まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

朝日山(454m・竹原市)調査山行

2015-11-29 21:55:55 | 日常
平成27年11月28日
今日は私が担当している山岳会が発行を予定しているガイドブックの調査山行に仲間4人で行ってきました。すでに下見をしてコースも時間もわかっているのですがGPSで地図上に軌跡を記録するためそのタブレットに詳しい人に同行していただきました。午前7時30分に竹原中学校に集合。早い時間にしたのはもう一つ午後から河内の篁山も今日一緒に調査するつもりでしたから・・・
順調に予定通り進行しました。行の登りのコースは登山道が石ころだらけて歩きにくいこと。下山路は北側に降りるのですが登山道が荒れていて道がはっきりしていないので迷いやすい。だから地図と磁石は必携です。迷わないようにするため稜線伝いに歩きましたが途中の最後のあたりで分岐点を着過ごし違う方向に降りてしまいました。再度軌跡が必要なため急坂を140m余り登り返して正しいコースを下山、軌跡を残しました。そのため1時間余り余分に時間がかかり篁山は今回中止して次回にに繰り延べました。地図で確認すればすぐにわかったのにいつもの思い過ごしのため失敗作となりました。引き返してみると原因はよくわかりました。間違った方が直線で道が広く正規の方は木が茂ってわかりにくいからです。倒木等でバツ印にして道をふさぎ注意を促しました。正しい道の方向にはピンクのテープで「道しるべ」をつけました。これなら迷うこともないでしょう。調査が早く済んで帰ったので会社に出ると義兄が「倉橋島産の生ガキ」を持ってきてくれました。その晩はイモ焼酎に酢牡蛎で一杯飲みました。最高ですね。2日続けて酒を飲むことは稀ですが仕事(?)を済ませて飲む酒は美味しいですね。
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忘年会の季節

2015-11-29 21:35:48 | 日常
平成27年11月27日
例年どうり今年も何時もの居酒屋で何時もの通り会社の忘年会をやりました。
今年は山仲間の0さんに仕事のお手伝いしてもらっているので9人です。
いつも金曜日の夜にはこの居酒屋は女性客で満員なのですが今年は大分お暇なご様子でした。
例年12月になると忙しくなるので早めに実地しています。
何時もは電話の心配をして飲むことはありませんが今日ばかりは心行くまで飲んで食べて楽しいひと時を過ごしました。
よく飲むと人が変わると言いますが我社の人はみんないい人ばかりでぐだを巻く人はいません。
よく飲み、よく食べ、よくしゃべり、「楽しかった。面白かった」と言っていたからよい忘年会だったのでしょう。
ことしも無事故でで新年を迎えられるように心を一つに頑張りたいと思います。
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夢がないから老いる

2015-11-25 17:33:41 | 日常
平成27年11月24日
色々なお得意さまから色々なお話を聞き、なるほどと感心したり勇気づけられることも多くあります。
今、トラック車両を85台持ち、大きな倉庫も所有し安定した経営をしている方がおられます。
聞いてみると20年前に軽運送業から初められたとのこと。私は27年になりますが5台しか所有していません。なんでこのような差がつくのかと考えさせられました。要はやる気、目標を高く持ち果敢に挑戦されたこと。私にはそのような大きな夢がなかった。赤帽事業をつづけることが目的だから業務拡大して一般の運送業を目指すという夢がなかった。それ以外にはないように思います。莫大な借金をされ大きな倉庫を建てられたときには倒産するのではと噂されたそうです。時代の変化を見る目が有ったのです。一か所に物流を集中して輸送管理する時代に変わり大きな倉庫の需要が当たったのです。安定した収益を得るようになりました。運送業ではなく倉庫業が利益を生む時代となったのです。有力な企業と取引するようになり信用力も一段とアップし今後さらなる発展が望めるでしょう。
私は手じかな目標を設定しそれに向かって努力しますが、目標が低い、大きな夢というようなものではありませんでした。大きな夢がなければ実現のための道筋も眼中にありませんから実現しません。
手じかな目標を達成することも大事ですがさらに大きなことをなすには夢というようなものは不可欠です。
「夢」「希望」という言葉を久しぶりに聞いたような気がします。若い時に聞いたような言葉を思い出しました。
フランスの詩人ルイ・アラゴンの言葉「教えるとは希望を語ること。学とは誠実を胸に刻むこと」わかいころの気概がよみがえりました。目先のこと。小手先ばかり考えると考え方も委縮する。結局 夢が持てないから老いてくる。今を若々しく挑戦するのに年齢は関係ない。勇気をもらいました。やる気のある人は年齢に関係なく若々しい当然ですね。
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船上ライブ・ディナーショウに行く

2015-11-22 21:46:49 | 日常
平成27年11月22日
今日は初めて瀬戸内海汽船のクルーズ船「銀河」で開催されてディナーショウに行ってきました。
最近では夕方フェリーに乗船し海に沈む夕焼けを見る「夕焼けクルーズ」が人気のようですが今日は曇りのため鮮やかな夕焼けはみれませんでした。
17時30分に広島港を出港し夜景を眺めながらコース料理を堪能し宮島の大鳥居を見物し、帰路は海田湾にかかるライトアップされた橋を眺めて19時40分帰って来るコースです。
会場ではロック界のレジェンド、柳ジョージ&レイニーウッドのりーダーとして活躍した上綱克彦氏と女性歌手、石川裕海さんのライブがありました。生演奏、ライブは歌い手の思いが伝わり特別な感動があります。
夜の海、街の明かりを眺めながらの船旅もいいものです。宮島の大鳥居もライトアップされ海上からの眺めはまた格別です。
私もめつたにないディナーショウなので思い切りお洒落をして変身を楽しみました。黒色の中折れ帽子、ピンクのシャツ、黒色の上着、白色のスラックス、どのようにイメージチェンジしたか想像できますか。
美味しいドリンクにほろ酔い加減となり、心地良い船の揺れ、スイングのリズムに酔いしれたひと時でした。
非日常的な体験であり客人があるときには御招待すれば喜ばれるでしょうね。良い体験をしました。
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「サンふじ」の季節くる。

2015-11-19 13:14:22 | 日常
平成27年11月18日
この時期 信州・安曇野のナカムラ農園から「サンふじ」をお取り寄せ、購入しています。
今年は届くのがいつもより少し早いように思いますがもう10年以上続けております。
この「安曇野のリンゴ」には私なりのこだわりがあります。穂高岳登山の帰り安曇野のリンゴ農園を訪れたことがありました。そこで脚立に登りリンゴの手入れをされていた農夫の方にお話を聞いた。「ここでは無袋で栽培をしている。まんべんなく日に当てるため、一つづつリンゴを手にして回している。」とのこと。多数のリンゴを心を込めて手入れされていることに感激しました。以来、リンゴは梓川の清流に育てられた「安曇野のリンゴ」できまり。リンゴは8月からいろいろな種類のリンゴが作られ、私もお取り寄せをして順次食していますがこの時期のふじリンゴが甘みと香りがしっかりし、歯触りもシャキシャキと心地よく一番おいしいです。
「ふじ」は青森県の農林省園芸試験場で「デリシャス」と「国光」を交配されて作られ1962年に品種登録された純国産のリンゴです。今ではアメリカ、中国など世界各国で多く栽培されており日本のリンゴの生産量の約半分は「ふじ」という人気商品です。袋をかけて育てたものが「ふじ」、袋をかけずに育てたものが「サンふじ」です。袋をかけた方が赤くきれいに着色するが糖度などは無袋栽培して太陽光を多く浴びた方が糖度が勝ります。見た目の良さより味のよい方が良いというわけで70%は無袋栽培です。
この時期のふじは蜜入りですから特に美味しいです。従業員の仲間もよく頑張ってもらっているのでこの蜜入り「サンふじ」を送りました。キット喜んでもらえることでしょう。
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FOB(舟入OB交流会)に初参加

2015-11-18 22:33:53 | 日常
平成27年11月17日
立町の広島国際ホテルで開催されたFOB会に初参加しました。
FOB会は同窓会員の枠を超えて舟入高校出身者が交流を図る目的で平成20年に発足したものですが同窓会誌を見て初めてこのような組織があることを知りました。「舟入」のつながりを大切に異業種交流によって各個人のレベルでの情報交流の拡大深化、ビジネスチャンスのか拡大を目指すものです。年4回開催され今回は今年最後で30回目ということでした。参加者はいつもは40から50名参加しているとのことでしたが今回は少し少なく25名でした。そのうち初参加は私を含め4名でした。私も自己紹介し仕事の内容等を述べました。私は昭和38年卒業ですから舟入第14期生ということになり一番古い会員でした。あえて舟入というのは前身が女学校で「市女」と呼ばれ、合同の同窓会が組織されているためです。出席者のうち2番目に古い会員に18期の安達春汀さんがおられます。彼女は著名な書道家、刻字家で今回宮島の厳島神社の看板を制作された模様が会場で放映されました。同じ舟入出身者が活躍されることに勇気づけられました。
夜の街に出かけることまめったない私ですが、お得意様のやっておられるスナックに出かけ楽しく杯を上げました。
(写真は安達さんが制作、奉納された「国宝厳島神社」の刻字看板、廻廊の入り口に掲げられています。)
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毛無山登山道整備する。

2015-11-15 21:43:33 | 日常
平成27年11月14日から15日
昨日から雨が降りつづいていましたが比婆山スカイラン大会のコース状況が気になっていたので行ってきました。
今年の大会の時2名の選手がこの区間で足を怪我されたことがあったからです。
来年は安全に走れるように整備したいと思っています。

初めは雨であり調査山行も無理だろうと思っていましたが安芸高田市の吉田町まで行く仕事が入りました。
それに背中を押されてそれならもう行かない手はありません。
天候は回復基調ですが朝から雨が降りつづいています。
雨合羽を着て7時30分出発。他には登山者は2パーティのみ。
黄葉も終わりいまは木々は葉を落とし箒のようになっています。
出雲峠の避難小屋で休憩。小さいながらこぎれいな山小屋。泊まって焚火のそばで寝てみたい気がします。
毛無山山頂まで1500歩。修復個所を明確にするため100歩ごとのマークを付ける。
上部より順次修理してゆく。急坂で滑りやすいところに倒木で段木を設置して、滑り止めにします。
結局6か所、10段を設置しました。思った以上に順調に進みました。段木は倒木を使います。その個所に石で足場を作ります。不思議なことに倒木の木々や石が私を使って役立ててというように次々に目に飛び込んできます。
倒木も切断するとき良い香りを発するものもあります。腐ってしまうところを再びお役に立つことを喜んでいるような気がします。残りは30パーセント程度。もう一回で完成できそうです。
下山しますと多くの乗用車、バスも9台も来ていました。尾道歩け歩け会が5台も貸し切って来ているには驚きました。紅葉も終わりシーズオフという時にすごいですね。
泥土で雨合羽も真っ黒になりましたがやっぱり来てよかった。.
(写真は火山灰の滑りやすい急坂に3ヶ所段木を設置したところです、これで安全に走行できるでしょう)
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生と死の間に思う

2015-11-12 12:41:53 | 日常
平成27年11月11日
人間の誕生の喜びと死の悲しみを同時に体験すると人間の一生はいかにあるべきかを考えさせられる。
まだまだ大丈夫と思っていても男子の平均寿命からすると私の人生も土俵際、あと10年を切りましたから切実です。

山の後輩の若夫婦に待望の男子が誕生した。本人も強く望んでいたことでもあり、ご両親の喜びもひとしおでしょう。
私もおめでたいことなので鯛の形の葉書をお祝いに送りました。
このよきことを聞いた日、帰宅したポストには恩師の喪中葉書が届けられていた。
私の最も尊敬する人であり、恩人といふべき人でした。小学校5年の時、母の仕事の関係で牛田小学校から舟入小学校に転校した。
その時の担任が細井迪先生でした。それまでは鼻汁をたらしいつも叱られてばかりいた劣等生の私が生れてはじめてみんなの前で私の書いた詩のことでほめられました。
うれしくて、うれしくてそれが転機となり、勉強するようになりました。
細井先生は退職後もつづり方教室を主宰され死の直前まで子供たちのため尽力された89歳の人生でした。
喜びと悲しみ、人生の喜怒哀楽を同時に体験したことはショックでした。

偉かろうが、金持ち、有名人であろうが、人はいつかは必ず死ぬ。
改めて思い知らされると同時にいかに生きるべきかも考えさせられました。
長く生きても90か100年、その間、喜び悲しみ、悩み苦しみ波乱万丈の人生を送る。
「蜘蛛の糸」ではないが天国の仏様から見れば人間は地獄の池の中で動く廻る有象無象の衆に過ぎない存在です。
大きな目で見れば人間はとるに足らない存在かもしれません。
世界中では73億人、日本だけでも1億2700万人、それぞれの人生ドラマがあります。しかし歴史に名前を残す人はわずかで大半は平凡で淡々とした生活をしています。
人間の永遠のテーマである「何のために生きるのか」存在する理由を見出すことが出来るのか。
なかなか見いだすことが出来ない。
何のために生きるか自分にも確たる答えは見いだせない。ただ何となく感じることがあります。
充実した時間を持てることは楽しい。そのことではないでしょうか。
同じ1日を過ごすにも、終日家で寝ていたり、ぶらぶらと過ごす1日と、朝はやくからおきて、一日中、山登りで過ごした充実感、時間の厚みが違うように感じます。
充実した時を持つことが大切ではないでしょうか。
その内容は人それぞれに個性があり、生きる目的が違うようにいろいろあります。
その目的を見つけて自分らしく生きることが大切なのではないでしょうか。
私のモットーである「己に徹して人のために生きる」、これを心に生きてゆきたいと思います。

終焉の時を迎えたとき「精いっぱい生きた。良い人生であった。」ということが出来れば満足すべき人生だったといえるのではないでしょうか。
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民泊とは・・・

2015-11-08 22:54:18 | 日常
平成27年11月6日から8日
急な仕事で東京まで引越荷物の輸送をすることになりました。
荷物は大きなものは茶箪笥くらいで他には壱枚板の座卓、額、巻物、絵画、焼き物の壺等の骨董品でほぼ一杯になりました。翌朝、東京の品川区のマンションにお届けしました。荷物はその方の住んでおられる別の階のお部屋に運びました。受取人はまだ30代の若い人でした。お話によると荷物は彼の祖母の品物ですが東京で購入するより安上がりというので運搬依頼されたようです。民泊に使用する部屋の装飾に使用されるらしい。部屋は4LDKと広く最大11名宿泊できるとのこと。洗濯機、冷蔵庫、テレビ、インターネット等生活するために必要な品物はすべてそろっています。その気になれば自炊もできます。費用は一泊5万円だそうです。大人数で連泊される方が多いとのこと。その人は友人から預かった物件も含め19件を管理されているとのこと。初めて2年余りとのことですが多くの実績を残されているようで信用もあり評価も高いようです。外国の人に日本の良さを味わってもらうため絵画や壺などの装飾品を展示するのだと言われました。良い印象を与えれば評価もあがり御客獲得につながるのでしょう。盗難の危険はないのでしょうか・・・
この利用者の獲得には民泊専門のサイトがありそれにより利用者を募っているとのこと。
それはAirBnB(エアビーアンドビー)です.初めて聞く名前ですがその組織はまさにユニバーサル、全世界にわたり展開されていて世界中では150万件、日本でも2万件近い物件が登録されているそうです。
最近、トラブルや問題もあるようで話題に上りますがこの業界もいろいろと進化しているようです。
東京にいて広島の物件も管理、紹介できるといいますから将来どのように変わるのか予想もできません。日本国中、たとえ離島であつてもどこでも物件を登録し利用者に提供できるのですから・・・・。空き家であっても希望者が利用できるように設備を整えておけば収入を稼ぐことが出来るのですから・・・起業の可能性も高いのでは。
鞆の浦はどうですかと水を向けると早速に調べられ現在1軒あるそうです。
鞆の素晴らしさを宣伝しますと機会があれば行ってみたいといわれました。
民宿は旅館業法の規制もあるようですが民泊は未だ規制がないようですから始めやすいようです。
しかし、旅館業にとってはこれは脅威でしょうね。どの様になるのでしょうか

東京で気が付いたこと。
1、活気があります。人が多いので物が売れる。地方創生と言いますが人が減ったのではやりようもありません。人を増やすのが第一、架橋のように便利になったけれど人がいなくなってはどうしようもないです。
   個性があり面白い店も成り立つ。
2、治安が良い。信じられますか? 荷物を降ろして室内に運搬するとき、誰もいなくなり盗まれてもいけないので監視のため残ってくれるようにお願いしたところご心配ご無用と言われました。(大阪では荷卸し作業の途中でよくものが盗まれると聞いたことがあります。)自転車のカギをかけなくても盗まれたことはない。財布を落としても帰ってくるといわれました。(そんなに善人ばかりでしょうか)

3、ランナーが多い。いつでもどこでも走ってる人がいる。東京マラソンは有名ですが、品川区でも大会を開いている。
  走る機会が多いので継続されている方が多いのでしょう。
東京は進化している。それだけにビジネスチャンスも多いのでしょう。

帰路はいつもの如く私のフリータイム。
今回は黄色の黄葉が美しい大和の談山神社に立ち寄りました。今はコウヨウは紅葉と記しますが万葉集には黄葉と記した歌が多く残されています。今とは感性が違うのですね。ここはまたかって山仲間と万葉の山旅で高見山から宇陀の阿騎野。音羽山と縦走した思い出の地でもあります。歩いてきた山並みを眺め、歓声をあげる仲間の姿が目に浮かびます。その時は妻も元気で楽しかったことが懐かしく思い出されました。
紅葉にはまだ早いようです。
途中にある聖林寺の国宝 十一面観音菩薩像を拝顔して帰りました。西洋のミロのビーナス、東洋ではここのお寺のこの観音菩薩が匹敵するといわれる美しい仏さまでした。境内から眺める大和の山里の景色は本当に心に染み入る懐かしい古都の風景でした。
いい一日でした。また元気をもらいました。
(写真は談山神社の有名な13重塔。プロの写真の様には撮れませんね)
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大船山からの下山路下見山行

2015-11-05 00:15:46 | 日常
平成27年11月3日
来年の5月に計画している九重山山行の下見に行ってきました。
2日の夕方福岡に行く仕事があり、絶好のチャンスであり、計画後半の大船山から七里田温泉に下山するコースがまだ決まっていなかったのでこの機会に調査してきました。
下山ルートは大船山に登り米窪から風穴降りて岳麓寺に下るルートと、山頂から入山公廟を通り尾根伝い下るコースがあります。
朝八時、岳麓寺の駐車場を出発。くねくねとカーブした舗装道路を歩く。途中の標高860m位から谷沿いに登る近道がありました。舗装道路を歩のが嫌でその道を行くがすすきの原をかき分けて登る。踏み跡はしっかりあるが上部は藪がひどい。途中からさらに藪がひどくなり鋸で茨を伐採しながらの登山となりました。
この様な道は本番には使えません。やっとのことで車道を登って来た登山道に出合う。ここからは正常な登山道なので忠実に歩み風穴に至る。
米窪に至る登山道は地図では風穴の北側にあるようになっている。昔は直登の溝状態の急騰を登った記憶があり、岩屋のある大岩のあたりまで捜索したが見当たらない。今は廃道になったのでしょう。最新版の地図にもガイドブックにもこの道が記載してあるがこれは誤りです。再度確認のため周辺を捜索したがやはりそのような道はない。米窪への正しい登山道は風穴の南側にありました。岩塊の途切れるあたりに「大船山」への標識がありました。現在地を示す「米窪分岐」の標識が下部にあります。ここから標高差400m、約1時間の急登です。到達地点は地図と同じ位置です。米窪を半周する道も樹木が密集して歩きにくいことこの上ない。半袖なら肌が傷だらけになるところです。そのような次第で風穴から頂上まで2時間30分余りかかりました。山頂で360度の展望を楽しみ直ちに下山。特に危険なところもなく快調に下る。平坦な草原に出ると鳥居窪である。この先の展望のよう高台に岡藩三代藩主中川久清公のお墓があります。彼は大船山をこよなく愛しご自身の希望によりここにお墓が作られたとのこと。日本一高い所に眠る殿さまです。毎日絶景が眺められうらやましいですね。ここから少し降りたところに岳麓寺とバス停(池窪)の分岐点がある。どちらに行くべきか思案したが下見であり尾根を下るバス道を選ぶ。この道は新たに作られたようで地図の登山道とは異なり池の西側にある1250m余りのバス停のある広場に通じている。ここに来る「観光登山バス」は1日3往復しています。なんと無料とは太い腹。ただし予約が必要。運行期間は今年の6月から11月末まで竹田市観光ツーリズム協会[0974-76-1610)が運営しているのでご利用の際はご照会ください。私は予約していないので乗れませんでした。下見ですから分岐まで登り返し岳麓寺まで帰ろうかとも思いましたが山で知り合った方が標高900mの一般道路に駐車しているので、そこから岳麓寺登山口まで車で送るといわれたので登山口まで一緒に歩きました。大分の中田さん本当にありがとうございました。この林道はまだ地図には載っていません。許可車両しか通行できないようです。本番では岳麓寺に下る方がよいようです。
七里田温泉は小さな温泉でした。炭酸泉の下湯は本館とは少し離れた所にありましたが小さな浴槽で8人も入れば一杯。ひなびた温泉で珍しいのですが団体の大人数ではいかがなものでしょうか。今年好評でした長湯温泉もここから10分ほどのところにあります。ラムネ温泉、食事のバイキングもよかったのでどちらにしましょうか。思案のしどころです。
もう少し情報を仕入れて決めましょう。色々な情報が入手でき下見に来た成果はありました。
(大船山(米窪)への標識は登山道が風穴より岳麓寺側にあることを示している。)

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