まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

感激の栂海新道と喜寿パーティ

2021-08-25 14:54:35 | 日常

(栂海新道・最終目標。親不知に立つ標識です。初日のタクシーの待ち合わせ場所です。無事に到達できますように祈りました。)


(朝日小屋に到着すると早速に「ウエルカムドリンク」として、美しいヒンク色のハーブティーを振舞われましたホッとする一服でした。女性オナーの細やかな気配りを感じます。
それから、今回の記念に朝日小屋で「栂海新道」のロゴの入ったTシャツを買って記念写真を撮りました。まだ元気でよい笑顔です。)

令和3年8月18日から22日
栂海新道は北アルプス・白馬岳のまだ先の最北部に位置する登山ルートです。
朝日岳(2418m)から新潟、富山両県の県境の稜線をたどり最後は日本海の親不知の海抜0mに至るアルプスと海をつなぐロマンあふれる超健脚登山ルートです。
栂海新道の名前の由来は栂の茂る山にから日本海・海に至るルートで創始者の小野建氏が命名されました。
1971年に完成しましたから、今年でちょうど50年目の記念すべき年に私たちはご利用させていただきました。

(起点の吹上のコル、蓮華温泉との分岐点です。2パーティーの方が蓮華温泉方面に降りて行かれました。朝日岳山頂でご来光を拝することはできましたが、1時間後のここからは雨になり、雨具着用となりました。終日、晴れたり降ったりの空模様でした。)
このルートの起点は朝日岳北麓の「吹上のコル(2230m)」から終点の親不知まで約25キロ、標高差は文字通り2230mあります。
途中には無人の避難小屋しかありませんので食糧、水、寝袋、コンロ等は持参しなければなりません。
だからザックの重量は男性で15㌔、女性で9キロ程度になりました。
私達は北又登山口から登り、朝日小屋に一泊しました。全コース歩けば、総距離35㌔、登り3200m、下り3900m、途中は無人の避難小屋、栂海山荘に泊り、山中では2泊3日の行動でした。
何しろ国土地理院25000の1地図では3枚必要という長距離山行です。

私が栂海新道を知ったのは2011年10月、船窪岳・烏帽子岳縦走の時、船窪小屋でこの名前が出ました。この小屋は不便な稜線上にあり、水汲みにも30分を要するランプの山小屋なのに超豪華な手料理の数々、残しては申し訳ないので完食すると満腹になり動けなくなりました。
その折、栂海新道のことを話され、終点の親不知で観光ホテルを経営されていることを話されました。いまは娘さんがご夫婦で経営されていました。
もうひとつ船窪小屋で忘れられないことは、出発時に登山者を手を振って見送っていただいたこと。我々の姿が見える間中、手を振って見送ってくださった。こんなことをする山小屋などありません。本当に心が癒される山小屋でした。
だから、体力のある元気な間に是非とも行ってみたいと思い続けていました。

(朝日小屋です。湿地帯やお花畑が多いので保護のため各所に立派な木道が作られています。この木道は滑り止めが彫られているので安全で滑りません。雨で濡れていても安心して歩けました。木道はかくありたいものです。平成18年から20年ごろ設置されたようです。)

この度の山行はいつもは天候不問で計画実施する私もいろいろと悩みました。
広島では集中豪雨で災害も発生しました。皆さんのご協力により天気が良くなる時期に日延べさせていただきました。行動中は時々雨に会いましたが支障になるようなことはありませんでした。特に最終日の14時間歩いた時は雨も降らず好天でした。
新型コロナ感染拡大が続く中、登山も同様、不要不急の外出自粛が求められています。三密を避ける。マスク着用。宿も検温、手の消毒。アクリルボード設置。談話室の廃止。大声を出さないように注意する。外部と接触しない。観光をしない。どこにもよらない。就寝時用にインナーの持参使用等最大限の感染防止策をとりました。また山小屋も定員40名のところ募集を20名と制限されていました。この日の宿泊者は我々を含め11名、以前6日間は来場者ゼロの日が続き久しぶりの来客だと話されていました。
登山者も少なかった。初日の朝日小屋に登る途中で出会った人は山小屋のアルバイト女性一人のみ。栂海新道でも下りは我々のみ、登りは単独行者3人のみ。栂海山荘の利用者も1人のみでした。

(栂海山荘・・5室50人収容の立派な無人の避難小屋です。この小屋がなければここにはこれません。)

(白鳥小屋・・これも立派な避難小屋です。屋上に展望所があります。登って展望を楽しみました。ここまで来れば今日のコースの40%終えた感じです。あと少し頑張ろう。)

(金時坂の急な下り、はしごやロープで標高差320m余りを下ります。ここが、あの童謡にも登場する源頼光の四天王の一人「坂田の金時さん」に由来するとはね・・・ご縁ですね)

今回の山行で心掛けたこと。
今回のルートは巻き道はなく尾根道の直登であり、アップダウンが厳しいものがあります。
長時間、長距離を歩くので今回も神島一周訓練(距離 25㌔、所要時間 10時間)を行いました。最後に疲れがでてくるのは『シャリバテ』が主な原因と捉え対策を取りました。水は経口補水液、食料は食べやすいもの、カロリーのあるもの2休憩タイムに1回程度の割合で摂取しスタミナを保つこと。歩くスピードは私のペースで長時間歩いても疲れない速度で1時間に1回休憩する程度で歩きました。


(お花畑には雪渓がよく似合います。つい見とれて時のたつのを忘れさせます、至福の時です。)
今回は初日のブナ平から黒岩山辺りまでお花畑がたくさんあり写真を撮ったり、鑑賞に時間を要しコースタイムは参考にならないと思います。でも、それが疲れを忘れさせ楽しく歩けた原因ではないでしょう。過去の例を見ると疲労困憊してようやく親不知にたどり着いたとの記述がたくさんありましたが我々は最後まで余裕を持って歩けたのも水分、栄養補給、ペース配分がうまくいったお陰と考えています。
重量を軽くするため水場については一番関心がありました。雨が降ったせいかいずれも十分な水量がありました。
黒岩平・・登山道が3か所の川を横断しています。流水利用

(北又の水場、、雨が降っていたので河のような中を下ると行き止まりになり、その横の斜面から湧き出ていました。青いアングルで汲みました)
北又の水場・・・登山道より5分余り下る。湧き出ていました。
黄連の水場・・登山道より3分余り下る。谷川の流水。

(シキワリ‥もともとは2本の沢が山腹を曳き割ったような地形で「ヒキワリ」と言われていました。水量の少ない時もあるようです。)
シキワリの水場・・谷間の登山道沿いにある。赤いタンクが埋め、そこから流出している。貴重な水場だけに看板が欲しいですね。
 時期によっては水量が変わりますから注意が必要です。

(北又に水を汲みに下る時は激しい雨でしたが5ℓの重い水を背負い、急登の犬ヶ岳を登るときには雨はやみました。雨具を着なくて済み、思わず「ラッキー」、観音様のご加護を感じました。ピークを二つ越え、ようやく犬ケ岳山頂にたどり着きました。眼下に小屋が望めあと少しだ、ガンバ)


午後4時30分,国道8号線沿いにある登山口に降り立つ。先ず親不知観光ホテルの自販機でコーラを買い、飲み干す。「うまーい」。ザックを下ろし、海岸まで標高差80m、長い階段を下り、石ころだらけの砂浜だ。念願の日本海に手を付ける。透明なきれいな水だ.塩の香が心地よい。風もなく波も穏やかだがうねりは大きく波音も大きい。瀬戸内海とは迫力が違う。ざーと波が寄せ、靴を洗う。とうとう初志貫通だ。全員無事に到着した安堵感に浸る。良かった。良かった。やりました。

行程
第1日目【8月18日(水)・曇り時々雨)
福山発6:30ーー山陽道・舞鶴道・北陸道ーー朝日IC-16:00旅館城山
第2日目【8月19日(木)・晴れ時々雨)
旅館4:50-タクシー――6:10北又登山口6:30-ー10:40イブリ山--14:00朝日小屋  7時間30分 距離 6500m
第3日目
朝日小屋4:10--5:15朝日岳5:35ーー6:15吹上のコル6:35ーーサワガニ山13:30--北又水場15:10--犬ヶ岳16:10--16:30栂海山荘 12時間20分  12700m
第4日目【8月20日(金)曇り時々腫れ)
栂海山荘3:00ー-黄連山4:30-ー菊石山5:50-- 白鳥小屋9:00--シキワリ水場11:20--金時坂の頭11:30ーー12:30坂田峠ーー16:30親不知登山口ーー17:00日本海   14時間  12900m



喜寿パーティーのこと。
それは親不知観光ホテルの夕食の時、驚きのハプニングがありました。
食事の前に仲間がフランスの高級ワイン(2004年もの)を持参され、無事にやり遂げたことを祝い乾杯しました。

豪華な料理を気持良くいただき、宴もたけなわの時、ホテルの方がローソクに火を灯した丸いケーキを持参されました。
ナー、ナー、ナント。それには77の文字があるではありませんか。
私の77歳を祝う喜寿のお祝いのケーキだったのです。
驚きました。
全く予想だにしなかったことですから。よく私の年齢を知っていたものです。
(私の誕生日は10月で今年77歳を迎えます。)
皆さん本当にありがとう。
長寿のお祝いなどまだまだ現役で通過点でありお祝いなど全く考えたこともなく、関心がありませんでしたから。
それに加え穿き易い「パタゴニア」の登山ズボンまで頂きました、サイズもピッタリでした。ダイエット中でかなり細くなっていたのにどうしてわかったのでしょうか。
更に心のこもったメッセージカードまで頂きました。
皆さん。本当に、本当にありがとうございました。
大感激です。
一生涯の記念品となることでしょう。
大切に使わせていただきます。
本当にありがとうございます。
こんなにお祝いしてもらい良いのでしょうか。

追伸
喜寿パーティーの時飲んだワイン、帰宅後調べると「シャトー・レオヴィル・バルトン」(2004年産)典型的なボルドーワインで日本では入手困難な銘柄のワインとのことでした。
飲んだことのないようなお味の高級ワインをご馳走いただきありがとうございました。

今回の激しい山行にも拘らず体重が2キロも増えていました・
旅館や山小屋のご飯が美味しくて何回もお代わりしたためでしょう。
自炊の時もラーメンライスが一番美味しかった。
平素は血糖値を下げるため糖質カットでごはんや麺類は食べません。
キダチアロエの影響かお腹が緩み頻繁に便意を催しますので山行の遅れになるのではと思いましたが、ご飯を食べると全く昔の通りで便意は催しませんでした。
ダイエットとは食べたものを長く体内にとどめず素早く吐き出し、胃腸にため込まない作用があるように感じました。
胃腸が軽くお腹周りも細くなりました。
今回の山行ではザックの破れがあり修理しました。胸ベルトの留め具のジッパーが外れたのでモンベルで修理しました。ウオーターバッグの水漏れが見つかったので廃棄し買い換えました。
次回山行準備完了です。
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東京五輪2020は「リスペクトの大会」

2021-08-07 23:25:30 | 日常

令和3年8月7日
東京2020はコロナ感染拡大のため1年間延期され感染拡大が懸念されほとんどが無観客の試合となりました。
大会は7月23日、開会式から8月8日閉会式までの17日間、なお、ソフトボール等は7月21日から先行開始されました。猛暑の中大変な大会となりそうです。
こんな状態で開催して国際平和の祭典オリンピックの精神か、何のための大会か、単なる競技会ではないのか等開催には賛否両論が拮抗した中、開催された大会となりました。
選手たちもそれについては発言を控えておられました。
多くの選手からは「多くの人々のご尽力のお陰で大会に参加できた」と感謝する発言が多くなされていました。
それ故か困難な大会に参加した仲間意識か、「リスペクト」という言葉が多く聞かれました。
「リスペクト」とは相手を尊敬する。敬意を払うということを意味します。
多くの感動した場面がありました。
女子ソフトボール、日米の決勝戦。互いの好守備が続出、激戦を制して日本がアメリカを破り優勝しました。
上野由紀子選手は北京以来13年振りの連覇に「あきらめなければ夢はかなう」を自らの行動で身をもって証明しました。
試合後、アメリカのケン・エリクソン監督が日本の宇津木麗華監督をハグし祝福していました。
惜敗した監督が相手を讃え、ハグする光景なんて見たことがありません。
お互いの監督の立場の困難さを理解し、ソフトボールの仲間意識があったからの行為でしょう。

(日本ペアの健闘をたたえハグする中国ペア。中国選手でもこのようなことがあるのですね。感動しました。)
7月29日、バトミントン女子ダブルス準々決勝、中国戦、右膝前十字靱帯を負傷しながらも1対2と健闘した日本の広田彩花選手と福島由紀選手ペアに対し勝利した陳・賈の中国ペアが試合直後駆け寄り健闘をたたえハグした。
中国にもこのような選手がいる。これがスポーツの良いところでしょう。感動しました。
広田選手はすぐに手術され全治6か月とのこと。早いご回復をお祈りしています。

(悔し涙も仲間に肩車されれば笑顔に変わります。この大会で一番感激した場面です。)
8月4日、新種目のスケートボードパーク女子競技、日本が金銀を独占しましたが4位となった岡本碧優選手、決勝最後の3回目、逆転を狙い次々に大技を連発、成功させて逆転勝利なるかと思いきや最後の最後の大技で転落、失敗し競技終了となりました。
最後の技はランクを落とし,みやすい技でもよかったのですが大技で最高点を狙うところが若者の心意気です。
がっくりとした表情でステージに帰ってきた岡本碧優選手を各国の選手達が出迎え、健闘をたたえハグして、優勝したかのように肩車をして敗者を讃えました。
失敗を喜ぶのではなく、同情し、悲しみを共有する。
参加した選手たちはスケートボードを楽しむ仲間である。
国と国との戦いでなく、個人の技を競うスポーツであることを知り改めて感動を新たにしました。
これこそリスペクトの最たるものです。
同日の野球、日韓戦。因縁の対決を制して日本が5対2で勝利しました。
試合後、稲葉監督は三塁側に選手とともに整列、無人の観客席に一礼すると共に、一塁側の韓国ベンチにも一礼されました。
優勝したアメリカ戦においても同様の行為をされました。
この時、アメリカ側の選手とは互いにハイタッチで、お互いの健闘をたたえあいました。
試合が終われば後は野球を愛する仲間。このスポーツマンシップが本来のオリンピック精神ではないでしょうか。
礼儀正しい日本チームのイメージアップにもつながりました。
真の王者、勝利者とは敗者の心情を思いばかり敗者のの前で喜ばない精神も最高のリスペクトではないでしょうか。
日本伝統武術の空手や柔道においても見受けられました。気持が洗われ、楽になりました。
それに反し韓国選手は監督の意に反し、タッチプレーでビデオ鑑定を要求したり、投手マウンドのロージンバッグの粉や走塁のことでイチャモンをつけたり、勝負に対する執念は感じるがいささか度を越しているのではないでしょうか。
この東京2020に対する韓国側の対応は友好国に対するものではない。
真意は定かではないが日本の食材は福島産も使用されており危険であるとして独自の食材を持参、調理する。
副賞のビクトリアブーケも福島産の花が使用されているとして異議を唱える。
応援の旗も秀吉の朝鮮出兵に勝利した将軍の旗を使用するとのこと。
開会式の式典も明るい国立競技場に花火を打つあげる演出やスポーツクライミングの壁のデザインも日本の旭日旗を連想させると言う。
何から何までことあるごとにケチをつける韓国の態度には日本国民は心穏やかではおれない。
このような日本国民に反韓、嫌悪感を植え付ける報道は本当にあつたのでしょうか。
私の知る韓国人は在日韓国人も、交流のある山仲間の韓国人も礼儀正しく親切である。
さすが儒教の国で礼節を重んじる姿勢には感心しました。
私の娘たちもお互いにホームステイし友好的である。
韓国の人たちには韓国孤児の母と呼ばれた日本女性・望月カズのいたことを思い出してほしい。
日本人にもかって東京環状線・新大久保駅で転落した日本人を助けようとして身を犠牲にした李秀賢という韓国青年がいたことを思い出してほしい。
ご遺族の方は今も日韓友好のためその遺志を継ぎご尽力されています。
普通の人達は友好的である。
両国民の仲がよいことを邪魔する国粋主義者はどこの国にもいる。
それに惑わされず感情的にならず、良き隣人として協力関係を築いてゆきたいものです。
このこととも関連するが今回はSNSによる選手への中傷が問題となっている。
有名人に対するもの、卓球の水谷準、伊藤美誠、体操の村上茉愛、橋本大輝等、優勝した選手には国内外から様々な賛美や嫌がらせの言葉が浴びせられる。
中には全くの虚偽情報もあります。
選手には日頃の自らの行為に責任と自覚を持ち、敵につけ入る隙を与えない責任ある行動が求められる。
IOCも中傷を監視するとしているので何等かな処置や対策が求められている。

今回の開催については賛否両論ありましたが日本選手の大活躍する姿は国民に勇気と元気をもたらしました。
多くの感動を残した大会、実施して良かったと思います。
この大会を成功に導いたのはボランティの人々のお陰でしょう。
開会式を見ても一生懸命に最後まで手を振る姿は、心からのおもてなしの精神に満ち溢れていました。
どこにも行けない選手に対し唯一の窓口として本当によくやっていただき日本の好印象をもたらしたのではないでしょうか。
暑い中本当にご苦労様でした。
東京2020を成功させたスポーツの力でコロナを退治する力となることを祈っています。


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