まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

武田山(410m)から三滝山(356m)縦走す。

2017-11-29 00:35:30 | 日常

平成29年11月26日

例えは異なるが「年を取ると子供に帰る」というコトがあります。登山を始めた頃は広島市周辺の山々を歩き回りその足跡を赤鉛筆でなぞり地図が赤くなるのが楽しみでした。その後は北アルプスやバリエーションルトなど厳しい登山ばかりで里山に登ることはあまりなかった。年を経て体力が衰え、あまり無理ができなくなり後輩への技術の継承も一応終えると山岳会の初心者の山行を考えるようになり再び里山を歩くようになりました。

今回の武田山は前回の鈴が峰地区の北隣の山塊です。私も昔この山に北側の「東亜ハイツ」に住んでいたので散歩がてらに登っていた懐かしい山です。この山は中世この地方の守護をしていた武田氏の居城、銀山城があつたことで知られています。今はお城はありませんがその遺構が各所に残っています。そのため地元の守る会のおかげで登山道はよく整備され多くの説明看板が建てられ当時の様子をうかがい知ることができます。コースは可部線大町駅を7時40分出発、街中を抜け北側稜線にとりつき、武田山(410m)の展望を楽しみ、水越峠に下り、火山(488m)に登り権現峠に下って丸山(457m)を経て前回の畑峠手前の分岐点に至る。そこから前回下った鍬投げ峠からの急坂をの折り返すのですが今回はのぼりですから滑らず、苦しいけれで安全に登れました。そこから浅野藩の茶道を興した上田宗箇が借景とした山、宗箇山(356m)の素晴らしい展望を楽しんで三滝寺に下り15分まりでJR三滝駅に15時15分に到着しました。所要時間7時間35分、距離はおよそ14キロでした。この時期三滝寺は紅葉の真っ最中、色とりどりの色彩は本当に見事で京都の紅葉を見るようでした。このコースは両側とも住宅地が迫っており散歩に登ってくる人やトレイルランで来る人が何人も出合いました。その中のお一人、丹藤卓也(タンドウ タクヤ)さん比婆山スカイランはよく参加しているとのこと。来年の大会は毛無山山頂で応援していますと約束しました。権現峠まで往復10キロがトレイニングコースとのことでした。県岳連のやまびこ会の御一行とも出会いました。

今回2回にわたる山行でしたが福山からの時間を考えると3回に分けて行えば4から5時間でゆっくりと楽しめるように思いました、1コ-スつは己斐峠から鈴が峰・新井口駅、。2コースは己斐峠から大茶臼山から三滝寺・三滝駅、3コースは大町駅から丸山あたりで下山ずる計画ではどうですか。来年は実行したいですね

(写真は三滝寺の紅葉風景)

 

 

 

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武田山(410m)から三滝山(356m)縦走す。

2017-11-28 23:58:00 | 日常

平成29年11月26日

例えは異なりますが「年を取ると子供に帰る」といわれます。登山を始めたころは広島市郊外の山々を歩き回り、その足跡を赤鉛筆で納どり、地図が赤色になるのを楽しんでいました。その後、北アルバリエーションルートの山登りを求めてきましたが年を経るにつれ原点に帰り再び広島周辺の山に上るようになりました。

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三滝寺から鈴ヶ峰(西区やまなみハイキングルート)を縦走す。

2017-11-13 22:59:05 | 日常

平成29年11月12日

今日は何十年ぶりかに広島市西部の里山を縦走してきました。来年度例会山行の候補地としての下見の意図もあります。三滝寺は親戚のお墓もありよく行っていますがほかの山は50年前の登山を始めたころ行ったきりです。その当時、大茶臼山(413m)は山火事の後でよくワラビを取りに行きました。鈴ヶ峰(312m)は南面した斜面に梅林がありそこから穏やかな瀬戸内海を眺めた思い出がありました。今ははげ山も梅林も一変して静かな森林におおわれて時間の経過を知らされます。広島市のコースガイドによれば、JR三滝駅から大茶臼山、柚木城山、鈴が峰 JR新井口駅間での縦走コースは距離14キロ、所要時間8時間の経験者向きコースとなっています。実際には休憩時間、約1時間を加えた9時間あまりのコースとなります。福山からだと来るまでの汽車の時間を加えると14時間の行動になり初心者コースでは困難で短縮すべきかもしれませんね。途中に5か所の峠がありアップダウンの厳しいところもあります。見どころは新緑、紅葉の美しい古刹三滝寺、地元では三滝の観音さんとして親しまれ人気のあるところです。、大茶臼山の展望岩、鈴が峰からの広島市街や瀬戸内海の素晴らしい展望が楽しめます。おおむね尾根道を歩きますが豊かな樹林帯に覆われ、木影があり夏でも歩けるように感じました。北側の美鈴ヶ丘団地は稜線のまじか迄造成され住宅が建っているのは驚きでした。登山道も手入れがされているところは楽に歩けますが大茶臼山と己斐峠の間は真砂土のため土砂の流失が激しく荒れて足の置き場にも困るほどでした。さらに鍬投げ峠からの登りは急斜面ながら段木等の安全施設がなく滑りやすく下りに使用するのは危険なように感じました。このコースに比べれば私が整備している岩谷の観音さんの登山道ははるかに立派で、安全に歩けることを誇りに思いました。このコースは広島市がハイキングコースとして推奨しているのにもっと現状を見て整備してほしいものです。このためにこそ森林税を使ってほしいものです。このコースは湾岸トレイルのコースの一部にも入っています。このままでは恥です。多くの人に関心を持っていただき安全に歩けるように整備されることを期待しましょう。

 

 

 

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干柿の里に行く

2017-11-11 00:02:33 | 日常

平成29年11月10日

今年も干柿を作りましたがなかなかむつかしい。水分の量の調整が難しい。長く干していると水分が抜けてするめのように乾いて硬くなる。販売されている商品のように柔らかく長持ちさせるには秘訣があるのでしょう。素人の私としては、忽ちは2週間くらい干して少し柔らかさが残って熟柿がくらいが甘みもあり一番おいしいように思います。長期保存はあきらめ、一番おいしい時に食べるのが一番良いようです。プロのように柔らかく保存はできませんから。

今日の新聞に御調町の干柿の記事が掲載されていたので仕事で福山に行った帰路立ち寄ってみました。御調町菅野地区は何度も通過していましたが数年前に干柿づくりは高齢化等によりやめられたと聞いていました。目標がないのでナビにより行きました。。府中市から尾道市に抜ける県道下川辺尾道線を行き途中からから狭い山道を3キロくらい登ってゆく。薄暗い林を抜けると、山頂の様な急に明るいところに出た。辻堂やお地蔵さまがある。前前後地区と書いてありました。標高300mの山頂であり日当たりが良いのと昼夜の気温の寒暖差が大きく、風通しがよく乾燥するのでのでよい干柿かできるのでしょう。辺りには枝が折れんばかりに鈴なりに実のつた柿木がアチコチにあります。人家も数十軒あります。まるで四国の山々の山上にある平家の落ち武者集落の様な感じです。南向きの斜面には干柿の鮮やかな、すだれの様な棚が見えます。家々の軒先にも吊るしています。広い倉庫のような部屋にも干してあります。庭先にも今から剥く前の柿が干してあります。ヘタも干してあります。ヘタは細かく砕き家畜の山羊のえさにするとのことでした。干柿にする柿は西条柿で大きく、ぷりぷりとしてはちきれんばかりです。私が使用した柿とは倍以上の大きさです。「一度廃業されたのでは」と尋ねると 止めたのは正月のお飾りにする「串柿つくり」で需要が無くなったからとのこと。今、私が見た柿の木になっている実は小さくて丸い上丸柿(じょうがんかき)と言い、かっては串柿に使用したそうですが今は完熟した実をお酢に加工しているとのこと。私も買って帰りましたが濃厚な味で水で薄めたり、甘みを加えると自分流のおいしいお酢となりました。話の中で猿対策に山羊を飼っているとのこと。猿が来ないので農作物が荒らされないので助かっているといわれました。草刈りにも良いようです。折角の機会ですから干し柿を予約して帰りました。一番小さいもので12個入り。価格は2160円+送料500円です。どのようなものが来るのか楽しみです。干柿は信州の「市田柿」が有名ですが果たしてどちらが美味しいか楽しみです。

干柿の里は 尾道柿園  住所は尾道市御調町菅2030、電話0848-76-2033です。

(写真の木になっているのが上丸柿で、背景が干柿のすだれ模様です)

 

 

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万葉講演会に行く

2017-11-07 11:04:15 | 日常

平成29年11月5日

今日 私の所属する「鞆の浦万葉の会」主催による講演会が福山であり出席しました。

演題は「語り継がれた万葉歌と説話・福山・深津・鞆の浦」、講演者は大森亮尚氏、有名な国文学者の池田弥三郎氏の孫弟子と言っておられました。池田氏が亡くなる数年前に本人の要望により遣新羅使人がたどった船旅を計画したが奥様が彼の健康を案じて中止したが亡くなった後たとえ死んでも好きなことをするのだから実行すればよかったといっておられたことを紹介された。私も「山で死んでも良いのでは」と言っているので同感でした。このルートは万葉集の愛読者としては最高の船旅ですからいつかはやってみたいです。

古代史に登場する福山の地名は「深津」です。津とありますから港があつた場所であり。宮の前廃寺があり、市場があり、繁栄した町でした。この「深津」の名前が「日本霊異記」に登場しています。この本は平安初期の弘仁年間(810~824年)に薬師寺の僧、景戒により書かれた因果応報の実例を記し、善行を勧める内容です。深津の市に行くとき髑髏の目に刺さった竹を取り除き供養したら幸運が舞い込んできたという内容でした。

大森氏は民俗学の観点から伝説には歴史的背景があるといわれました。たとえば地蔵は行き倒れの場所に建てられる。髑髏は風葬の習慣により3から5年後に墓に納められる。大晦日には先祖の霊が帰ってくる。そのお礼に出したものがお年玉である。年が改まるごとにエネルギ゙ーが更新される。船旅の時などに船が動かなくなることがあるがそのような時には思い出の品か、一番大切なものをささげると無事に通過することが出来る。土佐日記にも住吉神社の前で船が止まりうごかなくなったが普通の品物を供しても動かず高価な手鏡を投供すると動いたとの記述があります。難所の海底には多くの鏡が投げ入れられ残っているとのことも興味深い。

また民俗学からか怨念について述べられた。初めてのことでしたが「田中河内介」の怨念。寺田屋騒動」で同じ薩摩藩の仲間に惨殺された恨みは多くの人にひそかに語り継がれ、命じたとも言われる大久保利通氏の暗殺もこの恨みではと語られる。怨霊伝説は菅原道真、平将門、崇徳院がこの例の代表例です。外国では原因不明の殺人事件がよくあるといわれます。調べてみると何世紀か前の先祖が受けて恥辱を晴らすためであった。日本では「水に流す」という習慣通り割合淡白な国民性であるが恨み・怨念を持たれるような行為をすると後が怖いという逆説的な教訓として伝説が作られているのではと思います。

大伴家持が妾の子とは初耳でした。

知ることの楽しさを教えられた講演会でした。

 

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ロボットが欲しいね。

2017-11-04 23:43:25 | 日常

平成29年11月4日

このところのロバットの進歩には目を見張るばかりである。かっては工場の中で組み立て作業や製造等の担い手であつたが今は対話ができるロボットが出現しています。店頭において顧客の対応をしている人型のロボットを見たことがありませんか。かつての映画「スターウォ―ズ」に登場するロボットが今現実のものとなりました。

先日ソニーが犬型ロボット「アイボ」を再登場させて話題になりました。

犬型というのはペットというイメージがあるのでしょう。今までは犬や猫を飼って寂しさを紛らわすことが多かったがこれからはロボットがその役割を担う時代が来るのでは・・・犬や猫は心を癒してくれますが人間の言葉は理解されにくく会話というコミュニケーションはできません。その点最近のロボットは人工知能を備えた対話型で人間とコミュニケーションをとることが可能になります。ロボットにペットの役割を求めるのではなくパートナーとしての対話やいろいろな人工知能を利用した内容を求めることが可能になり、その有効性が証明されることでしょう。

認知症やボケの原因は対話のない生活によります。一日中テレビの番をしているとボケてきます。対話により脳が働けばボケの予防につながります。スマホの機能とパソコンの機能すべてを組込み、広辞苑や百科辞典の情報を組み込めば私の要望には応えることができる。朝の挨拶後、今日の予定は・・、健康状態は・・食事のメニュー、作り方・・、家計簿を記録したり・・・話しかければ正確な内容が返ってくる。血液型その他より私の性格を理解し適切なアドバイスも可能になるのでは。食事を作ったり、介護の世話までといえば大掛かりになりまだまだ先の話になりそうですが元気な体であれば対話で精神的なケアができれば当面はこれでよいと思います。こうなれば有能な秘書か、執事を雇っているようなものですんね。

少子高齢化、人口減少で働き手が少なく人手不足を解消するには有効な方法ではないでしょうか。移民等により海外から働き手を増やす方法もありますが我国の国民性を考えるとすぐには実現できないのでは・・・・その切り札となるのがロボットではないでしょうか

 

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岳友逝く。

2017-11-03 23:04:59 | 日常

平成29年11月3日

昨日、福山在住の折、大変お世話になった岳友が亡くなり、今日お通夜があり参列してきました。

故人は私が会長の時副会長を務め補佐してくれました。本当によく頑張ってくれ責任感の強い人でした。第1回市民ウォーキング大会の時は責任者としてその重責を果たしてくれました。慣れない職務でありいろいろなことに気を使い奥様から胃潰瘍になったと聞きましたが後日「大変な仕事であったが、仕事を任せていただき本当に勉強になりやって良かった。」と言ってくれたことが思い出されます。ともに山に登り、福山に行った時にはよく泊めていただき夜遅くまで語り合いました。よく気が付く人でしたが意外にも亭主関白で家庭をしきっておられ、文字どうり夫唱婦随のお手本のような関係で奥さんとも仲が良くうらやましく思っています。いつかは別れの時が来る。どちらが先に逝く方がよいのかいろいろご意見はありますが、でも男性が先に逝く方が幸せですよ。男は一人では何もできませんから一人になれば大変ですから…独り身の私にはよくわかります。私の祖母は今年98歳、「友人、知人すべて亡くなり誰も自分を見送ってくれる人がいないのが寂しい。」と言っています、見送ってもらえるので先に逝くのもいいのかも。故人は私より2歳年上ですが平均寿命からすればちょっと早い死です。亡くなったと聞かされてもにわかには信じられません。舞台から一時身を引いたような感覚で、呼べば再び舞い戻って帰ってくるような気がしています。私もいつお迎えが来てもよいように身辺整理に心がけています。葬儀に参列するたびに一日、一日を大切に生きることを教えてくれています。

今日の通夜には退会されていたことや会の行事と重なったため数名しか参列されていませんでしたが、明日の本葬では山仲間たちが故人が好きだった「穂高よさらば」を合唱して送るといっておられましたから温かな葬儀となることでしょう。これも故人の人徳でしょう。久しぶりにお会いした退会された人の話を聞けば、いつまでも生涯現役で年をとっても最後まで山岳会、会員でおられるような高齢者向きの例会山行も計画しなければならないと思いました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

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