まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

猫の「ルリちゃん」

2015-05-28 15:02:40 | 日常
平成27年5月27日
最近娘のところで猫を飼い始めました。
名前は「ルリちゃん」。女の子のようですが実は男の子です。グレイの毛で何をしてもおこりません。されるがままになっています。
種類は「ブリティシュショートヘア」血統書付の猫ちゃんです。父親も、祖父もチャンピオンになった経歴の持ち主です。どうりで立ち振る舞いが優雅です。育ちの良さがうかがえます。
以前かっていた黒猫は「ルーちゃん」といいましたがこれも娘がもらってきて、嫁に行くとき、我が家において嫁ぎました。いかにも猫らしく我感ぜず、わがままで気に入らないことがあれば噛みついたりかぐったりしていました。今回の「ルリちゃん」は前の持ち主の方も他人から譲り受けてのですが、今飼っている猫と相性が悪くいじめられるので仕方なくうちの娘に譲られたようです。
昨年の10月に生まれました。目が真ん丸で、くりくりし、毛もベルベットの生地のように艶やか何よりも性格が穏やかですが活動はカロヤカでボールをおいかけたち、まゆころがし等のおもちゃで遊んでいます。すっかり家族の一員になっています。今日は手土産にカンズメを持参しました。効果あるでしょうか。会社の近所の公園に捨て猫が多く住み込み問題となっています。猫の尿の匂いは強烈で餌をやらないで下さいとか、虐待しないで下さいとかいろいろな看板もたてられています。避妊手術をして増やさないようにしたり、里親探しに努めておられます。飼い主が最後まで飼育されれば問題はないでしょうが、途中で飼育放棄する人間の無責任な行為によりもたらされた問題ですがなかなか良い解決策は見つからないようです。
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天応・烏帽子岩山

2015-05-24 22:37:16 | 日常
平成27年5月23日
比婆山スカイランが終われば次の計画が待っています。月末には九重山・黒岳例会山行がありますがその次の8月に行く奥穂高岳南稜・トリコニーの登攀計画の打ち合わせを兼ね天応岩場でトレーニングを行いました。今回計画のメンバーはチンネに登った仲間3人と我会の若手のN氏の4人です。お互いの力量は分かっているし信頼できる仲間ですから計画はすぐにまとまります。2パーティーに分かれてザイルワークや合図方法等を確認しながら2ルート登りました。信頼できる仲間とのクライミングは快適で楽しーい。
奥穂高岳南稜の中間部にある三つの岩峰はトリコニーと呼ばれ、あの有名なウェストンと嘉門次がはじめて登ったという古典的ルートです。どの様な光景が展開するのか今からワクワクしています。
練習を積み重ねいざ挑戦せん。
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若者と年寄りの有様

2015-05-23 20:50:22 | 日常
平成27年5月22日
あと数年働いたら引退かなと考えていましたが80歳で元気に働いておられる人にお会いして「まだまだ老け込む年ではない」と勇気をもらいました。
その一方、先の加賀白山登山では若者の馬力に驚かされました。
私は少しでも荷物を軽くしようとあれこれ持参する装備に苦心しますが若者は荷物が軽いのでボッカ訓練のつもりでぺットボトルに水を10キロ入れて持参したとのこと。こんな元気な人は初めてです。若者のパワーに脱帽です。
比婆山国際スカイランではこの大会の最初から招待選手で参加されて20年の芹澤選手は新進気鋭の若い東選手に圧倒的な走力の差を見せつけられました。東選手は2位に9分の大差をつけ大会6連覇の圧勝でした。奥様も2連覇でした。
芹澤選手は日本を代表する山岳レーサーです。富士山登山競争でも10回以上優勝されています。今は53歳、30年近くも第一線の山岳レースに参加されつづけ体はもうボロボロでしょう。
年には勝てません。前夜祭の時萩往還250キロマラソニック大会のことを話されていました。距離250キロですから超ウルトラマラソンです。その大会に今まで培ったの経験「顔と実績」を運営に生かされているようでした。競技生活を終えればその経験を後輩の指導のために生かし人々のために役立てる。若者と体力競争することは新車とぼんこつ車の競争するようなものでレースになりません。
後進に道を譲り自分を超えるような選手を育成する。理想の姿ではないでしょうか。
山の遭難の原因は体力と知識・経験のアンバランスから生じます。いくら体力があっても自然の猛威にはかないません。風速50mの烈風に耐えられますか。厳冬期のヒマラヤ登山と言っても天候が穏やかな時、山のご機嫌がよい時に登らせていただいたにすぎません、天候が悪ければ登れません。その限界、自然の猛威に耐える方法、経験を知らなければ遭難予備軍になります。これからは自然の素晴らしさ、楽しさを教えるとともに、若者に苦い経験や有効な知識を教えて立派な登山者に育てるお手伝いをして行きたいと思います。
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第23回比婆山国際スカイラン大会(その1)

2015-05-19 22:25:59 | 日常
平成27年5月16日
比婆山国際スカイランも1990年に第1回大会があり今年で23回を数えます。
明日17日の本番を前に今日は最後の総仕上げが始まります。我会からは大会役員182名中23名が参加し本部業務や走路、給水担当等いろいろな分野を担当します。
私はコースの三分の一を占める第一ブロックのチーフを務めます。人員構成は全部で19名その内訳は我会が8名、他の4団体から11名が参加の混成部隊です。
開会式の後9時30分から作業開始。
雨の中、全員で全コースを歩きました。標識の大部分は設置済み。枝道には紅白のロープを張ります。走路役員の配置場所を確認しました。
危険個所はないか、確認します。危険個所は下りです。伊良谷山と毛無山の下りが問題です。
特に毛無山直下の急な階段のところが危険なので迂回するようになっています。直進しないようにするため標識を3枚増やしロープを設置し監視人員も3名まで動員しました。登山道は
長年にわたり多くの登山者が通られるので土砂が流され、木の根や石が露出してきます。
荒れ放題です。歩いて降りるのならまだしも走って下るのは危険です。結局選手に注意して走ってもらうことしか策はないのでしょうか。出雲峠の多くの枝道にもロープを張り巡らし迷わないようにしました。これですべては無事完了。明日は晴れの予報ですから大丈夫。後の打ち合わせ会でも「準備万端異常なし」と報告。
夕方から交流会が開催されました。全役員が体育館に集まり食事担当が調理された山菜天ぷら、お寿司、おでん等の手料理を頂きました。各山岳会から近況報告もされました。一番盛り上がったのは「じゃんけん大会」でした。招待選手の芹澤さんや東さんから商品が提供されそれをじゃんけんで競い合いました。久しぶりにお酒も入り仲間たちと楽しい時を過ごしました。明日も頑張ろう。
(写真は第1ブロックのスタッフ一同)
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第23回比婆山国際スカイラン大会(その2)

2015-05-17 22:56:13 | 日常
平成27年5月17日
今朝は5時前に目覚める。外に出ると雲一つない空が広がる。心地良い冷気の中小鳥たちの声が響く。私はこの日の出前30分、鳥の声に目覚めさせられるこの朝の空間が大好きです。
午前8時、おにぎり弁当を受け取りミーテングを行い、健闘を誓い気合を入れて鬨の声をあげ、いざ出発。出発地点とゴールコースの2コースから山に入ります。例年雨の時は低体温症で体調を崩す選手が多いが今回は晴天のため日中は気温がが高くなるかもしれない。そうなれば今回は熱射病の心配をするようになるかも・・・午前9時の稜線上にある立烏帽子駐車場の気象条件は天気は快晴、気温15度、風力1との好条件。これなら成功間違いなし。午前9時30分毛無山頂到着。配置完了。一番危険な場所である山頂直下の急階段の迂回路に標識を3か所追加設置し走路担当を3名配置し選手の到来に備える
因みに参加人員は18,5キロのAコースは628名、9キロのBコースは208名合計836名。
Aコースのスタートは10時ジャスト。私の居る毛無山山頂はスタートから5,2キロ、男子の1位は28分で招待選手の東徹氏、女子も奥様の東奈々選手35分で通過されました。圧倒的な強さです。当分東さんご一家の天下は続きそうです。
20年連続出場の芹澤選手はトップとはかなり離されていました。14歳も違えば仕方ないですね芹澤選手は両足に赤いテーピングをされ、痛々しい感じがします。Bコースは30分遅れん0スタートですがここでは両者が混乱しています。坂道でもランニングで上がってくるのは30%くらいであとは歩くスピード。写真を撮る人。審判と一緒に記念撮影をする人。みんな思い思いに楽しんでいます。ここには給水所はないのですが水を求める人もあり持参した水を1000CC、ペットボトル2本が空になりました。この暑さですから仕方ないですね。後で聞いた話では出雲峠の第1給水所ではコップを1250個準備したのですがすぐになくなり洗って再使用したといわれました。暑さのため頭から水をかける人も多かったとか・・・走路の状況は危険個所は一人がスリップしただけで無事に通過されたのですがその下の急な下りで3名の方が足を痛められたとのこと。急坂を駆け下るのですから仕方ないとはいえもう少し登山道を整備する必要がありそうです。午前11時50分最後の選手とスイーパーが通過し取り合えす任務は無事終了いたしました。
昼食の後標識、ロープ等を回収し下山しました。900人も走り踏み固められた登山道は平らで広くなり綺麗になっています。
麓に降り、レースを終え帰る人に「お疲れ様でした」と声をかければ「ありがとうございました」と明るい声と笑顔が返ってきます。本当にみんなの笑顔に接すると大会運営の苦労も消え伏せます。ありがとうございました。来年もまたお会いしましょう。
(写真は毛無山頂で写真を撮るカメラ記録担当の江種会長)


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山男の手料理

2015-05-11 22:36:11 | 日常
平成27年5月9日から10日
来週の比婆山スカイラン大会に備え今回は最終準備となりました。午前中は大会に必要な備品を体育館に持ち込み会場設営をしました、午後からはスキー場の草刈です。これが大変な作業です。何しろ広いスキー場ですしカヤの切り株に足を取られては大変ですから・・・丁寧に根本から切り取らねばなりません。私は初めての役員ですから担当する第1ブロックの先輩の責任者におしえてもらうため再度コースを歩きいろいろと指導いただきました。私は明日は引越作業や赤帽の会議のため今日1日のみの参加です。10数名の方は明日も作業があり今夜は泊りです。私は今夜は帰るのですが夕食の宴会に厚かましくも参加させていただきました。
その料理のバライティーに富んでいること。日頃から山で料理を作っているとはいえ、この豪華で多彩な料理はとても男の料理とは思えない出来栄えです。山菜の天ぷらは言うに及ばずその場で調理されたものもありますが家から持参されたものも多くありました。こんにゃくのスライスされたもの。今は生のレバー刺しの代わりとして人気があるそうですがこの品物はこんにゃく玉からすべて自家製とのこと。ゆずの香りがしてとても美味です。ナスのからし漬けこれも手造り。私も自炊しており料理を作っていますがこれほど手の込んだものは作ったことがありません。今夜のメニューの「お品書き」もできています。本格的です。それに沿って6から8種類の料理が作ってありました。これだけの食材を用意するのも大変です。「韓国風の冷奴」創作料理のようですが納豆とカイワレ、カツオの組み合わせは絶妙です。「スペイン風○○」という料理もありました。次々とめずらしい料理が出てきます。とにかく研究熱心なのには驚きでした。皆を喜ばせるための心づかいが嬉しい。本当に心優しい良い仲間達です。数人の方とは今まで岳連行事で一緒に働いたことはありましたが大多数の方とは今回が初めてでしたが、長年の親友のように気安く接していただき本当に良かったと思いました。この様な仲間たちとの付き合いにより「スカイランは命」という方がおられるのもうなづけます。とにかく大会の成功に向けて全力を尽くします。
(手前のテーブルではいろいろな山菜のテンプラ、右手のテーブルではキャベツと豚肉の炒め物が調理されています。)
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加賀白山(御前峰 2702m)に登る

2015-05-05 23:33:31 | 日常
平成27年5月2日から4日

この連休はかねてより念願の白山に山岳会の仲間6人で行ってきました。この時期の白山は山スキーの方の記録が多くありますが登山の方の記録はあまりありません。
雪山、山小屋、道路通行の情報等も不明なことが多く最悪の状況を予想して計画しました。判明した状況は次の通り
市の瀬ビジターセンターは開所済み。
白山室堂山荘は5月1日から素泊まりのみ可能。
車両は市の瀬までしか入れない。そこから先、別当出合までは約6キロのうち、手前の1,5㌔(カーブの所)からが除雪がなされていないので歩くことになる。そこには10台くらい自転車が残置されていました。
別当出合吊橋は踏板が外されたまま。
今年は雪は多いとの事でしたが市の瀬に来てみると雪はすくなく、道中の気温は27度の表示があるほどの温かさ、天候も明日までは好天気で下山する日は天候が悪いとの予報です。
実際登った登山者によれば「朝は雪が締まっているが午後はくさって「グズグズ」で歩きにくい。頂上には積雪はない。」とのこと。このことによりザイルや登攀用具、ワカン、ヘルメットは残置し、ビバーク用具のスノーソ、スコップ、ツェルト等は持参することに変更しました。
黒部や立山、富士山等では連休に観光客を呼び込むため除雪を完了していますがここ白山は今の時期は登山者と山スキーしか来ないので積極的に除雪する気がないように見えます。
一般の観光客が来る6月か7月までに通行できればよいという考えでしょう。
5月2日は朝7時に福山を出発。渋滞を避けて舞鶴道経由、福井北ICで降り、勝山で買い出しをして昼食に「おろしそば定食」を食べる。市の瀬には午後3時には到着。さすが白山、駐車場は雪で埋れており、道路の両側はずらーと車が駐車している。200台くらいはいるかな。キャンプ場の雪のないところにテント泊。一杯飲み午後6時には就寝。
5月3日は4時起床。食事、テント撤収して5時50分出発。ここの標高は830m、別当出合まで標高差440m。アスファルト道路をただ一筋歩く。新緑がまぶしい。
別当出合手前から積雪有。積雪も30から40センチなのに除雪する気がないのだから仕方ないか。ここから第一関門、吊り橋です。冬期は踏板が撤去されている為巾10センチほどの鉄骨の上を通らねばなりません。でも両側にはワイヤーがあるのでそれを両手で支えながら歩きます。長さは100m位、高さは30m位あるでしょうか。川の上を越えますから緊張します。それをすぎれば尾根に取り付く急な石段になる。ここからは樹林帯の中トレースを頼りに登るのみ。時折スキーヤーが滑走して降りてきます。この辺は地形が入り組んでおり下山時には迷いやすいので要注意。中飯場は標高1500m小さなトンネルあり。次の目標は標高1960mの甚之助避難小屋、ひたすら雪の急斜面を登る。小屋の手前で私の右大腿部に痙攣が走る。最近疲れるとよくある症状で有る。エアサロンパスを吹き掛け、バンドを巻き、「ツムラの68」を2服飲む。すぐに収まるから不思議です。ツムラさんに感謝。
甚之助避難小屋は堅固で冬期トイレもあり部屋も使用できます。この前面の標高差200m余りの白い大きな壁が立ちふさがる。下りてきた方にルートを確認すると「南竜分岐からエコーラインをあがるよりトラバースして最初の沢を詰めた方が最後は少しやぶ漕ぎするが時間的にも早いです。」と忠告頂く。意を決して一歩一歩確実に急斜面に足跡を刻む。かなりの急坂で高度感も十分。スリップしたらはるか下までノンストップで滑落です。本当に怖いです。ひき續き次の雪渓を詰める。抜群の景観足もとに雪の山々が広がる。途中で「練乳のかき氷」を作り一息入れる。150m登りやぶ漕ぎして尾根に出る。標高2250m地点。ここから傾斜は緩やかなれど長い道のりを行く。歩いても歩いても少しもちかずかない。本当に白山は大きな山です。ようやく15時15分室堂山荘に到着。雪道を9時間、標高差1620mよく歩きました。明日は天候が崩れるとの予報ですがもう1時間も歩く元気はない。元気な2人は頂上に、他の4人は食事をする。この建物は大きくて堅固な建物。毛布も1人に4枚。綺麗であったかい。一杯飲みながら談笑する。今夜の宿泊者は50人からいか。1階だけで収容できます。
翌朝はやはり小雨降る。5時に出発山頂往復する。展望なし。下山後朝食をとり、7時過ぎ下山開始。小雨交じりの冷たい風が吹き上げて来る。小屋での高度の確認を忘れた。昨日の晴天と今日の悪天では気圧も高度も違うので今の数字はあてにならない。下山地点の2250mが確認できない。竹藪の中の道は無雪期のエコーライン、これより下部が分岐だが分からない。テープも見つけられない。竹やぶに沿って下山すれば南竜山荘へのトラバース道に出合えるだろう。とうとう下まで降りてしまった。現在地を確認してやぶ漕ぎして登り返せば昨日南竜山荘に向かった後続グループもいたのでトラバース跡を見つけられるはず。50m登ると足跡有。そのままトラバースすると上の道まで上がらなくても小屋に行けるルートが見つかり時間も短縮、急斜面を下る危険も省略。迷ったけれど結果的にはこのほうが早かった。これから先は路さえ気を付ければ危険なところはない。景色を楽しみ、雪洞作り、確保地点の構築の仕方を講習し時折シリセードに歓声をあげながら下りました。13時下山。白峰温泉の総湯で汗を流し地元の精進料理な「しげ定食」の食事をする。この町はかっては天領で独特の街並みが重要伝統的建造物群保存地区の指定されとても清潔感のある町です。その家々には日の丸が掲げられています。今日は祝祭日なのですね。古い日本の伝統がのこさえている事に感銘を受けました。終日雨でしたが若い方ががんばって運転していただき22時無事に福山に帰りました。本当にご苦労様でした。
今回は高度計の確認の大切さ、往復するのだからテープ等で帰路がはっきり確認していれば迷うことがなかった。若くて元気で有望な会員を知ったこと。彼は希望の星ですね。良かったです。
翌日は快晴で荷物の整備もできました。悪いところも修繕しました。
また、「こどもの日」の祭日で白峰に倣い国旗を掲げましたが驚きました日の丸を掲揚しているのは町内で我家1軒だけでした。ひろい町内で我家1軒だけとは何ということでしょうか。地域によって国家への思いがこれほど違うとは日本は不思議な国ですね。
(写真はエコーラインルートの稜線2300m付近から御前峰を見る)
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