まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

鞆架橋終結。新しき時代到来す

2012-06-26 21:25:41 | 日常
平成24年6月25日
鞆の浦架橋問題について湯崎知事と羽田市長が会談しトンネル案とすることを通告、市長も不満であるが権限外のことであるので仕方ないと了解したとのこと。あっけない結末であった。これで行政上の問題も解決した。おもえば2009年10月1日能勢顕男広島地裁裁判長の歴史的判決で埋立免許差し止めを命じた。行政に待ったをかけたのである。今でもその判決文を思うたび胸が熱くなる「鞆の浦の景観の価値は私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海における美的景観を構成するものとして、また、文化的、歴史的価値を有する景観としていわば国民の財産というべき公益である」と景観価値を認定した。
裁判でも勝利し、行政面でも逆転し変更させた事例はまれなことです。ほっとして安心するとともにこの30年の長い混乱と停滞の時を思わずにはおられない。いろいろな施策は埋立問題のため停止され放置され町は寂れた。失われた30年というべきであろう。瀬戸の歴史的景観はここ鞆の浦以外には残っていない。近い将来 世界遺産にも登録されることでしょう。広島県も多くの資金を投入し今までの停滞を補ってくれることでしょう。多くの人々が観光に訪れ、観光産業が栄え周辺の尾道、倉敷、瀬戸の島々も脚光を浴びることでしょう。町並みも綺麗に整備されることでしょう。賑わいも、若者も帰ってくるでしょう。明るい明日の鞆の浦の未来が見える。またいつか海上から鞆の浦に帰りたい。母の懐に抱かれるように鞆の浦に入りたい。

かって私が万葉の船旅をした時、船上から丸い鞆の浦の港を眺めたときのイメージはナポリの港の歌「遥かなるサンタルチア」そのものでした。

  遠いところに船出の時にゃ、船で歌うナポリターナー
     歌ううちには港は消えて 月の光に遠くナポリが見える
  サンタルチア 別れのその寂しさ 幸を求めて船出はしても
     ナポリの月を遥かに見る悲しさ サンタルチア別れのその寂しさ

   私の心には鞆の浦は母なる港ナポリのイメージがあります。
コメント
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