まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

落石 ・・・驚いた。危なかった。よく無事だったなあ。

2009-01-19 20:53:02 | 日常
平成21年1月18日
今日は午後からは天気が悪いというのでそれまではと近くの私が開拓中の岩場に出かけた。
トップロープで自分の体を確保をしながらムーブを確認しながら練習し、まだ登れなかった岸壁に突き出た鼻のようなハングの箇所にボルトを1本打ち、もう1箇所は岩の亀裂にハーケンを打つことにしたが亀裂部分が広すぎ効かないのでハーケンをもう1枚重ねて打つとしっかり効いた。よく効いたけれどちょっと亀裂が広がったような気がした。指先が入るようなのでレイバックのムーブで登りはじめた途端数トンもある大岩が落下した。
「ドスーン・・」轟音とともに白煙が立ち上った。しばらく何が起こったのか理解できなかった。あの大岩が落ちたなんて・・・信じられない。
この大岩にはボルトを2本うち、支点にして登っていた。先ほどはボルトを打つためこの大岩に支点確保をしてボルトを打ったばかりでした。そのとき万一落下していれば私も巻き込まれ転落し大事故になっていたことでしょう。
上を見ればのっぺりとしたすべり跡、ここに大岩がついていたなんて・・・よく今まで落ちなかったものだ。ハーケンが楔の役目をはたし落下したのです。
右足先が痛む。骨が痛んだのか。岩にはさまれたのか。とにかく安全な下に下りよう。下の部分のザイルが落石のためか切れている。クライミングシューズの先は岩に立つため硬くできているが圧迫のため指が裂けている。腫れ上がっている。靴紐も切断、よくこの程度で済んだものだ。今年5月に谷川岳で岩なだれのすごさを見て知っていた。今回落石の怖さは改めて知った。小さな岩でも弾丸のような威力がある。ましてこんな大岩が落ちれば命がいくらあっても足りない大事故になる。今回は新しい岩場で落石の頻発することは当然であったがこんな大岩が落ちるなんて信じられない・・・・
まずは落石の可否を判断すること。落石の危険性のある登はん者の下に入らない。確保のときも真下にはいらず、少し離れたほうがよい。石を落とすことが如何に危険なことか。石がザイルに当たれば簡単に切れること。切れれば転落する。落石の怖さを思い知らされました。
そう言えば和木の岩場のあの浮石、万一落下すれば大変、近寄らないようにしようと。。。
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記憶に残った結婚式

2009-01-11 22:28:50 | 日常
平成21年1月10日
下関の親戚のご子息の結婚披露宴に出席しました。
もう何回も披露宴には出席しており特別の感慨もなかったが今回の披露宴はちょっと変わった、大変中身の濃い式典でありよかった。
記憶に残る披露宴でした。
披露宴での酒樽の鏡開きは珍しい。ご両人とも小学校の教員をされており来賓もその関係者が多かった。DVDで生徒からのお祝いの映像も新鮮でよく理解できました。学校の同僚たちが製作されたのでしょうがほんとに力作で努力の跡が見られる作品でした。一番驚かされたのは今は中学3年生のかって下松の小学校のとき教えた生徒たち7名がわざわざ下関までお祝いに駆け付けそれぞれがお祝いの言葉を述べられたことでした。聞けばこの冬一番の雪のちらつく寒い日に、赤間神宮でのこ結婚式にもお祝いの垂れ幕をもって掲げていたとのこと。普通ならお祝いの電報程度で済ますところでしょうがいまどきこのような生徒がいるとは驚きでした。いかに生徒たちからしたわれていたか・・・・彼自身もかってすばらしい先生に出会い、そのような先生にあこがれ教員を志望したと聞いていたが今彼もその理想の道を歩んでいる。多くの生徒に慕われている。
本当に先生冥利に尽きる。私も同じような体験をしている。小学校4年のとき細井先生に出会っていなければ今の私はないのだから・・・
山口県人の情の篤さというべきものか本当に心に残るいい結婚披露宴でした。
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潮岬の初日の出

2009-01-06 22:40:20 | 日常
平成21年1月1日
平成21年の元旦、本州最南端、潮岬より太平洋から昇る初日の出を拝しました。
広々とした球形の水平線にはすこし雲がありましたが上空には真っ青な宇宙が広がり、黄金の光を上射させていずる荘厳な日の出でした。何百台という車、初日の出ツアーの観光バスが並び大勢の人たちが高台、展望タワー、磯の浜辺等から拝しました。もうひとつ潮岬で気付いたことは星空のすばらしさです。
星座の輝き、こんなに多くの星を見たのは富士山以来です。
空気が綺麗なのとネオン等の人工光がない暗闇のためでしょうか
とにかく清廉な気に感動しました。
帰路にはみなべ町に立ちより「みなべの浦 潮な満ちそね 鹿島なる 釣する海人を見て帰りこむ」と歌われた鹿島を見ました。そしてはねだ崎に建つ「国民宿舎紀州路 みなべ」に入浴し、隣の岩代にある有馬皇子の結松の地や近くのお寺の隣の万葉歌碑を見学しました。
   岩代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば またかえりみむ
もういっか所、由良町の白崎海洋公園にある白亜の岬にも立ち寄りました。
石灰岩の巨石の「ものすごい」という形容がぴったりする岬でした。
古代の人もこの異様な風景にはさぞ驚いたことでしょう。
充実した万葉の旅ができました。
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熊野灘の浜木綿

2009-01-04 09:14:53 | 日常
平成20年12月31日

み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思えど たたに逢はぬかも

今日は平成20年の最後の日。ついに念願の浜木綿を見に紀伊半島、新宮市三輪崎の孔島まではるばるとやってきました。
万葉集に浜木綿の歌はこの一首のみですが私には強烈な印象があります。
浜木綿は西日本各地の海岸に自生しています。石垣島でも、博多の志賀島でも、山陰の益田でも見ました。鞆の浦の仙酔島でも3株の浜木綿が自生していましたが数年前の台風で牡蠣ガラが砂浜に打ち上げられ、埋没しなくなりました。
浜木綿は島崎藤村の「椰子の実」と同様、種子が海流にのり、各地の海岸に漂着しそこで自生します。かって益田の柿本神社で種子をいただき栽培したことがありましたが90%は発芽しました。強い生命力の植物です。ヒガンバナ科の植物で「ハマオモト」の別名のごとく幾重にも大きな葉を伸ばし夏には白い花を咲かせます。孔島は数少ない自生地として知られています。三輪崎漁港の入口、鈴島と防波堤でつながり陸つづきに歩いてゆけます。島と言うけれど標高は数メートル、皿のような砂の島。周囲は鬼の選択板のような岩礁が広がり熊野灘の荒波が打ち寄せています。行った日は風は冷たいけれども日差しは明るく海の青さを引き立てています。島の外洋側はコンクリートの海岸ですが港側は自然の砂浜です,かっては島一面浜木綿の咲く砂ままだったのでしょうがいまは黒松、トベラ、ウバメガシ等が生い茂リ、休憩用のベンチも草むらにうづもれています。島の周囲は500mあまり、コンクリートの遊歩道があります。浜木綿はその周辺に生え、大きなものは私の背丈ほどもありその幹も両手に余るほどのものもあります。海岸に作られたコンクリート製の休憩所は荒波で壊され使用禁止となっていました。そのそばにはかわい浜木綿が咲いているよくぞ生き残っているものです。
万葉歌碑は島にある厳島神社の前に立てられています。静から森の中にたたずめば小鳥の声、潮騒の音、漁船のこことよいエンジン音が聞こえてきます。島を去り防波堤よりながむれば太平洋の荒海の中、防波堤は4mあまりの巨大なテトラポットに守られているが何もない島は本当にひと波で掻き流されでしまそうな風情に見えます。良くぞ残ったものだと感慨深いものがある。いつまでもこのままの姿で残ってくてる様に祈らざるをえない。
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