるがそれから上の石階段からは道幅が狭いので縦にして運ばねばならない。後傾過重になりバランスをとるのに苦労しましたが何とか運び上げました。
今後は楽に運ぶ縦の運び方を勉強しなければならないですね。
はじめは雨が降っていたが作業をする頃には雨も上がりました。
床板補強。椅子の補強。落石注意の標識も完了しました。
帰路に破れた土嚢袋約10枚を取り替えました。
疲れたけれど充実した一日でした。

(麓の温品町に移された岩谷寺。心なしか寂しそうでした。山にある時は多くの登山者や苦労して登ってきた信者に愛され存在感がありましたのに・・・)
観音様像前の人々からの善意あふれる御賽銭をふもとの岩谷寺に納めました。

それにしても観音様は粋な取り計らいをしてくださる。
座板一枚を運ぶのに苦労している今の私、以前は一回に段木は3本程度は運び上げ、階段、はしご、ベンチを設置し、今のような立派な参拝道を整備できました。今の自分では体力がないのでとてもできなかったことです。
よくぞ成し遂げさせてくださいました。
その時々のやるべきことを全力でやりぬいたことの成果です。
今できることの最善を尽くせばよいことを教えてくれました。

追記
岩小屋の天井が濡れています。壁から伝わって濡れてきたのだろうと思いましたがそうではないようです。
岩は水を通すのです。しみ込んで天井が濡れているのです。
新発見です。
驚きです。1mはあろうかという岩を染み出るとは・・・・



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古鷹山例会山行中止。単独で登山す。

2025-02-09 11:31:29 | 日常
(今回のコース、東側の峠から初めて登りました。)
令和7年2月8日
今日は例会山行で古鷹山を計画、19名もの多くの参加申込がありましたが、昨日、7日、19:30急遽中止いたしました。原因は寒さです。
今まで大雨警報で山行中止したことはありましたがこのような寒さというのは初めての経験でした。
7日の広島の気温は最高気温3,9度、最低気温ー2,3度、風もありましたから体感気温は―10度くらいに感じ、この寒さでは明日の山行はどうかと不安に思っていました.
加齢の為判断が慎重、臆病になったのかもしれませんね。
今まで何とか回復するような天気予報でしたので実施予定でおりました。
今日まで参加辞退が3名あり、夕方になり福山地方も雪が降り早朝には道路が凍結し出れなくなり参加できないとの連絡も2件ありました。
明日、8日も厳しい天気が継続し大雪警報等が出されています。
冬山・雪等になれている縦走部員なら防寒装備も所持していますが里山部員では寒さに対する装備も不安であり、寒さに震える登山では楽しくないと考え中止することにしました。
中止連絡はメールで8人伝達、他の方は電話にて連絡し20:30分には全員に中止連絡完了。
ホッとしましたが申込漏れでこちらが把握していない人もあるかもしれないので万一のことを考え、参加者がいれば行くことにしました。不明連絡があれば宇品港で待機していることことを伝えればよいと思いました。
(8日朝の広島市内の雪景色。雪がうっすらと積もっています。この冬一番の寒さです。干し柿が一個残っています。)
8日は今年一番の寒さでした。広島市内も雪です。広島の最高気温4,9度、最低気温 ー3,5度、道路はうっすらと雪も積もり、車は凍結状態でした。
同じコースを歩けばよいのですが、誰も来なければめったにない機会ですから先に中國新聞に掲載された「江田島荘」の日帰り温泉に立ち寄るため車で行くことにしました。
誰も来ないので1便早い9:20分で行く。
コースは切串から小用間の大規模林道の峠「ソロプチミストの森」から古鷹山を往復する4キロ余りのコースです。
(出発地点はここからです。整備したのが15年前ですからあちことが痛んでいました。)
(暖かい江田島ですが雪が少し残っていました。)
(あちこちに倒木がありました。建設した後の手入れが大事ですがなされていません。)
こちらはメインコースでないので倒木も多く荒れていました。
江田島はあたたかいのですが登山道にはうっすらと雪が残っていました。
初めは寒くて目出帽、防寒着を着たままで歩きましたが寒くても汗はかきませんでした。太陽の日の温かさを感じ、風がなければ春の様です。途中、出会ったのは2パーテイ4人だけでした。時折日がかげると風を感じ寒くなります。
(古鷹山山頂、方位盤と右側の看板は東郷元帥の5省(至誠に悖るなかりしか)の文句が記してあります。よく復唱した昔が懐かしいですね。)
(江田島湾の絶景,眼下が術科学校、風がなければ日差しは春のような陽気です)
10:30峠出発、11:50頂上着、12;15頂上発 13:40峠着
なんとか行けたので中止の判断の成否はわかりません。天候の判断は難しいですね。まず実行し、悪ければその時点で中止するか、変更するか判断するしかないですね。
今回は下る途中で道に迷い、又ひざの故障のため下る速度が遅く、登りと変わらない速度でこのように遅くなりました。膝回復にはもう少し時間がかかりそうです。
ここの大規模林道は昭和53年6月の山火事の後、建設されたもので古鷹山周辺に整備されています。総延長8,3キロ余りが縦横に整備され舗装されていますから安全に通行できました。
(江田島荘の外観)
次はお目当ての江田島荘です。能美町中町にありますからここから30キロ余りあります。
中國新聞で先般、江田島荘が「ワールドラグジュアリ―ホテルアワード24」を中国地方で初受賞しましたと大々的に報道されました。
17年間で日本で受賞した施設は44施設のみです。
この賞はホテル業界のアカデミー賞とも称され最高峰の賞です。
高級ホテル、ぜいたくなホテルのイメージで客室の内装、設備が豪華でサービスが行き届き,いわば「5つ星ホテル」で宿泊料金も最高ランクです。
客室は32室、すべてのお部屋が瀬戸内海を一望できるパノラマオーシャンビューが売り物の様です。
今日ネットで調べますと意外にも本日、最低で34000円の部屋がありました
他の旅館情報では10万円の部屋が70%引きで表示してありました。
日々ホテル料金は違うのですね。
(別棟の日帰り温泉施設「えたじま温泉」です。)
その日帰り温泉ですからさぞ立派なろうと思いましたがどこにでもあるような普通の温泉でした。露天風呂も塀に囲まれ海の景色も見れません。それにしては料金は1300円(平日は1100円)と割高、期待外れでした。
ただお湯は深海から湧き出る「療養泉」と呼ばれる希少性が高く、保温と保湿性に優れているとのこと。
総合評価は宿泊しないとその良さはわからないようです。
実際を理解して一件落着。

三高港の売店で地元のミカンと大根を購入して帰りました。
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