まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

再び比婆山へ

2018-04-30 20:30:58 | 日常

平成30年4月29日

今日 再び比婆山の登山道整備に出かけました。スカイランの2キロポイント測量杭の位置が不明でアバウトで設置していました。全行程の距離が変わるわけでなく途中の通過位置だから問題ないと考えていました。ところが後で記録を調べてみるとなんと2キロポイントの写真が出てきました。明らかに違う場所です。そのままにもできないので手直しに出かけました。その正しい位置は44m手前の位置でした。今回の間違い防止のため距離表示した段木を「2キロ」、「4キロ」に設置、今年から出場選手を激励する応援メッセージを作ることになったので「伊良谷の稜線まで100m」、それと「毛無山山頂まで200m」と記した応援標識を設置する予定なのでその位置をメジャーで測り段木を設置しました。また伊良谷稜線までくねくねとしたカーブが8か所あるのでその曲がり角に位置標識を設置し選手が現在位置を知る手立てとしました。当初は午前中に終えるつもりでいましたがブナの根っこなどが土砂流失のため露出し、傷んだ登山道に選手が怪我をしてもいけないので段木を設置し修復していると、4か所の予定が17か所にもなりました。朝8時から18時までよく働きました。天気も良かったのですっかり日焼けし顔がひりひりします。週末の遠征登山の良い訓練になりました。試走にやってくる選手も多く、20名近くの人と出会いました。こんな何もない大会にきてくれて本当にありがとうございます。大会には前年並みの750名近い人が参加してくれます。選手が快適に走れるように心を込めて登山道を整備するつもりです。試走に来た2名の方のお名前を教えていただいたので当日は名前を呼んで応援したいと思います。麓の里は花々の華やかな色どりもすっかり消え、緑が一段と濃くなりました。県民の森はまだ山桜が咲きブナも稜線付近では新芽が出たばかりです。大会まであと20日余り、その開催日には素晴らしいブナの新緑でお迎えできることでしょう。無事に大会が迎えられますように、選手が無事に完走されますように祈っています。

 

(写真 左はカーブの標識、右の材木は位置標識の段木、上は工事道具の入ったザックと背負い子)

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久しぶりの雨だ。

2018-04-24 13:27:13 | 日常

平成30年4月24日

今日は久しぶりに本格的な雨となりました。前に降ったのは何日かと調べてみると4月6日ですから18日ぶりの雨となります。午前中だけで10,5ミリの降水ですから1日中降れば40ミリ近い激しい降雨となることでしょう。先週と今週の週末に20か所あまり比婆山スカイランの登山道整備したばかりなのに直ぐ雨とは、なんと粋な天のご配慮でしょうか。雨により土砂が流失して段木にせきとめられ、でこぼこ道も埋もれて歩きやすくなります。本格的な降雨とはなんという幸運でしょうか。大いに仕事してくれることでしょう。思わず「ラッキー」と叫びたくなりました。苦労が報われ天に感謝しました。それと数日前に依頼された6月号会報の巻頭言に「雨でも登山を楽しみましょう」という趣旨のことを書いたばかりなので余計に雨の思いを強く感じました。あめあめふれふれ・・・・いい雨ですね。

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比婆山スカイラン準備作業開始

2018-04-23 14:44:17 | 日常

平成30年4月21日から22日

今日からいよいよ現地での準備作業の開始です。9時、現地集合でしたが登山道整備で気になるところもあり午前3時30分に自宅を出発、3時間余り要し午前7時前に到着。漁が解禁になったのか川沿いには数人の釣り人有。田にも水が入れられ鏡の如く輝いている。芝桜も最盛期かにぎやかで、フジの花も房をたらし始めた。いよいよ命輝く春本番。若人の家まで車を乗り入れ、出雲峠まで作業内容を確認のため往復する。今日の作業は26人が分担して各班の走行ルートの確認、距離標識の設置。障害となる倒木や枝木等の撤去。私は登山道の整備のため段木を10本ばかり持参したので5人で手分けして運び設置しました。重いのは支柱に打ち込む鉄筋と補修道具です。天候が快晴のため汗びっしょりになりました。お蔭で懸念されたところは一応すべてカバーし、午後3時30分作業完了。報告会が終了後ビールで乾杯、久しぶりのビールの美味しいこと。のどがカラカラですから肝に染み入りました。7時過ぎには就寝。早寝早起きの健康生活です。翌日は5時起床し昨日の不明地点の確認のため2キロ地点まで早朝登山。にぎやかな野鳥の歌声、僅かに芽吹き始めたブナの若葉が清々しい。山の朝は心地良い。8時からスタートとゴールとなるスキー場の草刈り開始です。昨日倒木が多くて完了できなかったグループは今日もその作業を継続。我々10人ばかりで刈り取られたままのススキやかやなどを集める作業なのですがスキー場は広い。少々ではかたづきません。4時間余りかかりました。快晴のかんかん照りで集めるのにも力が入ります。昼過ぎに作業完了したが干天下の作業は登山より疲れました。折角の機会で遠方でめったにこれないので直ぐに帰るのももったいない。伊良谷分岐の稜線までブナの根っ子の露出したところや、小川の渡場などのコースを整備し県民の森の風呂で汗を流して帰りました。登山道は手を入りれば入れるほどよくなります。今週は雨が降るとの予報ですから早速に土砂がせき止められ整備の成果が表れることでしょう。今日は早朝から夕方まで12時間、最近あまり歩いていなかったので連休登山の良い訓練になりました。10日後には連休山行で山梨県の金峰山、甲武信ヶ岳等へゆきます。、どのような感動のある山か楽しみです。

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間もなく 「比婆山スカイラン大会」

2018-04-16 15:21:09 | 日常

平成30年4月13~14日

13日、午後から福山市で山岳会の総会が開催されました。今回の総会は会長の交代期でもないのでシャンシャンと順調に終了しました。帰路はここしばらく忙しくて比婆山にも行っていなくてスカイランのコース状況が気になり県民の森に立ち寄りました。夜半は雨風激しく降るとの予報でしたが明け方にはやむとの予報通りのまずまずの天候でした。いつもの通り、行きがけに小奴可の要害桜を見物しました。周辺にあるリンゴ園の花はまだですが今の時期この辺りは桜やつつじ、ヤマブキ等の赤色、白色、黄色とまさに百花繚乱の大賑わいです。田んぼでは田おこしも終わり、水が入れられるのを待つばかりです。県民の森は車も3台ばかり、人影もなく、まだ冬籠りの静けさ。今日の予定はここから毛無山の直登ルートの確認。今年は毛無山山頂に給水所を設けるので大量の飲用水を運び上げるための時間、距離を測りました。段木、4本と工事道具類で約20キロ、本番の飲用水と同量です。時間は距離測定しながら歩いたので1時間20分、距離は複歩で2245歩ありました。出雲峠からは1300歩ありましたからこちらが大分早いです。毛無山山頂」直下に選手を励ますため「頂上100歩」「頂上200歩」と記した段木2本を設置しました。急坂を走るランナーの安全のため10か所ばかり整備しました。毎年整備しているので登山道は見違えるほどきれいに安全になりました。走路を整備してランナーの皆様を歓待している心が伝わればよいのですが。他にも心を伝える出し物を考えましょう。ブナ林は今は枯れ木のごとく寂しいですが1ヶ月後には新緑に包まれた素晴らしい林になることでしょう。移り変わる山々、木々の様子の推移をみられるのも準備中の楽しみです。今週末も看板掛けや登山道整備にまた来ます。

(写真は雪も消え芽吹きまじかのブナ林、新緑が待ち遠しい)

 

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温泉旅行

2018-04-12 15:28:33 | 日常

平成30年4月8日から11日

亡き妻や私達親戚一同が生前アメリカ旅行でお世話になったアメリカ在住の親戚の方4名が来日されました。温泉が大好きな皆様なので別府温泉、長湯温泉を長男夫婦と一緒に7名でご案内しました。最初は別府・杉乃井ホテルに宿泊しました。別府湾が一望できる明るい展望の良い部屋でした。ここの良い所はバイキングの豪華のこと。珍らしさもありお腹がパンパンになる程たべました。2ヶ所ある立体駐車場も5階のうち4階までは一杯でした。平日なのにこの有様、繁忙期には入れない車もあるようです。食事中には生バンドが各テーブルを回られ楽しく食事もできました。屋外のショウでは防寒に毛布も出されていました。細かい心遣いは感心しました。屋上の露天風呂・棚湯にも入りました。ここ別府では地獄を巡り、鉄輪蒸し湯、ミョウバン温泉近くの泥湯にも入りました。高崎山のサルも面白かった。翌日は阿蘇山に行きました。宿泊は久住高原の「レゾネイトクラブくじゅう」丸太作りのロッジようなしゃれた建物でした。高台にあり阿蘇の雄大なカルデラの眺められる素晴らしいロケーションです。次の日は長湯温泉。世界有数の炭酸泉・ラムネの湯には1時間も入りました。32度の低温のお風呂ですが効果のほどはどうでしょうか。宿は憧れの{翡翠の庄」(かわせみ)に泊まりました。以前、久住登山の下見で立寄った時から一生に一度はこのような宿に泊まりたいと思っていたのでその夢が実現しました。森の中にたたずむ古民家のような一軒家が点々と建っています。もちろん各建物ごとに露天風呂付きですが残念ながら価格の関係で我々は長屋棟の建物でしたが居心地の良い部屋でした。クラッシックの流れる図書室も落ち着きます。毎晩豪華かな懐石料理でした。この日も黒毛和牛のステーキ、ヤマメの塩焼き、御造りと美味しいものもたくさんありました。が一番おいしかったのは採れたての地元野菜のサラダでした。ぱりぱり、しゃきしゃきの歯ごたえのある食材、新鮮な食材が一番のご馳走であると再認識しました。この旅行中はお酒も入り早く寝たので朝5時には目覚めます、夜明け前、鳥の鳴き声に耳を傾け、それから散歩をして朝風呂に入る。すっかり健康生活をしました。4日間の旅行でしたが良い骨休みとなりました。行かせてくれた仲間に感謝。明日からもがんばれます

(写真は長湯温泉・ラムネ温泉の露天風呂、ぬるいお湯に長くつかるから長湯温泉というのでしょうか)今日は平日のお昼のためすいていました。出るころには10人くらい来られました。

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自裁死  怪奇な最後

2018-04-07 21:35:59 | 日常

平成30年4月7日

数週間前、新聞の墓碑銘のような記事がありその中に「保守の論客」として知られる西部邁氏(享年78歳)が今年1月22日、多摩川に入水し「自裁死」をされたとの記事があった。最近は自殺と言わず自死と表現されているが「自裁死」初めて聞く言葉だったので西部邁氏の名前に記憶がありました。どう違うかを調べると自殺は精神的にも追い詰められてからの死亡であり、自裁死は自らのはっきりとした意思表示により死を決断した場合というようなことだそうだ。自殺・自死は仕事や悩み事により追い詰められた死で何か蔑視されているようで性格の弱い人間であり、自裁死は自らの意思で死を選んだのだから高潔であり、美談とするような雰囲気が醸し出されている。私は彼がどのような人間か全く知りませんが東大卒業で頭脳明晰、全学連の中央委員を務め、安保闘争にも参加した活動家の人物であったが、東大の教授になり、後に思想転向して保守になった経歴があります。左翼の内情に通じていて将来を見て反対陣営ににつかれたのでしょう。多くの著書も出版、テレビにも出演された著名人でした。人生の終焉は如何にすべきかは誰しも考えるところです。日頃より独特の死生観を持っておられたようで「病院では死にたくない」といっていたと報道されています。このような自裁死を美化することはできません。自分の自殺を公言していたので宣伝したかったのでしょうか。真実はわかりませんが報道では死亡した時、腰に安全ベルトを着用、岸辺の樹木にロープで縛り付けて流されないようにしていた。顔にはネットをかぶり魚や鳥に傷つけられないようにしていた。警察宛にワープロで「自分の意思で死ぬ」との遺書らしきものが置かれていたとのこと。本人の健康状態からこのような行動がとれるはずがないとして手助けした人間がいたに違いないと警察が捜査して協力者2名が自殺ほう助の疑いで逮捕されました。本人はワープロも使わないので代筆は明らか、手が不自由なのでロープは結べない。調べればすぐに判明することばかりです。直ぐに発見されるように死なれたのです。自分の力だけで人に迷惑かけないつもりで死ぬのなら「服毒とか、飛び降り自殺とか、川に身投げすれば確実に死ねたのに、なぜこのような奇怪な死に方を選ばれたのか頭の良い方のすることは予測不可能です。三島由紀夫の割腹自殺の方が単純明快でわかりやすい。どこまで真実なのか知りたい気持ちはありますが宣伝に協力するのはやめましょう。私は最後の日まで健康に気を付け、ボケないように体を鍛え、皆様のお役に立てるようまじめに、正直に、自分らしく、一生懸命に生きたいものです。

 

 

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桃の花見

2018-04-06 22:20:51 | 日常

平成30年4月6日

春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に 出て立つ乙女 

この歌は天平勝宝2年(750年)3月、大伴家持32歳、越中の国守となり4年目、多くの名歌を残し、創作活動に専念、彼の人生の中でもつとも充実した平穏な時代に詠まれた歌です。待ち焦がれた雪国の春到来、花々が咲き乱れ何もかもが美しい。ひときわ鮮やかな桃の花とその下に立つ美しい少女。思い起こせば美しい情景が目に浮かぶ。桜の花の白さは大人の女性の落ち着きのある美しさとするなら、桃の花の鮮やかなピンクの色合いはピチピチとした女学生のような元気さ、命の輝きに満ち溢れている。私は桃の花が好きだ。今日、仕事で福山に行った折に懐かしい神辺町竹尋地区の桃畑が無償に見たくて立ち寄りました。かっては近所の仲間たちとこの季節になるとここの桃畑で花見を楽しんだものでした。ところがなんと桃畑はなくなり雑木林となっているではないか。あの斜面一杯の咲き誇っていた桃の果樹園はどこに行ったのか。奥の方まではいって行っても桃畑はない。農道の傍にに残された数本の桃の木がそこがかっての桃畑の名残の場所であつたことを表しています。そうか思えば時をさかのぼればもう30年余り前のことであったか。30年も経てば変わっても仕方ない。私も年を老いるわけだ。時間の推移を思い知らされた。この近くの住宅団地もすっかりとさびれているようだ、商店もなくなり、団地の入り口近くにあった保育園も今はどこかに移転したのかなくなっている。年月とともに人は老いて、環境も変化する。時の経過を思い知らされました。

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認知症患者に人格はないのか

2018-04-03 22:12:29 | 日常

平成30年4月3日

私の祖母も98歳の高令者、70歳半ばの姉が老々介護ですが親身のもてなしにより自分で食事もとれるし、自立した生活をしています。でも万一認知症になったらもう手に負えないので施設に入れなければと考えていました。あちこちのの施設を研究してみました、知人に介護を勉強している人があり、その人が実習の現場で見たことを教えてくれました。特養施設は従来型とユニット型があります。従来型は大部屋に何人もの患者がおかれている。自立出来ず、症状が進んで自宅に帰る見込みがない人が入る。ユニット型は10人程度個室で出入り自由で中央に食事や談話する場所もある。従来型は悲惨である。転落してはいけないのベットに拘束される。必要最小限のはずが常態化されている。それが毎日となれば筋肉が硬直して動かなくなる。床ずれができる。進行すると骨まで現れる、排便はオシメで1日3回の取り換え。入浴中に排便した患者は床に寝かされホースで洗われていた。食事には2本のスプーンで、2本は何に使うのか?大勢の患者が待機しており早く食べてもらうためです。1本は口をこじ明け、開けたままにするため。もう1本は食料を入れるため、口に一杯あっても詰め込む、ムセイでもお構いなし、時には食後に飲ます薬も一緒に食べさすそうです。合理的かもしれないが薬の味付けでは美味しくないでしょう。自分の身内にもこのようなことをされますか。誤嚥性の肺炎になるわけです。身体機能が低下して口から食べれなくなると胃の中に直接管を入れる胃ろう処置がとられます。人工水分栄養補充法というわけです。動けない、意識がない、口で食べれない、これでも生きてゆかなけならないのでしょうか。多くの人はこのような状態で生きることを望んでいません。亡き妻ともこのような状況になったら延命治療はしないことを申し合わせていました。患者の扱いもここに書いたようなこのようなひどい職員ばかりではありません、丁寧に患者の立場に立ってお世話する人もおられます。要は人間性、職業倫理、使命感、ゆとりのある環境、正しい知識があるか次第です。給料も安く長時間勤務。多くの汚い作業が毎日続きストレスが蓄積しそれが弱い立場の患者に向けられる。医療現場は疲弊しています。「衣食足って礼節を知る」余裕のある生活があり、易しい態度で患者おの世話することができるれば認知症も快方に向かいます。手間がかかるが拘束を減らせば状況はよくなるといいます。無理に食べらすことに疑問の声もあります。食べれなくなることは人間の終末期との向き合い方の問題ともつながります。昔は栄養失調で枯れるがごとく死ぬというのが普通でいたが今は随分と様変わりしています。どうあるべきかご自分の迎え方を考える機会としたいものです。姉も最後まで自分の命のある限り母の面倒を見ると言ってくれています。自宅で娘に世話してもらい、家族に看取られながら旅立つなんて、母はなんと幸せな一生でありましょうか。思うに人間ボケたらおしまいですね。どのような扱いになるかわかりませんから。認知症は突然起きるのではなく生活習慣病とも関連しているように思います。日頃の生活態度、習慣が大切です。暴飲暴食を慎みよく寝る。よく働き、よく食べる。健康な生活をまじめに続けることではないでしょうか。当面はよく眠ること。22時以降はテレビは見なくて寝ること。目覚まし時計に起こされるのではなく自然に目覚めたいと思います。

 

 

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私の段木製造所

2018-04-01 20:43:06 | 日常

平成30年4月1日

私が登山道整備に使用している段木の製造現場を紹介しましょう。私の近所にある10台ばかりの駐車場の2台分のスペースがそれです。先月、ご近所で家屋の解体があり絶好のチャンスとばかリ30本余りの柱材を入手できたので駐車場に山積になっています。写真の両側の材木がそれです。長期間は保管できないので早急にかたずけなければなりません。製作の手順は①柱の釘や付属物を釘抜等で取り除く。②80から100㎝に手鋸で切断する。③棒ずりで水洗いして汚れを落とす。④電動ドリルで⒔,5㍉の穴を段木の両端、2か所に明ける。⑤防腐剤を刷毛で3回塗る。写真中央の左側が完成品、右側が塗料を塗る前の段木です。これを現場に取付け、固定するには鉄筋を使用します。13㍉の鉄筋を1段なら40㎝、2段なら50㎝にグラインダーで切断したものを使用し、鉄ハンマーで打ち込み、完了します。1本の柱材から3本の段木が取れますから両側に積まれた柱材から90本の段木、切断された段木が約20本ありますから、これだけだ110本の段木のスペースです。ここはこれで一杯なので、完成品は府中町の会社にも20本ばかり保管しています。来年の我会の100周年記念事業の一環として、段木を使用した蔵王山の登山道整備を考えていますが最低200本は必要です。もろもろの作業行程、参加人員、材料の置き場、保管、管理を考えると広島であれば何とか今の方法でやれますが福山となれば可能なのか、なかなか踏み切れません。思うだけでは進展しないことはわかりますがいざ実行となれば仲間の協力は不可欠ですが・・・・果たして賛同は得られるものでしょうか。個人的に細々とやることもできるが、できればよいことは大勢で共有したいと思っています。

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