まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

行者山下見山行

2019-11-24 22:46:53 | 日常
令和元年11月23日
今日は快晴、明日は天気も下り坂との予報でありトレーニングをかねて来週例会山行を予定している行者山に行きました。今回で3回目、改めて各地点の距離,時間を確認しました。今まで素通りしていた修業のための鎖場に立ち寄りました。行者山上部の大岩壁には垂直に約30m余りの太い鎖が掛けられています。取りつき地点からは上部の様子は見えません。素人の人が一人で登るには高度もあり、落ちれば死ぬこと間違いなし、恐怖心が先に立ち、登れないのではないでしょうか。信者の人はどのようにして登られるのでしょうか。登山者であればザイルで確保する必要があります。山岳信仰の修業には峰々を駆け巡ったり、断崖絶壁から身を乗り出しての覗きや、鎖場の登攀がよく見受けます。何のために行われるのでしょうか。非日常的な体験ですから意識に深く刻まれることでしょう。頂上から玖波槍を経由して尾根を北上して舗装道路の手前から谷筋を下りました。一番気になっていたところはこの谷筋の道です。前回の時一応通行できる様にしていましたがシダや木々が行く手をふさいでいるところもあり通行できるように道を広げました。前半はシダでおおわれていましたが後半は踏み後もしっかりとしており木々の枝打でだいぶん明るくなり、通行しやすくなりました。もう大丈夫です。計画後半の傘山をカットしたのは訳があります。府中町の観音さんの登山道を整備するためです。遊歩道が猪に荒らされ掘り返されています。幸い鉄筋を打ち込んだところは大丈夫でしたが段木を木杭で止めてだけのところはすっかり掘り返されていました。7か所余り鉄筋でうちこみ設置しました。それから土嚢袋で歩きやすいように設置しました。せっかくのチャンスですから日が暮れるまで整備しました。これで当分は大丈夫でしょう。山尽くしの1日でした。
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上野誠氏「万葉講演会」と仙酔島散策

2019-11-18 23:21:40 | 日常
令和元年11月17日
今日、13時30分から福山駅前のエフピコRimにて上野誠先生の講演会がありました。鞆の浦万葉の会設立15周年記念行事として開催されたものです。
昔なじみの仲間からお誘いがあり折角来るのならその前に鞆の町でも歩きませんかとお誘いを受け、仙酔島に渡り、島の中央にそびえる大弥山(159m)に登りました。原生林の様によく繁つた林の中、気持ちの良い小道がつづき、小鳥たちの鳴き声を聞きながら、山の思い出や万葉集の話で盛り上がり久しぶりの楽しい登山でした。鞆の浦は昔、妻が配達で来た時よく道端の店で魚を買って帰っていました。また客人があるたびにご案内をしたり、鞆の浦景観裁判でも何回も来ました。会の例会山行でもよく島を一周して泳いだことも楽しい思い出です。特に仙酔島は妻や家族,親戚一同で最後の時を過ごした思い出の地でもありなつかしいところで心から楽しめました。鞆の浦に来ればお土産は保命酒とサヨリの干し物、いつもの海岸の道沿いのテントの屋台に立ち寄りました。サヨリはまだシーズン前で数が採れないとのことですぐに売り切れていました。残念でした。その代わり採れ立てのイカと雑魚を買いました。雑魚は煮つけと天ぷらにしました。イカの刺身の美味しいこと。コリコリの歯ごたえたまりません。こんなおいしいイカの刺身初めてです。何しろ漁師のご主人が今さっきとったばかりのイカを今、ここで売っているのですからこれ以上新鮮なものはありません。今とったイカは明日朝市場に出すのですから今日食べれるとは幸せです。鞆に住む人はこのような新鮮な魚が食べられて良いですね。私も鞆に住もうかな・・・・眺めの良いホテルのレストランで食事を楽しみ講演会場へ向かいました。
会場は福山市が管理している施設でしょう。駅前ながら近く閉店するビルの地下2階大会議室。大会議室と言っても定員100名程度。補助椅子も出され150名近く集まって満杯です。万葉集ブームの今日引っ張りだこの人気者でありながらよくこんな少人数の会場に来られたものと感謝しています。私はかって上野先生のNHKラジオ講座「万葉集 魂の宿る言葉」を1年間、52回も受講しました。深いつながりを感じています。最終回では「また来週お会いしましょうとなるところですが今回で最終回、またいつかどこかでお会いしましょう」との言葉で締めくくられ、今回の再会を楽しみにしておりました。この最終回のブログは平成24年3月31日です。ご覧くだされば幸いです。今日の演題は「令和と万葉集」、「令和」年号の由来について説明されました。万葉集、巻5、815番の「梅花の歌32首併せて序」の序文の文章「初春の令月にして、気淑く風和らぐ」から採用されたことが説明されました。また年号発表時のTV出演時の裏話等をいろいろと面白おかしく説明されました。漫才師のごとく聴衆の心をわしずかみにしたようなあっという間の1時間30分でした。中国、韓国、日本それぞれの国民性の違いも現代社会にまで続いていることも興味があります。一番心に残っていることは「言葉は文化である。日本語があるから伝統が残されている。日本語が亡くなれば日本でなくなる。文化が失われる。かって読んだ星野道夫氏の「アラスカ光と風」の中で変わりゆくエスキモーとして「アラスカのエスキモ―の人々も英語な使用を強制され、学校で英語を使わないと罰を受けるとも書いてありました。その結果、伝統、習慣も途絶え滅び、アメリカ人になった。」と記されていました。中国で何かと問題を起こす新疆ウイグル自治区,国民の多くがイスラム教徒であり、言語もウイグル語だが思想教育も強化され、漢語の使用を強制され文化、伝統を失わせ中国化を推し進めようとしている。改めて「言葉は文化である」ということを実感しました。上野先生、福山までお越しいただきあるがとうございました。

追伸、今回の講演会で感じたこと。
1、やるべきことは即実行する。やらないと後悔が残る。
質問するため「最後の講座のブログ」をコピーして持参していました。はじまる前先生にお目にかかった時、そのコピーをお渡しすれば福山にもこのように熱心な受講者がいたことを知ってもらえたのに。残念でした。
2、準備不足
超有名な万葉集の第一人者、上野誠氏が来られるのだからもっと多くの市民に来ていただけるようにしてほしかった。私はかって山岳会の行事でC・W・二コル氏を招聘した時、広告宣伝に努め、約800人の市民がリーデンローズ会場に来られ、お話を聞いて喜んでいただきました。
またこの夏、新刊本を発刊されたとのことで、会場で販売されれば関心のある人ばかりですし、先生の直筆サインがいただけるのですから相当数が販売でき、先生にも喜んでいただけたでしょうに。これまた残念でした。




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健康試食会に参加す

2019-11-14 22:49:10 | 日常
令和元年11月13日
今日は日頃受診している病院で健康食の試食会があり初めて参加しました。何のため。糖尿病予備軍で永年治療を受け、薬を毎日服用しているのですがなかなか血糖値が改善しない。どこが悪いのだろうか。食事に問題があるのではと先月栄養指導を受け、日頃食べている献立を書き出し診断を受けました。その結果、昼食のうどんは余分で食べすぎである。果物もとりすぎ、果糖の1日の標準摂取量はバナナなら1本、大きいリンゴなら半分が適量。間食は1日1回、それとカロリーとりすぎになるので夕食はほとんど食べないのに慣れてきていたがこれもダメ。均等にいろいろなものをバランスよく食べるほうがよい。夕食を食べないでカロリーが不足すると筋肉から補給されるといわれた。
そう言われてみれば上半身の筋肉量が落ちてきているのに気が付いた。なるほど落ちた分は筋トレで補う必要があるがそれが十分でなければ筋肉量は落ちることに・・・そのような訳で美味しい健康食を体験するため参加しました。参加者は10人、男性は私だけであとは高齢な女性でした。平日の12時、昼時間ですから男性は無理でしょう。1日の目標カロリーは高齢女性なら1400Kcal、男性なら1600Kcalです。本日の1400Kcalの献立表で昼食は約6,5単位、540Kcal。メニューは写真にあるように一汁三菜。さすが専門家のメニュー、肉、魚、野菜が少ないながらバランスよく入っています。、米飯140g、白身魚の香草パン粉焼き、かんぴょうの炒め煮、ほうれん草の和え物、吉野鳥の清汁、果物バナナで3分の1でした。味付けは薄口ながらはっきりとついていました。私は1,600Kcalで計算したのでご飯160gとは茶碗摺り切りの8分目程度、私が平素盛り付けしている量では250gありました。少ない量です。これでは夕方にはお腹がすくのではと思いました。食べ方に注文がありました。この量を30分かけて食べること。平素なら10分もあれば食べます。その3倍も時間をかけて食べるのです。同席者とと談笑しながら食べるか、よく噛んで食べるか。そうすれば少ない量でも満腹感を得ることができました。これが一番の収穫でした。ただし私の場合は高齢者といえども現役で引越、荷下ろし作業等に肉体労働もこなしており、体重は一定を維持しているので食べ方、バランスの良い食事内容に留意しカロリーは今まで通りでよいと感じています。
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「李秀賢」さんと 「望月カズ」さんのこと。

2019-11-12 00:11:54 | 日常
令和元年11月11日
李秀賢さん,誰か知っていますか。彼は当時26歳の韓国人、留学生です。今から18年前、2001年(平成13年)1月26日、東京山手線、JR新大久保駅において線路に転落した男性を助けようとカメラマンの関根史郎さん(当時47歳)と共に自らの危険を顧みず救助しようと敢然と線路に飛び降り、尊い命を落とされた方です。新大久保駅の壁面にはそのことを記したプレート板が取り付けられています。政府も「日韓の絆を深めた」と」コメントを出した。きょうのNHK 番組「事件の涙」でこの事故のことが取り上げられました。先の台湾旅行のブログで韓国のことを書いていたばかりなので関心を持って見ました。李秀賢さんさんは日韓を結ぶ懸け橋になりたいと来日、留学中にこの事件に遭遇されました。ご両親も初めは留学に賛成ではなかったようですが見ず知らずの韓国人留学生を多くの日本人がその死を悼んでくれることに感銘され、その遺志を引き継いで寄せられた多くの弔慰金を基に財団を設立し留学生を支援するための奨学金制度を立ち上げられ、日韓の友好な関係促進のため尽力されています。6年後にこの事件を基に製作された映画「あなたを忘れない」の試写会には天皇、皇后両陛下も出席しご覧になったとのこと。
一方韓国においてもかって国民を感動させた日本人がおられました。望月カズさんです。
望月カズさんは6歳の時満州で孤児になりました。朝鮮戦争後も韓国にとどまり厳しい生活を強いられながら韓国の孤児、133人もそだて、孤児から「カアちゃん」とよばれて慕われた日本女性で「韓国孤児の母」と呼ばれ、多くの韓国人にも感動を与え、映画や小説に書かれました。1983年11月12日56歳で亡くなりました。その功績に対し日韓両国から勲章が授与されています。戦後最悪な日韓関係の中、韓国の方にもこのような日本人がいたこと、日本においても勇敢な韓国青年がいたことを今一度思い出してほしいですね。それにしても明日が彼女の月命日とは奇遇ですね。このブログも彼女が書かせたのでしょう。
(実は今ブログを書いている時刻は12日の午前1時40分興奮して書いてしまいました。朝起きれればよいですが・・・)
ともにお互いの国、国民のため尽力され友好関係構築に寄与された方です。今一度このような日本人、韓国人がおられたことを思い出して冷静に現実を考えたいと思います。日本の安倍首相も韓国の文首相もお互いの国民に嫌悪感を植え付け、対立を煽り、自らの政治的地盤強化に利用しています。日韓両国民とも冷静さを失い熱くなり興奮状態となっています。その点過去にこだわる我々年寄りよりも若い人の方が未来志向で現実を見て冷静に付き合っているように思いました。
どのようにしたらよいのでしょうか。何か良い解決策はないものでしょうか。共に考えましょう。
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祝賀御列の儀

2019-11-10 22:34:13 | 日常
令和元年11月10日
今日は雲一つない快晴の天皇晴れ。歴史的な「祝賀御礼の儀」が挙行されました。午後3時から30分間の行列ですが皇居から赤坂御所まで4,6キロを11万9千人が沿道で見物され、私もテレビで観戦しました。みんながスマホを頭上高く掲げていました。後ろの方は頭しか見えないといっておられましたがこの歴史的な現場にいたことを喜んでおられました雅子様が涙ぐんでおられた姿が印象深く残っています。末永く平和が続きますように祈らずにはおれません。
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立冬・干し柿を作る

2019-11-10 21:40:45 | 日常
令和元年11月8日
今日は立冬、この日から冬になるのですが広島ではまだ紅葉も浅く初雪も東北地方まででさほど寒いとも言えません。晩秋といったところでしょうか。二四節季は中国黄河中流域を基準にしたものであり、日本の気候とは一節季・一五日くらいずれが生ずるようです。今年も干し柿を作りました。今年は11月3日に柿が売り出されましたのをすぐに購入して作りました。昨年は10月13日、一昨年は10月16日に作っています。甘くて糖分が多いので要注意。10個と控えめにしました。紅葉が遅れているように今年は暖かく1から2週間季節が遅いことがわかります。寒さに関係なくこの時期空気が澄んでいるので月がきれいです。今日は十一夜、満月の十五夜は12日ですが今でも十分綺麗ですよ。ちょっと窓を。開けて名月を楽しんでみてはいかがですか
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福山山岳会創立100周年 「台湾記念旅行」第4日目 総督府見物他

2019-11-06 14:15:58 | 日常
令和元年11月2日
今日が最終日,楽しかった旅行もいよいよお終い。意気に感じてか天気もよし。
また今日は台湾総督府が月に1回内部を見物できる特別な日です。幸運に感謝。この建物は100年前、日本総督府として日本人により建設された建物がいまだ残って使用されています。花崗岩造のルネッサンス様式の建造物です。
実際に現総督が実務に使用されており、入場には厳重な寸身体検査を受けます。邸内ではあちこちに銃器を携えて兵士が厳重な警備にあたっています。見物には特別な許可が必要で一般の観光では見物できないところです。よいものを見せていただきました。それから1975年に亡くなった初代総統、蒋介石を追悼する中正紀念堂を見物しました。「中正」とは蒋介石の本名とのこと。1980年に完成。今では台湾三大観光名所の一つと称えられています。八角形の屋根、深い青色の瑠璃瓦、純白の大理石の壁のコントラストは見事です。広さは1万5千㎡、高さは70m、中国の伝統的な宮殿墓式建物です。89段の階段は蒋介石の年齢を表しているとのこと。メインフロアにはアメリカのリンカン大統領の銅像のように椅子に座った巨大な蒋介石の銅像が鎮座しています。特に有名なのがその前で1時間ごとに行われる儀仗隊の交代式です。実に見事でした。いつ見ても気が引き締まります。その前の広い庭園は台湾の形に描かれた花の鉢が美しく並べられ多くの人々が散策し憩いの場となっていました。引き続き小籠包のランチを昼食に食べ、免税店でお土産を購入、再び空港に向かい帰国の途に就きました。あっという間の4日間でしたが実に充実した濃密な時間を過ごせたことをすばらしい仲間とリーダーに感謝いたします。

今回の旅行で感じたこと。それは信頼できる友人、台湾との付き合いを大切にすること。中国本土との関係もあり台湾と国交を断絶する国も増え、台湾は孤立感を深めています。我国としては今までの信頼関係、友誼、友好を大切に付き合うべきだと思います。孫たちの若い世代は韓国の学生との交流があるようですが私たちの世代では韓国との国民感情は悪化しています。お互いの好感度は最初に書いた東日本大震災の民間からの義捐金の金額に表れています。好き、嫌いの感情は大事です。韓国との感情の相違、これはもう根深いものがあり将来的にも解消できないでしょう。台湾と中国本土政府とは戦争して別れたものでありふたたび合併することは体制の違いから困難でしょう。韓国と北朝鮮とは戦争により大国の圧力により分断されられたとの意識があり同一民族として統一には希望を抱いており、とくに現政権は信じられませんがはっきりと北朝鮮と一体になり日本と対峙するとの方針を目指しているようです。歴史的にも大陸国家、朝鮮、中国、ロシアは共通目標として海洋国家と対峙することになるでしょう。我国としては隣国が力をつけること、協力関係を強化されることは得策ではありません。または望ましいものではない。敵対政策をとることはないにしても特別扱いをして優遇するすることは我国の利益にはつながりません。むしろ力をそぐべきです。地政学的にも島国と大陸の地続きの国々とは考え方が相違します。その点においても日本と台湾とは立場に共通したものがあります。国民感情を大切に友好関係を深めてゆくべき大切な国であると感じました。
(写真は中正紀念堂の前で撮影、とにかく巨大です。階段が89段あります。)
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福山山岳会創立100周年「台湾記念旅行」 第3日目 七星山登山他

2019-11-05 23:44:22 | 日常
令和元年11月1日
今回登る山の名前は「七星山(1120m)」です。台北の桃園空港に到着するとき最初に目につく山です。陽明山国家公園内にあり台北から近いので多くの人々に愛されている山です。福山でいえば蔵王山のようなものでしょうか。リーダーンの友人である台湾在住の日本人の方に案内していただきました。冷水坑登山口の標高は標高740mですから山頂までの標高差は380m、約1時間の距離です。登山道はすべて石畳、階段でした。雨で滑りやすい反面急坂でも安全に通行することができました。全コース石畳ですから大変な費用を要したことでしょう。多くの登山者があれば石畳みでなければ登山道の維持はできないでしょう。雨と風のため難儀をし、展望はありませんでした。山頂の稜線では強風にあおられましたが全員無事に登山できました。下山口の小油坑付近は活火山らしく硫黄の噴出したところもありました。此処まで下りてくると天候は回復していました。このあたりは芝生に囲まれ温泉付きの保養地らしい光景が見られました。此処から少し離れた温泉に入浴しました混浴の方はプールのようなもので水着と水泳のヘッドキャップが必要です。台湾でも登山して温泉に入浴するのは日本と同様です。ホテルに帰り現地での祝賀会を催しました。鳥の一羽丸焼きもありました。盃を重ね楽しく話に盛り上がりました。オプションで希望者15名余りがリーダーの案内で龍山寺に参拝しました。台湾のまじめな姿に接することができ々、同じ仏教徒としての心のつながりを実感しました。その周辺にある夜市を見物。この夜市はゲテ物が有名で大蛇もいました。帰路、台湾の地下鉄の乗り方を実際に体験しました。私のような高齢者がいれば席を譲ってくれる優しさも体験しました。好感度も上がりました。
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福山山岳会創立100周年「台湾記念旅行」 第2日目 天燈上げ・九份観光他

2019-11-04 22:29:41 | 日常
令和元年10月31日
今日は予報どおりの雨天。事前にリーダーから雨対策は十分にとの指摘もあり準備は万全怠りなし。ホテルから1時間余り入った山村の「十分」という町。その駅舎の付近、単線の線路の両側に30軒余りの天燈販売の店舗が軒を連ねている。天燈とは簡易なアドバルーンのようなものです。1m余りの四角なビニール袋の側面に願い事を書いて下部の火床に火を点火するとその熱で風船が上昇するというものです。4人が一組となり、その四面に願い事を書いて打ち上げます。何百人もの大勢の観光客がそれぞれ店の前の線路から打ち上げますから壮観です。100mくらいは上がるのではないでしょうか、その火力が失われば自然と落下する。中には打ち上げてもすぐに途中で落下するものもあります。店舗の屋根や庇のテントに落下するのもたくさんありました。ちょっと危険のように思いますがこれが商売ですから仕方ないのでしょう。とにかく目の前で打ち上げるのですから興奮しました。
次は黄金博物館に行きました。この付近は鉱山の町として栄えた所です。はじめは石炭が発掘されつづいて金が発見されるとゴールドラッシュとなり数人の人口が数千人の工夫の町に大変貌しました。日本の別子銅山も同様の繁栄をしましたがそれは数百年前のことで今はは廃墟となっていますがこちらはつい百年前のことですから建物なども健在です。鉱山跡や坑道に入り発掘現場や監督宿舎・食堂等の町並みも見学出来ました。220キロ余りの金塊にも触りました。次に訪れたのは台湾観光のメイン「九份」です。はじめは石炭、その後は金鉱の町として命知らずの工夫たちの歓楽街として大変貌を遂げました。町は山の上の方にあります。私たちは麓から歩いて登りました。雨が降りぬかるんだ道、ひざ下までつかる悪路もありました。かってふもとまで鉱石を運んだ一直線のトロッコ道、何もない山道のトンネルを抜けれると明るい光輝く別世界が開けました。「千と千尋の神隠し」の冒頭のシーンそのものです。「トンネルを抜けると歓楽街あり。」天は赤い提灯に覆われ狭い道は両側に土産物店が立ち並び観光客でごった返す。驚きの連続です。展望の良いレストランの3階で夜景を楽しみ、夕食をとりました。食事の前に5種類の紅茶を飲みまわし味の違いを堪能しました。ホテルに帰る途中、松山の饒河街観光夜市に行きました。立派な、派手な寺院の前の夜市です。大勢の人々で賑わっています。数百メートルの道の両側に屋台や食べ物店が立ち並び時として強烈な臭い漂っていました。お腹一杯ですからもう食べられません。雰囲気を堪能しました。日本語が飛び交い修学旅行学生さん、若者たち、おばさん連中多数おられました。このような光景が毎夜続くのですから驚くばかりです。

追伸  心に強く思っていること。関心のある情報は目に飛び込んでくる。不思議ですね。
 帰国して4日目、11月6日NHK BS3午後2時55分 『2度目の台湾 九份編」懐かしい場面が登場。あそこにもここにも行った。感動を甦らしました。ビデオに録りました。また行くぞーー
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福山山岳会創立100周年「台湾記念旅行」 1日目 国立故宮博物院他

2019-11-03 20:05:35 | 日常
令和元年10月30日
今日から4日間にわたり台湾の台北市周辺を旅行してきました。初めての台湾旅行ですが「親日的で食事もおいしい」ので行って来たらと言う義兄の言葉に背中を押され月末の多忙な時期、平日にもかかわらず参加させていただきました。台湾が親日的であることは東日本大震災の時、国外からの義援金の額の多さに表れています。この小さな国(九州程度の広さ、人口2400万人)でありながらアメリカとほぼ同額程度の第2位。29億円も届けられています。ちなみに中国は9億円で9位、韓国は2億円で24位でした。国民の友好度合がわかります。韓国は台湾の倍以上の人口がありながらこの低さ・・・台湾国民に感謝、ありがたいことです。
台湾は山国です。日本では最高峰は富士山で3776m、標高が3000m以上の山は聖岳の3013mまで21座しかありません。台湾の最高峰は3952mの玉山。日本名では新高山と知られていますがなんと268座もあります。九州ほどの狭い国土に268座もあるのですから驚きです。平地は30%ほどしかありませんから高地が盛り上がっている感じですね。
現地について驚いたのは2輪車の多いこと。1300万台もあります。道路車列の前面は2輪車が幾重にも、歩道にも大量の車列。50ccの小型バイクはみませんでした。軽四輪もみませんでした。
街が発展したのはここ100年、古い歴史的な建物・町並みはなく京都のような落ち着いた雰囲気はありません。
住宅も土地代が高価なせいか一戸建てではなくマンションです。
交通機関はバス、タクシーに地下の電車や列車。
毎日朝早くから朝市が開かれています。また夜にはあちこちで夜市が開催され、連日祭りのような賑わいで活気があります。市内に14か所もあるそうです。日本からも多くの観光客や学生の修学旅行者も多く見られました。交番も彼方此方にあり治安は良い。
日本からの進出企業もそごう、三越等の百貨店、セブンイレブンやファミリーマート等のコンビニ、トヨタの車屋、ダイソー、宅急便のクロネコヤマトもありました、漢字の看板で何となく意味が分かり外国に来たような感じはしません。電線も地下に設置され電柱は一本もありません。横断歩道の信号機も通行可能時間が表示されます。これは台湾を見習いたいね。
若者たちも日本と同様で流行に敏感、最新のファッションです。
地下鉄に乗車体験もしたが立っていると私のような年寄りには席を譲ってくれました。同行した何人の会員も同様でした。やさしいですね。
日本の浅草のような感じの「龍山寺」に観光に行きました。観音様が本尊で天上聖母(航海の神様)、文昌帝君(日本の天神様・学問の神様)、関聖帝君(関羽・商売の神様)が祀られ、霊験あらたかで知られ、多くの人々が熱心にお祈りしておられました。線香も無料で配布していただきました。庶民の信仰のお寺であり好感が持てました。 
私の親戚には家族で何回も台湾に行かれ、すっかりフアンの人もいます。その気持ちわかります。私もすっかり台湾が気に入りました。また来たいですね。
今回のリーダーは下見に6回も来たとのことでどこも素晴らしい場所で厳選されたところばかりでした。帰国して広島空港で出るときには彼だけ止められ検査を受けていました。頻繁に台湾に行っていることに加え荷物が多いことに不信を持たれたとのこと。今回は奥様も一緒に来られ参加者のお世話をされました。夫唱婦随で尽くされる姿に参加者のみんなからも感謝のお言葉が聞かれました。その姿に亡き妻のことを思い出しました。かって私がリーダーで奈良の万葉の山旅を実施した時、同伴してくれ、今回同様いろいろとみんなの世話をして助けてくれました。リーダーの妻の役目なのですね「本当によくしてくれた。ありがとう」
第1日目、今回の旅行参加会員数は29名。9時広島空港を出発、現地時間の午前11時、台北、桃園国際空港に到着。最初に「国立故宮博物院」を見物。世界的にも有名な博物館です。千年も前から歴代宮廷に伝承された宝物が展示されています。国宝級の「毛公鼎」翡翠の『翠玉白菜」、「肉形石」、青磁器、書画等を見物しましたが、いずれも私には「猫に小判」、私が心を引き付けられたものは明の時代に造られた青銅製の「観音菩薩像」です。そのお顔の美しいこと。穏やかなこと。心を安らかにしてくれます。いつまでも見ていたい気持ちにさせてくれます。関心がなければ心に響きません。良いものを見せていただきました。
続いて行ったところは「忠烈詞」、日本でいえば靖国神社の様に国に命をささげた人をお祀りする場所の衛兵交代式を見物しました。人形のように直立不動の衛兵が交代する様子は凛々しく、まさに厳粛で感動モノでした。夕食会は超豪華なホテル「圓山大飯店」内のレストランで開催されました。内装、外観、展望、夜景も素晴らしいものでした。
いづれもリーダーが足を運び確認、厳選された素晴らしいところばかりでした。大満足です。本当にありがとう。
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