まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

久住山山行の成功はあなたのおかげです。

2014-05-29 22:42:59 | 日常
平成26年5月29日
今回の久住山山行について何人もの仲間からお礼の電話やお手紙をいただきました。
本当にありがたいことです。今回の成功は4人の班長さんと助手のみなさん。、最後尾を守っていただいたSLさん。今回の成功はすべて貴方達のお陰です。班長さんたちはサプライズの西瓜や宴会の飲物、つまみ、を協力して買出しに行かれました。
装備担当は5張ものテント、敷物を事前に確認、終了してからはそれらを清掃整理されました。他にも無線機、ガス、コンロ、等必要な装備を調達していただきました。
会計担当は費用の計算、集金、管理、節約に努め食事代程度を返金していただきました。
写真・記録担当は行程の時間や記録を書きとめ、写真撮影にも余念がありません。あとで参加者にCDを作り配布してくれるでしょう。
最後尾担当のSLさんはいつも最後尾にいて皆の行動を見守ってくれました。
班ごとに行動しているのであまり話すこともなく孤独に役目を果たしてくれました。あなたがいてくれて本当に良かったと感謝しております。他にもハモニカを吹いてくれた人、美味しい手作りの酒のつまみを持参してくれた人、本当にありがとう。また一緒に行きましょう。その時もよろしくね。
「あなたがいてくれてよかった」 いっぱい、いっぱい感謝しています
(写真は「のび工房」さんの「七宝福福猫カレンダー5月号」を使わせていただきました)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三俣山(九重連山)はシャクナゲが満開です。

2014-05-28 23:28:14 | 日常
平成26年5月23日から25日
まずはお花の情報から、昨年も同じ日に久住山行を行いました。その時はミヤマキリシマは7分咲きでした。
今年は雨ヶ池、三俣山ともまだつぼみの状態でした。
週末の6月1日が山開きで満開のミヤマキリシマが期待されているのに今年は7日以上遅れているようです。
他地区の花の開花状態は法華院山荘付近でちらほら、久住山南斜面の赤川へ下る1400m付近では7分咲きでした。その代り5月中旬までのシャクナゲが満開で楽しませてくれました。

昨年に続き今年もまた中型バス満杯の25人(男性9名、女性16名)で実施しました。
福山発が19時、私たちは21時20分宮島SAで合流。車内では安全登山をお願いし、今回の山行中に起こりうる危険についてお話しました。大分道の玖珠SAで3時間余り仮眠。予定どうり7時30分に登山基地の長者原に到着。天気もよし、準備体操をして、4班に分かれて雨ヶ池に向け出発。郭公の声を聴きながら、新緑の気持ちの良い山道を歩くこと1時間雨ヶ池に到着。途中の泥んこ道にみんなで石を持ち寄り敷き詰めて歩きやすくしました。ささやかな自然保護です。雨ケ池から南峰までは標高差450m、急峻なスカイラインを登るのである。登山道は下見の時確認しているので不安はない。池をめぐり、藪をかき分け、雑木林を進むと黒く掘り下げられた登山道に出る。道は黒い火山灰だからよく滑ります。草や木をつかみながらの登りです。下見の時 に確認していた危険個所にフィックスロープを設置する。淡いピンクのシャクナゲが出迎え疲れを吹き飛ばしてくれる。今年は遅くまで咲いていますね。ありがとう。稜線の小鍋分かれに出ると視界が開ける。もうひと踏ん張りして南峰に立つ。ここで班長さんたちが準備したサプライズ「お初の西瓜」をいただく。渇いたのどに冷たいスイカ「最高です」「ありがとうございます」「こんな重たいものをよく運んでくれました」みんな感謝していただく。山頂で昼食をとり360度の展望を楽しむ。西峰経由してスガモリ越えに下る。この辺りはたくさんのミヤマキリシマがあるのに全く咲いていない。今年は遅くて駄目ですね。途中滑りやすいところでザイルを使いました。スガモリ越えは今は売店もなく休憩所のみで記念の鐘がぶら下がっており皆鐘を鳴らす。風に乗って異臭がする。トイレ、生理現象ですから仕方ありません。ここは壁があり他から見えにくいので絶好のトイレ場と化し白いティシュの花盛り。見苦しことこの上ない。ティシュは水に溶けません。腐蝕しないのです。是非とも持ち帰ってほしいです。今度来た時には穴を掘って埋めるか、何とかしよう。あと少しで今宵の宿「法華院山荘」だ。気持ちのよい北千里の砂浜の感触を楽しむ。いつもながらの懐かしい山荘。去年は個室でしたが今年は大部屋。200人は寝れそうな大広間。でも布団1枚に1人だから快適です。さっそく温泉につかり汗を流す。そのあとは談話室で宴会の始まり、始まり・・・。自由参加でしたが皆ビールや酒の肴を持ち寄り楽しく歓談。新入会員の紹介のたびごとに杯を上げ歓迎する。鞆の浦の小魚のから揚げの美味しいこと。自家製とのこと。皆を喜ばすためご持参いただいたおもてなしの心が嬉しくまた乾杯。新入会員の方の言葉「ツァー会社の登山にはよく行きましたが 、山岳会の山行に参加して仲間と共に上る素晴らしさを知った 」嬉しい発言にまた乾杯。この日のためにハモニカを練習してきた人がおり、その伴奏で「坊ヶツル賛歌」を合唱。席を盛り上げていただきありがとう。楽しいひと時でした。
明日は5時30分出発です。昨夜はよく寝ていないので熟睡できるでしょう。
5月25日(曇りのち晴れ)
空は薄曇り、周囲の山々は霧の中、
5時30分準備体操の後、鉾立峠への木道を歩む。明るくなるにつれ霧も晴れてくる。鉾立峠には経文の書かれた石碑や立柱があり、仲間のお坊さんに解説していただく。白口岳は1720m、380mの標高差ながら頂上付近は厳しい岩場。気合を込め出発。道の両側はミヤマキリシマが生い茂っている。それをかき分けて登る。よく見ると小さな青い虫が何十匹と群がりついている。まったく花芽のない木もあります。これが続くと立枯れるのでしょう。「こんちくしょう」と葉を手で搔き払い、また木をゆすって虫を払落し踏んづける。焼け石に水ですね。でも少しでも効果があればとやり続ける。
昨年の平治岳でも多くの立ち枯れが見られたがこの被害何とかならないものでしょうか。心配です。
以前、白口岳を下ったとき苦労したので今回はザイルを持参したが登りは楽ですね。ザイルを使わず簡単に乗り越えることができました。朝食は古い溶岩の跡が残る稲星山でとりました。ここは実に展望がよい。絶景です。
山座同定すれば、方位40度に蟹の鋏のような由布岳、150度傾山、170度祖母山は思い出の山、210度にはギザギザの根子岳と阿蘇山、いつか岩のぼりに連れてゆきたいですね。315度には不遇の山、涌蓋山、目を西に落とせボッカ的な緑の牧草地が広がり、東に目をやれば坊ヶツル湿原が広がる。本当にいつまでも佇んでいたい心境です。中岳分かれから九州一の中岳1791mは標高差かなりあるように見えても111m、歩測430歩で一気に頂上へ。頂上からは御池のそばを通り、石造りの避難小屋の位置を確認のため立ち寄り、空池を巡って盟主久住山(1786m)へ、さすがに大勢の登山者で賑わっていました。
赤川への下山は初めてなので地図と磁石で確認し下る。先頭の班長さんには頂上からすぐ南に一直線で下り、1600m付近で西に方向転換するコースであることを頭に入れて下りをりードしてもらう。実際そのとうりのコースなので今下っている道は間違いないことを確認してもらった。岩場が多く厳しいコースです。途中で安全のためザイルを出しました。難所を抜けて1500m付近はミヤマキリシマが綺麗に咲いています。赤いドウダンツツジも咲いています。皆ゆったりとした気持ちで今下ってきた久住の雄姿を仰ぐ。充実した山の感触を楽しみながら赤川温泉を目指しました。
赤川荘はは文字通り赤い色壁の建物です。白いお湯。滝を眺められる露天につかり汗を流しました。
お土産に肌がきれいになるという石鹸を買った帰りました。はたして効用はいかに。
多くの仲間に助けられた充実した山行でした。
みなさんありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベテランだから起きる事故

2014-05-17 15:56:47 | 日常
平成26年5月17日
先日、昨年穂高の屏風岩に連れて行ってもらったクライミングの先生がボルダリング中の事故で入院されたと聞きました。
いつも安全を指導され、飛び降りるときには場所をよく選んで降りるように指導されていたのについ高いところまで登られて限界を超えて飛び降りられたのでしょうか。
普通の人なら怖くてそのようなところまで登らないでしょうに・・・

名越さんの事故も同じようなことが原因ではないかという気がしてきました。
名越さんは広島だけでなく日本を代表する登山家でした。普通の人ではおきないベテランだから起きた事故ではないでしょうか。
1、単独登山
  横尾尾根は冬期槍ヶ岳に登るポピュラーなコースですが単独ではあまりやられないのでは・・・・
  仲間がいてザイルを結んでいれば助かることも単独では致命的なミスになります。
  雪庇を踏み抜いて自力で這い上がれないこともあります。
  天気が良ければ問題なく登山できたことでしょうが悪天候では厳しいものがあります。
2、事故は想定外
  名越さんの行動を見ると此処で事故を起こすこと、まして捜索を受けることは全く想定されていない。
  荷物も少なく速攻を重視され必要最小限の装備にされたのでしょう。
  冬季の避難小屋にも記載がなくその足跡が残っていない。行動のすべてにおいて足跡が残されていない。
  ビーコンを持参されたかどうかわかりませんが、仲間がいれば雪崩などで埋没したときに備え捜索のため持参しますが後で探してもらうことを考えていなければ持参しない可能性もあります。日本のアルペンビーコンは1500時間持つ優れものですが直後の捜索でも反応がなかったといいますから持参されなかったのでしょう
  他のパーティとの交流がない。途中で会えば多少の情報交換はすべきですがそれもない。
合宿で上高地までは仲間と一緒に来ており稜線上ではそのパーティとの定時刻の無線交信も可能と考えられますがそれもない。
ベテランだから事故はないとのことでされなかったのでしょう。
足跡がなく探すにも捜索範囲が広すぎて困難を極めています。
3悪天候でも強行。
 名越さんにとってはこの程度の悪天候など問題外だったのでしょう。
 同じころわが会も西穂高岳に登っていましたが悪天候で中止したそうです。
 名越さんはタフで悪天候にも強かった。だから事故は起こった。
 私には大山遭難の時宝珠尾根の捜索を名越さんがチーフ、私がサブで捜索を行ったことがありました。その時の彼の指示は実に的確でした。
雨で体が濡れた隊員は強風の稜線での活動は出来ないと下山させました。稜線に出る前には服装装備を完ぺきに準備してすぐに行動できるようにさせて稜線にでました。
ユートピアの強風地帯で我々が対風姿勢をとっているのに自由に行動されていました。あとでお話を聞くと「会の訓練では新人にはここで強風の体験をさせている」とのことでした。実にタフで強靭な方だと感銘を受けたことを思い出しました
しかし、人間が耐えうる強風、悪天候には限界があります。それが想像以上で彼の判断を誤らせたのでしょう。
雪崩の痕跡はなかったとのことですからあとは転落とか雪庇のふみ抜きでしょうか。
そうであれば雪が消えれば発見できるのではと淡い期待を持っています。

ベテランであれ初心者であれ、それなりの事故は起きる。よい教訓でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名越実さんの捜索に参加す

2014-05-07 22:21:07 | 日常
平成26年5月2日から6日
5月連休前半は九州の山に行ったので後半は仕事をする予定でしたが正月に横尾から槍ヶ岳に向かう途中で行方不明となった広島山岳会の名越実氏の捜索に参加要請があり、仲間5人で参加しました。
5月2日、午後10時福山駅北口に集合。会長、事務局他仲間に見送られ出発しました。
夜通し交代で運転し午前6時前に平湯に到着。いつもの高山タクシーの安山さんに来てもらう。80ℓの大型ザック5個にテントやマットはたして中型タクシー1台に乗るのか心配したがさすがプロフェショナル無事に上高地まで運んでいただきました。この様な大きな荷物を背負うのは一昨年のチンネ登攀以来です。いつもながらの気持ちの良い山道を黙々と歩き昼前横尾に到着。我々の捜索は5月4日、5日の2日間ですが県岳連の山仲間が参加した第2次捜索隊は既に4月26日から始められております。横尾尾根のすべてを捜索していますが目立った成果は得られていないようです。名越さんの奥さまもおられご挨拶を受けました。ご子息も捜索に参加されているようです。夕方ミーティングが開催され現状報告、明日の行動予定を確認した。我々の捜索範囲は横尾尾根、槍沢側の斜面を槍沢ロッジから二の俣間を捜索すること。4時半起床、6時出発、名越さんの奥さまも早朝から出発する登山者にチラシを配り協力をお願いしておられる。
二の俣を過ぎてデブリが川を埋めた地点から横尾尾根の斜面に取り付き5人が間隔をあけて横一列に並び樹林帯をローラーして探す。見通しの良いとこでは双眼鏡で探す。雪も深くなんら手がかりなし。これではそばに埋まっていても気が付かないです。雪が解けないとわかりませんね。槍沢ロッジまで行き折り返し、今度はその上部の斜面を捜索する。
横尾尾根の稜線のp3の岩峰は2300m余り稜線は岩で傾斜も厳しい、われわれはその岩稜のすぐ下の1950mあまりまで登り捜索した。傾斜も45度のところもあり厳しいところをトラバースするのです。慎重に安全を第一に気を使いながらの捜索です。地震のためか融雪のためか岩が斜面を飛びはねながら落下して行く。怖いです。万一当たれば命はありませんから。朝は凍結していた雪原も午後になるよ柔らかくなる。足を踏み込むと踏み抜いてバランスを崩す。2時過ぎに気温が上がり危険になったとして引き上げるよう連絡がはいり下山する。
今日のミーティングでスキー隊も参加しすべての沢筋も探した。考えられるすべての地点は捜索した。稜線からの転落も考えザイルで下降し捜索した。もう探すところがない。
あとは雪が消えれのをまって捜索しましょう。明日の午後本部を撤収し広島に帰るとのお話がありました。
我々は翌日も雨の中午前中槍沢ロッジから上部を捜索したが成果はなかった。
雪が解ければ発見しやすいと思ったが雪の下は熊笹が密集して、入ることも困難で捜索は困難が予想されます。厳しい状況は今と変わりはない。今回の捜索には37名、延べ195人日と大勢の仲間が参加されましたが成果はありませんでした。。次回の捜索では成果のあることを祈りながら横尾を後にした。
地震のため釜トンネルの手前の崖の金網に大岩が落下していた。万一道路に落下していれば通行止めになるところでした。
(写真は午前の槍沢の捜索状況、午後は上部の岩稜下を捜索した)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする